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トラウマ持ち事務員ですが、騎士団員たちの好意はきっと…勘違いです。  作者: 壬ひなた。


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45. 魔法劇場と、知らなかった横顔

 

 それから数日が経ち、次の休日。


 鏡の前で、もう一度だけ服を確認する。


 この前、クララさんのお店へエレナさんと買い物に行った時に買った服だ。自分一人だったら選ばなかったと思うけれど、フリルがたくさんついていて可愛い。


(……おしゃれして、2人で出かけるって……なんかちょっとデートみたい。気軽に頼んでしまったな)


 今日はアインス様に魔法劇場を案内してもらうだけなのに。


 そう自分に言い聞かせながら、髪を整えて家を出た。


◇


 待ち合わせは、騎士団本部の入口だった。


 少し早く着いたつもりだったのに、アインス様はすでに来ている。


「おはようございます、リナ」


「おはようございます。今日はよろしくお願いします」


 思わず、足が止まった。


 いつもの黒い軍服ではない。


 落ち着いた色合いの私服は装飾こそ少ないけれど、仕立てが良いのか、すらりとした長身によく似合っている。白金の髪もいつも通り後ろでまとめていて、眼鏡も同じなのに、仕事中とは随分印象が違って見えた。


(……いや)


 毎日見ているから、今まであまり考えなかったけれど。


(アインス様って、めちゃくちゃ顔がいいんだよな……立ち姿もかっこいいし)


「どうかしましたか?」


「いえ! なんでもないです」


 慌てて首を振る。


 危ない。朝から何を考えているんだ、私は。


「では、行きましょうか」


「はい」


 いつもと変わらない穏やかな声に、少しだけ安心して歩き出した。


 魔法劇場は、想像していたよりずっと大きかった。


 中へ入ると、緩やかな傾斜に沿って座席が並び、その先に大きな舞台がある。


「すごい……。こういうところって、それだけでわくわくしますね」


 私が言うと、アインス様が少し笑った。


「ええ。分かります」


 その言い方が少し嬉しそうで、意外だった。


 席についてしばらくすると、周囲の話し声が少しずつ落ち着いていった。


 期待するようなざわめきだけが残る中、場内の灯りがゆっくりと落ちていく。


(始まる……)


 さっきまで見えていた客席が暗闇に沈み、劇場の中がしんと静まり返った。


 その静寂の中、舞台の上にぽつりと小さな光が生まれた。


 1つ、2つ。


 瞬く間に数え切れないほどの光が広がり、暗かった舞台が夜の森へと変わっていく。


「わ……!」


 木々の間を淡い光が飛び交い、風が葉を揺らす。


 次の瞬間には舞台を水が覆った。


 役者がその上へ足を踏み出す。


(えっ、水の上歩いてる……?)


 思わず目を凝らしていると、隣からアインス様が少しだけ顔を寄せた。


「足元を風で支えているんですよ」


 耳元に近い声と一緒に、ふわりと爽やかな香りがした。


(……あ)


