3. 無自覚な独占欲と、人たらしな年下騎士
私が騎士団で働き始めて、1ヶ月が経った頃。
「おかえりなさいませ、団長。本日の遠征報告書ですが、すでに副団長のチェックを終えて、こちらの机にまとめてあります。あと、こちらは明日までに確認が必要な急ぎの案件です」
「……ああ、リナ殿。いつもすまない」
アルベルト様は少し疲れた表情を滲ませながら、どさりと椅子に腰掛けた。
前職に比べたら、定時に帰れるし、怒鳴る上司もいないし、ここは天国みたいな職場環境だ。
あの書類の山を片付けてから、副団長のアインス様も少し態度が柔らかくなったし、仕事は至って順調そのもの。
私はそっと温かい紅茶をデスクに置いた。
遠征帰りで疲れているであろうアルベルト様のために、いつもより少し甘みのある茶葉を選んで淹れておいたのだ。
アルベルト様は一口飲むと、ふっと表情を緩めた。
「……美味しいな。ありがとう」
「よかったです」
「それに、お茶だけではないな」
「え?」
アルベルト様が、私をじっと見つめる。
「リナ殿、君の近くにいると、とても居心地が良い」
「え……?」
「私は昔から、寄ってくる令嬢たちの香水の匂いがどうにも苦手でな。大量につけてくる者も多くて、いつも頭痛がして困っていたんだ」
そこで少しだけ表情を和らげる。
「だが、君からはそういう飾り立てた匂いが一切しない。清々しくて、ほのかに甘い石鹸の匂いだけがする。……本当に、心が安らぐな」
真面目な顔でそんなことを言われて、思わずドキリとした。
そういえばアルベルト様は昔から男女問わず人気が高く、数々の令嬢から熱烈なアプローチを受けても、すべて涼しい顔で躱してきたという噂を最近聞いたばかりだった。
そんな人に真っ直ぐ褒められるなんて、心臓に悪い。
(……いや、待って私。これはただの『疲れて帰ってきた上司から、気の利く部下への最上級の労い』だよね。変に勘違いしたらダメ)
「お茶、お口に合ってよかったです。大変な遠征でしたね。お疲れ様でした」
少しだけ速くなった鼓動には気づかないふりをして、笑顔を返した。
その時――。
「リナさーん! 聞いてくださいよぉ!」
勢いよく執務室のドアが開いた。
入ってきたのは、人懐っこい笑顔の若手騎士、レオくんだ。
下町の庶民街出身の彼は、持ち前の明るさと素直さで、みんなの人気者らしい。
「これ、今日の演習報告書です! 副団長に見せたら、また冷たく突き返されちゃって……。リナさん、ちょっとだけ見てくれませんか?」
「ふふ、お疲れ様です。見せてください」
私はレオくんから報告書を受け取った。
「あぁ、ここですね。数字の桁がズレちゃってます。ここをこう書き直せば大丈夫ですよ」
「うわ、本当だ! さすがリナさん!」
レオくんがぱっと顔を輝かせる。
「リナさんって、いっつも丁寧に教えてくれるから、俺すっごい頼りにしてます!」
「そう言ってもらえると嬉しいです」
「本当ですよ。副団長に突き返されても、リナさんに聞けば何とかなるって思えるし」
「それはダメですよ。最初からちゃんと書いてください」
「はーい」
悪びれもせず笑っている。
こういうことをさらっと言えてしまうのが、彼の恐ろしいところだ。
(一瞬ドキッとするけど……レオくんは誰にでもこんな感じなんだろうな。人懐っこい弟みたいなものだよね)
そう思っていると、ふと視線を感じた。
振り向くと、アルベルト様がこちらを見ていた。
「……レオ」
アルベルト様が、いつの間にかこちらを見ていた。
その新緑の瞳が、レオくんをじっと捉えている。
「報告書の修正が終わったのなら、速やかに訓練場へ戻りなさい」
いつもより、ほんの少しだけ声音が硬い。
「えー、もう戻るんですか?」
「レオ」
「わかりましたよー」
レオくんは肩をすくめると、私に向かっていつもの人懐っこい笑顔を見せた。
「じゃあリナさん、ありがとうございました! また後で!」
「はい。今度は一度で通るように頑張ってくださいね」
「頑張りまーす!」
嵐のように去っていくレオくんを見送り、私は小さく息をついた。
その向こうで、アルベルト様もなぜか少し不機嫌そうにため息をついている。
(……仕事中に私語をしていたのが良くなかったのかな)
確かに、ここは団長の執務室だ。
(いくら働きやすい職場だからって、公私混同はダメだよね。気をつけよう……)




