第2章第43話
夕方の駅前のファミレス。
紬は今日も美月と密かに会い、コーヒーを飲みながらお喋りをしていた。
琉衣の被害者としての連帯感からか、単純に気があったのかはわからない。
短い間に、二人はすっかり仲が良くなっていた。
あれ以来、琉衣のマンションにはいかなくなり、メッセージアプリもブロックした。
連絡は、一切絶っている。
「兄さん。紬さんにブロックされてるのがわかって、かなりイライラしてました」
「美月ちゃんに八つ当たりとかしてない? 大丈夫?」
「大丈夫です。新しい女性をまた連れてきてたので、今はそっちで気が紛れてるのかと」
「そう、それなら良かったけど」
紬は胸を撫でおろし、ほっと安堵の息を漏らした。
「でも、紬さんのことはまだ諦めてないって感じでした。私に『自分の代わりに紬さんと連絡を取ってくれ』って言ってきたりして……」
「そう……ごめんね。私のせいで。巻き込んじゃって」
申し訳なさそうに眉を下げる紬に、美月はぶんぶんと首を振る。
「紬さんのせいじゃないですよ。兄さん、紬さんのことすごく気に入ってたんだと思います。あ……その、異性として、とかではないですよ?」
「わかってるよ。いつでもやれる都合のいいセフレとしてでしょ」
紬は自虐的な、乾いた笑みを浮かべた。
「そ、そこまでは言いませんが……」
大切な紬が自分を貶めるような物言いをしたのがショックだったのだろう。
美月は痛ましそうに顔を曇らせ、俯いてしまった。
「でも、そろそろ冬休みが終わるしね。待ち伏せされたり、教室にまで来られたりしたらどうしよう」
途端に現実的な不安が押し寄せ、紬は眉間にシワを寄せて深く考え込む。
「初詣の時に会った。初音さんや文弥さんに相談してみるのはどうですか?」
美月の提案に、紬は小さく首を横に振った。
「あの二人にはいっぱい迷惑かけたから、今さら頼めないわ」
ぽつりと呟く紬の横顔には、寂しげな色がにじんでいた。
「──って、暗い話ばかりは止めましょう。あ、何か食べます? 私が奢りますよ。うちの両親、お金だけは無駄にたくさん振り込んでくるので!」
「ふふ、年下に奢られるわけにはいかないでしょ。ここは先輩の私に奢らせて」
パンケーキをつつきながら楽しくお喋りを続けているうちに、すっかり外が暗くなっていた。
二人は名残惜しそうに店を出ると、それぞれの帰路へと着いた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
ファミレスの帰り、一人静かな路地裏を歩いていた紬は、ふと聞き覚えのある声に足を止められた。
「紬。偶然だね。何してるの?」
振り返った先には、文弥のアパートに向かう途中だったという初音が、ぱっと華やいだ笑みを浮かべて立っていた。
彼女は軽やかな足取りで近づいてくる。
「……美月ちゃんとファミレスに行った帰りよ。」
紬は俯き、ばつが悪そうにぽつりと答えた。
「美月ちゃんって初詣で会った、可愛い子だよね」
「うん、何か妹みたいで」
「そっかぁ、でも、だいぶ顔色も良くなったね。ホッとしたよ」
初音は、俯く紬の顔を心配そうにそっと覗き込む。
「……心配してくれるんだ」
「当たり前じゃない。私たち友達でしょ」
「……まだ友達だと思ってくれてるんだね。ぐすっ」
精神的に弱っているせいか、紬の目から流れる涙が止まらなかった。
初音は何も言わずに、ただそっと紬を抱きしめた。
「……初音」
「肩貸してあげるから、泣いていいよ。えへへ」
紬は初音の小さな肩に顔を埋めて、ただただ泣きじゃくっていた。
「……ありがとう。初音」
散々泣いたあと、二人は近くの公園のベンチに座り、紬は初音に琉衣とのことを正直に話した。
すっかり夜の闇が深まり、冬の冷たい風が二人の頬を撫でる。
そろそろ帰ろうかとなった時に、初音が紬をもう一度抱きしめた。
「私は紬の味方だからね。私は紬の友達なんだから。紬は一人じゃないよ」
「……ありがとう。初音」
紬は溢れそうになる感情をぐっと堪える。
「いざとなったら、文弥くんもいるしね」
「文弥くん……私のことなんか助けてくれないんじゃないかな」
「大丈夫だよ。今はあんな感じだけど、結局は優しさが出ちゃう人だから」
二人は途中まで一緒に帰ると、分かれ道で手を振って笑顔で別れていった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
初音は紬と別れた後、文弥のアパートへ行くと、古びたドアを開けた。
