31.初めての遠征と、チャラい副隊長の本気
実地試験当日の朝。
記録用紙や筆記具など、必要なものを一通り確認したあと、私は鞄の奥に入れた2本のポーションへ目を向けた。
昨日、アルベルト様とあれだけ押し問答をして、ようやく2本まで減らしてもらったものだ。
(できれば、使わずにそのまま持って帰りたいな)
鞄を閉じて集合場所へ向かうと、すでに第一部隊の一班と二班、第二部隊の一班が集まり始めていた。
少し離れたところでは、赤い制服を着た魔術団の研究員たちが、魔道銃の入ったケースや測定用の魔道具を確認している。
「リナさん、おはようございます!」
「あ、レオくん。おはよう」
こちらに気づいたレオくんが、いつもの明るい笑顔で近づいてきた。
「初めての遠征ですね。緊張してます?」
「ちょっとだけ。でも、記録の準備はしてきたから大丈夫」
「何かあったら俺たちもいますから!」
「ありがとう」
「レオ。今日はあなたも二班を率いる立場なのですから、頼みますよ」
後ろから聞こえた声に、レオくんが慌てて姿勢を正した。
「はい、副団長!」
アインス様は小さく息を吐くと、今度は私の体調と持ち物を確認する。
「ポーションも2本、ちゃんと持ってきました」
「それなら結構です。使わずに済むのが一番ですが、必要になった時は惜しまないでくださいね」
「はい」
アインス様にまで念を押され、昨日のアルベルト様とのやり取りを思い出す。
本当に、使わずに帰りたい。
少し離れたところで魔術団の研究員たちと話しているルディ様に気づき、こちらから声をかけた。
「ルディ様、おはようございます」
「おはよう。今日はよろしく」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
「記録、あとで僕にも見せてね」
「はい。魔術団の記録担当の方とも照らし合わせる予定です」
「了解」
ルディ様はそれだけ言うと、研究員たちが開けたケースを覗き込みに戻っていった。
今日は騎士団へ遊びに来た時とは違い、最初から魔術団の一員として参加しているらしい。
「おはよう、リナちゃん」
もう一つ声がして振り返ると、オスカーさんがこちらへ歩いてくる。
「……おはようございます」
「なんか俺だけ反応薄くない?」
「気のせいじゃないですか?」
「気のせいかなあ」
オスカーさんは全く気にした様子もなく笑った。
「せっかく今日は一日一緒なんだから、もうちょっと嬉しそうにしてくれてもいいのに」
「仕事なので」
「冷たいなあ」
こういうことをみんなの前で言われると、どう反応していいのか分からない。
冗談だとは思っているけれど、笑って受け入れるのも違う気がする。かといって、毎回本気で怒るようなことでもない。
困る。
こういうのは、本当に困る。
「オスカー」
アインス様が静かに名前を呼んだ。
「はい。なんですか?」
「リナに余計なことを言わないように。団長からも言われていますので」
「信用ないなあ」
そう言いながらも、オスカーさんは素直に第一部隊の騎士たちのところへ戻っていった。
すぐに一班の隊員を集め、装備や人数を確認し始める。
さっきまで軽口を叩いていたのに、隊員たちへ指示を出す姿は意外なほど手際がいい。
各班の準備が整うと、アインス様の指示で出発前の最終確認が始まった。
◇
「リナ。こちらを耳につけてください」
アインス様から渡されたのは、小さな魔石が嵌め込まれたイヤーカフのような魔道具だった。
「遠征で使用する通信魔道具です。あらかじめ登録されている相手同士なら、離れていても会話できます」
「そんなものまであるんですね」
耳につけてみても、ほとんど重さは感じない。
元の世界でいう無線みたいなものだろうか。魔法のある世界へ来てから何度も思ったけれど、こちらにはこちらで驚くほど便利なものがある。
「では、通信を確認します」