 シトラス。


 この世界へ来たばかりの頃、初めて魔法を教えてもらった時にも感じた香りだ。


 ほんの一瞬そちらへ意識が向いて、慌てて舞台へ視線を戻す。


 その後も、炎で形作られた鳥が大きく羽ばたいて客席の頭上を飛び、水が空中へ舞い上がる。


 舞台の上には階段が空中へ伸び、役者がその上を駆け上がっていった。


 そこへ光が差し込み、水面に反射して赤や青、紫へと次々に色を変えていった。


 周囲から歓声が上がる。


「すごい……!」


 思わず見上げた。


 魔法がある世界だからこそ作れる舞台だ。


 それからは、すっかり舞台に引き込まれて、気づけばあっという間に終演を迎えていた。


 劇場を出ると、ちょうど昼時になっていた。


「この辺りは、騎士団の者もよく利用する店が多いんですよ」


「そうなんですか?」


「ええ。少し先に、料理の評判がいい店があります。昼食はそこでどうですか?」


「ぜひ」


 アインス様に案内されて入ったのは、大通りから少し入ったところにある店だった。


 昼時ということもあって店内は賑わっているけれど、格式張った雰囲気はない。騎士らしい体格の人も何人かいて、仕事仲間らしい人たちが楽しそうに食事をしている。


「本当に騎士団の方が多いですね」


「第二部隊の者もよく来ますよ。量もありますし、何を頼んでも外れがないので」


「それはいいですね」


 こういう店なら気を張らずに食べられる。


 席について料理を頼むと、自然とさっきの舞台の話になった。


「魔法劇場、すごかったです。魔法であんな演出ができるなんて、素敵ですね」


「楽しんでもらえたなら良かったです」


「そういえば、アインス様は子どもの頃も魔法劇場に来てたんですよね?」


「ええ。よく見に来ていました」


「舞台で見た魔法を、真似したりしました?」


 何気なく聞くと、アインス様が一瞬だけ黙った。


「……しましたね」


 少しだけ言いにくそうなのがおかしくて、笑ってしまう。


「何を真似したんですか?」


「……水を浮かせたり、風で動かしたり。その程度です」


 今なら何でもないことなのだろう。


 でも、子どもの頃のアインス様が劇場から帰って、見たばかりの魔法を真似しているところを想像すると――。


(……なんか、かわいい)


「何ですか?」


「いえ。かわいいなと思って」


「……子どもの頃の話ですよ」


 アインス様は、なんだか照れたような様子で少し笑った。


 運ばれてきた料理も美味しくて、舞台の話をしながら食べていると、時間はあっという間に過ぎていった。


 店を出る頃には、昼を少し回っている。


「この近くに、もう一か所案内したい店があるんですが、寄ってみますか?」


「どんなお店ですか?」


「古書店です」


「前に話していたお店ですか?」


「ええ。そうです」


「行ってみたいです」


「では、こちらです」


 アインス様に案内され、大通りから少し細い道へ入る。


 しばらく歩いて辿り着いたのは、気をつけていなければ通り過ぎてしまいそうな小さな店だった。


 扉を開けた瞬間、紙とインクの匂いがする。


「わあ……」


 壁一面に本が並んでいた。


 新しい本屋とは違い、大きさも色もばらばらだ。かなり古そうなものから、比較的新しそうなものまで所狭しと並んでいる。


 隣を見ると、アインス様はすでに棚を眺めていた。いつもより少しだけ楽しそうに見える。


「アインス様、本当に本がお好きなんですね」


「ええ。昔から好きですね」


「古書の、どういうところがお好きなんですか?」


 何気なく聞くと、アインス様が棚から1冊抜き取った。


「古書の方が、思わぬヒントが見つかることもあるんです」


「ヒント?」


「以前の持ち主が書き込みを残していることもありますし、今では使われなくなった考え方が載っていることもあります」


 ぱらぱらとページをめくる。


 端の方に、小さな文字がびっしりと書き込まれていた。


「本に書いてある答えだけではなく、その人が何を考えたのかを見るのも面白いんですよ」


「へえ……」


 アインス様らしい。


 そう思いながら、私も近くの棚を見ていく。


「あ」


 料理関係の本を見つけた。


 手に取って開いてみると、見たことのない料理がいくつも載っている。


(これ、面白いかも)


 読み進めていくと、調理の途中で魔法を使う方法もいくつか載っていた。


 風で野菜を細かく刻んだり、水を使って食材を均等に冷やしたり。


(こんな使い方もできるんだ)


 この前、ミナトが風魔法をブレンダー代わりに使っていたのも驚いたけれど、料理に使える魔法は思っていたよりずっと多いらしい。


(これ覚えたら、料理するのめちゃくちゃ楽になるんじゃ……?)


 もう1冊。


 さらにもう1冊。


 気になるものを抜き取っていくうちに、腕の中の本が増えていった。


「ずいぶん増えましたね」


「……増えました」


「全部買うんですか?」


「でも、面白そうなんですよ。料理に魔法を使う方法がこんなにあるなんて知らなくて。覚えたら、今作ってる料理にも使えそうです」


「リナらしいですね」


「そうですか?」


「ええ」


 アインス様が笑って、私の腕から本を取った。


「あ、大丈夫ですよ。持てます」


「私の分もありますから、まとめて持ちますよ」


「でも」


「これくらいなら問題ありません」


 そのまま自分の本と重ねて持ってしまう。


(……こういうところなんだよなあ)


