37.もちもちドーナツと、ほどけた距離
遠征から戻った翌日から、私は念のため休みをもらうことになった。
怪我はすでに綺麗に治っていた。それでも、初めての遠征で、しかも初めて大型の魔物と対峙したのだからと、アルベルト様とアインス様が気を遣って休みにしてくれた。
(仕事、前倒ししておいて良かったな)
遠征が延びても大丈夫なようにしていたおかげで、急ぐ仕事もない。そのまま公休も重なって、合わせて4日間の休みになった。
休みの最終日は、前に約束していたエレナさんと街へ出かける予定もある。怪我のことを聞いたエレナさんには、予定を変えましょうかと気遣ってもらったけれど、もう体は何ともないので、約束通り行くことにした。
帰ってから緊張が切れたからなのか、その日は自分でも驚くほどよく眠った。目が覚めた時には、もう翌日の昼だった。
その日はほとんど何もせず、ありがたくのんびり過ごした。
休み2日目に、街の美容室へ行って、遠征で焦げた毛先と伸びた分を少し整えてもらった。それから部屋に戻って本を読んだり、ゴロゴロしたりしていたけれど、夕方になる頃には少し暇を持て余し始めていた。
スマホもネトフリも無いので、部屋で時間を潰す方法があまり思いつかない。
(そういえば、こっちの人って休みの日は何してるんだろ)
今度、エレナさんに聞いてみよう。
そして休みも3日目。
「……何か作ろうかな」
部屋でぼんやりしていた時、ふと思いつく。
アインス様、オスカーさん、レオくん、ルディ様。
あの時、みんながいてくれたから、私は無事に帰ってこられた。
アルベルト様にも、帰ってきてからずいぶん心配をかけてしまった。
(何か、お礼したいな)
高価なものを贈るような関係でもないし、みんなが気軽に受け取れるものがいい。
(……お菓子とか?)
そう考えて、前に市場で買った白玉粉にそっくりな粉を思い出した。
(そういえば、ポンデリングっぽいの作れたらなと思っていたけど)
もちもちしたドーナツなら、おやつにちょうどいい。
問題は――。
「豆腐……なんて、さすがにないよね」
日本にいた頃、白玉粉と豆腐を使った簡単なレシピを見て、実際に作ったことがあった。
(でも、あのお店なら……)
前にミナトと行った店には、味噌や醤油に近いものまであった。
豆腐まであるとは思えないけれど、一応見てみるくらいならいいかもしれない。
(……行ってみようかな)
私は財布と買い物袋を持ち、市場へ向かった。
◇
「あの、豆をすりつぶして固めたような……白くて、柔らかい食べ物ってありませんか?」
我ながら、なんて説明だと思う。
けれど、店員さんは少し考えたあと、「ああ」と頷いて、店の奥へ入っていった。
(え?)
しばらくして戻ってきた店員さんの手には、浅い容器が乗っていた。
そこに入っていたのは――。
「……え?! ある!」
思わず声が出た。
白い。
四角い。
柔らかそう。
少しだけ味見させてもらうと、ほのかな豆の風味まである。
(豆腐だ! これ、ほぼ豆腐!)
