第2章第33話
千代のテスト勉強の誘いを断った一馬は、自宅のマンションの近くにあるコンビニで、先月からバイトに励んでいた。
もちろん、すべては紬のためである。
以前のように、彼女に少しでもプレゼントや美味しいものを食べさせたいと、バイトで軍資金を稼ぐことに決めたのだ。
「いらっしゃいませー」
一馬は顔の筋肉を総動員し、精一杯の営業スマイルで客を迎える。
「にいちゃん! 娘がさぁ、猫が飼いたいって言ってるんだよ! ここに置いてあるか?」
入ってきたおっさんは、千鳥足で明らかに泥酔していた。
強烈な酒の臭いがレジ越しに漂ってくる。
『あるわけねぇだろう!』内心で激しいツッコミを入れつつも、一馬はぐっと堪えて笑顔をキープした。
「お客様。あいにく当店はコンビニなんで、可愛い猫ちゃんでしたら、ペットショップでお求めください」
「なんだ、ねえのかよ! 使えねえコンビニだな!」
理不尽な悪態をつくと酔っぱらいのおっさんは、千鳥足でコンビニを後にした。
一馬は引きつりながらも何とか笑顔を見せる。
「ありがとうございましたー」
その後も、黙々とバイトに勤しんでいると、ポケットのスマホが震えた。
取り出してみると、文弥からメッセージがきていた。
『期末テスト近いけど、勉強しなくて大丈夫?』と一馬を心配するメッセージだった。
一馬は文弥には正直に、バイトをしていることを伝え、みんなには内緒にしてくれるように頼んだ。
紬にはバイトのことを知られたくなかったからだ。
すると、『わかったよ。僕が次のテストに出そうなところをまとめとくから、バイト頑張ってね』というメッセージが来た。
画面を見て、あまりの返信の早さと優しさに、一馬は少し、泣きそうになる。
その時、派手な金髪に濃い化粧をした、赤い特攻服姿のヤンキー風女性三人組が店内に現れた。
彼女たちは大量の缶チューハイをカゴに放り込むと、一馬の立つレジへ向かってくる。
「お兄さん! これ貰っていってもいいよね?」
『いいわけないだろ!』と心の中のツッコミを入れつつも、一馬は営業スマイルを崩さない。
「あいにくそれは商品ですので、お代をしっかりいただきますね」
「金を取るのかよ。ちっ、仕方ねえな」
「年齢確認のため、身分証をお願いします」
見た目が二十歳前後に見えたため、一馬はマニュアル通りの対応をした。
「めんどくせぇな、ほら」
ヤンキー女性の一人が、面倒くさそうにマイナンバーカードを提示する。
「ありがとうございます」
『嘘だろ! 未成年どころか四十過ぎてるじゃないか! その見た目でマジかよ!』と驚愕しながらも一馬は営業スマイルを絶やさない。
ぶつぶつと文句いいながらも、中年ヤンキーたちは金を払うと、ママチャリに乗って帰っていった。
『バイクじゃないのかよ……ってか、この店の客層はどうなってんだ?』と深い不安を覚えつつ、レジ横のテーブルを拭き、再び真面目に働き始める一馬だった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
朝、文弥は初音が隣のクラスに入るのを見送ると、自分の教室へと向かった。
教室に入ると、一馬が机に顔を埋めて寝ていた。
昨晩夜なべして作成した期末テスト対策のノート──それが数冊入った紙袋を、一馬の机のフックにそっと引っ掛けた。
自分の席に戻ると、千代が声をかけてきた。
「おはよう! ふみっち! かずっちの席で何してたの?」
「おはよう。ちよっち。大したことではないよ」
「ふーん。かずっち教室に来てからずっと寝てるんだけど? 何でだろう?」
千代は心配そうに一馬を見つめる。
「夜遅くまでテスト勉強でもしてんじゃないのかな?」
「あははっ、それはないっしょ」
豪快に無邪気に笑う千代。
「……まあ、疲れてるんじゃない」
バイトのことは秘密なので、文弥は誤魔化した。
「ねえ、つむっちのことどうしよう? かずっちに言った方がいいかな?」
千代が真剣な表情に変わった。
「うーん、完全に浮気してるとは言えないから黙っとけば」
「うん、そうだよね。たまたま一緒に歩いてただけかもしれないしね」
『絶対にそれない』と思った文弥だったが、彼も悩んでいた。
浮気じゃない可能性も一ミリくらいはあると考えていたからだ。
「うん、そうだよ」
文弥は千代と話を合わせた。
