39.お揃いの筆記具と、休日の約束
4日間の休みを終えて、久しぶりの出勤。
騎士団本部の門をくぐりながら、黒い軍服の襟元を軽く直す。
見た目はしっかりした生地なのに、思っていたより暑くない。聞けば、生地そのものに温度を調整する術式が織り込まれていて、着ている人の魔力をほんの少し使って働くらしい。
(服まで魔道具みたいなものなんだよなぁ)
未だに、こういうところは面白い。
団長室へ向かい、扉を叩く。
「おはようございます」
「おはよう、リナ」
「おはようございます」
アルベルト様とアインス様は、すでにそれぞれの机で仕事を始めていた。
アインス様の視線が、一瞬だけ私の右肩へ向く。
「体調はいかがですか?」
「大丈夫です。昨日もエレナさんと出かけてきましたけど、全然平気でした」
「そうですか。それなら良かったです」
「無理はしなかったか?」
「はい。すごく楽しかったです」
アルベルト様も少し安心したように頷いた。
「あ、そうだ」
私は持ってきた大きな箱を机の上へ置いた。
「これ、昨日エレナさんに教えてもらったお店で買ったんです。今日、休憩の時にみんなで食べようと思って」
「また随分大きな箱だな」
「すごく美味しかったんです。みんなにも食べてもらいたくて。ルディ様にも持っていこうかなって」
「リナらしいですね」
アインス様が小さく笑う。
それから私は、鞄から細長い箱を2つ取り出した。
「それと……これは、お二人に」
「私たちに?」
「はい。遠征の時のお礼です」
1つずつ差し出すと、アルベルト様がすぐには受け取らず、私を見た。
「リナ。あれは任務だ」
「はい」
「礼をしてもらうようなことではない」
「私も同じ意見です。治療も、当然すべきことをしただけですから」
「エレナさんにも、同じようなことを言われました」
きっと、騎士団の人たちにとってはそうなのだと思う。
でも、私にとっては違う。
「任務として当然のことだと言われるのも分かっています。でも、私としては本当にありがたくて」
炎が迫った時、身体を張って庇ってくれたアインス様。
遠征へ行く前から心配して、ポーションまで用意してくれていたアルベルト様。
「何かお礼をしたいと思っていたんです」
私はもう一度、2人へ箱を差し出した。
「なので……受け取ってもらえたら、嬉しいです」
アルベルト様が少し黙ってから、息を吐いた。
「……そこまで言うなら、ありがたく受け取る」
「ありがとうございます」
「ただし、今後こういうことを毎回する必要はないからな」
「はい」
(たぶん。しない。たぶん)
アインス様も箱を受け取る。
「ありがとうございます。大切に使います」
「はい」
昨日、金貨3枚を支払った時は少し手が震えたけれど、買って良かった。
そう思いながら、2人が箱を開けるのを見守った。
中に入っているのは、細身の黒い筆記具だ。
軸には小さな魔石が埋め込まれていて、装飾は控えめだけれど、仕事で使いやすそうな落ち着いたデザインになっている。
「筆記具か?」
「はい。発売されたばかりの魔道筆記具です」
アルベルト様が手に取って眺めると、隣からアインス様も覗き込んだ。
「普通の筆記具とは違うのですか?」
「最初に本人の署名と魔力を登録しておくと、次からは魔力を流すだけで、登録した署名を書いてくれるそうです」
「書いてくれる?」
「はい。筆記具が自分で動くらしくて」
アインス様が興味深そうに魔石を見る。
「署名そのものを記録する魔道具ですか」
「そうみたいです。それに、書いた署名にも本人の魔力が少し残るので、本人確認にも使いやすいそうです」
「なるほど」
アインス様の目が少し真剣になった。
「偽造防止にもなりますね」
「そうなんです。それを聞いて、お二人なら絶対使うと思って」
毎日のように書類へ署名している2人には、かなり便利なはずだ。
「それと……」
私は鞄から、もう1つ同じ箱を取り出した。
「私も買いました」
「リナも?」
「はい。便利そうだったので」
結果的に、机の上には同じ筆記具が3本並んだ。
「普通の筆記具としても使えるそうなんですけど、普段はアインス様にもらったペンを使っているので、これは署名用にしようと思ってます」
「気に入ってもらえて嬉しいです」
「はい。お気に入りです」
そう答えると、アインス様の表情がほんの少し緩んだ。
「それは良かったです」
私は説明書を取り出した。
「これ、最初の登録に10分ほどかかりそうなんですが、今お時間大丈夫ですか?」
「ああ。問題ない」
「私も大丈夫ですよ」
「じゃあ、よければ一緒に登録してみませんか? 私もまだ試してなくて」
3人で隣の応接室へ移動し、テーブルの上に筆記具と説明書を並べる。
最初の登録だけは、自分で署名を書きながら魔力を流すらしい。
