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トラウマ持ち事務員ですが、騎士団員たちの好意はきっと…勘違いです。  作者: 壬ひなた。


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35/53

35.無事の帰還と、温かな安堵


「本日の調査は終了します。直ちに帰還します」


 しばらくして涙が落ち着いた頃、アインス様がそう告げた。


 帰還の準備が始まる中、念のため火傷以外にも怪我がないか確認してもらう。その時、アインス様が大きく破れたズボンの膝へ目を留めた。


「ここも確認します」


「はい」


 傷を見るため、アインス様が破れた片方の裾を、膝から下までハサミで切り落とした。


 何度も転んだせいでかなり擦りむいていたようだけれど、傷そのものはもうほとんど消えている。飲んだポーションが効いていたらしい。


「……ここも治っていますね」


「ポーション、すごい……」


 他にも怪我がないか一通り確認してもらったけれど、目立つ傷は残っていなかった。


 焼けたブラウスは、念のために持ってきていた予備へ着替えた。


 着替える時に右肩から腕も改めて見てみたけれど、あんなに酷かった火傷が嘘みたいに綺麗になっている。触った感覚も、ちゃんと戻っていた。


(すごい……)


 身体は、ほとんど元通り。


 でも、服と髪は元には戻らない。


 ズボンは片方だけ膝下がなくなっているし、右側の髪先も、ちりちりと焦げたままだった。


(……美容室、行かないと)


 アインス様も自分の怪我を処置し、帰還の準備が整うと、私たちは騎士団へ戻った。


 サラマンダーを討伐したこと。私が負傷したこと。そして全員が帰還することは、通信魔道具ですでに本部へ伝えられている。


 それでも、帰り道はいつもよりずっと静かだった。


◇


 騎士団へ戻ると、今回の遠征に参加していた主なメンバーで、そのまま団長室へ向かった。


 扉を開けると、机の向こうにいたアルベルト様が顔を上げる。


 その視線が、私のところで止まった。


「……」


 ほんの一瞬、新緑色の瞳が見開かれる。


 火傷が治ったことは聞いているはずだ。


 でも、予備のブラウスに着替え、片方だけ膝下のなくなったズボンを履き、髪まで焦がした姿までは想像していなかったのかもしれない。


 隣にいるアインス様の軍服も、一部が黒く焦げている。


 アルベルト様は私たちを順番に見たあと、小さく息を吐いた。


「……大変だったようだな。皆、よく帰還した」


「はい」


 その一言だけで、少し肩の力が抜けた。


 アインス様が一歩前へ出る。


「報告します」


 本来の目的だった魔道銃の実地試験では、使用者や距離を変えながら固定標的への試射を進めていたが、途中で予定外の中型魔物が相次いで出現し、試験を中断した。


 討伐後に試験を再開し、小型のトカゲ型魔獣を対象として、実戦での使用記録も取ることができた。


「その個体を討伐した後、サラマンダーの成体が出現しました。討伐した個体は、サラマンダーの幼体だったと考えられます」


 アルベルト様が静かに聞いている。


 その後の戦闘については、各員の動きや使用した魔法、サラマンダーの反応まで含めて、アインス様が順を追って詳しく報告していった。


 私が最後まで執拗に狙われたことや、右肩から腕に火傷を負った経緯も、その中で説明された。


「火傷については、私が水魔法で処置した後、持参していたポーションを2本使用しています。右肩から上腕にかけて、一時的に感覚が鈍くなっている部分もありましたが、現在は回復しています」


