45. 魔法劇場と、知らなかった横顔
それから数日が経ち、次の休日。
鏡の前で、もう一度だけ服を確認する。
この前、クララさんのお店へエレナさんと買い物に行った時に買った服だ。自分一人だったら選ばなかったと思うけれど、フリルがたくさんついていて可愛い。
(……おしゃれして、2人で出かけるって……なんかちょっとデートみたい。気軽に頼んでしまったな)
今日はアインス様に魔法劇場を案内してもらうだけなのに。
そう自分に言い聞かせながら、髪を整えて家を出た。
◇
待ち合わせは、騎士団本部の入口だった。
少し早く着いたつもりだったのに、アインス様はすでに来ている。
「おはようございます、リナ」
「おはようございます。今日はよろしくお願いします」
思わず、足が止まった。
いつもの黒い軍服ではない。
落ち着いた色合いの私服は装飾こそ少ないけれど、仕立てが良いのか、すらりとした長身によく似合っている。白金の髪もいつも通り後ろでまとめていて、眼鏡も同じなのに、仕事中とは随分印象が違って見えた。
(……いや)
毎日見ているから、今まであまり考えなかったけれど。
(アインス様って、めちゃくちゃ顔がいいんだよな……立ち姿もかっこいいし)
「どうかしましたか?」
「いえ! なんでもないです」
慌てて首を振る。
危ない。朝から何を考えているんだ、私は。
「では、行きましょうか」
「はい」
いつもと変わらない穏やかな声に、少しだけ安心して歩き出した。
魔法劇場は、想像していたよりずっと大きかった。
中へ入ると、緩やかな傾斜に沿って座席が並び、その先に大きな舞台がある。
「すごい……。こういうところって、それだけでわくわくしますね」
私が言うと、アインス様が少し笑った。
「ええ。分かります」
その言い方が少し嬉しそうで、意外だった。
席についてしばらくすると、周囲の話し声が少しずつ落ち着いていった。
期待するようなざわめきだけが残る中、場内の灯りがゆっくりと落ちていく。
(始まる……)
さっきまで見えていた客席が暗闇に沈み、劇場の中がしんと静まり返った。
その静寂の中、舞台の上にぽつりと小さな光が生まれた。
1つ、2つ。
瞬く間に数え切れないほどの光が広がり、暗かった舞台が夜の森へと変わっていく。
「わ……!」
木々の間を淡い光が飛び交い、風が葉を揺らす。
次の瞬間には舞台を水が覆った。
役者がその上へ足を踏み出す。
(えっ、水の上歩いてる……?)
思わず目を凝らしていると、隣からアインス様が少しだけ顔を寄せた。
「足元を風で支えているんですよ」
耳元に近い声と一緒に、ふわりと爽やかな香りがした。
(……あ)
シトラス。
この世界へ来たばかりの頃、初めて魔法を教えてもらった時にも感じた香りだ。
ほんの一瞬そちらへ意識が向いて、慌てて舞台へ視線を戻す。
その後も、炎で形作られた鳥が大きく羽ばたいて客席の頭上を飛び、水が空中へ舞い上がる。
舞台の上には階段が空中へ伸び、役者がその上を駆け上がっていった。
そこへ光が差し込み、水面に反射して赤や青、紫へと次々に色を変えていった。
周囲から歓声が上がる。
「すごい……!」
思わず見上げた。
魔法がある世界だからこそ作れる舞台だ。
それからは、すっかり舞台に引き込まれて、気づけばあっという間に終演を迎えていた。
劇場を出ると、ちょうど昼時になっていた。
「この辺りは、騎士団の者もよく利用する店が多いんですよ」
「そうなんですか?」
「ええ。少し先に、料理の評判がいい店があります。昼食はそこでどうですか?」
「ぜひ」
