41.懐かしい食卓と、帰る場所
夕方。終業時間が近づいた頃、団長室の扉が叩かれた。
「失礼します。戻りました」
昼から魔術団へ行っていたキリアンとミナトだった。
キリアンはそのままアルベルト様の机へ向かい、今日の用事について簡単に報告する。話が一段落したところで、私は机の上を片付けながら2人に声をかけた。
「あ、2人とも。今日の晩ご飯なんだけど、アルベルト様とアインス様も一緒に食べることになったから」
「団長たちも?」
「うん。5人」
「了解。じゃあ、買う量増やさないとな」
「私たちはもう少し仕事が残っていますので、先に行っていてください」
アインス様が手元の書類を揃えながら言う。
「終わり次第、団長と向かいます」
「分かりました。じゃあ、先に買い物して作ってますね」
「ああ。頼む」
仕事を終えた私たち3人は、そのまま市場へ向かった。
◇
市場へ着くと、まず米と味噌汁の材料を買う。
夕方になっても通りには人の声が飛び交い、店先では木箱や籠に詰められた食材が所狭しと並んでいた。焼いた肉の香ばしい匂い、香草の青々しい匂い、魚を捌いたあとの潮の匂いが混ざり合い、歩くたびに違う匂いが鼻をくすぐる。
野菜を売る店では、土のついた根菜が山のように積まれ、赤や黄色の果物が陽の光を受けて艶めいている。店主たちは客を呼び込む声を張り上げ、隣の店では秤に乗せた食材がかすかな金属音を立てていた。
「味噌汁とご飯は決まりとして……あと何にする?」
「リナの得意料理ってなに?」
「簡単なものが多いよ。鶏の照り焼きとか、生姜焼きとか」
「照り焼き食いたい!」
「うん! じゃあそうしよう」
そんなことを話しながら、店先を見て歩く。木箱の上に並べられた肉は部位ごとに分けられ、赤身には細かな脂が白い筋となって走っていた。鶏肉の売り場では、皮のついた肉が大きな塊で積まれ、包丁がまな板を叩く音が一定の間隔で響いている。
店主に声をかけ、鶏肉を5人分買う。
付け合わせにできそうなものを探して、さらに店先を見ていく。
じゃがいもを見つけたところで、ミナトが言った。
「ポテサラ作らねえ?」
「マヨネーズ……この世界に売ってるのかな」
「作れるぞ。前に試した。卵と油と酢と塩があれば作れる」
「確かに。材料があれば作れるけど、でもちょっと大変じゃない?」
「ふふん。そう思うだろ? こっちだと魔法で混ぜ続けられるから、手で作るより楽だったぜ」
「あ! ほんとだ! 思いつかなかった!!」
得意げな顔をするミナトをおかしく思いながら、私よりこの世界が長いだけのことはあると思った。魔法の応用力が違う。
マヨネーズが作れるなんて。久しぶりの味を思い出しただけで、ちょっと嬉しくなった。
「じゃあポテサラもできるし、卵サンドもできるし、タルタルも――」
「ははっ! 食いたくなるよな!」
「だってマヨネーズだよ?」
「分かる。俺も作れた時はちょっと感動した」
「するよね!」
思わず顔を見合わせる。
「……マヨネーズって何?」
キリアンが首を傾げた。
「あ、えっとね。私たちの世界の万能調味料というか。大体の人が好きな味なの」
「へえ! それは食べてみたいな」
「じゃあ、ポテサラにしよう! 決まり! じゃがいも、多めに買おう」
じゃがいもをいくつも籠に入れていくと、キリアンが目を丸くした。
「そんなに使うの?」
「5人分だしね。多めに作ろうかなって」
卵も多めに買い、ベーコンに似た加工肉も見つけて籠に入れる。
そのまま店を見て回っていると、人の肩越しに薄く切られた肉や色とりどりのチーズが、木の板の上にきれいに並べられているのが見えた。
ミナトが足を止めた。
「これ、生ハムっぽくない?」
「ほんとだ」
薄く切られた肉は赤みがかった色をしていて、ところどころに白い脂が透けている。その隣には、表面が滑らかで淡い黄色をしたチーズによく似たものも並んでいた。
ミナトはそれを見て、少し考えた。
