無自覚な独占欲と、人たらしな年下騎士
私が騎士団で働き始めて、一ヶ月が経った頃。
「おかえりなさいませ、団長。本日の遠征報告書ですが、すでに副団長のチェックを終えて、こちらの机にまとめてあります。あと、こちらは明日までに確認が必要な急ぎの案件です」
「……ああ、リナ殿。いつもすまない」
アルベルト様は少し疲れた表情を滲ませながら、どさりと椅子に腰掛けた。
前職に比べたら、定時に帰れるし、怒鳴る上司もいないし、ここは天国みたいな職場環境だ。
あの書類の山を片付けて以来、副団長のアインス様も少し態度が柔らかくなったし、仕事は至って順調そのもの。
私は過剰におもねることもなく、そっと温かい紅茶をデスクに置いた。
遠征帰りで疲れているであろうアルベルト様のために、いつもより少し甘みのある茶葉を選んで淹れておいたのだ。
アルベルト様はふっと表情を緩めて、私をじっと見つめた。
「……それに、お茶だけではないな。リナ殿、君の近くにいると、とても居心地が良い」
「え……?」
「私は昔から、寄ってくる令嬢たちの香水の匂いがどうにも苦手でな……。大量につけてくる者が多くて、いつも頭痛がして困っていたのだ。
だが、君からはそういう飾り立てた匂いが一切しない。清々しくて、ほのかに甘い石鹸の匂いだけがする。……本当に、心が安らぐな」
真面目な顔でそんなことを言うアルベルト様の綺麗な新緑の瞳に真っ直ぐ見つめられて、私は思わずドギマギしてしまう。
そういえば、アルベルト様は昔から男女問わず人気が高く、数々の令嬢から熱烈なアプローチを受けても、すべて涼しい顔で躱してきたという噂を最近聞いたばかりだった。
そんな距離感で褒められるなんて、心臓に悪い。
(……いやいや、待って私。これはただの『お茶を淹れてくれた部下への、最上級の労いの言葉』だよ。変に意識しちゃダメ。お世辞!)
「お茶、お口に合ってよかったです。大変な遠征でしたね。お疲れ様でした」
目が合ってドキドキしつつも、気にしていない素振りをした。
その時――
「リナさーん! 聞いてくださいよぉ!」
勢いよく執務室のドアが開いた。
入ってきたのは、人懐っこい笑顔の若手騎士、レオくんだ。
下町の庶民街出身の彼は、持ち前の明るさと素直さで、みんなの人気者らしい。
「これ、今日の演習報告書です! 副団長に見せたら、また冷たく突き返されちゃって……。リナさん、ちょっとだけ見てくれませんか?」
「ふふ、お疲れ様です、レオくん。見せてください」
私はレオくんから書類を受け取った。
「あぁ、ここは数字の桁がズレちゃってますね。こう書き直すといいですよ」
「うわ、本当だ! さすがリナさん!リナさんって、いっつも丁寧に教えてくれるから、俺すっごい頼りにしてます!」
打算ゼロでサラッと褒め言葉を言えてしまうのが、彼の恐ろしいところだ。
(また出た! この世界は女性を褒めるのが普通なの?何かドキドキして嫌なんだけど。息を吸うように甘い言葉を吐く人、多すぎない? 前のクズ男も最初はこういうノリだったな。いやいや、もう忘れよう。これは下町出身の彼特有の、ただの親しみやすい挨拶だよね)
「ありがとうございます。実は、街で人気の有名な石鹸屋さんで買ったんですよ。良い匂いですよね」
「えぇー! 俺が言いたいのはそういうことじゃなくて……!」
ふと視線を感じて顔を上げると、アルベルト様がいつの間にかこちらを見ていた。
「……レオ」
アルベルト様が、鋭い新緑の瞳でレオくんをじっと睨みつけていた。
「レオ、報告書の修正が終わったのなら、速やかに訓練場へ戻りなさい」
アルベルト様の声音には、少し刺々しさがあった。
「ちぇー、団長は相変わらず厳しいなぁ。じゃあリナさん、また後で!」
レオくんが嵐のように去っていった後、アルベルト様は少し不機嫌そうに、ため息をついた。
(私が仕事中に部下と私語をしていたのが良くなかったのかな。やっぱり公私混同はタブーよね。気をつけなきゃ……)