 自然すぎて、断る方がおかしい気がしてくる。


「ありがとうございます」


「どういたしまして」


 結局、アインス様は私の分までお会計を済ませてくれた。


 二人分の本を合わせるとそれなりの量になったので、店から騎士団へ届けてもらうことになった。


◇


 古書店を出てからも、アインス様に案内してもらいながら王都を歩いた。


 気づけば空は夕暮れ色に変わっている。


「もうこんな時間ですね」


「ええ。時間が経つのが早いですね」


 アインス様が空を見上げてから、私を見る。


「時間があるなら、夕食も一緒にどうですか?」


「はい。ぜひ」


 案内されたのは、昼に入った店より少し落ち着いた雰囲気の店だった。


 通された個室で向かい合って座り、料理を注文する。


 朝からずっと一緒にいるのに、不思議と話題には困らなかった。


 仕事中にも話はするけれど、こうして向かい合って、仕事とは関係のない話をするのはなんだか新鮮だった。


「そういえば、レオくんとオスカーさんから聞きました」


「何をですか?」


「アインス様が魔法の研究でも有名で、勲章をもらってるって」


「ああ。その話ですか」


 アインス様は、何でもないことのように頷いた。


「好きなことをしていたら、評価されただけですよ」


「それでも、すごいことだと思います」


「私からしたら、あなたが作る料理の方がすごいですけどね」


「そんなことないですよ」


「そうですか?」


「そうです」


 思わず笑ってから、少しだけ迷う。


「でも……やっぱり、お忙しいんですよね」


「そのことなら、気にしなくて大丈夫ですよ」


「今日も一日付き合わせてしまって、大丈夫だったのかなって」


 レオくんたちから話を聞いてから、少し気になっていた。


 副団長で、第二部隊長で、それだけじゃなく魔術研究でも大きな功績を残している。


 私が思っていた以上に、いろいろな仕事を抱えている人なのかもしれない。


「付き合わせたなんて思わなくていいですよ。私も楽しんでいますから」


「……そうですか」


「ええ。それに、あの筆記具のおかげで、以前より仕事にかかる時間も減りましたよ」


「そんなに違うんですか?」


「かなり助かっていますよ」


「それなら良かったです」


 選んだ甲斐があった。


 そう思っていると、アインス様が少しだけ笑った。


「忙しくても、あなたとの時間は作りますよ。遠慮しないでください」


「……ありがとうございます」


 一瞬だけ、返事が遅れた。


(……あなたとの時間)


 その言葉だけが、妙に耳に残る。


 ちょうど料理が運ばれてきて、私はそちらへ視線を移した。


 食事を始めながら、昼間に聞いた話を思い返す。


 いつも仕事をしている姿ばかり見ているから、今日一日で知らなかったアインス様をずいぶん見た気がする。


「そういえば、アインス様って、ご兄弟はいらっしゃるんですか?」


「兄が一人いますよ」


「お兄様が家を継がれるんですか?」


「ええ。甥もいます」


「そうなんですね」


 仕事をしている姿しか知らないから、家族の中にいるアインス様というものを、今までほとんど想像したことがなかった。


「アインス様にも、叔父さんとしての顔があるんですね」


「ええ。仕事中とは、少し違うかもしれませんね」


「ふふ。ちょっと見てみたいです」


 そう言うと、アインス様も小さく笑った。


 こういう話をしていると、副団長でも、魔法の研究者でもないアインス様が少しずつ見えてくる。


「ご家族から、結婚のお話をされたりはしないんですか?」


「以前はありましたよ。王女殿下の結婚が決まるまでは、私も夫候補の一人でしたから」


「……アインス様も、ですか?」


「ええ。団長もですよ」


「アルベルト様も……」


「結局、王女殿下はフロリアンと結婚しましたから、その話はなくなりました」


「そうだったんですね」


「今も縁談のお話はあるんですか?」


「時々ありますよ。ただ、今は受けていません」


「そうなんですか?」


「兄が家を継ぎますし、甥もいますから、私が急ぐ必要もありません。それに、結婚するなら自分で決めたいと思っています」


「やっぱり、お相手も貴族の方なんですか?」


「いいえ」


 思っていたより早く否定されて、顔を上げる。


「私は、相手の身分は問いませんよ」


「……そうなんですか?」


「ええ。私がその人と一緒にいたいと思えて、相手も同じように思ってくれるなら、それで十分です」


 そのまま、紫色の瞳が私を見る。


 目が合った。


「…………」


 なぜか先に視線を外してしまう。


(……身分は、関係ないんだ)