アインス様に案内されて入ったのは、大通りから少し入ったところにある店だった。
昼時ということもあって店内は賑わっているけれど、格式張った雰囲気はない。騎士らしい体格の人も何人かいて、仕事仲間らしい人たちが楽しそうに食事をしている。
「本当に騎士団の方が多いですね」
「第二部隊の者もよく来ますよ。量もありますし、何を頼んでも外れがないので」
「それはいいですね」
こういう店なら気を張らずに食べられる。
席について料理を頼むと、自然とさっきの舞台の話になった。
「魔法劇場、すごかったです。魔法であんな演出ができるなんて、素敵ですね」
「楽しんでもらえたなら良かったです」
「そういえば、アインス様は子どもの頃も魔法劇場に来てたんですよね?」
「ええ。よく見に来ていました」
「舞台で見た魔法を、真似したりしました?」
何気なく聞くと、アインス様が一瞬だけ黙った。
「……しましたね」
少しだけ言いにくそうなのがおかしくて、笑ってしまう。
「何を真似したんですか?」
「……水を浮かせたり、風で動かしたり。その程度です」
今なら何でもないことなのだろう。
でも、子どもの頃のアインス様が劇場から帰って、見たばかりの魔法を真似しているところを想像すると――。
(……なんか、かわいい)
「何ですか?」
「いえ。かわいいなと思って」
「……子どもの頃の話ですよ」
アインス様は、なんだか照れたような様子で少し笑った。
運ばれてきた料理も美味しくて、舞台の話をしながら食べていると、時間はあっという間に過ぎていった。
店を出る頃には、昼を少し回っている。
「この近くに、もう一か所案内したい店があるんですが、寄ってみますか?」
「どんなお店ですか?」
「古書店です」
「前に話していたお店ですか?」
「ええ。そうです」
「行ってみたいです」
「では、こちらです」
アインス様に案内され、大通りから少し細い道へ入る。
しばらく歩いて辿り着いたのは、気をつけていなければ通り過ぎてしまいそうな小さな店だった。
扉を開けた瞬間、紙とインクの匂いがする。
「わあ……」
壁一面に本が並んでいた。
新しい本屋とは違い、大きさも色もばらばらだ。かなり古そうなものから、比較的新しそうなものまで所狭しと並んでいる。
隣を見ると、アインス様はすでに棚を眺めていた。いつもより少しだけ楽しそうに見える。
「アインス様、本当に本がお好きなんですね」
「ええ。昔から好きですね」
「古書の、どういうところがお好きなんですか?」
何気なく聞くと、アインス様が棚から1冊抜き取った。
「古書の方が、思わぬヒントが見つかることもあるんです」
「ヒント?」
「以前の持ち主が書き込みを残していることもありますし、今では使われなくなった考え方が載っていることもあります」
ぱらぱらとページをめくる。
端の方に、小さな文字がびっしりと書き込まれていた。
「本に書いてある答えだけではなく、その人が何を考えたのかを見るのも面白いんですよ」
「へえ……」
アインス様らしい。
そう思いながら、私も近くの棚を見ていく。
「あ」
料理関係の本を見つけた。
手に取って開いてみると、見たことのない料理がいくつも載っている。
(これ、面白いかも)
読み進めていくと、調理の途中で魔法を使う方法もいくつか載っていた。
風で野菜を細かく刻んだり、水を使って食材を均等に冷やしたり。
(こんな使い方もできるんだ)
この前、ミナトが風魔法をブレンダー代わりに使っていたのも驚いたけれど、料理に使える魔法は思っていたよりずっと多いらしい。
(これ覚えたら、料理するのめちゃくちゃ楽になるんじゃ……?)