すぐ目の前にいるアインス様の声が、同時に耳元からも聞こえた。
『リナ。聞こえていますか?』
「はい! 聞こえてます!」
『聞こえているなら、大きな声で返事をする必要はありませんよ』
「あ……はい」
周囲にいた騎士たちから小さく笑いが漏れ、恥ずかしくなって声を落とす。
続けてレオくんの元気な声が耳元へ響き、すぐにアインス様から「あなたも声を抑えてください」と注意されていた。
魔術団側も問題なく通信できているらしく、これで全員の確認が終わったようだ。
面白い魔道具だな、と耳元へ触れた時だった。
『リナちゃん』
「はい?」
すぐ近くで囁かれたような声に、思わず周囲を見回す。
少し離れたところにいるオスカーさんは、別の方向を向いたままだった。
『俺の声だけ聞こえてる?』
「聞こえてますけど……」
『個別通信。便利だろ?』
「個別にもできるんですね」
『そう。だからさ――今日帰ったら、俺とデートしない? 二人で飲みに行こうよ。リナちゃんと、ゆっくり話したいんだよね』
「……っ」
耳元で直接囁かれているように聞こえて、一瞬だけ心臓が跳ねた。
いつもと同じ軽い誘いのはずなのに、声だけがこんなに近いと妙に意識してしまう。
(いやいや。何ドキッとしてるの、私)
「……行きません」
『即答かあ』
「そういうのは困ります。それに、今は仕事中です」
『じゃあさ、仕事が終わったら――』
ぱしゃっ。
「冷たっ!」
少し離れたところから、オスカーさんの声が上がった。
見ると、アインス様が指先から細い水を飛ばし、オスカーさんの頬へ当てている。
「副団長、ちょっ――」
ぱしゃっ。
「話聞いてます?」
ぱしゃっ。
「顔ばっかり狙うのやめてもらえません?!」
さらにもう一度、顔めがけて細い水が飛ぶ。
「なんか地味にムカつく水のかけ方しないでくださいっ!」
とうとう周囲から笑い声が上がった。
アインス様は涼しい顔のまま水を止めると、何事もなかったように眼鏡を押し上げる。
「団長の代わりに、きっちりお仕置きしておくと約束しましたので」
「一回でいいでしょう!」
「次はありませんよ」
「はいはい……」
オスカーさんは濡れた前髪をかき上げると、片手を髪へ添えた。
ふわりと風がまとわりついたかと思うと、髪や頬についていた水気があっという間になくなっていく。
「えっ、もう乾いたんですか?」
「これくらいなら風魔法ですぐ乾くよ」
「そんな使い方があるんですね」
知らなかった。
(髪を乾かす時、めちゃくちゃ便利そう……)
今度、私も教えてもらおう。
「リナちゃん、俺が水かけられたことよりそっち?」
「ちょっと便利そうだなって」
「扱いひどくない?」
「オスカー。まだ水は出せますよ」
「もういいです!」
また周囲に笑いが起きる。
初めての遠征で少し緊張していたけれど、そのおかげで肩の力が抜けた。
◇
試験場所へ到着すると、距離を変えて複数の標的が用意されていた。
周辺に人家はなく見通しもいい。万が一魔力弾が標的から外れても、周囲に被害が出にくい場所が選ばれているらしい。
私は魔術団側の記録担当と確認を済ませ、用意してきた記録用紙を取り出した。
騎士団側で記録するのは、使用者、標的までの距離、命中位置、連続使用時の変化、それから実際に使った人の感想。
魔術団側では魔力消費や術式の反応、魔道銃本体の状態などを記録する。
「では、始めましょう」
アインス様の合図で、まずは第二部隊の騎士が魔道銃を受け取った。
持ち手から魔力を流すと、本体に組み込まれた魔石と術式が淡く光る。
――バンッ!
凝縮された魔力が一直線に飛び、離れた標的へ命中した。
そこからは使用者や距離を変えながら、順番に試射を進めていく。
何人かが撃ち終えたところで、レオくんが魔道銃を受け取った。
標的へ向いた瞬間、さっきまでの明るい表情が少しだけ引き締まる。
――バンッ!