味噌に醤油に白玉粉。
その上、豆腐まであるなんて。
「このお店、ほんとに日本食に近いものがたくさんあるな……」
誰に言うでもなく呟きながら、私は必要な分を買った。
あとは砂糖と揚げ油、それから足りないものをいくつか追加する。
気づけば、帰る頃には両手いっぱいの荷物になっていた。
(……買いすぎたかな)
でも、みんなの分を作るならこれくらいは必要だ。
荷物を抱え直しながら、騎士団の敷地へ戻った。
◇
「リナちゃん?」
騎士団の入口近くまで来たところで、聞き慣れた声がした。
振り向くと、オスカーさんがこちらへ歩いてくる。
「こんにちは、オスカーさん」
「こんにちは。……って、すごい荷物だね。どこ持って行くの? 手伝おうか?」
「ありがとうございます。でも、すぐそこなんで大丈夫ですよ」
そう答えると、オスカーさんはいつもの軽い笑みを浮かべた。
「すぐそこなら、なおさら手伝うよ」
「えっ」
「ほら。貸して」
返事をする前に、腕に提げていた袋をいくつか持っていかれる。
「ありがとうございます。助かります」
「これくらい全然」
そう言ってから、オスカーさんが改めて私を見る。
「それにしても、可愛い格好してるね。普段着、そんな感じなんだ」
「えっ」
思わず自分の服を見る。
今日は仕事ではないので、もちろんいつもの制服ではない。マティアスさんの奥様からいただいた、淡い水色のワンピースを着てきた。袖口と裾には小さな花の刺繍とレースがあしらわれていて、私も気に入っている。
「あ、ありがとうございます。これ、マティアスさんを通して、奥様からいただいたものなんです」
「あー、あそこのか。そりゃ良いやつだね。あのブティック、この辺じゃ有名なんだよ」
「え? そうだったんですか?」
「知らなかった?」
「はい。素敵な服だとは思ってましたけど……」
「人気あるよ。リナちゃんによく似合ってる」
さらりと言われて、少しだけ頬が熱くなる。
(オスカーさんは、こういうこと普通に言う人だから)
分かっている。
分かっているけれど、真正面から言われるとやっぱりちょっと恥ずかしい。
「あれ、髪も少し切った?」
「はい。焦げたところと、伸びた分を少し整えました」
「……そっか。ところで、そんなに買って何作るの?」
「あ、お菓子です。皆さんに、先日のお礼をしたくて」
オスカーさんの足が、ほんの一瞬だけ止まった。
「……お礼?」
「はい。遠征の時、たくさん助けていただいたので」
そう言うと、オスカーさんは少しだけ困ったように笑った。
「それなら、俺ももらえる?」
「もちろんです」
「そっか」
今度の笑顔は、いつものからかうようなものとは少し違って見えた。
「じゃあ、楽しみにしてる」
それ以上、オスカーさんは何も言わなかった。
(あれ? もしかして……この前のこと気にしてるのかな。前なら、ここで「じゃあデートしてよ」とか言いそうなのに)
隣を歩くオスカーさんを見上げる。
いつも通りに見えるけれど、やっぱり少しだけ何かが違う気がした。
そのままオスカーさんに調理場まで荷物を運んでもらい、そこで別れた。
◇
調理場を借りて、生地を作る。
白玉粉に近い粉を細かく潰して、豆腐を混ぜ、小麦粉や砂糖を加えていく。
「おお……それっぽい」
柔らかくまとまった生地を、小さく丸める。
それを輪になるように並べて、形を整えていく。
簡単そうに見えて、これが意外と時間がかかった。
「丸める数、多いな……」
でも、せっかくならあの形にしたい。
いくつも小さな丸を作っては繋げ、揚げ油へ入れていく。
じゅわっと音を立てながら、生地が少しずつ膨らんでいった。
(いい感じかも)
表面がきつね色になったところで引き上げて、砂糖を使った甘い衣をかける。
「……できた!」
見た目は、かなりそれっぽい。
端を少しちぎって味見する。
「もちもち!」
ポンデリングそのものとは少し違う。
でも、これはこれでかなり美味しい。
