第2章第39話
冬休み初日。
文弥は初音と一緒に電車に乗り、映画館のある街を訪れていた。
暗闇に包まれたシアター内、二人の距離は肩が触れそうなほど近い。
文弥がふと横に目をやると、スクリーンに照らされた初音が、なぜか映画でなく文弥のことをじっと見つめていた。
「どうかした? 初音」
「ううん、ただ横顔を見てただけ。ふふ」
不思議そうな顔をして首を傾げる文弥に対し、初音はどこか楽しげに、嬉しそうに微笑んでいた。
映画を見終わった二人は、小腹が空いたので、近くのコンビニへ立ち寄った。
店の中へ入ると、店員の一馬が営業スマイルを浮かべてこちらを振り向いた。
「いらっしゃいませ。あれ? 文弥と浅井さん?」
「一馬くん。ここでバイトしてたんだ。まだバイトしてたんだね?」
「ああ、やってみたら仕事するのが結構楽しくなっちゃってさ」
一馬は眉間にしわを寄せて苦笑していた。
「秋月くん、バイトしてたんだ。お疲れ様です。ふふ」
文弥の背中から初音がひょこりと顔を覗かせ、一馬に向けて笑みを浮かべた。
「ありがとう。浅井さん。二人はデート?」
「うん、映画を観てきたんだ」
そう言って、文弥は楽しそうな無邪気な笑みを咲かせる。
「そっかぁ、羨ましいな。ははっ」
三人で立ち話をしていたら、バックヤードの方からスラッとした美人がやってきて一馬に声をかけてきた。
「一馬くん。お友達?」
「はい、同じ学校の友達です」
「そう、私は一馬くんの婚約者の速水志歩です。よろしくね」
「えっ? 婚約者? 一馬くんは婚約者がいたの?」
突然の『婚約者』というビックリワードに、冷静な文弥も今回ばかりは驚きを隠せなかった。
「……いや、俺も初耳なんだが」
一馬は、死んだ魚のような目をしていた。
「凄い、綺麗な人だね、秋月くん。おめでとうございます」
そう言うと、初音は満面の笑顔で一馬を祝福した。
「……あ、ありがとう。浅井さん」
美人の婚約者ができたはずなのに、なぜか一馬の表情は晴れず、この世の終わりのような顔をしていた。
「あなたたちは付き合ってるの?」
志歩が、並んで立っている文弥と初音を交互に見つめてくる。
「はい、恋人同士です」
初音は、はっきりと迷いのない声で答えた。
「可愛らしいカップルね。ふふ」
志歩はどこか微笑ましそうに目を細めている。
「あ、ありがとうございます」
志歩の言葉に、初音は頬を桜色に染めて照れくさそうに俯いた。
「そうだ、一馬くんの友達とは友達になりたいわ。連絡先を交換しましょう?」
「はい、いいですよ」
志歩と初音がスマホを取り出し、慣れた手つきで連絡先を交換していく。
「あなたもいいかしら?」
志歩の視線が文弥に向く。
文弥の独特の直感が『この人とは関わるな』と激しく警鐘を鳴らした。
だが、志歩の目の奥にあるどす黒い光が怖くて、断ることができなかった。
「……はい、大丈夫です」
文弥は引きつった笑みを浮かべながら、志歩と連絡先を交換した。
謎の声(文弥が怖がるなんて珍しいね)
二人はコンビニでサンドイッチと飲み物を買い、店を後にした。
◇◇◇◇◇◇◇◇
バックヤードの休憩室。
一馬はそこで、ようやく訪れたひとときの休息を噛みしめていた。
彼がコーヒーをひとくち飲むと、志歩が休憩室へとやってきた。
「あ、一馬くん。お疲れ様」
「お疲れ様です。志歩さん」
「そういえば先ほど言い忘れてたんだけど、お父様とお母様に挨拶は済ませといたから」
志歩は表情を変えることもなく、ただ淡々と説明してきた。
「え? 父さんと母さんに会ったんですか?」
突然の衝撃的な言葉に、一馬は驚いて口をポカンと開けている。
「ええ、昨夜、父と母と三人で会いに行ったわ。前もって約束してたのよ。そこで婚約も決まったの」
「……俺、何も聞いてないんですけど」
一馬のコーヒーを持つ手がカタカタと震えだした。
「言い忘れていたわ。ごめんなさい」
一馬は絶対にわざとだろうと思ったが、怖くて言えなかった。
「……父さんと母さんは何か言ってましたか?」
「ええ、一馬をよろしく頼むって、とても嬉しそうに言ってたわ」
無理やり言わせたんじゃないかと思ったが、言えるわけがなかった。
「それじゃあ、私は仕事へ戻るわね」
