25. 二日酔いと、異世界の転職活動
翌朝、9時55分。
(神様。昨日は調子に乗りました。すみません)
私は騎士団本部の休憩室で、机に突っ伏していた。
(もう飲みすぎません。しばらくお酒も飲みません。だからお願いします。この頭痛だけ、なんとかしてください……)
頭が痛い。
気持ち悪い。
昨日の自分を殴りたい。
「……リナ、生きてる?」
「ミナトこそ……」
向かいを見ると、ミナトも机に突っ伏していた。
顔色が悪い。
「俺、昨日どれくらい飲んだ?」
「知らない……私も途中から覚えてない……」
「だよな……」
二人揃って、深いため息を吐く。
こちらの世界も、一週間は七日ある。
曜日の呼び方は日本とは違うけれど、基本的には五日働いて二日休むため、生活の周期自体はそれほど変わらない。
昨日は二連休の初日。
つまり今日は、ありがたいことに休みの二日目だった。
(本当に休みでよかった……)
仕事の日だったら、とてもじゃないけど使い物にならなかったと思う。
今日は昨日の件について、改めて話を聞きたいと言われて本部へ来ていた。
キリアンが昨夜のうちに大まかな報告はしてくれたらしいけれど、異世界人に関しては分からないことが多い。
本人たちにも確認しておきたい、ということだった。
「おはようございます」
扉が開いた。
入ってきたのはアインス様で、その後ろにアルベルト様とキリアンもいる。
「おはよう、リナ」
「……おはようございます……」
キリアンが私たちを見て、苦笑した。
「二人とも、昨日よりひどい顔してるね」
「キリアン……」
「なに?」
「昨日は、ほんとにごめん……」
「大丈夫。楽しかったよ」
「…アルベルト様も、アインス様も、昨日はご心配をかけてしまい、すみませんでした…」
頭を深々下げて謝る。
「久しぶりに同郷に会ったんだ。嬉しかったんだろう」
「あなたはいつもきちんとしていますから。次に気をつければいいんですよ」
優しい。
優しさが今はつらい。
「……本当にすみませんでした。ですが今日は、本当に話ができる気がしません。頭が痛くて吐きそうです……」
情けない声で言うと、アインス様が私を見た。
「リナ。昨日渡したポーションが残っていますか?」
「はい……使わなかった分はお返ししようと思って、持ってきました」
「一本飲んでください」
「え?」
「あれは怪我だけでなく、体内の不調にも効果があります。二日酔いにも効きますよ」
「ポーションって、二日酔いにも効くんですか?」
「ええ」
「……飲みます」
即答した。
鞄から小瓶を取り出し、中身を一気に飲み干す。
少し苦い。
けれど、しばらくすると。
「……あれ?」
頭の奥でずきずき響いていた痛みが、少しずつ引いていく。
気持ち悪さまで、嘘みたいに軽くなってきた。
「すごい……!」
「効いたようですね」
「アインス様……」
思わず拝みそうになった。
(神様じゃなくて、アインス様が助けてくれた……)
「それ、そんな効くの……?」
机に突っ伏したまま、ミナトが顔だけこちらへ向ける。
「めちゃくちゃ効く」
「いいな……」
切実な声だった。
「ちなみに、これって高いんですか?」
「一般的なポーションよりは高価ですね」
値段を聞いて、日本円の感覚に置き換えてみる。
「……一万円くらいか」
ミナトがぽつりと呟いた。
そんな高いものを、二日酔いで使ってしまった。
いや、そもそもこれは、昨日ダンジョンへ行く私のためにアインス様が用意してくれたものだ。
「アインス様。こんないいものを用意してくださってたんですね」
「ダンジョンへ行くのですから、必要なものを用意しただけですよ」
「……ありがとうございます」
胸の奥が、じんと温かくなる。
「使わなかった二本はお返しします」
「一本は私が用意しましたが、もう一本は団長が用意したものですよ」
「アルベルト様?」
顔を向けると、アルベルト様が微笑んだ。
「念のため、多めにあった方がいいと思ったんだ。不安がっていただろう?」
「……ありがとうございます」
「ああ」
それだけ言って、アルベルト様はいつもの穏やかな顔に戻った。