出来上がったドーナツを並べ、ひとつずつ油が染みにくい薄い紙で包んでから、渡す場所ごとにまとめていく。
「アルベルト様、2個。アインス様、2個。オスカーさん、2個。レオくん、2個……」
そして。
「ルディ様は3個」
そこだけは、なぜか迷わなかった。
◇
(出来たてのうちに渡しちゃおう)
まず向かったのは、第一部隊の詰所だった。
「オスカーさん、レオくん。少しいいですか?」
「あ、リナちゃん」
「リナさん!」
二人ともこちらを見る。
レオくんは一瞬だけ目を丸くした。
それから、いつものように笑おうとして――少しだけ表情が止まる。
「……もう、大丈夫なんですか?」
「うん。元気だよ」
「そっか……」
笑ってはいるけれど、いつものレオくんとは少しだけ違う。
オスカーさんも市場で会った時と同じように笑っている。それなのに、なんとなく私の顔を窺っているように見えた。
(やっぱり、二人とも気にしてるのかな)
「これ、さっき話してたお菓子です」
包みを差し出す。
「遠征の時、助けていただいたお礼です。よかったら食べてください」
「……お礼って。でも、結局リナさん大怪我したし」
レオくんの眉が下がる。
「ううん。あの時は……みんながいてくれたから、ちゃんと帰ってこられたから。だから、すごく感謝してる」
レオくんがぱちぱちと瞬きをした。
「気に病まないで、普通に接してほしい」
隣でオスカーさんも、少しだけ目を細める。
「……じゃあ、食べます!」
レオくんが包みを開け、さっそくひとつ取り出す。
「これ、丸いのいっぱいくっついてる!」
「そう。ちぎって食べてもいいよ」
「いただきます!」
包み紙の端を持ったまま、ぱくりと一口。
直後、レオくんの顔がぱっと明るくなった。
「うまっ! 何これ、もちもちしてる!」
「本当? よかった!」
「リナさん! これ! お店出せますよ!」
「ふふ。いつもレオくんはそうやって褒めてくれるね」
「だって本当ですもん!」
オスカーさんもひとつ取り出し、包み紙を少し開いて口に運ぶ。
「ほんとにうまい。面白い食感だ。リナちゃん料理も上手なんだ」
「ふふ。まぁ、割と得意な方かなとは思ってます」
「はは! うん! ほんとうまいよ。これ」
気づけば、さっきまでの微妙な空気は消えていた。
「リナちゃん、ありがと」
「いえ。こちらこそ、本当にありがとうございました」
「じゃあ、今日荷物運んだ分でもう1個もらえたりする?」
「2つずつ作りましたよ」
「え! マジ? さすがだな」
オスカーさんが、いつものように笑う。
「じゃあ、ついでに今度デートしてよ」
「だったらオレもリナさんと出かけたいです!」
「え? レオくんまで?」
「お前まで便乗すんなよ」
「オスカーさんが変なこと言うから、レオくんまで影響されてるじゃないですか」
「え? 俺のせい?」
オスカーさんが少し考えてから、肩をすくめた。
「じゃあまあ、今度3人でメシでも行くか」
「……それなら、楽しそうですね」
そう答えると、オスカーさんが少しだけ目を細めた。
「え?」
「いや、なんでもない」
その後も、オスカーさんとレオくんのやり取りがおかしくて、思わず笑ってしまう。
(良かった。やっぱりいつもの二人だ)
「じゃあ、私、まだ渡しに行くところがあるので。失礼します」
「うん。またね、リナちゃん」
「また!」
二人に手を振って、第一部隊の詰所を後にした。
◇
次に向かったのは団長室だった。
ノックをして中へ入ると、アルベルト様とアインス様がそれぞれの机で仕事をしていた。
「失礼します」
「リナ?」
アルベルト様が顔を上げる。
「どうした。今日は休みだろう?」
「はい。これを渡したくて来ました」
手にした包みを少し持ち上げると、アインス様が私を見て、ふと目を止めた。
「……髪を切りましたか?」
「え? あ、はい。焦げたところと、伸びた分を整えてもらいました」
「そうでしたか。素敵です。よく似合っています」
「ありがとうございます」
思いがけず褒められて、少しだけ照れくさい。
