第1章第22話
バイトの帰り道、文弥は家の近くの路地を歩いていると、後ろから馴染みのある女性に声をかけられた。
「文弥くん! 久しぶりだね!」
紬の母親だった。
「あ、おばさん。お久しぶりです」
文弥は丁寧にお辞儀をした。
「最近、全然家に来てくれないけど、紬と別れたわけじゃないわよね?」
紬の母親は一瞬、寂しそうな表情を見せた。
「はい、別れてないです。最近、バイトを始めて忙しいもので、すみません」
「あら、バイトしてるの?」
「はい、九月は紬の誕生日なので」
「まあ、紬のために、あの子は幸せ者ね。ふふ」
紬の母親は嬉しそうに微笑む。
「まあ、そんな高いものは買えませんが」
「気持ちだけで十分よ。あの……ちょっと文弥くんに聞きたいことがあるんだけど?」
真剣な表情に変わる紬の母親。
「何でしょうか?」
「最近、紬の帰りが遅いのよ。泊まってくる時もあるし、初音ちゃんと勉強してるって言うんだけど本当かしら? もしかして悪い子達と仲間になって夜遊びとかしてるわけじゃないわよね……?」
紬の母親は心配そうな顔をしている。
文弥は一馬のマンションに行ってるだけだろうと思ったが、そんなことは口が裂けても言えるはずもない。
「紬はそんなことをする女の子ではないので安心してください」
「本当に? 文弥くんにそう言われるとなんだか安心するわ。ふふ」
紬の母親の表情がパッと明るくなった。
「僕と一緒だったときもありますし、勉強も本当だと思いますよ。悪いことができる子ではないので、大丈夫ですよ」
「そうね。話を聞いてくれてありがとう」
うんうんと納得するように頷く紬の母親。
「いえいえ、では、僕は行きますね」
「うん、気をつけて帰ってね」
文弥は紬の母親に深く一礼すると、再び家路へと歩み始めた。
謎の声(……浮気って悪いことじゃないの?)
◇◇◇◇◇◇◇◇
いつものように文弥は品出しをし、バイトに励んでいた。
もうすぐ夏休みも終わるので、夏休み中だけの契約だったバイトも、もう少しで終わりだと文弥は少し寂しく感じていた。
そんな中、ニコニコしながら結菜が文弥の下へやってきた。
「文弥くん。店長がちょっと店長室に来てくれって」
「店長さんがですか? 何ですかね?」
「さあ、私にはわからないけど、店長の様子だと悪いことではないと思うよ」
「わかりました。ここはもう終わったので行ってきます」
結菜に軽く会釈をし、文弥は店長室へと向かった。
店長室のドアを軽くノックしてから、部屋に入ると、文弥は笑みを浮かべた店長に椅子に座るように促された。
店長は仕事には厳しいが、基本的に優しい四十代前半のイケオジの男性だ。
「仕事中、すまないね。実は文弥くんには夏休み終わってからもバイトを続けてもらえないかと思ってね」
「え? 夏休みが明けてからもですか?」
「学校が終わってからの夕方の五時から三時間でいいから、週三日くらいでやってくれないかな?」
「大丈夫です。週五でもいいので。これからもよろしくお願いします」
「ありがとう。無理がない程度にシフト組むから遠慮なく言ってくれ。こちらこそこれからもよろしくね」
文弥は店長に深々と頭を下げると、仕事へと戻っていった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
家に帰り、文弥はシャワーを浴びて一人で夕飯を済ませると、文弥は居間の畳に寝転んだ。
古びた天井をぼんやり眺めながら、一つの悩みに思いを巡らせていた。
最近、寝取られ動画が届く回数が徐々に減り始めていることだ。
その一方で、一馬と紬が二人で会う回数は増えている。
一馬は紬に会うたびに、文弥にメッセージで、報告を寄越してくる。
おかげで、デートの予定もマンションでの逢瀬も、文弥は全部把握していた。
別に頼んだわけではないのだが、気を利かせた一馬が勝手にメッセージを送ってくる。
そんなもの送るより、寝取られ動画を送ってほしいのだがと思う文弥だった。
とはいえ、送られてくる寝取られ動画のクオリティは当初とは比べ物にならないほど上がっており、文弥は一応それには満足していた。
最初は嫌がってた紬も、今は完全に一馬を受け入れている。
少々、マンネリ化してきているのが課題だが、と人差し指を額に当て悩む文弥。
『そうだ!』文弥は今度何かプレイのリクエストでもしようかと考えを巡らせる。
文弥は『場所をベッドではなく、一馬のマンションの屋上とかにしたらどうだろうか?』とふと思いつく。
謎の声(だから、バレたら二人とも退学になるからやめてって)
『いや、定番の学校の体育倉庫はどうだろう?』と思い直す文弥。
謎の声(……何の定番なの?)