(みんな優しい……)
嬉しい。
嬉しいけれど、昨日酔っぱらって帰ってきた自分がますます申し訳なくなってくる。
「……すみません」
か細い声が聞こえた。
見ると、ミナトが片手を上げている。
「そのポーション……お金払うので、一本売ってもらえないでしょうか……」
「ミナト……」
分かる。
ついさっきまで同じ苦しみを味わっていた身として、ものすごく分かる。
「私も半分出すよ」
「え、いいの?」
「昨日一緒に飲んだんだし。私だけ助かるのもなんか悪いから」
「リナ……お前、いい奴だな……」
「ミナト……」
「二日酔いで友情を深めないでください」
アインス様が淡々と言った。
キリアンが吹き出す。
「代金は結構です」
「え?」
ミナトが顔を上げた。
「そのうち、何かで返してください」
「…………」
ミナトの顔が固まる。
「何かって……何ですか?」
「まだ決めていません」
「それ、一番怖いやつじゃないですか?」
「大げさですね」
アインス様は何でもないことのように、ポーションを一本差し出した。
「ありがとうございます……!」
ミナトが両手で受け取り、一気に飲む。
数分後。
「……生き返った」
「分かる」
「これ、一万円でも安くない?」
「二日酔いの時だけ金銭感覚おかしくなってるよ」
ようやく二人で笑えるくらいには回復した。
「あの……昨日は本当にごめん、キリアン。私、迷惑かけたよね」
「まあ、二人ともなかなか大変だったけどね」
「もう二度と飲みすぎない!」
「酒飲みの『もう二度と』はあんまり信用できないなあ」
「本当に反省してるから!」
「うんうん」
キリアンが楽しそうに笑う。
「でも、コンビニのプリンがどれだけすごいかはよく分かったよ」
「…………」
「三回くらい説明してくれたから」
「ごめん!」
「あはは!」
恥ずかしい。
何をどう説明したのか、まったく覚えていない。
だけど。
「……今度作る」
「何を?」
「プリン。昨日迷惑かけたお詫びに、みんなに作る」
「本当に?」
「昨日それだけ説明したなら、食べてもらいたいな」
「楽しみにしてる」
キリアンが嬉しそうに笑った。
それから全員で席につく。
アルベルト様が、私とミナトを見た。
「昨日のことは、キリアンから大体聞いている。今日は確認したいことだけ聞かせてほしい」
「はい」
「分かりました」
昨日、私とミナトが日本で同じ事故に巻き込まれた可能性が高いこと。
そして、ミナトがこちらへ来たのは約一年前、私は三か月ほど前だということ。
いくつか質問され、覚えている範囲で答えていく。
「ミナトは、こちらへ来てすぐキリアンたちに保護されたわけではないんだな?」
アルベルト様に尋ねられ、ミナトが頷いた。
「はい。見つけてもらったのは、七日目でした」
「七日目!?」
思わず声が出た。
「昨日、そんなに長い間一人だったなんて言ってなかったよね?」
「言ってなかったっけ?」
「聞いてないよ。もっと早くキリアンに見つけてもらったんだと思ってた」
「あー、そっか」
ミナトが少し苦笑する。
「まあ、トラックがあったから、完全に何もない状態ではなかったけどな。宅配の途中だったから、荷台に食べ物とか飲み物もあったし」
「それでも七日間は長いよ……」
「トラックの中なら雨風もしのげた。寝袋まであったから、運は良かったと思う」
ミナトは何でもないことのように言うけれど。
私だったら、何も分からない森の中で一週間も一人でいられただろうか。
「毎晩、トラックの中に正の字書いてたんだよ。何日経ったか分からなくなるの怖くてさ」
「正の字?」
キリアンが首を傾げる。
「日本で数を数える時に使うんだ。一本ずつ線を書いていくと、五本で一文字になるんだよ」
「へえ」
「キリアンに見つけてもらった日が、ちょうど七日目」
さらっと言うけれど。
一人きりの森で、夜になるたびに一本ずつ線を書き足していたのだと思うと、胸が少し苦しくなった。
「怖くなかったの?」
「そりゃ怖かったよ。どこにいるかも分からないし、外には見たことない魔物いるし」