部屋の中では、文弥が畳の上で気持ち良さそうに寝ていた。
起こさないようにそっと台所へと向かい、初音は晩御飯の準備を始めた。
出来上がる頃に、文弥がゆっくりと目を覚ます。
「あ、初音。おかえり」
「ただいま。ずいぶん、ぐっすりと寝てたね」
「初音の帰りを待っていたら、ついつい寝ちゃったよ」
「ごめんなさい。紬と偶然会って話してたから、遅くなっちゃって」
「へー、そうなんだ」
文弥は全く興味がなさそうに短く返事をした。
初音を見つめるその瞳の奥はどこか冷めていて、興味のなさを隠そうともしていない。
「……紬。あの先輩と別れたみたいよ。かなり酷い目にあったみたい」
「あっ、そう、自業自得じゃないの」
「でも、また付きまとってくるかもしれないみたい。文弥くん、助けてあげて」
「えー、なんで僕が……」
文弥は心底嫌そうな顔をする。
「そんな嫌そうな顔しないでよ」
「実際に嫌なんだから仕方ないだろう」
「お願い。文弥くん」
初音はエプロンを外すと、文弥の向かいに座り、真剣な眼差しを真っ直ぐにぶつけてきた。
「き、急にどうしたの」
「紬を助けてあげて」
初音は文弥の右手を両手で力強く掴むと、ぐいっと自分の胸元へと引き寄せる。
薄い生地越しに伝わる柔らかい感触と、必死な彼女の体温がダイレクトに伝わってきた。
「わ、わかったよ」
初音だけにはとことん甘い文弥は、観念したようにため息混じりの返事をした。
「ありがとうございます。大好き」
いつもの向日葵みたいな笑顔に戻った初音は、そのまま文弥の胸へと飛び込んだ。
「僕も大好きだよ」
「……文弥くん」
「……初音」
呼び合う声は静かな部屋に溶けるように小さかった。
見つめ合う二人の視線が深く交じる。
どちらともなく、ゆっくりと顔を近づけると、二人はそっと唇を重ねた。
お互いの舌が自然と絡み合う。
熱が帯びる次の瞬間──部屋のドアが不意に開いた。
ガチャリという突然の音が聞こえ、二人はそのまま固まってしまった。
「あらあら、相変わらず仲良しね。ふふ」
文弥の母親が、抱き合いながら口づけを交わす二人を微笑ましく見つめていた。
初音と文弥は二人の世界に入り込み過ぎて、ドアが開く音や足音に全く気づかなかったのだ。
「お、お邪魔してます」
初音は慌てて立ち上がると、深々と頭を下げる。
「か、母さん。おかえり……」
さすがの文弥もこの状況に顔を真っ赤にして照れている。
母親の生温かい視線に、文弥は頭を抱えたくなった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
その日の夜。
事を終えた琉衣はベッドの上に横たわっていた。
先ほどまで抱いていたギャル風の女性が、琉衣に挨拶をして部屋を出ていったが彼は気にも留めていなかった。
紬にブロックされて、連絡がつかない。
彼女の家も知らないので、会いに行くこともできない。
そもそも、興味がなかったので家がどこなのかも聞いたことがなかった。
性奴隷が一人減ったことを、琉衣は苛立っていた。
頭を冷やそうとシャワーを浴びに行くと、リビングで美月とバッタリ出会った。
「帰ってたのか」
「はい、シャワー先に浴びさせてもらいました」
「おまえ、毎日どこへ行ってるんだ?」
特に美月に興味などない琉衣だったが、何気なく聞いてみた。
「え、友達と会ってます」
美月は作り笑いをして、慌ててその場を誤魔化した。
「ふーん、おまえに友達なんかいたんだな」
琉衣は美月が友達と遊んでいるところなど、これまで一度も見たことがなかった。
「っ、はい、最近、仲良くなったんです」
引きつりそうな笑みを張りつかせたまま、美月は必死に話を合わせた。
「ふーん、まあ、僕には関係ないけどな。腹減ったからピザ頼んどいてくれ」
頭を掻きながら、面倒くさそうに琉衣はその場を後にした。
浴室に向かった琉衣は、シャワーを浴びながら紬のことを考えていた。
──まだ手放すには惜しい、捨てるのはもっと玩具として遊び倒してからだ。
まだまだ全然やり足りない。
優しくしてやれば、どうせまた尻尾を振って僕の元に戻ってくる。
仮にそうでなくても、力ずくで連れ戻せばいいだけの話。
学校が始まればいくらでも会えるのだから。
湯気の中で、琉衣は胸の奥から湧き上がる黒い衝動をふつふつと募らせるのだった。
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