色々と考えてはみたが、答えがなかなか見つからず、明日から始まる学校の準備をする文弥だった。
謎の声(始めからそっちに集中しようね)
◇◇◇◇◇◇◇◇
楽しかった夏休みも終わり、学校生活が再開した。
文弥が学校に行く準備をしていると、古びたインターホンが鳴り響いた。
「文弥! 初音ちゃんが迎えにきたわよ!」
母親の呼びかける声が聞こえ、文弥は玄関へと向かった。
「おはようございます。文弥くん」
「おはよう。初音」
アパートを出ると、二人は学校へ向かうため、駅へと歩き始めた。
「九月だけどまだ暑いね」
隣を歩く初音が、顔を覗き込むように文弥を見つめる。
「そうだね。そのカーディガン暑くないの?」
「うん、大丈夫だよ。私、冷え性だからエアコン対策なんだ。日焼け対策にもなるしね」
「ふーん。頬っぺた、すごく熱そうだけどね」
文弥は息をつくように、無自覚のまま初音の柔らかい頬を指でぷにっとつまんだ。
「ひゃっ! そ、そういうこといきなりするのやめてって!」
弾けるように叫ぶと、初音は耳まで真っ赤に染め上げ、滝のような汗を流した。
「あ、ごめん。初音の頬っぺた柔らかくて気持ちいいから。ははっ」
無邪気な笑みをこぼす文弥。
「は、恥ずかしいよ。もう。……そういえば紬の家にも行ったんだけど、いなくて」
「あ、昨夜は一馬くんのマンションに泊まったんだよ。だから一馬くんのマンションから直接学校へ行くんじゃないかな」
無表情で淡々と答える文弥。
「そ、そうなんだ。あの文弥くん……?」
初音が真剣な表情に変わった。
「何だい? 初音?」
「もう、紬とのそういう関係はやめた方がいいと思う……」
「寝取られのことかな?」
「うん、そういうの良くないよ。好きじゃないなら別れたら」
初音は泣きそうな顔をして訴えている。
少し考える文弥だったが、淡々とした口調で言う。
「うーん、でも、誰かに寝取られるのオッケーな彼女を探すのって難しそうだしな」
「それがないとダメなの?」
「うん、普通の性行為では僕の欲望は満たされないんだ」
謎の声(……なんでこの子モテるの?)
駅に着くと二人は電車に乗り込んだ。
◇◇◇◇◇◇◇
文弥が久しぶりに教室のドアを開けると、見慣れた光景が広がっていた。
文弥が自分の席に向かうと、千代がニコニコしながらやって来た。
「ふみっち。おはよう」
「おはよう。ちよっち」
「まあ、夏休みもしょっちゅう会ってたから久しぶりって感じじゃないね。にひひ」
『君が勝手に会いに来て、僕の聖地を侵していっただけだろう』、と文弥は思ったが、言葉を飲み込んだ。
文弥が千代と談笑していると、一馬と紬がまるでカップルのように腕を組んで教室に入ってきた。
少し二人に注目が集まったが、そのざわめきもすぐに収まった。
一馬は文弥に気づくと、その席へとにこやかに歩み寄ってきた。
「おはよう。文弥」
「おはよう。一馬くん」
「あ、かずっち。おはよう」
千代はいつものように、満面の笑みを浮かべている。
「おはよう。千代」
一馬も笑みを浮かべて千代に答える。
「……お、おはよう。文弥くん。千代さん」
紬はどこか、よそよそしい。
「おはよう。紬」
「つむっち。おはよう。にひひ」
挨拶を済ますと、一馬と紬はそれぞれの席へと向かっていった。
「ねえねえ。学校終わったらはつっちとここっち先輩誘ってどこか遊びに行かない?」
「ごめん。十七時からバイトがあるから、それまで図書室で勉強しようと思って」
「え? バイトは夏休み中だけじゃなかったの?」
「うん、店長に夏休み終わってからも続けてくれないかって頼まれてね」
「そうなんだ。じゃあ後でスーパーに遊びに行くね」
『スーパーは遊びに来るとこではないぞ』と思いながらも文弥は無邪気に微笑んだ。
すっかりスーパーの戦力になってしまった文弥だった。
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