ミナトは苦笑する。
「でも、ほんと根アカな自分に感謝したよ。ずっと落ち込んでたら、たぶん三日くらいで心折れてた」
「すごいな……」
「途中から一人キャンプに来た気持ちになってたし」
「よく切り替えられたね」
「楽しみでも作らないとやってられないだろ?」
ミナトが笑う。
「ただ、家族のことはずっと気になってたけどな」
「家族?」
「うん」
さっきまで明るかった声が、少しだけ柔らかくなる。
「父さんと母さんと、姉ちゃん。それに歳の離れた弟がいる。姉ちゃんは結婚してて、旦那さんと姪っ子もいてさ。みんな結構仲いいんだよ」
「そうなんだ……」
「俺、何も言わず突然消えたことになってるから。みんな心配していると思う。母さん泣いてるだろうなとか、弟どうしてるかなとか。姪っ子、俺のこと忘れてないかなとか。最初の頃は、結構考えた」
ミナトは少しだけ視線を落とした。
「だから、帰れるなら帰りたい」
その言葉だけは、迷いがなかった。
「俺、この世界が嫌いなわけじゃないよ。隣国でも色々よくしてもらったし、キリアンにも助けてもらった。でも、帰れるなら家族のところに帰りたい」
「……うん」
私はどうだろう。
日本にはもう両親もいなくて。
友達とも頻繁に連絡を取ってたわけじゃなかった。
ここで大切な人が増えて、元の世界へ帰りたいという気持ちは、少しずつ薄れてきていた。
突然また、あちらに帰ることになったら、どうなるのかな。
だけど、住み慣れた故郷を恋しく思う気持ちは残っていた。
だからミナトと会えたことが、ものすごく嬉しかった。
「たださ、実際こっちで生活し始めると、生きていくだけで結構大変なんだよな」
ミナトが少し困ったように笑う。
「俺、今は冒険者やってるだろ? 依頼受けて、金稼いで、装備整えて、魔法覚えて。毎日それなりに忙しくてさ。帰る方法を探す余裕まではなかったんだ」
「そうだよね」
ミナトが頷く。
「だから正直、リナに会えて嬉しかったのもあるけど……ちょっと打算もある」
「打算?」
「この国にいた方が、帰る方法を見つけられるかもしれないって思った」
ミナトが私とキリアンを見る。
「リナは俺と同じ事故で来た可能性がある。キリアンは騎士団にいるし、この国には魔術の研究機関もあるんだろ?」
「魔術団ですね」
アインス様が答える。
「そこに異世界人のことを調べてもらえるなら、冒険者をしながら一人で探すより可能性あるかなって」
「なるほどな」
アルベルト様が頷いた。
「こちらで生活することも考えているということか?」
「はい。帰る方法が見つかるまでは、ですけど」
その言葉を聞きながら、ふと疑問が浮かんだ。
「そういえば……私がこちらへ来た時って、すぐ異世界人かもしれないって判断してもらえましたよね?」
「ああ」
アルベルト様が頷く。
「ミナトを保護した時の記録を元に、異世界人を発見した場合の対応手順を作ったからな」
「え?」
思わずミナトを見る。
「じゃあ……私がすぐ保護してもらえたのって、ミナトが先に来てたから?」
「そうなりますね」
アインス様が答えた。
「ミナトを保護した際は、言葉や文化の違いを確認するところから始めました。身元の保証、衣食住の確保、魔法についての説明など、必要な対応を一つずつ整理したのです」
「その経験があったから、リナの時はかなり早く対応できた」
アルベルト様の言葉に、私は少し黙った。
もし。
私がミナトより先に、この世界へ来ていたら。
何も分からない森の中で魔物に襲われていたら。
きっと、どうにもならなかったと思う。
「……ありがとう、ミナト」
「え?」
「私だったら、一週間も一人で生き延びられなかったと思う。ミナトが先に来てくれてたから、私はすぐ助けてもらえたんだね」
「いやいや。俺が何かしたわけじゃないって」
「それでも」
ミナトは少し照れたように頭を掻いた。
「まあ、俺が魔物に追いかけ回された経験が役に立ったなら、苦労した甲斐あったかな」
「それはちょっと違う気がする」
「あはは!」
そこへ、扉が軽く叩かれた。
「入るよ」
返事を待つより早く、銀色の髪が覗く。