もう1冊。
さらにもう1冊。
気になるものを抜き取っていくうちに、腕の中の本が増えていった。
「ずいぶん増えましたね」
「……増えました」
「全部買うんですか?」
「でも、面白そうなんですよ。料理に魔法を使う方法がこんなにあるなんて知らなくて。覚えたら、今作ってる料理にも使えそうです」
「リナらしいですね」
「そうですか?」
「ええ」
アインス様が笑って、私の腕から本を取った。
「あ、大丈夫ですよ。持てます」
「私の分もありますから、まとめて持ちますよ」
「でも」
「これくらいなら問題ありません」
そのまま自分の本と重ねて持ってしまう。
(……こういうところなんだよなあ)
自然すぎて、断る方がおかしい気がしてくる。
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
結局、アインス様は私の分までお会計を済ませてくれた。
二人分の本を合わせるとそれなりの量になったので、店から騎士団へ届けてもらうことになった。
◇
古書店を出てからも、アインス様に案内してもらいながら王都を歩いた。
気づけば空は夕暮れ色に変わっている。
「もうこんな時間ですね」
「ええ。時間が経つのが早いですね」
アインス様が空を見上げてから、私を見る。
「時間があるなら、夕食も一緒にどうですか?」
「はい。ぜひ」
案内されたのは、昼に入った店より少し落ち着いた雰囲気の店だった。
通された個室で向かい合って座り、料理を注文する。
朝からずっと一緒にいるのに、不思議と話題には困らなかった。
仕事中にも話はするけれど、こうして向かい合って、仕事とは関係のない話をするのはなんだか新鮮だった。
「そういえば、レオくんとオスカーさんから聞きました」
「何をですか?」
「アインス様が魔法の研究でも有名で、勲章をもらってるって」
「ああ。その話ですか」
アインス様は、何でもないことのように頷いた。
「好きなことをしていたら、評価されただけですよ」
「それでも、すごいことだと思います」
「私からしたら、あなたが作る料理の方がすごいですけどね」
「そんなことないですよ」
「そうですか?」
「そうです」
思わず笑ってから、少しだけ迷う。
「でも……やっぱり、お忙しいんですよね」
「そのことなら、気にしなくて大丈夫ですよ」
「今日も一日付き合わせてしまって、大丈夫だったのかなって」
レオくんたちから話を聞いてから、少し気になっていた。
副団長で、第二部隊長で、それだけじゃなく魔術研究でも大きな功績を残している。
私が思っていた以上に、いろいろな仕事を抱えている人なのかもしれない。
「付き合わせたなんて思わなくていいですよ。私も楽しんでいますから」
「……そうですか」
「ええ。それに、あの筆記具のおかげで、以前より仕事にかかる時間も減りましたよ」
「そんなに違うんですか?」
「かなり助かっていますよ」
「それなら良かったです」
選んだ甲斐があった。
そう思っていると、アインス様が少しだけ笑った。
「忙しくても、あなたとの時間は作りますよ。遠慮しないでください」
「……ありがとうございます」
一瞬だけ、返事が遅れた。
(……あなたとの時間)
その言葉だけが、妙に耳に残る。
ちょうど料理が運ばれてきて、私はそちらへ視線を移した。
食事を始めながら、昼間に聞いた話を思い返す。
いつも仕事をしている姿ばかり見ているから、今日一日で知らなかったアインス様をずいぶん見た気がする。
「そういえば、アインス様って、ご兄弟はいらっしゃるんですか?」
「兄が一人いますよ」
「お兄様が家を継がれるんですか?」
「ええ。甥もいます」
「そうなんですね」
仕事をしている姿しか知らないから、家族の中にいるアインス様というものを、今までほとんど想像したことがなかった。
「アインス様にも、叔父さんとしての顔があるんですね」
「ええ。仕事中とは、少し違うかもしれませんね」
「ふふ。ちょっと見てみたいです」
そう言うと、アインス様も小さく笑った。
こういう話をしていると、副団長でも、魔法の研究者でもないアインス様が少しずつ見えてくる。