「意外でしたか?」


「少しだけ。貴族の方は、同じくらいの身分の方と結婚するものだと思っていたので」


「そういう家も多いでしょうね。ただ、私自身は、そこを一番には考えていません」


「……そうなんですね」


 アインス様は自分のことを話してくれた。


 そう思うと、聞いているだけなのも少し違う気がした。


「私も……結婚したいと思ってたことはあります」


 アインス様の視線がこちらへ戻る。


「以前ですか?」


「はい。こっちに来る少し前まで、付き合っていた人がいたので」


 アインス様の手が、一瞬だけ止まった。


「そうだったのですか」


「はい。でも、別れたのもこっちに来る少し前だったんです。だから、もう終わった話なんですけど」


「……その方と、結婚を考えていたのですか?」


「そうなったらいいな、とは思ってました」


 結婚して、家族になれたら。


 あの頃は、そんな未来を思い描いたこともあった。


「でも、うまくいかなかったので」


 なるべく何でもないことのように笑う。


「私、恋愛のことになると、自分の判断にあんまり自信がなくて」


「自分の判断に?」


「ちゃんと相手を見てるつもりだったんですけど、全然分かってなかったみたいで」


 詳しく話すつもりはなかった。


 でも、口にしてしまうと、思っていたより素直に言葉が続いた。


「だから今は、誰かに優しくしてもらっても、それをどう受け取ったらいいのか迷うことがあるんです。私が都合よく考えてるだけかもしれないって」


 アインス様は口を挟まず、黙って聞いていた。


「まあ、そういうことは自分で考えるしかないですしね」


「……リナ」


「はい?」


「あなたは、そうやって何でも自分で答えを出すのですか?」


 思っていなかったことを聞かれて、少し考える。


「何でも、というわけではないですけど」


「仕事のことなら、分からない時はすぐに確認しますよね」


「それは、間違えたら困るので」


「では、自分のことは?」


「……自分のこと?」


 アインス様は少しだけ目を細めた。


「前に、ご両親が亡くなられてから一人で暮らしていたと聞きました」


「はい」


「今日話を聞いていて、少し分かった気がします」


「何がですか?」


「あなたは、一人で何とかすることに慣れているんですね」


 思わず黙った。


 そんなふうに考えたことはなかった。


 一人で暮らすのも、働くのも、困った時に自分で決めるのも。


 必要だったから、そうしてきただけだ。


「……そうかもしれません」


「あなたなら、一人でもできるのでしょうね」


 アインス様は静かに言った。


「でも、一人でやる必要までありませんよ」


「……え?」


「判断に迷った時は、私に相談してください」


「アインス様に?」


「ええ」


 迷いのない返事だった。


「あなたの代わりに決めることはできませんが、一緒に考えることはできます。それに、あなたが間違っていると思えば、きちんとそう言いますよ」


 あまりにもアインス様らしい言い方で、少しだけ笑ってしまう。


「そこは甘くないんですね」


「必要なら言います」


「ふふ。そうですよね」


 笑いながら、胸の奥が少しだけ熱くなる。


 ずっと、自分で決めることが当たり前だった。


 迷っても、最後には自分で答えを出すしかないと思っていた。


 誰かに決めてもらいたいわけじゃない。


 ただ、一緒に考えてくれる人がいるということが、こんなに心強いものだとは思わなかった。


「……ありがとうございます」


「どういたしまして」


 アインス様はいつもと変わらない穏やかな顔でそう言った。


 少しだけ考えてから、ふと思い出す。


「あ。じゃあ、さっそく相談してもいいですか?」


「ええ。どうぞ」


「回復魔法のことなんですけど」


 アインス様がわずかに目を細めた。


「エレナさんと出かけた時に聞いたんです。私みたいに精密操作が得意なら、練習してみてもいいかもしれないって」


「なるほど」


「私にも使えるようになりますか?」


「適性はあると思いますよ」


「本当ですか?」


「ええ。ただ、回復魔法は魔力を細かく扱えればいいというものでもありません。傷の状態を見極める知識も必要になります」


「やっぱり難しいんですね」


「簡単ではありませんね。ですが、基礎からなら私が教えられますよ」


「お願いします」


 すぐに答えると、アインス様が少し笑った。


「随分やる気ですね」


「使えるようになったら、きっと役に立つと思うので」


 それに。


 あの時、自分の腕を治してもらったことも大きい。


「サラマンダーの時、アインス様がすぐに治してくれたでしょう? 自分でも少しくらいできたらいいなって思ったんです」


 そう言うと、アインス様の表情がわずかに変わった。


「覚えること自体は賛成です。ただ――」


「はい?」


「治せるようになったからといって、怪我をしても大丈夫だとは思わないでくださいね」


「そんなこと思いませんよ」


「それならいいのですが」


 いつもより少しだけ念を押すような言い方に、首を傾げる。


「……あの時、そんなに酷かったんですか?」


「酷かったですよ」


 返事はすぐだった。


「報告の時にもお話ししましたが、熱がかなり深くまで入っていました。処置がもう少し遅ければ、跡が残っていた可能性もあります。それに治療する前は、最悪の場合欠損する可能性も考えました」