アインス様は小さく笑ってから、私が手にしている包みに視線を移した。
「お菓子ですか?」
「はい。故郷にあったものに似せて作ってみました。遠征の時のお礼です」
二人とも、一瞬だけ黙った。
(あ……まただ)
やっぱり、みんな少し気にしている。
「リナ。休みの日に、わざわざこんなことをしなくても……」
「大丈夫ですよ。最初の2日はほとんど休んでましたし、本を読んだりしてたんですが、今日はもう暇を持て余していたんです」
「……そうなのか?」
「はい。もう元気です!」
そう答えると、アルベルト様の表情が少しだけ緩んだ。
アインス様も私を見てから、小さく笑う。
「心配していたのですが、杞憂だったようですね」
「え?」
「あれだけの思いをして、精神的な負担が残っていないか心配していました。元気になったようで何よりです」
「はい! 元気です」
「良かったです。では、ありがたくいただきます」
「はい!」
私は包みを開き、二人にひとつずつ手渡した。
アインス様は包み紙を少し開き、不思議そうに眺めてから口へ運ぶ。
「……なるほど。普通の揚げ菓子とは、食感が違いますね。随分もちもちしています」
「豆腐に似たものを混ぜてみたんです」
「豆腐?」
「あ、それが市場にあったんですよ! 私もびっくりして――」
思わず説明していると、アルベルト様も包み紙を少し開いて、一口食べた。
ゆっくりと頷く。
「美味しいな」
「本当ですか?」
「ああ。ありがとう、リナ」
その声は、いつもの柔らかな声だった。
(……良かった)
なんだか、それだけで少し安心する。
ほんの数日なのに、こうしてここで普通に話しているのが妙に懐かしい。
(やっぱり、ここにいるの好きだな)
「では、残りもどうぞ。良かったら後で食べてください」
「ああ、ありがとう」
残りの入った包みをアインス様に手渡す。
「リナ、とても美味しかったです。休日なのにありがとうございます」
「いいえ! 喜んでもらえて私も嬉しいです! では、今日は失礼します!」
私は二人に挨拶をして、団長室を後にした。
◇
最後に向かったのは魔術団だった。
ルディ様には3個。
(絶対食べるよね)
包みを持って研究室を覗く。
「こんにちは。ルディ様、いますか?」
机に向かっていた銀髪が、こちらを振り返った。
「あ、リナ」
「お仕事中でしたか?」
「うん。でも大丈夫。どうしたの?」
「これ、ルディ様に」
包みを差し出すと、ルディ様が受け取って中を覗いた。
「……お菓子?」
「はい。遠征の時のお礼です」
ほんの一瞬だけ、ルディ様の表情が止まる。
けれど、私はそのまま続けた。
「助けてくださって、ありがとうございました」
「……」
「みんながいてくれたから、私はちゃんと帰ってこられました」
ルディ様はしばらく包みを見てから、ゆっくりと顔を上げた。
「……そっか」
「はい」
少しだけ間があって。
「あの時は、本当にごめん。あと、お菓子ありがとう」
そう言って、ルディ様は包みの中をもう一度覗いた。
「3個ある」
「ルディ様は甘いものがお好きなので」
「僕だけ3個?」
「はい」
「兄様は?」
「2個です」
ルディ様の口元が、ほんの少し上がる。
「僕の方が多い」
「甘いものが好きでしょう?」
「うん。よく覚えてたね」
「みんな、覚えてますよ」
思わず笑ってしまう。
ルディ様はその場でひとつ取り出し、包み紙を少し開いて、さっそく食べ始めた。
「……おいしい」
「よかったです」
「これ、また作る?」
「あ、はい。作りますよ。ミナトとキリアンにも食べてもらいたいなと思ってて」
「その時はまた欲しい」
「ふふ。わかりました」
まだベルグレンにいる、ミナトとキリアン。
(帰ってきたら、二人にも作ろう)
まだしばらくは、ベルグレンにいると聞いている。
その時には、今日よりもう少し上手に作れたらいいな。
残りのドーナツを嬉しそうに眺めているルディ様を見ながら、そんなことを考えた。




