2. 騎士団長室の惨状と、有能さの証明
「リナ殿。もうすぐ着きます」
他の騎士が数人合流し、私たちは一緒に騎士団の庁舎へと向かうことになった。
私はアルベルトさんの軍馬に同乗させてもらう形になったが、その際も、彼は私の体に必要以上に触れないよう、徹底して紳士的に気遣ってくれた。
やがて馬を走らせた先に、大きな門と、その奥に広がる騎士団本部が見えてくる。
ここはこの国の精鋭が集まる「騎士団」の本部らしい。
「身元が分かるまで、私の執務室に隣接する応接間を使ってください。夜も遅いので、すぐに部屋を整えさせます」
「お心遣い、感謝いたします。アルベルト様」
それまで心の中では「アルベルトさん」と呼んでいたけれど、道中、騎士たちが彼を「団長」と呼ぶのを聞いて、騎士団長なのだと知った。慌てて「アルベルト様」と呼び方を改めた。
どうやら、相当に身分が高い方のようだ。やっぱり、ここには明確な身分差があるんだな、と肌で実感する。
(それにしても、私はこれからどうなるんだろう……。身元なんか、絶対に証明できるわけがないのに)
そんな不安を抱えながら、連れられて入った騎士団長室。
しかし、部屋に入った瞬間に私の目に飛び込んできたのは、机の上にうず高く積まれた「書類の山」だった。
(……えっ?)
チラリと視線を走らせると、なぜか書かれている文字の意味がしっかりと理解できる。
まさか日本語対応、あるいは異世界転移特有の翻訳能力だろうか。
驚愕しながらも、元事務員としての悲しい性で、書類の内容が自然と目に入ってしまう。
予算書、遠征の報告書、備品の請求書……。
それらが全く分類されず、ただ乱雑に放置されていた。
「……失礼しました。お見苦しいところをお見せしてしまいました。ちょうど事務員が辞めたところで、新しい者を募集しているのですが、なかなか見つからず……書類が溜まってしまっているんです」
アルベルト様は心底うんざりしたように、逞しい腕を組んでため息をついた。
この光景には、ものすごく見覚えがある。
以前、私が勤めていた会社の総務課も、ベテランが急に辞めて一時期こんな地獄絵図になっていた。
「あの、アルベルト様。私、故郷ではこういう『数字を整える仕事』や書類の整理が専門でした。もし差し支えなければ、お手伝いさせてもらえませんか?」
「……リナ殿? この国のご出身ではないようですが、我が国の文字が読めるのですか?」
「はい。チラッと拝見した限りでは、問題なく処理できそうです。……ですが、騎士団内部の重要書類もあるでしょうから、やはり身元がハッキリしてからでないと難しいでしょうか?」
「最重要書類は副団長が管理しています。ここにあるのは雑務や一般申請が中心です。それに、読み書きや計算だけでなく、事務仕事までこなせる人材は少ない。リナ殿のような方は貴重ですよ」
アルベルト様はそう言って、少しだけ表情を和らげた。
「とはいえ、今日はお疲れでしょう。仕事の話は明日にして、まずはゆっくり休んでください」
その時、執務室のドアがノックされた。
「失礼します」
返事も待たずに部屋へと入ってきたのは、一人の男だった。
きらびやかなプラチナブロンドの髪に、眼鏡の奥からのぞく切れ長の紫色の瞳。
全体的にシャープで冷徹な印象を与える、凄まじい美男子だ。
「リナ殿、こちらは騎士団の副団長、アインスです」
アインスさんは、部屋にいる私を一瞥すると、露骨に不快そうな様子で眉をひそめた。
「団長。見回りの際に連れてきた異国の女性というのは、この方ですか?」
「ああ。これから身元の調査をしようとしたところだ。……アインス、お前も薄々察しているだろうが、彼女はおそらく、この世界の人間ではない」
アルベルト様の言葉に、私は思わず声を漏らした。
「えっ!? あ、あの……私が別の世界の人間だって、分かってたんですか?」
「ええ。衣服の仕立てや素材も見たことがありませんし、何より人種が明らかに違います。言葉が自然に通じるのも不思議でした。時々、この世界にはリナ殿のような方が現れるのです。そうした方は、国が変わっても言葉が通じるそうです」
なるほど、最初からバレていたのか。日本語が通じるのも変だと思っていたけれど、そういうことだったんだ。
「……団長。彼女の処遇と今後の調査方針について、一度別室で詰めましょう。夜も遅いですし、長時間はかけません」
アインスさんは私に冷たい視線を向けたまま、事務的にそう告げた。
(このままじゃ不審者として地下牢行きかも……。違う世界から来たって証明できれば、何とかならないかな? あ!)