「……これ、ワイン欲しくならない?」
「あー……ほんとだね」
店の奥には、瓶が何本も並んでいた。
「少し買ってく?」
「少しなら」
前回の失敗は覚えている。
今日は、本当に少しだけ。
◇
騎士団本部へ戻ると、買ってきた食材を抱えて共同調理場へ向かった。
夕食時が近いこともあって、調理場の中はいつもより賑やかだった。空いている調理台を確保し、買ってきたものを次々と並べていく。
「じゃあ、私は照り焼きと味噌汁やるね」
「俺、マヨネーズ作るわ」
「オレは?」
「じゃがいもお願い。茹でたら皮剥いて」
「了解」
自然に役割が決まり、それぞれ動き始める。
鍋にじゃがいもを入れているキリアンの横で、ミナトは卵と油を用意していた。
「どうやって作るの?」
「ボウルに材料入れて、風魔法でかきまぜるんだ」
ミナトが笑いながら、材料をボウルへ入れる。
混ぜ始めると、油と卵が見る見るうちに白っぽくなっていった。
「わ! すごい! めっちゃ簡単!」
「だろ?」
「ブレンダー代わりに魔法使うと洗い物も楽になるね。すごい」
覗き込んでいると、隣からキリアンも顔を寄せる。
「これがマヨネーズ?」
「そう。味見する?」
出来上がったものを少しだけ匙に取って渡すと、キリアンが口に入れた。
「うん……これ、美味しいな」
「でしょ?」
その間にも、じゃがいもが茹で上がった。
私も照り焼きの準備を一度止めて皮剥きに加わる。3人でやれば、たくさん買ったじゃがいももあっという間だった。
粗く潰したじゃがいもに、刻んだ野菜と焼いたベーコン、たっぷりの茹で卵を入れる。そこへ出来たばかりのマヨネーズを加え、最後に胡椒を多めに振った。
「よし。味見しよう」
小皿に少し取り、キリアンとミナトへ渡す。
キリアンは一口食べると、すぐに頷いた。
「美味しい!」
「でしょ?」
「これ、好きだな」
「だよね。私たちの世界でも好きな人多いよ」
「うん。かなり美味しい。こっちでも人気出そう」
もう一口食べている。
「気に入ってるじゃん」
ミナトが笑うと、キリアンは否定もせずに小皿を空にした。
その頃には照り焼きの甘辛い香りも広がり、味噌汁の鍋からは湯気が立っていた。
「……お腹空いた」
「俺も」
「オレも」
二人の声がほとんど同時に重なって、思わず笑った。
◇
料理をテーブルへ運び終えた頃、アルベルト様とアインス様がやって来た。
「お疲れ様です。ちょうどできました」
炊きたてのご飯に、豆腐に似た食材を入れた味噌汁。鶏の照り焼きと、大きな器いっぱいのポテトサラダ。
市場で買った生ハムとチーズも皿に盛り、端にはワインの瓶を置いてある。
アルベルト様の視線が、その瓶で止まった。
「リナ、酒も用意したのか?」
「みんなで一緒に少し飲もうと思って。アルベルト様とアインス様は飲んでも大丈夫ですか?」
答えると、アルベルト様が真顔で言った。
「私は大丈夫だが……リナ、今日はポーションを持っていないんだ。……買って来る」
「大丈夫です! そんなにお酒買っていません! 今日は飲みすぎません!」
「前回を思い出すと団長の気持ちはわかります」
「いつもはそんなに飲まないです! あの時だけです!」
思わず否定すると、キリアンが吹き出した。
「前回はすごかったからね」
「あの時は、ほんとごめん!」
アルベルト様とアインス様は困った顔をしている。
どうやら本気で心配しているらしい。
「ワインをほんの少し飲むだけですから。大丈夫です。ご心配かけてすみません」
「……そうか」
「私たちで見ていてあげれば大丈夫でしょう」
……なんだかほんとに恥ずかしくなる。大人なのに。
まだ少し心配そうだけど、納得はしてくれたらしい。
「さ、食べましょう! 俺たちの世界の人気メニューですよ」
ミナトに促され、5人で席につく。
「いただきます」
私とミナトの声が重なった。
少し遅れて、キリアンも続く。
「いただきます」
アルベルト様がこちらを見る。