 アルベルト様の眉がわずかに寄った。


「感覚が鈍くなっていた?」


「はい。熱が深いところまで入っていました」


「……そうか」


 アルベルト様が私を見る。


「リナ。今は?」


「大丈夫です。痛くないですし、感覚もちゃんとあります」


「そうか」


 もう一度、今度は少しゆっくり息を吐いた。


「それなら良かった」


 アルベルト様は少し黙ってから続ける。


「だが、今回は運が良かったと思っておいた方がいい」


「え?」


「ポーションも回復魔法も、何でも元に戻せるわけではない。失った身体の一部を生やすことはできないし、深い火傷で組織が大きく損傷すれば、綺麗に治らないこともある」


「……そうなんですか?」


 思わず右腕を見る。


 今は、どこを見ても火傷の跡なんて残っていない。


「今回はアインスがすぐに処置できたことも大きい」


 アルベルト様がアインス様へ視線を向ける。


「アインスでなければ、ここまで綺麗に治すのは難しかったかもしれない」


「……」


 アインス様が少しだけ目を見開いた。


「現場責任者として、リナを負傷させたことは――」


「それは後で聞く」


 アルベルト様が静かに遮った。


「まずは今回の結果を整理しよう」


「……はい」


 アインス様が小さく頷いた。


 魔道銃や魔術団側の記録については、持ち帰った資料を整理したうえで、改めて正式な報告書を提出することになった。


 続いて話題になったのは、サラマンダーだった。


「この周辺は、サラマンダーの生息域ではなかったはずだな」


「はい」


 アインス様が頷く。


「子育ての時期に餌場を変え、一時的に移動していた可能性があります。ただ、幼体が単独で行動していたこと自体が珍しいため、発見時点ではサラマンダーだと判断できませんでした」


「見た目も、小型のトカゲ型魔獣にかなり近かったよ」


 ルディ様が付け加える。


「僕も、危険度の低い個体だと思った」


 その声は、まだ少し沈んでいた。


 アルベルト様はルディ様をしばらく見た。


 何も言わない。


 ルディ様も目を逸らさなかった。


 やがてアルベルト様が口を開いた。


「今回、誰かが判断を間違えたとは思っていない」


「……兄様」


「中型魔物が続けて現れた。通常は成体のそばにいるはずの幼体が、単独で行動していた。その幼体がサラマンダーだと気づかないまま討伐し、親が現れた」


 一つずつ、確認するように言葉を続ける。


「こうして振り返れば、すべてがつながって見える。だが、それは結末を知った今だからだ。あの場では、それぞれの出来事が何につながるのか、分からなかった」


 その言葉に、はっとした。


 確かに、そうだ。私だって、あの小さな魔獣があんな事態を引き起こすなんて、想像もしていなかった。それなのに、今になって「あの時、気づいていれば」と考えてしまっていた。


 部屋の空気が少しだけ変わった。


「想定外が重なった。それだけだ。そういうことも、稀にはある」


 部屋の空気が少しだけ変わった。


「だからこそ、次に同じことが起きないようにすればいい」


 アルベルト様が机の上の紙へ視線を落とす。


「今回確認したサラマンダーの特徴は、全隊へ共有する。幼体が単独で行動する可能性があること、幼体へ攻撃した者を成体が執拗に狙うこと。それから、全身の硬化と、水によって硬化が弱まったことも記録しておこう」


