第1章第27話
次の日の朝。
いつものように初音が、文弥をアパートまで迎えにきた。
玄関のドアが閉まる音を合図にするように、二人は示し合わせて歩き出す。その距離は、肩と肩が触れ合うほどに近かった。
「紬の家に行ったら、またいなくて。文弥くんのところに泊まっているって、紬はお母さんに嘘ついてるみたい」
「えっ? 本当に?」
自分が紬の嘘に利用されてるなんて、思ってなかった文弥は珍しく少し動揺した。
一馬のマンションに頻繁に泊まっているのを誤魔化すために、紬は文弥のアパートに泊まっていると母親に浅はかな嘘をついていた。
「うん、『あの二人は本当に仲良いわよね』って、紬のお母さん喜んでた……」
初音の顔が、少し悲しげな表情に変わった。
「うーん、まあ、いいか。それくらい利用されても」
文弥は一瞬で気にするのをやめた。
「私も話合わせちゃったけど……嘘ついちゃって、紬のお母さんに悪いなぁって……」
どこか辛そうに、苦笑する初音。
「別に悪いのは紬なんだから、初音が気にすることはないよ」
『何しようが本人の自由だし、俺には関係ない』と、寝取られ動画以外の紬には文弥はどこまでも無関心だった。
「うん、でも、気が重いというか……」
「ほら、もう考えるのはやめよう」
文弥はポンと彼女の肩に手を回して引き寄せると、まるで悪気のない、無邪気な笑みを初音に向けた。
「ひゃっ、は、恥ずかしいよ。みんな見てるし」
「気にすることないよ。あははっ」
「い、いや、気にするって! こ、恋人同士みたいになってるし!」
初音は顔を熟した林檎のように真っ赤にすると、視線を下に落として照れている。
『朝からラブラブだね』
『かわいらしいカップルだよね』
『初々しくて何か癒されるよ』
『本当に羨ましい』
『リア充は死ねばいいのに』
謎の声(最後だけ悪意があるよね……)
駅前を歩いている人たちから、童顔カップルは注目の的となっていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇
昼休み。
初音が文弥と一緒にお昼を食べようと彼のクラスを覗くと、いち早く彼女に気づいた千代が大声で手を振った。
「あ、はつっち。やっほー!」
その場に響き渡るテンアゲ声。
次の瞬間、クラスメイトの視線が、初音に一斉に集中した。
文弥が初音の肩を抱き寄せて、歩いていたところがクラスの連絡先グループ網に一気に拡散されていたのだ。
しっかりと画像も添付というおまけ付きだ。
噂の初音が教室に現れた瞬間、クラスの空気が一変し、にわかにざわめきが広がった。
『ねえねえ二人は付き合ってるのかな?』
『槙原と別れて、新しい彼女なの決定でしょ』
『あの人、よく見ると可愛いよな』
『本当それな、羨ましい』
『リア充は絶滅すればいいのに!』
謎の声(絶対、最後だけは悪意あるよね)
クラス全員の視線を一身に浴びて、初音はすっかりたじたじになってしまう。
その時──今日は学校に来ていた紬が、嫉妬に狂った瞳で初音を捉え、鬼気迫る形相で睨み付けてくる。
止めようとした隣の一馬を振り払い、紬は初音の元へと荒々しい足取りで近づく。
一馬も紬の迫力にタジタジだった。
彼女は『話があるからちょっと来て』と戸惑っている初音に告げると教室を出ていった。
初音は困惑しながらも、紬の後を追っていった。
その様子を見ていた文弥は、嫌な予感がして二人の後を追って廊下へと向かった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
文弥が廊下に出ると、紬が初音の腕を掴み隣の空き教室に入って行った。
文弥は少し開いていたドアの隙間から、そっと中を覗いた。
空き教室の中では、目を血走らせた紬が、初音にものすごい剣幕で詰めよっていた。
「初音! これどういうこと!?」
紬は文弥が、初音を抱き寄せる画像を彼女の目の前に突きつける。
「そ、それは違うの……文弥くんがふざけてしただけだから……」
必死に誤解を解こうとする初音。
「私たち友達だよね! 人の彼氏取ったりしないよね!」
今にも初音に殴りかかりそうな勢いの紬。
文弥は空き教室のドアを開けると、急いで紬の元へと行き、彼女の体を抑えた。
「やめるんだ紬! 何をしてるんだ!」
「文弥くん!?」