「まず、付属のインクを使って署名を書く、と」
アルベルト様が説明書を確認しながら、紙へいつもの署名を書く。
筆記具へ魔力が流れた瞬間、筆記具と紙に書かれた文字が淡く光った。
「わ、綺麗」
「登録されたようですね」
「面白いな」
アルベルト様も少し楽しそうだ。
続いてアインス様、最後に私も同じ手順で署名を登録する。
これで準備は終わりらしい。
「じゃあ、実際に動かしてみましょうか」
アルベルト様が自分の筆記具を紙の上に置いた。
「次は、魔力を流せばいいのか?」
「はい。それで登録した署名を自動で書いてくれるみたいです」
アルベルト様が筆記具へ魔力を流す。
すると、机の上に置かれていたペンがひとりでに動き出した。紙の上を滑り、先ほど登録したものと同じ署名を書き終えると、その場でぴたりと止まる。
「……ちゃんと自分で書くんですね」
最初に書いた署名と並べて見比べる。筆跡の癖までほとんど変わらない。
アインス様も紙を確認して、軽く頷いた。
「魔力も残っていますね。本人確認にも使えそうです」
「ああ。これなら内容を確認したあと、署名は任せられるな」
「それが一番便利だと思ったんです。署名そのものに使っていた時間が減るだけでも、かなり違いますよね」
「かなり違う」
アルベルト様はもう一度、自動で書かれた署名を見る。
「良いものを選んでくれた。ありがとう」
「良かったです」
アインス様も自分の筆記具を試し、問題なく動くことを確認した。
その時、応接室の扉が軽く叩かれる。
「失礼します」
入ってきたのはマティアスさんだった。
「団長、ご報告が――」
言いかけて、机の上に置かれた筆記具へ視線が止まる。
「……それが、発売されたばかりだという魔道筆記具ですか?」
「知ってるんですか?」
「昨日、クララから聞きまして。かなり便利そうなものが出たと」
(やっぱり聞いてたんだ)
昨日、クララさんが「主人が聞いたら欲しがりそう」と笑っていたのを思い出す。
「今、試してたんです。ちゃんと自動で署名してくれましたよ」
「自動で……」
マティアスさんの視線が、明らかに真剣になった。
「差し支えなければ、どちらのお店で扱っていたか教えていただけますか? 私も見てみたいと思っていたんです」
「もちろんです。大通りの宝石店なんですけど――」
場所を説明すると、マティアスさんはすぐに頷いた。
「分かりました。ありがとうございます」
「おすすめです。ただ、少しお値段はしますけど」
「……少し、ですか」
アインス様が筆記具へ視線を落とした。
「これだけの機能がある新しい魔道具です。安いものではなかったでしょう」
「あ……」
アルベルト様もこちらを見る。
「リナ。無理をしたんじゃないか?」
「大丈夫です」
私は首を振った。
「確かに安くはないです。でも、私は命を助けてもらったと思っているので。これは、私の気持ちです」
2人が黙る。
「それに、お返しとかは気にしないでください。喜んで使ってもらえるのが一番嬉しいので」
「……そうか」
アルベルト様の表情が少し緩んだ。
「分かった。ありがたく使わせてもらう」
「ありがとうございます。大切に使います」
「はい」
その横で、マティアスさんが少し申し訳なさそうに眉を下げた。
「……すみません。少し興味が先に立ってしまいました」
「いえ、大丈夫です。マティアスさん、こういうの好きそうだって昨日クララさんとも話してたんです」
「……妻には完全に読まれていますね」
思わず笑ってしまった。
そこで、昨日エレナさんから聞いた話を思い出す。
「あ、そうだ。アルベルト様、もう1つ聞いてもいいですか?」
「なんだ?」
「遠征で使ったポーションなんですけど。任務で必要になったものなら、申請して精算できるってエレナさんから聞いたんです」
「ああ」
「私が使った2本も、申請した方がいいですよね?」
「それはこちらで出しておく」
「いいんですか?」
「あれは私が用意したものだからな。品目も金額も分かっている」
「じゃあ、お願いします」
それなら私が変に書類を作るより、アルベルト様に任せた方が間違いない。
それから、気になっていたことを思い出した。
「ちなみに、あのポーションって、どのくらいのランクだったんですか?」
アルベルト様が一瞬だけ黙った。
「自分でも買えるものなら、どこで買えるのか知っておきたくて」
「同じものを自分で用意する必要はない」
「でも、普段持っておく分があった方が安心かなって」
「必要なら、こちらで用意する」
「……そうですか」
(ランクと、どこで買えるかを聞いたんだけどな)
少し気になったけれど、必要なら用意してくれるというなら、今すぐ困ることでもない。
「分かりました。ありがとうございます」
「ああ」