「それは、食事の前に言う言葉なのか」
「はい」
「作ってくれた人や、食材に感謝する感じですね」
ミナトが説明すると、アルベルト様は頷いた。
「いただきます」
「いただきます」
アインス様も続き、食事が始まった。
「この鶏肉、美味しいですね」
照り焼きを一口食べたアインス様が言う。
「よかった。日本でもよく作ってたんです」
「甘いだけではなく、塩気もあるんですね」
「ご飯に合うでしょ?」
「ええ。よく合います」
アルベルト様も黙ってもう一口食べてから、頷いた。
「美味い」
「ふふ。よかったです」
アインス様が、今度はポテトサラダを一口食べる。
「これは、本当に美味しいですね」
隣では、キリアンもポテトサラダを口に入れていた。
「やっぱりこれ美味しいな!」
「でしょ?」
「また食べたい」
「ふふ。今食べてるのに、次の話?」
「だって美味しいから。また作ってくれない?」
「いいよ」
「俺も食べたい! リナ味付け上手だよな。俺が作るのとちょっと違う」
「ありがとう」
生ハムとチーズをつまんでワインを一口飲む。
「……合う」
「だろ?」
「これ買って正解だったね」
ミナトも満足そうにグラスを傾ける。
向かいでは、アルベルト様が私のグラスを一度見た。
ものすごく心配されている。なんかすいません。
◇
「こういう飯食うと、家思い出すな」
ミナトは味噌汁を飲みながら言った。
「そうだよね。会いたくなった?」
「ああ。みんなで飯食いたい」
「前に話してた姪っ子って、何歳なの?」
「5歳。もう1年経ってるからなあ。俺のこと覚えてるかな」
「会ったら思い出すよ、きっと」
「だといいけどな」
ミナトが少し笑ってから、今度は私を見る。
「リナは? 家族、待ってるだろ?」
「……家族はね、いないの。うちはもう両親亡くなってるから。一人っ子だし」
「え?」
「19歳の時に事故で亡くなってるの」
「……二人とも同時に?」
「うん。車の事故でね」
ミナトは少し黙って、テーブルの料理に視線を落とした。
「……リナ、ほんと料理うまいよな」
「必要に駆られてだよ。大学生の頃から自炊してたから」
「19歳なら大学の途中だもんな。学費とか生活費、大丈夫だったの?」
「そこは両親が貯金とか保険とか、ちゃんと残してくれてたんだ。大学もそのまま通えたし、すごく感謝してる」
「そっか……」
それまで静かに聞いていたアインス様が口を開いた。
「では、ご両親が亡くなられてからずっと一人で暮らしていたのですか?」
「はい。学生の頃から一人で生活してました」
そう答えると、キリアンが少し眉を下げた。
「でも、慣れるまでは大変だったんじゃない?」
「確かに最初はね。でも、なんとかなるもんだよ」
「そっか」
キリアンはそれ以上聞かなかった。
みんな思ったより真剣な顔をしているので、なんだか少し居心地が悪い。私は味噌汁を一口飲んだ。
「じゃあ、リナは……帰りたい?」
「……帰りたい気持ちはあるよ。友達もいたし仕事もあったし、両親の残した家もあるし。……でも、今帰ってもどうなのかなって思ったりして」
ミナトみたいに家族が待っているわけではない。
私がいなくなってどうなってるかもわからない。
「だから、絶対に帰りたいってほどでもないかな。何年かかるかもわからないし、帰れる方法が見つかったら、その時に考えると思う」
「なるほどな」
「……貯金はちょっと、惜しいんだよね」
「そこ?」
「だって将来のためにずっと貯めたんだよ? こんなことになるなら、もうちょっと使っとけばよかった」
ミナトが吹き出す。
「それは確かにもったいないな」
「でしょ?」
つられて笑っていると、アルベルト様と目が合った。
「……帰ると、決めているわけではないんだな」
「はい。今のところは」
「……そうか」
アルベルト様はそれ以上何も言わなかった。
◇
その後はまた他愛のない話をしながら食事を続け、気づけば大皿に盛っていた料理もほとんどなくなっていた。