「はい」


「魔物の生態や過去の遭遇記録を学ぶ時間も、今までより増やした方がいいな」


「そうですね」


 アインス様が頷く。


「実地試験の体制についても見直します。想定外の中型以上の魔物が続けて現れた場合、その時点で周辺の危険度を一段階引き上げるべきでしょう」


「ああ。試験を続けるかどうかの判断基準も決めておこう。必要なら人員も増やす」


 アルベルト様はそこで一度、私たち全員を見た。


「大変だったと思う」


 誰も口を開かなかった。


「だが、収穫もあった」


 その言葉に、ルディ様が顔を上げる。


「魔道銃の実戦データも取れた。魔物の新しい情報も得た。そして、今回足りなかったものも分かった」


 アルベルト様の表情が少しだけ柔らかくなった。


「皆、よく頑張った」


「……はい」


 今度のアインス様の声は、さっきより少しだけ軽かった。


 私も胸の奥に溜まっていたものが、少しずつほどけていくのを感じた。


「それと、リナ」


「はい」


 アルベルト様の視線が、私の切られたズボンへ下がる。


「今後、普段の勤務でも騎士団の軍服を着用してもらいたい」


「え?」


「合同集会で着ていたものだ。事務官用の服より丈夫で、防護性も高い」


「でも、私、基本的には団長室で仕事ですよ?」


「ああ。だが、今回のように遠征へ同行することもある。それ以外でも、いつ何が起きるかは分からない。普段から着慣れておいた方がいいだろう」


「なるほど……」


 確かに、今回着ていた服はあっという間に焼けた。


 騎士団の軍服なら、少なくとももう少し違ったかもしれない。


「分かりました」


「それから」


 アルベルト様が少しだけ表情を改めた。


「リナ。もう遠征には行きたくないか?」


「……」


 すぐには答えられなかった。


 怖かった。


 本当に、怖かった。


 炎が次々に飛んできて、どこへ逃げればいいのかも分からなくなった。


 死ぬかもしれないと思った。


「……怖かったです」


「ああ」


「でも、仕事で必要とされるなら、また行きたいです」


 アルベルト様の目を見る。


「魔法も、もっと上手くなりたいです。今回みたいなことがあっても、もう少し自分でできることを増やしたいです」


 アルベルト様はしばらく私を見ていた。


 やがて、小さく頷く。


「そうか」


「はい」


「なら、分かった」


 少し安心していると、アルベルト様が続けた。


「ただし、今後リナが遠征へ同行する場合は、私も同行する」


「……え?」


 部屋が静かになった。


 アインス様が眼鏡の奥からアルベルト様を見る。


 オスカーさんも何とも言えない顔をしている。


 レオくんまで黙った。


「……兄様?」


 ルディ様が口を開いた。


「何だ」


「いや……」


 ルディ様が私を見て、それからアルベルト様を見る。


「別に」


「皆を信用していないわけではない」


 アルベルト様は至って真面目だった。


「だが、今回のようなことが起きる可能性がある以上、私がいた方がリナを確実に守れる」


「……」


「何か問題があるか?」


 誰も答えなかった。


(……安全対策、だよね?)


 団長自ら同行するって、かなり大掛かりな安全対策な気もするけど。


 まあ、今回みたいなこともあったし。


 きっとそういうことなんだろう。


「今回の件については、各自報告書をまとめて提出してくれ。魔術団側の試験記録と合わせて、改めて対策を決める」


「了解」


「はい」


 オスカーさんたちが順番に団長室を出ていく。


 ルディ様も最後にこちらを振り返ってから、静かに扉を閉めた。


 部屋には、私とアルベルト様だけが残った。


 私はいつもの机のそばに立ったまま、少し迷ってから声をかける。


「あの、アルベルト様」


「どうした?」


「ポーション。本当にありがとうございました」


「ああ」


「2本とも使ってしまいましたけど……おかげで、こんなに綺麗に治りました」


 右腕を見せる。


 アルベルト様も傷がないことを確認するように、静かに見ていた。


「『何かあれば、惜しまず使いなさい』って言ってくださったから、ちゃんと使えました」


「……そうか。持たせておいて良かった」


「はい」


 私は少し俯いた。


「私……今回、みんなに守ってもらってばっかりでした」


 アインス様にも。


 レオくんにも。


 ルディ様にも。


 オスカーさんにも。


「結局、何もできなかったなって――」


「何もできなかったわけではない」


 すぐに否定された。


 顔を上げる。


「報告で聞いたが、リナは自分で氷壁を作っただろう」


「でも、すぐ溶けました」


「それでも炎の勢いを何度も止めた」


 アルベルト様の声は静かだった。


「最後の炎もそうだ。あの氷壁がなければ、もっと大きな被害になっていたかもしれない」


「……」


「魔法を覚えて、まだそれほど経っていない。今はまだ、子供の魔法とほぼ変わらない。それでも自分で考えて、自分の身を守った」


 アルベルト様の表情が少し柔らかくなる。


「十分だ」


 胸の奥が、じんと熱くなった。


「……アルベルト様と、アインス様が教えてくれたからです」


「リナ自身が覚えたから使えたんだ」


「それでも」


 私はアルベルト様を見る。


「二人があんなに訓練に付き合ってくれなかったら、私、何もできなかったと思います。本当に、ありがとうございました」


 アルベルト様が机の向こうから歩いてくる。


「アルベルト様……?」


 目の前で止まると、大きな手がそっと頭の上に置かれた。


「よく頑張った」


「……」


 ぽん、と優しく頭を撫でられる。


「重度の火傷だった。痛かっただろう」


 その一言で。


 また、目の奥が熱くなった。


「……はい」


 声が震える。


「痛かった、です……」


「ああ」


 アルベルト様の手が、もう一度ゆっくりと頭を撫でる。


「……無事で良かった」


 涙が落ちた。


 でも、森で止まらなかった涙とは少し違った。


 怖くて流れる涙じゃない。


 ずっと張り詰めていたものが、ようやくほどけていくような涙だった。


 頭に触れる大きな手の温かさを感じながら、私は今度こそ、本当に無事に帰ってこられたんだと実感した。


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