アルベルト様はそれ以上説明することなく、話を終えた。
「それで、マティアス。報告は?」
「失礼しました」
マティアスさんが仕事の表情に戻る。
「ベルグレンから連絡がありました。キリアン隊長の帰還と、ミナトさんの移住の日程が決まったそうです。数日後にはこちらへ到着するとのことです」
「本当ですか?」
思わず顔を上げる。
「はい。必要な手続きも予定どおり進んでいるそうです」
「良かった……」
ミナトが戻ってくる。
もちろん、キリアンも。
2人とも無事だと分かって、ほっと息を吐いた。
「このあと、魔術団と今後の魔道銃の運用について打ち合わせがあります。ミナトさんの帰還後の調整も、合わせて確認する予定です」
マティアスさんの言葉に、アルベルト様がアインス様を見る。
「実地試験の報告書は?」
「すでに魔術団へ提出しています」
「分かった。なら、打ち合わせには私が行こう」
「私は第二部隊の確認事項をまとめてから、後ほど向かいます」
アインス様が答えた。
「ああ」
アルベルト様が立ち上がり、こちらを見る。
「少し出てくる」
「はい。いってらっしゃいませ」
マティアスさんも一礼し、2人で応接室を出ていった。
扉が閉まる。
残ったのは、私とアインス様の2人だった。
◇
私たちも団長室へ戻り、それぞれの仕事を再開した。
机に積まれていた書類を確認しながら、昨日エレナさんと話したことをふと思い出す。こっちに来て3か月。仕事以外の場所は、まだ知らないところばかりだ。
「そういえば、昨日エレナさんと休日の過ごし方の話をしてたんですけど」
「はい」
「アインス様は、お休みの日って何をしてるんですか?」
アインス様は少し考えてから、手元の書類を置いた。
「最近は本を読んだり、家で過ごすことが多いですね。子どもの頃は街の古書店へよく通ってました。……魔法劇場も好きでしたね。最近は行っていませんが」
「あ、昨日エレナさんから聞きました。初めて知って、行ってみたいと思ったんです。今の演目は人気があるそうで」
「そうなんですか」
「はい。予約しておいた方がいいって教えてもらいました」
アインス様が少しだけ考えるように目を伏せる。
「……でしたら、案内がてら一緒に行きましょうか?」
「え?」
思わず手を止めた。
「2人でですか?」
「はい。嫌なら誰か誘っても良いですし」
「い、嫌じゃないです」
むしろ、詳しい人と一緒なら心強い。
「じゃあ、お願いしてもいいですか?」
「もちろんです」
アインス様の表情が、ほんの少し緩んだ。
次の休みに魔法劇場。
そう考えたところで、ふと引っかかる。
(……待って)
前に独身だとは聞いた。でも、独身だからといって、恋人や婚約者がいないとは限らない。
2人で出かけること自体は別におかしくないけれど、相手がいる人なら話は違う気がする。
「あの、一応と言いますか、念のためと言いますか……」
「はい?」
「あの……アインス様には、婚約者様とか、お付き合いしている方はいないんですか?」
アインス様が一度瞬きをした。
「気になりますか?」
「はい。もし、いらっしゃると失礼になると思いますので」
「……なるほど」
なぜか少しだけ間があった。
「いませんよ。もし、いたなら誘いません」
「そうですか。良かったです」
それなら安心して一緒に行ける。
私が頷くと、アインス様が眼鏡の位置を軽く直した。
「リナも、そういうことは気にするのですね」
「え?」
「以前、キリアンと2人で出かけていましたから」
「あ」
そういえば、あれも2人だった。
「あれは……どうしてもアイスが食べたくて」
アインス様が一瞬黙ってから、小さく笑った。
「ふふ。リナらしい」
「材料がないと作れなかったんです」
「分かっています。もし次も素材が必要なら、お手伝いしますよ」
「え、本当ですか?」
「ええ。休みが合えば行きましょう」
「助かります。キリアンに毎回お願いするのも悪いなと思ってたので」
すると、アインス様は少し考えてから続けた。
「では、次の休みは魔法劇場にして、その次はそちらに行きましょうか」
「その次も?」
「はい」
「……でもアインス様、お忙しいのではないですか?」
「まあ、暇ではありませんが」
アインス様は何でもないことのように言った。
「時間は作るものですよ」
(……さすがすぎる)
そう思ってから、ふと気づいた。
(……なんか、アインス様と2人で出かけることになっちゃった)
2人で魔法劇場。
ふと、「デート」という言葉が頭をよぎる。
(……でも、案内がてらって言ってたし)
親切で誘ってくれただけなのに、変に意識する方が失礼だ。
(いやいや。勘違いだよね。……うん)
「では、また日程を調整しましょう」
「はい」
私は頷いて、手元の書類へ視線を戻した。