「ごちそうさまでした」
空いた皿を重ねようと席を立つと、アインス様も立ち上がった。
「片付けますよ」
「大丈夫ですよ。洗浄魔道具がありますから」
「この程度なら、魔法で済ませた方が早いでしょう」
アインス様が食器へ手を向ける。
テーブルの上にあった皿や器がふわりと浮かび、それぞれが水に包まれた。
「わ……」
何枚もの食器が同時に水の中で回り、汚れだけがするりと剥がれていく。水が一か所へ集まったかと思うと、今度は風が食器の間を抜け、水滴まで綺麗に消えた。
そのまま食器が重なり、次々と元の場所へ収まっていく。
「……終わりです」
「早っ!」
思わず声が出た。
「これ、洗浄魔道具使うより早くないですか?」
「早いな。めちゃくちゃ早い」
ミナトも片付いた食器を見ながら感心している。
「これなら俺にもできるんじゃね?」
「いや、それ普通はそんな簡単にできないからね」
キリアンがすぐに止めた。
「え、そうなの?」
「何枚も同時に動かしながら、水の量も調整して、最後に風まで使ってるでしょ」
「でも、やってみないと分かんないだろ」
「たぶんやめた方が――」
キリアンが言い終わる前に、ミナトが、片付いた小皿を一枚取り出した。
水が皿を包む。
「お、でき――」
次の瞬間、水が勢いよく弾けた。
「うわっ!」
「きゃっ!」
テーブルとミナトの袖が一気に濡れる。
一瞬驚いたけれど、びしょ濡れになった袖を見て、思わず吹き出した。
「ふふっ! 全然できてないじゃん!」
「いや、今の惜しかっただろ!」
「だから言ったのに」
キリアンも笑う。
その間に、アインス様が軽く手を上げた。
飛び散った水がふわりと浮かび上がり、一か所へ集まって消える。濡れていたテーブルも、ミナトの袖もあっという間に乾いた。
「……すみません」
「いえ」
何事もなかったように答えるアインス様と、すっかり元通りになったミナトの袖を見比べる。
「アインス様、すごいです! ふふ。毎回お願いしたいくらいです」
「私は構いませんよ。作る方が大変でしょう。片付けくらいなら、いつでも手伝います」
「え! うれしい! ありがとうございます」
アインス様が穏やかに微笑んだ。
◇
片付けも終わり、そろそろ帰ることになった。
「今日はありがとな。久しぶりにこういう飯食えて、ほんと良かった」
「私も楽しかった。またみんなで食べようね」
「うん。オレもまた混ぜてよ」
「もちろん」
キリアンが笑い、ミナトも「じゃあ、またな」と手を上げる。
「リナ」
「はい?」
「寮まで送ろう」
アルベルト様が言った。
「え、大丈夫ですよ。すぐそこですし」
「酔っていないか見届けたい」
「う……じゃあ、お願いします。アインス様も、ありがとうございました。では、また明日」
「……ええ。お気を付けて。ご馳走様でした」
そうして、アルベルト様と二人で調理場を後にした。
歩き始めてすぐ、石畳のわずかな段差に靴先が引っかかった。
「わっ」
身体が傾く前に、アルベルト様が腕を支える。
「……やはり酔っているな」
「ち、違います。今のは段差です」
「そういうことにしておこう」
少し笑って、アルベルト様が腕を差し出した。
「寮までだ。つかまっていろ」
「……はい」
少し迷ってから、そっと腕に手を添える。
いつもよりずっと近い距離に、急に落ち着かなくなった。
夜の空気は少しひんやりしていた。昼間は人の多い騎士団本部も、この時間になるとずいぶん静かだ。
「リナ」
「はい」
「今日、話してくれてありがとう」
「……家族のことですか?」
「ああ。それと、帰ることについても」
「いえ。別に隠してたわけじゃないので」
アルベルト様は少し黙ってから、静かに言った。
「聞けてよかった」
「そうですか?」
「ああ」
どういう意味だろう。
少し気になったけれど、アルベルト様はそれ以上何も言わなかった。
私も聞き返さないまま、そのまま寮までの短い道をゆっくり歩いた。