魔力弾は、中心にかなり近い位置へ命中した。
「すごいね、レオくん」
「ありがとうございます!」
「使ってみてどう?」
私が記録用紙を向けると、レオくんは少し考えた。
「狙うのはかなり楽です。でも俺は飛びながら攻撃することが多いので、両手が塞がるのは気になります」
「なるほど」
戦い方によって、使いやすさも変わるらしい。
その意見を書き留めていると、近くで様子を見ていたルディ様がこちらを向いた。
「リナも撃ってみたら?」
「え、私もですか?」
「せっかく来たんだし。自分で使った方が、使用感も分かるでしょう?」
思わずアインス様を見ると、少し考えたあと頷いた。
「固定標的だけなら構いません。実際に使ってみるのも記録には役立つでしょう」
「じゃあ……やってみます」
魔道銃を受け取ると、見ていた時よりずっしりと重く感じた。
レオくんに教えてもらいながら肩へ当て、標的に向かって構える。
「持ち手から魔力を流せばいいんですよね」
「うん。ゆっくり流せば大丈夫」
ルディ様の言葉に頷き、魔力を流した。
術式が淡く光る。
狙いを定めて――。
――バンッ!
「わっ!」
肩へ押し返されるような衝撃がきて、思わず一歩よろけた。
それでも魔力弾は、標的の中心から少し外れた位置へ当たっている。
「当たった……!」
「初めてならかなり上手いですよ!」
レオくんに褒められ、少し嬉しくなる。
「でも、思ったより反動があるんですね」
「そこはまだ調整中」
今度はさっきよりしっかり肩へ当て、足にも力を入れて構え直した。
もう一度撃つと、2発目はさらに中心へ近づく。
「さっきより近い!」
「うん。魔力を流すの上手いね」
ルディ様に言われ、自分でも少し嬉しくなった。
固定された標的なら、思っていたより使えそうだ。
「次、俺?」
声をかけてきたオスカーさんへ魔道銃が渡される。
「リナちゃん、ちゃんと見ててね」
「記録係なので見てますよ」
「そういう意味じゃないんだけどなあ」
「オスカー」
「はいはい。真面目にやります」
軽く笑ったあと、オスカーさんが標的へ向き直った。
その表情が少しだけ変わる。
――バンッ!
魔力弾が、ほぼ中央へ当たった。
続けてもう一度。
2発目も、ほとんど同じ場所へ重なる。
私が撃った時には肩にしっかり衝撃がきたのに、オスカーさんの身体はほとんど動いていなかった。
「……すごい」
思わず声が漏れる。
「狙いやすいな。ただ、俺が実戦で使うなら直接魔法を使った方が早いと思う」
「どうしてですか?」
「構えて魔力を流すだろ? 慣れてる奴なら、その間に自分で攻撃できるからな」
そう言って、もう一度魔道銃へ目を落とす。
「でも、狙うのが苦手な奴にはかなりいい。使い方を覚えれば、遠距離でも安定しそうだ」
「なるほど……」
私はそのまま記録用紙へ書き込んだ。
「リナちゃん」
「はい?」
「今、ちょっと感心した?」
「命中精度はすごいと思いました」
「やった」
素直に嬉しそうに笑われて、少しだけ困る。
その後の試験も思っていたより順調に進み、この日予定していた固定標的の項目は、予定より早く終わりそうだった。
休憩を挟んだあとは、危険度の低い小型の魔物を対象に、実戦での使用感も確認することになっている。
このまま何事もなく進めば、予定より早く帰れるかもしれない。
そう思いながら記録用紙を整理していた、その時だった。
『副団長』
イヤーカフから低い声が響く。
周囲の空気が、一瞬で変わった。
『北側に中型の魔物を確認しました』
アインス様がすぐに立ち上がる。
「数は?」
『3体。全高10メートル級、こちらへ接近中』
私は反射的に顔を上げた。
「試験を中断します。魔術団の研究員と記録担当は後方へ移動してください。リナは私の近くから離れないように」
「はい」
記録用紙をまとめて鞄へ入れる。
周囲にいた騎士たちも、ついさっきまで休憩していたとは思えない速さで動き始めた。