私は一か八か、バッグからスマホを取り出して机に置いた。
「あ、あの、これ、私の世界ではだいたいの人が持ってるもので……」
そんな必死の思いでタップした液晶が、ピカリと鮮やかに発光した瞬間。
アインスさんは「異世界人対応マニュアルの特徴と一致する」と眼鏡の奥の目を丸くし、アルベルト様は息を呑んだ。
マニュアルって何!? と思ったけれど、張り詰めていた空気は一気に和らいだ。
「あの、アルベルト様! お二人がお話しされている間、もしよろしければ……その机の端にある書類だけでも、少し整理させてもらえませんか? ただ座って待っているのも落ち着かなくて」
「構いませんが……無理はしないでください」
アルベルト様は不思議そうな顔をしながらも許可をくれ、二人は執務室を出ていった。
静まり返った執務室に、私一人が取り残される。
(マニュアルのおかげで最悪の事態は免れたみたいだけど……これから私はどうなるんだろう。身元も家もない私がこの世界で生きていくためには、ただ守られるだけじゃダメだよね)
ふと、さっきのクズ男の「お前は暇つぶし」と言わんばかりの顔が脳裏をよぎり、猛烈に悔しさが込み上げてくる。
(このまま何もできない無能だと思われるくらいなら、今のうちに自分の価値を証明しようかな。どうせ不安で今夜は眠れそうにないし!)
私は腕まくりをして、机の前に座った。
手始めに、一番手前にあった大きな書類の束を引き寄せ、パッと書類を見てみると、驚いた。
(え、魔法のインクとか魔石って書いてある! 魔法って本当に実在するんだ……!?)
心の中で密かにテンションが上がりつつも、私は手元に集中する。
予算書、遠征の報告書、備品の請求書……。
バラバラだった書類を内容ごと、日付ごとに分類し、不備があるものを取り分けていく。
(何これ……。書類の整理が全然されてない。これじゃ探すだけで時間がかかる。もったいないなぁ……。これじゃ二度手間になっちゃうよ)
さすがに部屋全体の書類をすべて片付ける時間はなかったけれど、机の上の半分は見違えるほど綺麗に整頓されていた。
♢
二人が部屋を出てから、およそ1時間後。
カチャリ、とドアが開いた。
「お待たせしました、リナ殿――っ!?」
戻ってきたアルベルト様が、入り口で完全に硬直した。
後ろにいたアインスさんも、眼鏡を指で押し上げながら、信じられないものを見たというように目を丸くしている。
「……これは、リナ殿がすべて整理したのですか? たった一時間で……?」
「はい。とりあえず手前のものだけ、分かりやすく分類しておきました」
私は少し引きつった笑みを浮かべながら、手元の書類をトントンと机に叩いて揃える。
「ついでに、こちらの魔石の予算案ですが、計算が明らかに合っていなかったので間違っている箇所にチェックを入れておきました。純度による割引率の%(パーセント)計算で、1桁間違えて処理されています。そのせいで、総額が本来の1.5倍になってしまっていますよ」
「な……っ」
アルベルト様は絶句したまま、私が修正した予算書を震える手で受け取った。
後ろのアインスさんに至っては、まるで信じられないものを見るような目で私を凝視している。
(……え? なんで二人ともそんなに固まってるの??)
現代の日本ではできる人が多いと思うのに。あまりの重苦しい空気に戸惑い、そこでハッと思い出した。
(あ、そういえば……この世界では、読み書きや計算だけじゃなく、事務仕事までこなせる人は少ないって言ってたっけ。だから、こんなに驚かれてるの!?)
「あ、あの……それで、お話はどうなりましたか? 私、どうなるのでしょうか……?」
不安になって尋ねると、アルベルト様はハッと我に返り、優しく微笑んだ。
「心配はいりません。不審な報告も受けていませんし、リナ殿を拘束するようなことはしません。これから、この世界で暮らしていくために必要なことをお話ししましょう。幸い、我が国は異世界人に対してとても友好的ですから」
(『友好的』……か。ひとまずは最悪の事態は回避できたみたい。よかった……!)