「そうだったんですね……」


 今は何も残っていない右腕を見る。


 アインス様が治療してくれた時も、ずっと落ち着いていた。


 だから、そこまで危ない状態だったという実感はあまりなかった。


「アインス様、あの時もすごく冷静でしたよね」


「責任者が冷静でないと、現場は混乱しますから」


「……やっぱり、そういうものなんですね」


「ええ。ただ、あなたが炎を受けた時は……さすがに余裕はありませんでした」


「……え?」


「あなたを庇って、傷を確認して。治療できる状態だと分かっても、安心はできませんでした」


 あの時のことを思い出すように、アインス様が少しだけ視線を落とした。


「治ったからといって、あの時のことが無かったことにはなりませんから」


「……」


「ですから」


 もう一度、私を見る。


「無事に治って、本当に良かったです」


 その言葉が、思っていたより深く胸に落ちた。


 私はずっと、アインス様は何が起きても冷静な人なのだと思っていた。


 実際、あの時もそうだった。


 でも、何も感じていなかったわけじゃない。


「……心配かけましたね」


「ええ。かなり」


 はっきり言われて、思わず笑ってしまった。


「すみません」


「謝ってほしいわけではありませんよ」


「はい」


 少し笑ったまま答える。


 しばらくして食事を終えると、店員が食後の菓子をいくつか説明してくれた。


 私は果物を使ったものを選び、アインス様は迷うことなく甘い焼き菓子を選ぶ。


「アインス様って、甘いものお好きなんですか?」


「ええ。割と好きですよ」


「知らなかったです」


「言う機会もありませんでしたからね」


「じゃあ、この前のドーナツも?」


「美味しかったですよ」


「良かった」


 そういえば、渡した時にもそう言ってくれていた。


「また作ろうと思ってるんです。アインス様の分も作りますね」


 何気なく言ったつもりだった。


 でも、アインス様は一瞬だけこちらを見てから、少し嬉しそうに笑った。


「では、楽しみにしています」


◇


 店を出る頃には、すっかり日が落ちていた。


 昼間とは違い、通りには魔法灯の柔らかな光が並んでいる。


「今日は本当にありがとうございました」


 アインス様が少し先へ視線を向ける。


「せっかくですから、もう少し付き合ってもらえますか?」


「はい、大丈夫です」


 どこへ行くんだろう。


 そう思いながらついていくと、人通りの多い通りを外れ、少し開けた場所へ出た。


 それほど広い場所ではないけれど、周囲に人はいない。


「ここなら問題ないでしょう」


「何をするんですか?」


「昼間、随分楽しそうにしていたでしょう」


「……そんなに分かりました?」


「ええ。かなり」


 少し恥ずかしい。


 でも、否定はできなかった。


「魔法劇場、すごく面白かったです」


「では、少し真似してみましょうか」


「え?」


 アインス様が片手を上げる。


 地面から土が盛り上がり、形を変えた。


 一段。


 その上に、もう一段。


 さらにその先へ。


「あ……!」


 昼間の舞台で、役者が空中へ登っていった階段。


「これ……!」


「劇場ほど大掛かりではありませんけどね」


 アインス様が一段目へ足を乗せる。