「でも、相手が早乙女先輩だから心配だよね」
「もしかして早乙女先輩は人の彼女を寝取るのが好きとか?」
「ううん、ただの女好きって感じらしいよ。手当たり次第に手を出しているみたい。女の敵だよねぇ」
『どうやら寝取られ愛はないらしい』仲間ではないなと思う文弥だった。
謎の声(……寝取られ愛って……まだそれ続いてるのね)
そんな時、満面の笑みを浮かべた紬が教室に入ってきた。
彼女は最近ないくらい、上機嫌だった。
「あ、二人ともおはよう!」
文弥と千代を見て、紬はニッコリと微笑んだ。
「……お、おはよう。つむっち」
満面の笑みを浮かべる紬に戸惑う千代。
「……おはよう」
あからさまにご機嫌すぎる紬に嫌な予感しかしない文弥。
紬は足取りも軽やかに自分の席へと向かった。
『完全に黒だな』と文弥は確信したのであった。
先生が教室に入って来ると、みんな席に着き、SHRが始まった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
その日の放課後。
初音と千代が図書室へ勉強しに行くのを教室で見送った後、文弥はバイトへ行くために駅まで一人歩いていた。
すると、文弥は駅前で紬が例の早乙女先輩と手を繋いで歩いているのを目撃した。
『彼女とは関わりたくないのに』と思いつつも、文弥は二人の様子を遠くから窺う。
二人は細い路地に入ると、抱きしめ合ったかと思えば、熱い口づけを交わし始めた。
念のためにと、文弥はスマホを取り出し、その浮気現場を隠し撮りした。
その後、紬は早乙女先輩と腕を組んで楽しそうにカラオケボックスへと入って行った。
『……やっぱり真っ黒だったか』と思う一方で、文弥は『何で僕は彼女が好きだったんだろ? 彼女のどこが良かったんだ?』と自分を問い詰める。
紬のことを記憶から完全に抹消できないかなと思いつつ、そのまま踵を返し、駅へと向かった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
スーパーに着くと、文弥は制服に着替え終え、品出しを始めた。
しばらくすると、結菜が優しい笑みを浮かべながら近寄ってきた。
「お疲れ様。初音ちゃんとは上手くいってるの? ふふ」
「はい。仲良くやってます」
「良かったわね。ふふ」
結菜は本当に嬉しそうに微笑んでいる。
「ありがとうございます」
そんな話をしていると、スーパーのカゴを持った初音がトコトコと歩いてきた。
「文弥くん。お仕事お疲れ様です」
初音は文弥を見つけて微笑むと、ペコリと頭を下げた。
「ありがとう。初音」
「あらあら、噂をすればってやつね」
結菜が初音を見てニコニコしながら言った。
「え? 噂って?」
きょとんとした顔をする初音。
「何でもないよ。買い物に来たの?」
文弥はお茶を濁すと、笑顔を見せた。
「うん、夜ごはんのおかずを買いに来たの。文弥くんは今晩何食べたい?」
「まるで新婚夫婦みたいね。ふふ」
結菜が悪戯っぽくにまっと笑った。
「し、新婚夫婦だなんてそんな!」
初音は頬を桜色に染め、手を激しく横に振って照れている。
「久しぶりに初音のハンバーグ食べたいな」
文弥は思い出したように、楽しそうに笑った。
「わかった。ひき肉買わないと。また後でね。アパートで待ってるから。うふふ」
「文弥くんの家で待ってるなんて、もう完全に夫婦じゃない」
またしても茶目っ気のある笑みを浮かべている。
「そ、そんなんじゃないですよ。もう、結菜さんもお仕事頑張ってくださいね」
初音は照れながらも、まんざらでもない様子でそそくさと立ち去っていった。
その後、バイトを終え、アパートへと帰ると、初音が作ったハンバーグを食べ終え、畳の上で初音を後ろから優しく抱きしめていた。
「ハンバーグ美味しかったよ。ありがとう」
文弥はそっと初音の髪を撫でた。
「本当? 嬉しいな。えへへ」
初音は本当に嬉しそうな顔をして、笑みを溢した。
「なあ、初音。今夜は寝取られ愛について語り合わないか?」
「語り合う訳ないでしょ!! 寝取られ愛なんて知りたくもないから!!」
初音の激しい剣幕に、気圧された文弥だった。
謎の声(……もう、寝取られは諦めて、このままラブラブのままでいいじゃないんのかな)
読んでくださりありがとうございました