文弥が姿を現した途端、紬の表情に明らかな動揺が走った。
「……文弥くん。ぐすっ」
文弥を見て安心したのか、初音の目から涙が溢れる。
「離してよ! 文弥くん!」
文弥の腕の中で、紬はジタバタと暴れた。
「ダメだ! 冷静になるんだ!」
文弥は必死に声荒らげ、紬をなだめようとする。
「この女が悪いのよ! 人の彼氏を取ろうとするから!」
ヒステリック叫ぶ紬は、完全に理性を失っている。
「初音はそんなことはしてないよ! 彼女はそんなことするような人じゃない!」
「な、何言ってるの! 文弥くんは私と初音のどっちの味方なの!?」
「もちろん、初音だよ!」
文弥は一切の迷いのない瞳で即答した。
「……えっ?」
世界が一瞬でフリーズした。
「……ごめんなさい。よく聞こえなかったみたい。文弥くんは私と初音のどっちが大事なの?」
「間違いなく、初音だよ!」
文弥はすかさず、一点の曇りもない瞳で被せるように言った。
「な、何で? 私は彼女でしょ?」
紬は愕然とした表情を浮かべた。
「うん、でも、初音の方が大事だから」
「……文弥くん。ううっ」
初音が嬉しそうな笑みを浮かべ、ぽろぽろと涙をこぼし始めた。
「……………」
紬は白目を向いたまま、一滴の涙も流さずに膝から崩れ落ちた。
そして、ふらふら幽霊のように立ち上がると、虚ろな瞳で蛇行しながら空き教室を出ていってしまった。
残された文弥は、泣きじゃくる初音を優しく慰めて落ち着かせると、彼女の教室までそっと送り届けるのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
その日の放課後。
朝の出来事があってから、紬と一馬はどこかへ消えてしまった。
『まあ、どうせ二人で学校をサボってどっかに行ったんだろう』と気にもとめてなかった文弥は意気揚々とバイトへと向かったのであった。
スーパーに着くと、『今日は棚卸しを頼むよ』と店長に言われた文弥は棚卸しに勤しんでいた。
文弥は商品を次々と、バーコードでピッと読み込んでいく。
数は絶対に間違えられないので、文弥は集中力を高めた。
単純作業が続く中、またいつもの三人が現れた。
「ご苦労様! ふみっち!」
千代が相変わらず人懐っこい笑顔を見せる。
「今日も頑張ってるわね。文弥くん。ふふ」
なぜかスーパーに来るのが、とても楽しそうな心愛。
「本当にお仕事中に、ごめんなさい。文弥くん」
申し訳なさそうに佇む初音。
『他に行くところがないのか。君たちは』と思いながらも、営業スマイルで微笑んだ。
「いらっしゃいませ!」
「うん、今日は少し早めに終わらして、ふみっちの顔を見てから帰ろうと思って」
千代は無邪気な笑みを浮かべて、文弥を見つめる。
「やっぱり文弥くんの顔を見てから帰りたいし、私は学年が違うからなかなか会えないから」
『いつも昼休みに会ってるだろう』と思う文弥だったが、笑顔で応えた。
「文弥くんが迷惑するからって止めたんだけど……止められなかった……ごめんなさい…」
本当に申し訳なさそうにしている初音。
「ここっち先輩。アイス買おうよ」
「はいはい、奢るわよ」
「やったー、ここっち先輩。大好き」
千代は子供のように、心愛の胸へと飛び込んだ。
心愛はすっかり千代の財布になっていた。
「文弥くん。お仕事頑張ってください。また明日ね」
二人の後をてくてくと追う初音。
三人の後ろ姿が小さくなるのを見届けてから、文弥は小さく息を吐いた。
さて、と。
気を取り直して、棚卸しに勤しむ文弥だった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
その日の夜。
一馬と紬は、彼のマンションにいた。
二人はソファに座りながら、紬は一馬の胸に顔を埋め号泣している。
「……一馬くん……私……悔しい……ううっ」
「まあ、とにかく落ち着けよ」
一馬は紬の髪をそっと撫でた。
「私、文弥くんにずっと尽くしてきたのに……何で初音なの……ううっ」
「なあ、俺たちちゃんと付き合おう。」
「うん。文弥くんより一馬くんの方が全然いいもんね! 私、一馬の彼女になる!」
謎の声(……文弥は別に初音ちゃんと付き合ってないよ……まあ、別れてくれるなら嬉しいけど)
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