一馬は志歩の背中をただ呆然と見送っていると、突然、スマホのバイブ音が鳴り響いた。
画面を確認すると、父親からだった。
慌てて一馬は画面をスワイプし、通話ボタンを押した。
『もしもし、父さん』
『一馬。婚約のことは聞いているか?』
『……さっき志歩さんから聞いたよ』
『そうか、なら、話は早いな。昨夜、志歩さんとの婚約が正式に決まったからな』
『……婚約って本人がいないとこで決めていいもんなのか?』
『あちらのご両親が早い方がいいとおっしゃるもんでな……あれだな……個性的なご両親だな』
電話越しに父親の声が震えているのを、一馬は聞き逃さなかった。
『あと、結婚したらお前は速水さんのところに養子に行くことになったから』
『えっ? うちの会社はどうすんだよ!』
『会社は柊吾に継がせる』
『そんな! 長男を養子に出して、弟に継がせるなんて!』
『……それじゃ、志歩さんを大切にな』
『父さん! ちょっと待ってくれ!』
『……プー……プー……プー……』
ビープ音が一馬の耳に虚しく響いた。
どうやら自分の知らないところで、結婚の話がどんどんまとまりつつあるらしいことに気づく。
自分にはもう逃げ場はないらしいと、絶望しながら頭を抱える一馬だった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
その日の夜。
文弥と初音の二人は彼の部屋で、ベッドに並んで腰掛け寛いでいた。
今夜は母親が夜勤のため、初音は泊まることになっている。
「今日のデート楽しかったね」
初音はそっと身体を密着させると、甘えるように文弥の肩に頭を乗せた。
「初音はあまり映画観てなかったでしょ」
文弥は初音の柔らかい髪に触れ、その頭を優しく撫でた。
「うん、文弥の横顔ばっかり見てた。えへへ」
「まあ、僕も映画より初音を見てた方が楽しいけどね」
「私は文弥くんと一緒ならどこでも幸せだから」
「僕も初音が一緒ならそれだけで幸せだよ」
見つめ合う二人。
文弥は吸い寄せられるようにそっと目を閉じ、初音の唇へと優しい口づけを落とした。
どちらともなく、二人はベッドの上で溢れる愛おしさを確かめ合うように、お互いの身体を求め合った。
──しばらくすると。
火照った身体を文弥の腕の中に預けながら、初音は心から幸せそうな微笑みを浮かべていた。
「文弥くん。大好きだよ」
「僕も大好きだよ」
見つめ合う視線のまま、二人はゆっくりと顔を寄せ、再び優しくそっと唇を重なり合わせた。
生まれたままの姿で、お互いの肌から伝わる体温を確かめるように、二人は深く抱き合っていた。
そんな時、文弥がふと何かを思い出したように、初音から離れた。
「あ、そうだ。初音に読んでほしい本があったんだ」
文弥はベッドから立ち上がると、部屋の片隅に置いてあった紙袋を手にした。
「これ貸すから家で読んでよ」
文弥は、ガサリと音を立てて紙袋を初音にそっと差し出した。
「何? その紙袋は?」
初音もベッドから立ち上がり、文弥が持っている紙袋に視線を落とした。
「この袋には僕が厳選したNTR系のライトノベルが入ってるんだ。これを読んで初音にも『寝取られ愛』を感じてほしいんだ」
文弥は、まるで玩具を自慢する子供のように無邪気な笑みを浮かべている。
「何で私がそんなの読まないといけないの!! 寝取られ愛なんか知りたくないって言ってるでしょ!!」
プツン──初音の中の何かの糸が切れる音がした。
顔を真っ赤にして興奮した彼女は、何を思ったか文弥の股間を思い切り手で握りしめた。
「い、痛い! 初音! そんなに強く握ったら痛いよ! 離して!」
「私、絶対に読まないからね!!」
初音はさらに握ってる手に力を込めた。
「よ、読まなくてもいいから! 早く離して! そこはダメなところだから!」
初音の思ってもみなかった股間攻撃に、文弥はパニックに陥っていた。
あまりの激痛に、文弥はあっさりと『寝取られ愛』を諦めた。
今日も初音に寝取られ愛をわかってもらうことはできず、ただヒリヒリする痛みだけが股間に残るのだった。
しかし、初音もきっと寝取られ愛の良さに気づく日が来るだろうと文弥は固く信じていた。
謎の声(……まだ諦めてなかったのね……そんな日は来ないって)
読んでくださりありがとうございました