ホッと胸をなでおろしたものの、やはり気になるのは「元の世界へ戻れるか」だ。
「あの……私のような異世界人が、元の場所に帰る方法ってあるんでしょうか?」
「それが……今のところ帰還の手がかりは見つかっていません。突然姿を消した方もいますが、元の世界へ帰れたのかは分かっていないのです。ここ20年ほど、平均して1年に1人程度、リナ殿のような方が現れています。世界各地で暮らしている方もいます」
「世界各地、ですか?」
すかさず後ろからアインスさんが、眼鏡の奥の鋭い目を光らせて補足する。
「この世界は48の国家で構成されています。我が国のように平和な場所ばかりではありません。魔物が蔓延り、日々の食事にも困るような危険な国もあります。リナ殿、あなたはかなり運が良い方ですよ」
(魔物とか、やっぱり異世界なんだ。……ってことは、身寄りもお金もない私がここで生き延びるの、相当ハードモードなのでは?)
一気に冷や汗が吹き出てくる。そんな私を見透かしたように、アルベルト様が真っ直ぐに私を見つめた。
「リナ殿。その素晴らしい事務能力を、ぜひ我が騎士団で活かしていただけませんか? ひとまずは騎士団の寮を提供し、給与もお支払いします。生活が落ち着いたら、その後のことは自由に決めていただいて構いません。……いかがでしょうか?」
「ぜひ!!! よろしくお願いします!!!」
こちらからすがりつこうと思っていた最高条件を提案され、私は食い気味に返事をしていた。
♢
そうしてアルベルト様に手配してもらい、案内されたのは騎士団の敷地内にある女性事務官用の寮だった。
案内してくれた年配の女性寮母さんは、「夜遅くに大変だったね」と優しく私を部屋まで通してくれた。用意された部屋はシンプルながらも清潔で、ふかふかのベッドまである。
「リナさん、今日はもう遅いからゆっくりお休み。明日、改めて団長たちと契約の話をするといいわ」
「ありがとうございます」
寮母さんが優しく微笑み、部屋のドアが静かに閉まる。
自分で鍵をかけ、完全に一人きりの空間になった、その瞬間だった。
(……あ)
張り詰めていた緊張の糸が、ぷつりと切れた。
どっと押し寄せてきたのは、疲労感だけじゃない。
あえて怒りで蓋をして、異世界のパニックで脳内から無理やり追い出していた『あの記憶』が、静寂の中で一気に蘇ってきた。
『実家帰ってるもんだから、暇でさ』
『寂しくてアプリ始めちゃったんだけど』
脳裏に浮かぶクズ男のヘラヘラした顔と、思い出すだけで胸が引き裂かれそうになるほどの惨めさ。
楽しかった半年間の思い出が、すべて汚泥に変わっていくような激しい痛みが、遅れて心に突き刺さる。
「……っ、ふ、ううっ……」
ベッドに倒れ込み、枕に顔を押し付けて声を殺して泣いた。
19歳で両親を事故で同時に亡くし、頼れる親戚もいない私は、それから天涯孤独の身だった。就職して、仲の良かった友人も早くに結婚したり、遠方へ引っ越してしまい、少しずつ疎遠になっていく中で、私はずっと、寂しさを抱えて生きていたのだ。
そんな私に寄り添ってくれた彼を、私は心のどこかで「新しい家族になってくれるかもしれない人」だと信じ、縋ってしまっていた。
だからこそ、裏切られた傷は血が滲むほどに深かった。
(もう、男なんて絶対に信じない。優しい言葉も、全部嘘の演技なんだ。期待するだけ無駄、傷つくだけ損。……でも、これで本当に、あの世界に私を待っている人は誰もいなくなったんだな)
寂しいけれど、不思議と元の世界への未練はなかった。帰りたい場所も、待ってくれている家族も、もう向こうにはない。
(だったら、明日からはこの世界で、仕事のことだけを考えよう)
溢れる涙を何度も何度も腕で拭いながら、私は暗闇の中で強く、強く心に誓った。
思い出すたびに胸が痛むこの消えない傷を、これからは仕事の忙しさで無理やり忘れていくんだ、と。




