新しい仕事と、副団長の魔術式講座
騎士団で働き始めて、二ヶ月が過ぎようとしていた。
最初の頃は、前任者が残していた書類や雑務を片付けるだけで一日が終わっていたけれど、最近ではようやく仕事にも余裕が出てきた。
「……よし」
最後の書類を確認して、所定の場所へ戻す。
机の上を見渡すと、以前とは比べものにならないほどすっきりしていた。
「これで一通り終わったかな」
もちろん、その日に届く書類や急ぎの仕事はある。
けれど、以前のように「どこから手をつければいいのか分からない」ということは、もうない。
私は仕事の流れも、だいぶ覚えてきた。
そこで最近は、自分が覚えてきた仕事を簡単にまとめるようにしていた。
書類の種類、提出先、確認する人、保管場所、期限。
私がいなくても、ある程度のことが分かるようにしておけば、誰かが困ったときにも役に立つかもしれない。
「リナ、それは何だ?」
「業務のマニュアルです」
「マニュアル?」
「はい。私が覚えたことをまとめているんです」
アルベルト様が、私の手元を覗き込む。
近い。
急な接近に、どきりとする。
けれど、不思議なもので――最近は、こんな距離にも少しずつ慣れてきていた。
……いや、慣れてきているのは距離感だけだと思いたい。
「こんなものまで作る必要があるのか?」
「私が急に休んだときとか、後から入ってくる人がいたときに役立つと思うんです」
「……なるほど」
アルベルト様は感心したように頷いた。
「君は本当に仕事が丁寧だな」
そう言って、アルベルト様が小さく笑った。
「君がいてくれて助かっている」
「……ありがとうございます」
そんなふうに真っ直ぐ褒められると、少し照れてしまう。
けれど、自分の仕事を認めてもらえるのは素直に嬉しかった。
ーーその日の午後。
「リナ」
「はい?」
アインス様が数枚の書類を持って、こちらへやってきた。
「少しお願いしたいことがあるのですが」
「私にできることでしたら」
「こちらの資料を整理していただけませんか?」
差し出された書類を受け取る。
「これは……?」
「騎士団で使用する魔道具の資料です。新しいものを導入するための比較や、術式の調整についてまとめています」
紙には、この世界の文字が並んでいた。
文字そのものは読める。
けれど、その間に挟まっている記号や図形は、見慣れないものばかりだった。
円の中にいくつもの線が描かれていたり、数字のような記号が規則的に並んでいたりする。
「これは、魔術式ですか?」
「ええ」
この世界の魔法使いは、魔力の使い方を幼い頃から訓練して、感覚で扱っている。
だけど私は、魔法と魔術の違いがいまいちピンと来てなかった。
「文字は読めるんですけど……」
私は術式を覗き込む。
「やっぱり難しい。何を意味しているのかは、全然分かりません」
「それが普通ですよ。術式は専門知識が必要ですからね」
「術式って……魔法を再現するための、計算式みたいなものですか?」
「ええ。そうです」
アインス様が頷いた。
「魔法を再現するための理論を、計算式や設計図に落とし込んだもの、と考えると分かりやすいでしょう」
「なるほど……」
「術式を工夫することで、同じ魔法でも必要な魔力量を減らせる場合があります」
「例えば……魔力の効率を良くするなら、2+2+2を、2×3にするみたいなものですか?」
「ええ。分かりやすい例えですね」
アインス様が頷いた。
「結果は同じでも、計算の仕方が違う。それによって、必要な魔力も変わってくる。術式はそういったものです」
なるほど。
魔法って、感覚だけではなく、理論がキチンとあるんだ。科学みたい。
「今回お願いしたいのは、内容を理解することではありません。この資料を種類ごとに分けて、関連するものをまとめてもらえれば十分です」
「分かりました!」
私はさっそく作業に取りかかった。
騎士団で使用する魔道具の資料や、術式の比較、必要な魔力量、導入にかかる費用など。
見慣れない言葉が多いけれど、書類の形式そのものは、今まで扱ってきたものと大きく変わらない。
項目を確認し、日付を見て、関連する資料をまとめていく。
しばらくして、一つの資料に目が止まった。
「この二つ、同じ魔法について書かれてますよね?」
「ええ、そうです。より少ない魔力で同じ魔法を使える術式を比較しています」
「なるほど……」
私は二枚の資料を見比べた。
ぱっと見ただけでは、違いなんてほとんど分からない。
けれど、効率化することで、魔石の費用もかなり抑えられるらしい。
「……ちょっと興味が出てきました」
「そうでしょう?魔術は知れば知るほど奥が深いですよ」
アインス様が珍しく楽しそうに笑った。
アインス様の説明はものすごく分かりやすい。
本を読んでも分からなかったことが、どんどん解けていく。
とても丁寧に教えてくれる、いい先生だ。
――今度、お礼に何かプレゼントしたいな。
私は資料を整理しながら、そんなことを考えていた。
その中に、ひときわ複雑な術式が描かれた紙があった。
「アインス様。これだけ他の資料とは違う感じですが、これは何ですか?」
アインス様が振り返る。
そして、その紙を見た瞬間。
ほんの一瞬だけ、表情が変わった。
「……それは」
アインス様が紙を受け取る。
「まだ解析途中の術式です。紛れてしまっていたようですね」
「そうなんですか?」
「ええ。少し特殊なものなので」
「分かりました!」
私もいつか、術式の仕組みが分かるようになれたらいいな。
そんなことを思いながら、新しい仕事に少しワクワクして、作業を続けた。




