第1章第30話
バイトを終えた帰り道。
文弥は初音とアパートで、テスト勉強をする約束をしていた。
アパートへ帰ると、リュックを背負い、エコバッグを手にした初音が玄関の前でポツンと立っていた。
文弥の姿に気づいた瞬間、彼女の表情がパァッと華やぐ。
待ちかねて駆け寄ってくる姿を、文弥は愛らしいものを見るかのように微笑む。
「お帰りなさい。文弥くん。えへへ」
「ただいま。初音」
文弥は愛おしさを抑えきれず、初音をそっと優しく抱きしめた。
「今日は文弥くん。一人だったよね」
「うん、母さんは夜勤だからね」
「じゃあ、夜ご飯は私が作るね。ふふ」
嬉しそうに微笑む初音と一緒にアパートの中へと入る。
さっそく夜ご飯の準備を始めた彼女の背中に、文弥は声をかけた。
「食材のお金は払うよ。いくらだった?」
「いいよ。お母さんが『これで買いなさい』ってお金くれたから。ふふ」
「いや、それじゃ、悪いよ」
すると、初音は悪戯っぽく瞳を輝かせて振り返る。
「じゃあ、次は文弥くんがうちで得意料理を食べさせてよ。それでチャラだよ。ふふ」
「わかったよ。美味しい夜ご飯を作れるように頑張るね」
「お母さんも喜ぶと思う。えへへ」
「……そ、そうかな」
初音の母親――薫子の顔が脳裏をよぎり、文弥は思わず生唾を飲み込んだ。
楽しげな雰囲気に流されて、あの癖の強い母親の存在をすっかり失念していた
しばらくすると、豚バラ、ネギ、ニンニクに卵黄がとろりと落とされた、初音お手製のスタミナ丼がテーブルに運ばれてきた。
「わあ、美味しそうだね」
強烈な食欲をそそる香りに、文弥は思わず喉を鳴らした。
「どうぞ召し上がれ。うふふ」
エプロン姿の初音が、嬉しそうに微笑んでいる。
文弥はもう我慢できず、一心不乱にスタミナ丼をかき込んだ。
まさにあっという間の完食だった。
「すごく美味しかった。ごちそうさまでした」
「どういたしまして。えへへ」
一緒に皿洗いを終えると、二人は古びたアパートの畳に座り、テーブルに向かってテスト勉強をしていた。
「そろそろ遅いし……送っていくよ」
「……も、もう少し大丈夫かな」
頬を真っ赤に染め、初音は俯いている。
「そう? でも、遅いし……えっ? 初音?」
その瞬間──初音がすがりつくように文弥の胸元に飛び込んできた。
「き、今日は帰らなくていいって……お母さんが……制服も着替えも持ってきているし……」
『何を娘に言ってるんだあの人は』と文弥は呆れつつも、伝わってくる初音の体温と甘い香りに気圧され、思わず彼女を抱きしめ返した。
「……文弥くん」
見つめ合う、焦がれるような瞳。
どちらともなく、引き寄せられるように二人は唇を重ねた。
やがて、文弥が舌を静かに滑らせると、呼応するように激しく絡み合う。
「……んん……はぁ……はぁ……んっ」
長い口づけが終わり、初音は熟れたリンゴのように顔を赤らめながら息を荒くしている。
「……初音」
「……文弥くん。いいよ」
文弥は初音をお姫様抱っこをして、ベッドへと運ぶと、彼女の服を丁寧に脱がしていく。
文弥は再び零れ落ちるような口づけを落としながら、露になった熟れすぎた豊かな果実を優しく揉み解した。
「……ふ、文弥くん……ん……んん……っ」
初音は戸惑いを見せながらも、甘い吐息を漏らす。
さらに、主張し出した先端を舌や指で丹念に愛撫していく。
文弥は彼女の秘部へと手を伸ばし、丁寧に解していくと──。
「……んん……あっ……うんっ……ん……っ」
軽やかな口づけを交わしたあと、二人は熱を帯びた身体を重ね合わせた。
文弥にとっても、初音にとっても、それはあまりに深く幸せを感じられる夜だった。
文弥の腕の中で、初音が小さな寝息を立てている。
彼女の可愛い寝顔を眺めながら、文弥も次第に意識を失っていった。
謎の声(おやすみなさい。二人で幸せになってね)
◇◇◇◇◇◇◇◇
次の日の朝。
文弥と初音は、仲良く一緒に登校した。
正門をくぐると、またしても紬が殺人鬼のような目をして初音を睨んできた。
紬に気づくと、あまりの殺気に初音は文弥の腕にすがりつき震えている。
「初音。大丈夫だって」
文弥は優しい笑みを浮かべながら、初音の髪をそっと撫でた。
それを見た紬が、懐から包丁でも出すのではないかという勢いで突っ込んでこようとしている。
慌てて一馬が紬を羽交い締めして止めると、彼女はそのままどこかに連れていかれた。
文弥と初音は一年生の教室がある三階へと向かっていった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
人気のない屋上へ向かう階段の踊り場。