「ご家族から、結婚のお話をされたりはしないんですか?」
「以前はありましたよ。王女殿下の結婚が決まるまでは、私も夫候補の一人でしたから」
「……アインス様も、ですか?」
「ええ。団長もですよ」
「アルベルト様も……」
「結局、王女殿下はフロリアンと結婚しましたから、その話はなくなりました」
「そうだったんですね」
「今も縁談のお話はあるんですか?」
「時々ありますよ。ただ、今は受けていません」
「そうなんですか?」
「兄が家を継ぎますし、甥もいますから、私が急ぐ必要もありません。それに、結婚するなら自分で決めたいと思っています」
「やっぱり、お相手も貴族の方なんですか?」
「いいえ」
思っていたより早く否定されて、顔を上げる。
「私は、相手の身分は問いませんよ」
「……そうなんですか?」
「ええ。私がその人と一緒にいたいと思えて、相手も同じように思ってくれるなら、それで十分です」
そのまま、紫色の瞳が私を見る。
目が合った。
「…………」
なぜか先に視線を外してしまう。
(……身分は、関係ないんだ)
「意外でしたか?」
「少しだけ。貴族の方は、同じくらいの身分の方と結婚するものだと思っていたので」
「そういう家も多いでしょうね。ただ、私自身は、そこを一番には考えていません」
「……そうなんですね」
アインス様は自分のことを話してくれた。
そう思うと、聞いているだけなのも少し違う気がした。
「私も……結婚したいと思ってたことはあります」
アインス様の視線がこちらへ戻る。
「以前ですか?」
「はい。こっちに来る少し前まで、付き合っていた人がいたので」
アインス様の手が、一瞬だけ止まった。
「そうだったのですか」
「はい。でも、別れたのもこっちに来る少し前だったんです。だから、もう終わった話なんですけど」
「……その方と、結婚を考えていたのですか?」
「そうなったらいいな、とは思ってました」
結婚して、家族になれたら。
あの頃は、そんな未来を思い描いたこともあった。
「でも、うまくいかなかったので」
なるべく何でもないことのように笑う。
「私、恋愛のことになると、自分の判断にあんまり自信がなくて」
「自分の判断に?」
「ちゃんと相手を見てるつもりだったんですけど、全然分かってなかったみたいで」
詳しく話すつもりはなかった。
でも、口にしてしまうと、思っていたより素直に言葉が続いた。
「だから今は、誰かに優しくしてもらっても、それをどう受け取ったらいいのか迷うことがあるんです。私が都合よく考えてるだけかもしれないって」
アインス様は口を挟まず、黙って聞いていた。
「まあ、そういうことは自分で考えるしかないですしね」
「……リナ」
「はい?」
「あなたは、そうやって何でも自分で答えを出すのですか?」
思っていなかったことを聞かれて、少し考える。
「何でも、というわけではないですけど」
「仕事のことなら、分からない時はすぐに確認しますよね」
「それは、間違えたら困るので」
「では、自分のことは?」
「……自分のこと?」
アインス様は少しだけ目を細めた。
「前に、ご両親が亡くなられてから一人で暮らしていたと聞きました」
「はい」
「今日話を聞いていて、少し分かった気がします」
「何がですか?」
「あなたは、一人で何とかすることに慣れているんですね」
思わず黙った。
そんなふうに考えたことはなかった。
一人で暮らすのも、働くのも、困った時に自分で決めるのも。
必要だったから、そうしてきただけだ。
「……そうかもしれません」
「あなたなら、一人でもできるのでしょうね」
アインス様は静かに言った。
「でも、一人でやる必要までありませんよ」
「……え?」
「判断に迷った時は、私に相談してください」
「アインス様に?」
「ええ」
迷いのない返事だった。
「あなたの代わりに決めることはできませんが、一緒に考えることはできます。それに、あなたが間違っていると思えば、きちんとそう言いますよ」
あまりにもアインス様らしい言い方で、少しだけ笑ってしまう。
「そこは甘くないんですね」