「行っていいんですか?」


「どうぞ」


 私もそっと足を乗せた。


 思ったよりしっかりしている。


「すごい……本当に階段になってる」


「リナも作ってみますか?」


「私が?」


「氷ならできるでしょう」


「やります」


 即答してしまった。


 土の階段の隣に氷を作る。


 形を整えて。


 一段。


 その上に、もう一段。


「あ、できた!」


「綺麗にできていますね」


「もう少し作ってもいいですか?」


「もちろんです」


 その先へ氷を伸ばしていく。


 透明な階段に街の魔法灯が映り込み、角度が変わるたびにきらきらと光った。


「わあ……」


 思わず足を止める。


 昼間の舞台とはまた違う。


 夜の中に浮かぶ氷が、自分で作ったものとは思えないくらい綺麗だった。


「夜だと、氷の方が映えますね」


「ですよね」


 嬉しくなって、もう一段作る。


「アインス様、見てください。こっち、少し曲げてみました」


「では、その先はこちらへ繋げましょうか」


 アインス様の土の階段が伸びてくる。


「綺麗に繋がった」


「もう少し上まで行けそうですね」


「やってみます」


 気づけば、二人でどんどん階段を伸ばしていた。


 土と氷が交互に重なり、夜空へ向かって続いていく。


 しばらく夢中で作ったところで、昼間の舞台を思い出した。


「あ。鳥」


「鳥?」


「昼間に飛んでた炎の鳥です」


「ああ」


「アインス様、あれもできます?」


「できますよ」


「見たいです」


 アインス様が手を上げる。


 その先に小さな炎が灯り、少しずつ形を変えていく。


 頭ができて。


 身体ができて。


 左右へ翼が広がった。


「わ……!」


 次の瞬間、炎の鳥が羽ばたいた。


「すごい……!」


 赤い光を残しながら、夜空へ飛んでいく。


「昼のやつだ」


「少し小さいですが」


「十分ですよ。すごいです」


 鳥が大きく旋回して戻ってくる。


 その姿を見ているうちに、自分でもやってみたくなった。


「……私も作ろうかな」


「炎を?」


「それは無理です。氷で」


 両手の間に氷を作る。


 さっきの鳥を思い出しながら、少しずつ形を整えていく。


「翼は、もう少し薄くしても大丈夫ですよ」


「こうですか?」


「ええ。根元だけ少し厚くして」


 言われた通りに形を変える。


 頭。


 胴体。


 翼。


「できた」


「では、飛ばしてみましょうか」


「飛びます?」


「リナが動かせば」


「やってみます」


 慎重に魔力を流す。


 氷の鳥が少し浮いた。


「あ……!」


 もう少し。


 翼を傾ける。


 次の瞬間、氷の鳥がふわりと前へ進んだ。


「飛んだ!」


 思わず隣のアインス様の腕を掴む。


「アインス様、見て! 飛んでます!」


「ええ。見ています」


 声に笑いが混じっていた。


 そこで、自分が腕を掴んでいることに気づく。


「あ。すみません」


 慌てて手を離した。


「構いませんよ」


 アインス様は何でもない顔でそう言って、空を飛ぶ氷の鳥を見る。


「随分上手くなりましたね」


「先生がいいので」


「それは光栄です」


 炎の鳥と氷の鳥が、夜空を並んで飛んでいる。


挿絵(By みてみん)