一馬と紬は、冷たいコンクリートの上に腰を落としていた。
「一馬くん。私、やっぱり悔しい……あんな女に文弥くんを奪われて……」
「もう忘れろよ。別れて今は俺と付き合ってるんだし」
紬は唇を噛み締め、潤んだ瞳で天井を仰いだ。
「でも、やっぱり……悔しくて……」
「紬は俺が幸せにするから」
「……一馬……くん」
紬がゆっくりと瞳を閉じると同時に、一馬はその唇にそっと口づけを落とした。
甘い熱が、二人の間の空気を変えていく。
「ねえ、このまま学校サボってどこか遊びに行かない?」
「いや、ちゃんと授業を受けようぜ。ここのところサボってばかりだったし」
流されかけた一馬が一度は踏みとどまろうとする。
しかし、紬はすがりつくように一馬の腕にしがみついてきた。
「そんな気分じゃないの。お願い。一馬くん」
かつて真面目だった紬の面影は、もう微塵も残っていなかった。
その危うくも魅力的な変化に、一馬は抗う術を持たなかった。
「わ、わかったよ」
二人はそのまま学校抜け出し、カラオケへと向かった。
そして、放課後の喧騒を背に、一馬のマンションへと滑り込む。
部屋のドアが閉まると同時に、紬はすべての理性を捨て去るかのように、欲望のままに一馬と何度も身体を重ね合わせていった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
バイトを終え、文弥は休憩室へと向かうと、結菜がコーヒーを飲みながらひと息ついていた。
「あ、文弥くん。お疲れ様~」
結菜は優しい笑みを浮かべて文弥を出迎えた。
「お疲れ様です。結菜先輩」
文弥はペコリと一礼した。
「そういえば、最近、彼女とはどうなの?」
結菜は少し気まずく、探るようなトーンで聞いてきた。
「彼女とは別れました」
晴れやかな表情で、文弥は一秒も置かずに即答した。
「そ、そうだったんだ……。何か変なこと聞いちゃってごめんね」
結菜は聞かなきゃ良かったと後悔してるような顔をする。
「いえいえ、全然気にしないで大丈夫です。別れてから何かスッキリして、心が穏やかになりました」
「そっか。ちょっと複雑そうな関係だったもんね」
一転の曇りもない瞳で、嬉しそうに微笑む文弥を見て、結菜は少しホッとしたようだった。
「それに、新しい彼女もできたので」
「それは良かったね。……もしかして、新しい彼女って初音ちゃんだったりして?」
結菜は少し、探りをいれるように聞いてきた。
「え? 何でわかったんですか?」
文弥は驚きに目を見張り、結菜を見つめる。
「へー、当たりかぁ。初音ちゃん。頑張ったんだね」
まるで、自分のことのように、結菜は嬉しそうに破顔した。
「初音と知り合いだったんですか?」
「まあね」
毎週のように文弥のシフトをしつこく聞きに来ていたから──とは口が裂けても言えない結菜だった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
気がつくと、外はすっかり夕暮れに染まっていた。
重なり合った熱の余韻の中、一馬と紬はそのまま夕暮れ時まで眠り込んでいた。
腕の中で、すうすうと可愛らしい寝息を立てる紬を見つめながら、一馬は言い知ぬ幸福感に浸っていた──だが、その平穏は突如として鳴り響く電子音によって無惨に打ち砕かれる。
ベッドサイドに放り出された一馬のスマホが、激しく震えた。
画面を見ると、表示されていたのは「実家」の二文字。嫌な予感を覚えつつも、一馬は電話に出た。
「もしもし、父さん? どうしたの、こんな時間に」
『一馬ぁぁぁ。お前、一体学校をサボって何やっているんだ!? 母さんが学校から連絡が来たって泣いて心配しているぞ!?』
『ち、違うんだよ。ちょっと体調が悪くて……』
『嘘をつくな! お前、子供の頃から風邪ひとつ引いたことがないだろうが! それにこのカードの請求額は何だ! 一ヶ月で七十万だと!?』
『と、父さん。それは……っ』
『お前に渡してるカードは今すぐ一時停止にしたからな! それと、これからは仕送りも月に五十万から十万に減らす! その中でどうにか遣り繰りしろ!』
『十万って……!? それは少なすぎるよ。父さん』
『何を甘ったれたことを! 家賃は俺が払ってるんだからそれで十分だろうが! 明日からちゃんと学校行け! じゃあな!』
プツリと一方的に通話が切れる。
甘い蜜の時間は終わりを告げ、二人の未来に黒い暗雲が垂れ込めてきた。
第1章はここで終わりです
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