「一班は俺と北側へ。二班は東へ回ってくれ」
オスカーさんが第一部隊へ指示を出す。
レオくんもすぐに自分の班を率いて動き、ルディ様たちは魔道銃や測定器を後方へ運び始めた。
誰も慌てていない。
それが余計に、これが彼らにとって本当の仕事なのだと感じさせた。
やがて、遠くから地面を叩くような重い足音が聞こえてくる。
木々の向こうから姿を現したものを見た瞬間、息が止まった。
「……なに、あれ」
以前ダンジョンで見たうさぎの魔獣とは、まるで違う。
太い四肢に長い尾。硬そうな鱗に覆われた巨体は、どこか恐竜のようにも見える。
けれど、頭部の形も、背中に並ぶ鋭い突起も、私の知っているどの生き物とも違っていた。
以前、ミナトが言っていた。
魔獣は動物が魔物化したものだからまだ馴染みがある。
けれど魔物は、『異世界ファンタジーのゲームかよ! みたいなバケモン』だと。
――目の前にいるそれは、本当に恐ろしい化け物だった。
アルベルト様があれだけ渋った理由も、今なら分かる。
「リナ、そのまま」
アインス様の落ち着いた声に、はっとする。
言われた通り動かずにいると、3体のうち1体が騎士たちの間を抜け、こちら側へ向きを変えた。
「オスカー」
「了解」
短く答えた声から、さっきまでの軽さが消えた。
魔物が地面を蹴り、巨体を揺らしながらこちらへ突進してくる。
オスカーさんは素早く身を屈め、片手を地面についた。
ゴゴゴゴゴ――!!
低い地鳴りが一気に広がり、地面が大きくうねった。
「……っ!」
足元まで突き上げるような揺れに、思わず身体が傾く。
ひび割れた地面が魔物の足元へ向かって迫り上がり、巨体が大きく傾いた。
そのまま足元が崩れ、両前脚が地面へ深く沈み込む。
「グォオオオオオ――!!」
腹の底まで響くような咆哮を上げ、魔物が抜け出そうともがく。
その瞬間、オスカーさんの足元から新たな亀裂が走った。
そこから、鋭い槍が突き出す。
素早く柄を掴み、立ち上がる勢いのまま大きく腕を振りかぶる。
踏み込みと同時に、槍を投げ放った。
風を切って一直線に飛んだ槍が、魔物の片目を貫く。
「ギィアアアアア――ッ!!」
耳をつんざくような絶叫が響き渡った。
巨体が大きく仰け反る。
深々と突き刺さった槍は、そのまま頭部を貫いていた。
(あれなら――)
そう思った直後だった。
魔物の前脚が、地面を抉るように大きく動く。
「まだ……!」
頭を貫かれているのに。
以前、ダンジョンでキリアンさんに言われた言葉が蘇った。
『魔獣はしぶといからね』
けれど、オスカーさんは驚いていなかった。
その時には、もう走り出している。
暴れる魔物へ向かいながら再び姿勢を低くし、片手を地面へ伸ばした。
ズズズズ……。
新しい亀裂が走る。
ひび割れた地面の奥から太い柄がせり上がり、続いて巨大な刀身が姿を現した。
柄を掴み、一気に引き抜く。
鈍い光を放つ、一本の大剣。
魔物がつんざくような絶叫を上げ、なおも身体を捩る。
その瞬間、周囲の空気が大きく渦を巻いた。
地面を蹴る。
「え――」
一気に高く跳び上がった。
巨体の首元まで届く高さへ舞い上がり、大剣を両手で振りかぶる。
魔物が頭を振り上げた時には、もう目の前まで迫っていた。
そのまま大剣を横薙ぎに振り抜く。
一閃。
巨大な首が、地面へ落ちた。
重い音を立てて、巨体も崩れ落ちる。
辺りが静まり返った。
「…………」
私は息をするのも忘れて、ただその場に立ち尽くしていた。
(……すごい)
その圧倒的な強さに、ただ息を呑んだ。
オスカーさんは着地すると、倒れた魔物を一度だけ確認した。
それだけだった。
すぐに顔を上げ、周囲へ視線を走らせる。
「1体終了。残りは?」
『西側から1体追加!』
新しい報告が飛び込む。
その瞬間、アインス様とレオくんが動いた。
少し離れた場所では、ルディ様もこちらへ向かってくる魔物を見つめている。
あと3体。どうなるのだろう。