「必要なら言います」
「ふふ。そうですよね」
笑いながら、胸の奥が少しだけ熱くなる。
ずっと、自分で決めることが当たり前だった。
迷っても、最後には自分で答えを出すしかないと思っていた。
誰かに決めてもらいたいわけじゃない。
ただ、一緒に考えてくれる人がいるということが、こんなに心強いものだとは思わなかった。
「……ありがとうございます」
「どういたしまして」
アインス様はいつもと変わらない穏やかな顔でそう言った。
少しだけ考えてから、ふと思い出す。
「あ。じゃあ、さっそく相談してもいいですか?」
「ええ。どうぞ」
「回復魔法のことなんですけど」
アインス様がわずかに目を細めた。
「エレナさんと出かけた時に聞いたんです。私みたいに精密操作が得意なら、練習してみてもいいかもしれないって」
「なるほど」
「私にも使えるようになりますか?」
「適性はあると思いますよ」
「本当ですか?」
「ええ。ただ、回復魔法は魔力を細かく扱えればいいというものでもありません。傷の状態を見極める知識も必要になります」
「やっぱり難しいんですね」
「簡単ではありませんね。ですが、基礎からなら私が教えられますよ」
「お願いします」
すぐに答えると、アインス様が少し笑った。
「随分やる気ですね」
「使えるようになったら、きっと役に立つと思うので」
それに。
あの時、自分の腕を治してもらったことも大きい。
「サラマンダーの時、アインス様がすぐに治してくれたでしょう? 自分でも少しくらいできたらいいなって思ったんです」
そう言うと、アインス様の表情がわずかに変わった。
「覚えること自体は賛成です。ただ――」
「はい?」
「治せるようになったからといって、怪我をしても大丈夫だとは思わないでくださいね」
「そんなこと思いませんよ」
「それならいいのですが」
いつもより少しだけ念を押すような言い方に、首を傾げる。
「……あの時、そんなに酷かったんですか?」
「酷かったですよ」
返事はすぐだった。
「報告の時にもお話ししましたが、熱がかなり深くまで入っていました。処置がもう少し遅ければ、跡が残っていた可能性もあります。それに治療する前は、最悪の場合欠損する可能性も考えました」
「そうだったんですね……」
今は何も残っていない右腕を見る。
アインス様が治療してくれた時も、ずっと落ち着いていた。
だから、そこまで危ない状態だったという実感はあまりなかった。
「アインス様、あの時もすごく冷静でしたよね」
「責任者が冷静でないと、現場は混乱しますから」
「……やっぱり、そういうものなんですね」
「ええ。ただ、あなたが炎を受けた時は……さすがに余裕はありませんでした」
「……え?」
「あなたを庇って、傷を確認して。治療できる状態だと分かっても、安心はできませんでした」
あの時のことを思い出すように、アインス様が少しだけ視線を落とした。
「治ったからといって、あの時のことが無かったことにはなりませんから」
「……」
「ですから」
もう一度、私を見る。
「無事に治って、本当に良かったです」
その言葉が、思っていたより深く胸に落ちた。
私はずっと、アインス様は何が起きても冷静な人なのだと思っていた。
実際、あの時もそうだった。
でも、何も感じていなかったわけじゃない。
「……心配かけましたね」
「ええ。かなり」
はっきり言われて、思わず笑ってしまった。
「すみません」
「謝ってほしいわけではありませんよ」
「はい」
少し笑ったまま答える。
しばらくして食事を終えると、店員が食後の菓子をいくつか説明してくれた。
私は果物を使ったものを選び、アインス様は迷うことなく甘い焼き菓子を選ぶ。
「アインス様って、甘いものお好きなんですか?」
「ええ。割と好きですよ」
「知らなかったです」
「言う機会もありませんでしたからね」
「じゃあ、この前のドーナツも?」
「美味しかったですよ」
「良かった」
そういえば、渡した時にもそう言ってくれていた。
「また作ろうと思ってるんです。アインス様の分も作りますね」
何気なく言ったつもりだった。