 それを眺めながら、自然と笑ってしまう。


「楽しいですね」


 言ってから、少しだけ意外に思った。


 アインス様と一緒にいる時は、魔法を教えてもらうことが多い。


 でも今は、練習でも仕事でもない。


 ただ、二人で魔法を使って遊んでいる。


「ええ」


 隣を見ると、アインス様も笑っていた。


「私も楽しいです」


 その言い方が、昼間よりずっと柔らかく聞こえた。


 しばらく遊んでから、作った階段をさらに上へ登った。


 気づけば、建物の屋根がかなり下に見える。


「……結構高いですね」


「怖いですか?」


「少しだけ」


 上る時は夢中だったけれど、改めて下を見ると足元が心許ない。


「降ります?」


「いえ。ここまで来たので、景色は見たいです」


「では、こちらにつかまってください」


アインス様が半歩、私の後ろへ回った。


「手を」


 差し出された手を握る。


 同時に、もう片方の手がそっと腰に添えられた。


「これなら足元を気にしなくて済むでしょう」


「……はい」


 近い。


 ものすごく近い。


 昼間、劇場で顔を寄せられた時より近い。


 ふわりとシトラスの香りがした。


(落ち着こう)


 別に変な意味はない。


 高いところで私が怖がっているから、落ちないように支えてくれているだけだ。


 そう自分に言い聞かせながら、王都の方を見る。


「……綺麗」


 思わず声が漏れた。


 眼下に、無数の魔法灯が広がっている。


 昼間に歩いた通りも、遠くに見える魔法劇場も、全部小さな光になっていた。


「こんなふうに王都を見るの、初めてです」


「気に入りましたか?」


「はい。すごく」


 しばらく、何も言わずに景色を眺めた。


 今日は朝から、知らなかったものをたくさん見た。


 知らなかった場所へ行って。


 知らなかったアインス様の話を聞いた。


 そして今は、こんな景色まで見ている。


 もう少し、このままでいたい。


 ふと、そんなことを思った。


「リナ」


「はい?」


「先日の、日本へ帰るという話ですが」


 静かな声だった。


「帰ると決めているわけではない、と言っていましたね」


「はい」


 ミナトと話した時のことだ。


「帰る方法が見つかったら、その時に考えるつもりです」


「そうですか」


 アインス様は少しだけ前を見る。


 それから、静かに口を開いた。


「では――」


 一度、言葉が止まった。


「もし、この世界に大切な人ができたら、あなたは残りますか?」


「……え?」


 思わず顔を上げる。


 紫色の瞳と目が合った。


 すぐには答えられなかった。


 この世界には、もう大切な人がいる。


 アルベルト様も、アインス様も。


 レオくんも、オスカーさんも、キリアンも、ルディ様も、ミナトも。


 みんな、いなくなっても何とも思わない人ではない。


 でも。


 アインス様が聞いている「大切な人」は、たぶん少し違う。


「……今は、まだ分からないです」


「そうですか」


「はい。そうなってみないと、自分でも分からないと思います」


 正直にそう答える。


 アインス様はそれ以上は聞かなかった。


「分かりました」


 ただ、少しだけ笑った。


 そのあと、ゆっくりと地上へ戻る。


 地上へ戻っても、さっきの質問だけが胸の奥に残っていた。


「今日はありがとうございました」


「こちらこそ」


「本当に楽しかったです」


「それなら良かったです」


 アインス様が少し目を細める。


「また行きましょう」


「はい」


 今度は、迷わず頷いた。


◇


 寮へ戻って一人になっても、なかなか今日のことが頭から離れなかった。


 仕事中には見たことのない表情も、初めて聞いた話も、思っていたよりずっと多かった。


 いつも近くで仕事をしているのに、知らない一面がまだたくさんあるんだと思う。


(……もっと、知りたいな)


 そう思ってから、さっきの言葉を思い出す。


『もし、この世界に大切な人ができたら、あなたは残りますか?』


「……」


 なぜ、あんなことを聞いたんだろう。


 考えかけて、やめる。


 自分に都合のいい意味をつけない。


 それは、もう何度も決めたことだ。


 でも。


 今日一日が楽しかったことまで、勘違いにはしたくなかった。


挿絵(By みてみん)

いつも読んでくださってありがとうございます。

ブクマ・評価、励みになります。いつもありがとうございます。


やっとデートになりました。

今回小説も、イラストも、ものすごく難産でした。

(´;ω;`)ウゥゥ うまくいかない……。

長くなってすみません。ですが、じわじわと恋愛が進んできました。

イラストも、今回は良いのが生成できて良かったです。


土日のどこかで、短編をあげようと思ってるのでよかったら見てください。

タイトルは「 勇者になった幼馴染は、少し違って見えた。」です。

よろしくお願いします。

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