冷徹副団長の家庭教師と、堅物団長の過保護
騎士団で働き始めてから、私は魔法について調べていた。
けれど、資料を読んでも専門用語ばかりで、なかなか理解が進まない。
そこで、魔術に詳しい人物はいないかとレオくんに尋ねると、名前が挙がったのが副団長のアインス様だった。
団長であるアルベルト様も魔力には長けているらしいけれど、普段は騎士団の指揮や公務で忙しい。
それに対してアインス様は、魔術や術式の研究にも造詣が深く、資料室の管理も任されているらしい。
だから私は、まず彼に相談することにした。
「――なるほど。自分がこの世界に現れた『術式』を特定し、それを逆算して元の世界へ帰る魔術を探したい、と」
騎士団の庁舎にある、ひんやりとした資料室。
副団長は眼鏡のブリッジを指先で押し上げながら、私の申し出を静かに聞いていた。
元の世界に戻りたいと、強く願っているわけではない。
けれど、帰る方法があるのなら、知っておきたい。
やれることを全部やった上で、それでも帰りたいのか――自分で選びたいと思った。
「はい。自分でも魔法を学び、帰還の手がかりを探したいのです。」
「良いでしょう。魔法を学ぶ意志があるのなら、私が指導します。あなたが魔法を使えるようになれば、事務官としてできることも増えますし。……ちょうど今は昼の休憩時間です。さっそく魔力の感知から始めます。私の手に、あなたの手を重ねてください」
「えっ? いまからですか?」
「はい、そんなに時間はかかりません。これは体内の魔力の流れを最も効率的に伝えるための、最短の手順です。5分ほどで終わります」
「あ、はい。よろしくお願いします」
言われるがままに、副団長の細長く綺麗な手の上に、そっと自分の手を重ねる。
その瞬間、彼の袖口からほのかに爽やかなシトラスの香りが漂ってきた。
(団長は香水が苦手だって言っていたけれど、副団長はお好きなのかな。すごく良い匂い……。それにしても、指が長くて爪もきれいだな。何だかドキドキしちゃう……。いや、何も考えないようにしよう。)
副団長は手が重なった一瞬だけ、ピクリと片眉を動かしたように見えた。けれど、すぐにいつもの冷静な声を室内に響かせる。
「では、私の魔力を流します。その感覚を脳に記憶させてください」
直後、指先からひんやりとした心地よい魔力の粒子が、私の体へと流れ込んでくるのが分かった。冷たい水がじわじわと染み渡っていくような、不思議な感覚だ。
「……あ、動いた気がします。ここ、体の中のこのラインを通って、胸のあたりに集まっていくような……」
「ほう……初めてにしては、かなり正確ですね。魔力の流れを捉える感覚に優れているようです」
普段はあまり人を褒めない副団長が、優しく知的な微笑みをふっと浮かべた。
眼鏡の奥の紫色の瞳が、私を真っ直ぐに見つめている。あまりの美貌の破壊力に、私の心臓が不意にトクンと跳ね上がり、目を逸らすこともできなかった。
その時――。
「――アインス。何をしている」
あまりの威圧感に、思わず背筋が跳ね上がる。
資料室の入り口を見ると、見たことがないほど表情を強張らせたアルベルト様が立っていた。
無造作に結ばれた銀の髪がわずかに揺れ、鋭い新緑の瞳がこちらを射抜いている。
その視線は、私たち二人がぴったりと重ね合わせている「手」に向けられていた。
「団長。リナ殿は魔法を学び、帰還の手がかりを探したいそうです。そのために魔力感知の訓練をしていました。何か問題でも感じましたか?」
アインス様は一拍置いてから静かに手を離し、平然と言い放つ。
「これが最も効率的なのですよ。」
アインス様の言葉に、アルベルト様は小さくため息をついた。
「……そうだったのか。いや……勘違いならいい。」
アルベルト様はわずかに首を傾げ、前髪の隙間から、深い優しさと――それから、どこか焦燥のようなものを湛えた新緑の瞳で私を見つめた。
「アインス。お前の魔力は少し強いのではないか? 初めて魔力を受け入れるリナ殿の身体に、その魔力は負担が大きすぎると思うが。……まずは彼女の体調を最優先に考えてあげるべきだ」
アルベルト様はそう言うと、私の手首をさっと掴んで引き寄せ、包み込むように握り直した。彼の大きな手から伝わる熱が、アインス様の残していった冷気を一瞬で溶かしていく。
「リナ殿。元の世界に帰りたいという君の願いは尊重するし、全力でバックアップしよう。だが、無理をしてその身体を壊すと良くない。……今日の訓練はもう終わりだ。私の独断で、これ以上の特訓は一時中止とする」
少し突き放したような言い方だが、ギュッと握られた手の強さとその眼差しには、私の体を強く気遣ってくれている温かさがあった。
(あ、アルベルト様って意外とお堅い上司なんだ……! 昼休みを削ってまで勉強して体調を崩したら、午後からの本業に支障が出るって遠回しに怒られたのかも。休むときはしっかり休めっていう、トップとしての真っ当な労務管理だよね。……うん、完全に私が悪かったな。)
「団長はリナ殿にはずいぶん過保護でいらっしゃる。それに、今日は5分ほどで終わる予定でしたよ。」
アインス様は団長をジロリと見て、呆れたようにため息をついた。
「そ、そうか。事情も知らずにすまない」
「……いえ! すみませんでした、アルベルト様! すぐに午後の公務の準備に戻ります!」
私が慌てて直立不動で頭を下げると、アルベルト様はふわりとした笑顔を向けてくれた。
「いや、良いんだ。私こそ心配しすぎていたかもしれないな。それに……リナ殿にアルベルトと呼ばれると、嬉しい」
「あ、すみません。いつも心の中でアルベルト様と呼んでいたので、つい……! 失礼しました!」
「いつも?! そ、そうか……。これからも呼んでほしい」
アルベルト様の眩しい笑顔に、胸がドキドキしてくる。
(どうしてこの世界の男性たちは、思わせぶりな態度の人が多いのかな。こんなの、意識して勘違いしちゃうよー)
「わかりました!アルベルト様!」
平静を装いながら笑顔で返事をする。
「……なら、私もアインスと呼んでもらいましょうか。これからは魔法の指導もありますので。私はリナとお呼びしても?」
「あ! はい! アインス様! よろしくお願いします!」
「……リナ殿。私もリナと呼んでもいいか?」
「え? はい! 呼びやすい感じで、私は何でも大丈夫です!」
(名前呼びって普通なのかな? 距離が近く感じるのは、私だけ?)
何だか急速に距離を詰められているように感じたけれど、気のせいだと思うことにした。
この世界の人は、距離感が近いんだな。
……たぶん。