でも、アインス様は一瞬だけこちらを見てから、少し嬉しそうに笑った。
「では、楽しみにしています」
◇
店を出る頃には、すっかり日が落ちていた。
昼間とは違い、通りには魔法灯の柔らかな光が並んでいる。
「今日は本当にありがとうございました」
アインス様が少し先へ視線を向ける。
「せっかくですから、もう少し付き合ってもらえますか?」
「はい、大丈夫です」
どこへ行くんだろう。
そう思いながらついていくと、人通りの多い通りを外れ、少し開けた場所へ出た。
それほど広い場所ではないけれど、周囲に人はいない。
「ここなら問題ないでしょう」
「何をするんですか?」
「昼間、随分楽しそうにしていたでしょう」
「……そんなに分かりました?」
「ええ。かなり」
少し恥ずかしい。
でも、否定はできなかった。
「魔法劇場、すごく面白かったです」
「では、少し真似してみましょうか」
「え?」
アインス様が片手を上げる。
地面から土が盛り上がり、形を変えた。
一段。
その上に、もう一段。
さらにその先へ。
「あ……!」
昼間の舞台で、役者が空中へ登っていった階段。
「これ……!」
「劇場ほど大掛かりではありませんけどね」
アインス様が一段目へ足を乗せる。
「行っていいんですか?」
「どうぞ」
私もそっと足を乗せた。
思ったよりしっかりしている。
「すごい……本当に階段になってる」
「リナも作ってみますか?」
「私が?」
「氷ならできるでしょう」
「やります」
即答してしまった。
土の階段の隣に氷を作る。
形を整えて。
一段。
その上に、もう一段。
「あ、できた!」
「綺麗にできていますね」
「もう少し作ってもいいですか?」
「もちろんです」
その先へ氷を伸ばしていく。
透明な階段に街の魔法灯が映り込み、角度が変わるたびにきらきらと光った。
「わあ……」
思わず足を止める。
昼間の舞台とはまた違う。
夜の中に浮かぶ氷が、自分で作ったものとは思えないくらい綺麗だった。
「夜だと、氷の方が映えますね」
「ですよね」
嬉しくなって、もう一段作る。
「アインス様、見てください。こっち、少し曲げてみました」
「では、その先はこちらへ繋げましょうか」
アインス様の土の階段が伸びてくる。
「綺麗に繋がった」
「もう少し上まで行けそうですね」
「やってみます」
気づけば、二人でどんどん階段を伸ばしていた。
土と氷が交互に重なり、夜空へ向かって続いていく。
しばらく夢中で作ったところで、昼間の舞台を思い出した。
「あ。鳥」
「鳥?」
「昼間に飛んでた炎の鳥です」
「ああ」
「アインス様、あれもできます?」
「できますよ」
「見たいです」
アインス様が手を上げる。
その先に小さな炎が灯り、少しずつ形を変えていく。
頭ができて。
身体ができて。
左右へ翼が広がった。
「わ……!」
次の瞬間、炎の鳥が羽ばたいた。
「すごい……!」
赤い光を残しながら、夜空へ飛んでいく。
「昼のやつだ」
「少し小さいですが」
「十分ですよ。すごいです」
鳥が大きく旋回して戻ってくる。
その姿を見ているうちに、自分でもやってみたくなった。
「……私も作ろうかな」
「炎を?」
「それは無理です。氷で」
両手の間に氷を作る。
さっきの鳥を思い出しながら、少しずつ形を整えていく。
「翼は、もう少し薄くしても大丈夫ですよ」
「こうですか?」
「ええ。根元だけ少し厚くして」
言われた通りに形を変える。
頭。
胴体。
翼。
「できた」
「では、飛ばしてみましょうか」
「飛びます?」
「リナが動かせば」
「やってみます」
慎重に魔力を流す。
氷の鳥が少し浮いた。
「あ……!」
もう少し。
翼を傾ける。
次の瞬間、氷の鳥がふわりと前へ進んだ。
「飛んだ!」
思わず隣のアインス様の腕を掴む。
「アインス様、見て! 飛んでます!」
「ええ。見ています」
声に笑いが混じっていた。
そこで、自分が腕を掴んでいることに気づく。
「あ。すみません」
慌てて手を離した。
「構いませんよ」
アインス様は何でもない顔でそう言って、空を飛ぶ氷の鳥を見る。
「随分上手くなりましたね」
「先生がいいので」
「それは光栄です」
炎の鳥と氷の鳥が、夜空を並んで飛んでいる。
それを眺めながら、自然と笑ってしまう。
「楽しいですね」
言ってから、少しだけ意外に思った。
アインス様と一緒にいる時は、魔法を教えてもらうことが多い。
でも今は、練習でも仕事でもない。
ただ、二人で魔法を使って遊んでいる。
「ええ」
隣を見ると、アインス様も笑っていた。
「私も楽しいです」
その言い方が、昼間よりずっと柔らかく聞こえた。
しばらく遊んでから、作った階段をさらに上へ登った。
気づけば、建物の屋根がかなり下に見える。
「……結構高いですね」
「怖いですか?」
「少しだけ」
上る時は夢中だったけれど、改めて下を見ると足元が心許ない。
「降ります?」
「いえ。ここまで来たので、景色は見たいです」
「では、こちらにつかまってください」
アインス様が半歩、私の後ろへ回った。
「手を」
差し出された手を握る。
同時に、もう片方の手がそっと腰に添えられた。
「これなら足元を気にしなくて済むでしょう」
「……はい」
近い。
ものすごく近い。
昼間、劇場で顔を寄せられた時より近い。
ふわりとシトラスの香りがした。
(落ち着こう)
別に変な意味はない。
高いところで私が怖がっているから、落ちないように支えてくれているだけだ。
そう自分に言い聞かせながら、王都の方を見る。
「……綺麗」
思わず声が漏れた。
眼下に、無数の魔法灯が広がっている。
昼間に歩いた通りも、遠くに見える魔法劇場も、全部小さな光になっていた。
「こんなふうに王都を見るの、初めてです」
「気に入りましたか?」
「はい。すごく」
しばらく、何も言わずに景色を眺めた。
今日は朝から、知らなかったものをたくさん見た。
知らなかった場所へ行って。
知らなかったアインス様の話を聞いた。
そして今は、こんな景色まで見ている。
もう少し、このままでいたい。
ふと、そんなことを思った。
「リナ」
「はい?」
「先日の、日本へ帰るという話ですが」
静かな声だった。
「帰ると決めているわけではない、と言っていましたね」
「はい」
ミナトと話した時のことだ。
「帰る方法が見つかったら、その時に考えるつもりです」
「そうですか」
アインス様は少しだけ前を見る。
それから、静かに口を開いた。
「では――」
一度、言葉が止まった。
「もし、この世界に大切な人ができたら、あなたは残りますか?」
「……え?」
思わず顔を上げる。
紫色の瞳と目が合った。
すぐには答えられなかった。
この世界には、もう大切な人がいる。
アルベルト様も、アインス様も。
レオくんも、オスカーさんも、キリアンも、ルディ様も、ミナトも。
みんな、いなくなっても何とも思わない人ではない。
でも。
アインス様が聞いている「大切な人」は、たぶん少し違う。
「……今は、まだ分からないです」
「そうですか」
「はい。そうなってみないと、自分でも分からないと思います」
正直にそう答える。
アインス様はそれ以上は聞かなかった。
「分かりました」
ただ、少しだけ笑った。
そのあと、ゆっくりと地上へ戻る。
地上へ戻っても、さっきの質問だけが胸の奥に残っていた。
「今日はありがとうございました」
「こちらこそ」
「本当に楽しかったです」
「それなら良かったです」
アインス様が少し目を細める。
「また行きましょう」
「はい」
今度は、迷わず頷いた。
◇
寮へ戻って一人になっても、なかなか今日のことが頭から離れなかった。
仕事中には見たことのない表情も、初めて聞いた話も、思っていたよりずっと多かった。
いつも近くで仕事をしているのに、知らない一面がまだたくさんあるんだと思う。
(……もっと、知りたいな)
そう思ってから、さっきの言葉を思い出す。
『もし、この世界に大切な人ができたら、あなたは残りますか?』
「……」
なぜ、あんなことを聞いたんだろう。
考えかけて、やめる。
自分に都合のいい意味をつけない。
それは、もう何度も決めたことだ。
でも。
今日一日が楽しかったことまで、勘違いにはしたくなかった。