「ルディ様」
「みんな、おはよう」
ルディ様が部屋へ入り、ミナトを見つけて足を止めた。
「……その人が、もう一人の異世界人?」
「はい。森下湊です」
「ミナトね。僕はルディ」
「よろしくお願いします」
「よろしく」
ルディ様が、じっとミナトの顔を見る。
しばらく見つめてから、首を傾げた。
「……あれ? おかしいな」
その言葉に、妙な既視感があった。
「あの」
「何?」
「ルディ様、前にも私を見て同じこと言ってませんでした?」
「言ったね」
「何がおかしかったんですか?」
「ああ。そういえば、説明してなかったっけ」
ルディ様が、何でもないことのように答えた。
「僕の闇魔法が、リナには効かなかったんだよ」
「…………え?」
「僕は目を見れば、その人が善意を持っているか、悪意や害意があるか、その辺りをある程度読み取れるんだ」
「えっ」
「でも、リナからは何も読み取れなかった。それでおかしいなって思ったんだ」
「……ちょっと待ってください」
嫌な予感がする。
「もしかして、あの時握手しようとしたのって……」
「うん。直接触れると、もう少し詳しく思考を読み取れるから。そっちなら効くか試そうと思って」
「そんな理由だったんですか!?」
「そうだよ」
「だからアルベルト様、止めたんですね……」
「ああ」
アルベルト様は当然のように頷いた。
「ルディがリナの思考を読み取ろうとしているのが分かったからな」
「なるほど……」
「まあ、それにしても兄様、あの時は怒りすぎてたけどね。風を巻き起こして書類もぐちゃぐちゃになるしさ」
「…………」
アルベルト様は何も答えなかった。
ルディ様だけが、楽しそうに笑っている。
「話を戻すと、ミナトにも効かないんだよね」
ルディ様が再びミナトを見る。
「俺も?」
「うん。目を見ても何も拾えない」
「……それ、普通は全員分かるんですか?」
「程度の差はあるけどね」
「怖っ」
「失礼だなあ」
ルディ様は面白そうに笑ったあと、片手を差し出した。
「ミナト。ちょっと触ってもいい?」
「何するんですか?」
「読心できるか試す」
「嫌なんですけど」
「無理にはしないよ」
ミナトはしばらくルディ様の手を見つめた。
「……変なことまで読まないでくださいよ」
「読めたらね」
「それも怖いな」
そう言いながら、ミナトが手を差し出す。
ルディ様がその手に触れた。
「…………」
「どうですか?」
「……何も読めない」
「本当に?」
「うん」
ルディ様の表情が変わる。
さっきまでのからかうような笑みではなく、何かを考える研究者の顔だった。
「リナだけかと思ってたけど、ミナトにも効かない」
「ということは」
アインス様が眼鏡に触れる。
「異世界人には、こちらの闇魔法が作用しにくい可能性があるということですか?」
「まだ二人しかいないから断定はできないけどね。でも、偶然にしては面白い」
「面白いって……」
「研究対象としては、だよ」
ルディ様が笑う。
「二人とも、僕たちとは何か違うのかもしれない」
そう言ってから、今度はミナトを見る。
「ところでミナト。向こうでは何してたの?」
「仕事ですか?」
「うん」
「転職のつなぎで宅配ドライバーやってましたけど、その前はメーカーで技術職してました。大学も工学系です」
「工学?」
ルディ様が食いついた。
「機械とか、物を作るための仕組みを勉強する感じです。設計とかもやりますよ」
「設計できるの?」
「一応」
「魔道具に興味ある?」
「あります」
「中を見たい?」
「めちゃくちゃ見たいです」
即答だった。
ルディ様の水色の瞳が、きらりと輝く。
「じゃあ、魔術団に来ない?」
「……はい?」
ミナトが目を瞬いた。
「君の知識、魔道具開発と相性良さそう」
「いやいや、俺、魔術の知識なんてほとんどないですよ?」
「それは教えればいい」
「そんな簡単に決めていいんですか?」
「僕に採用を決める権限はないよ」
「ないんですか!?」
「でも推薦はできる」
「ルディ」
アインス様が静かに名前を呼んだ。
「順序というものがあります」
「分かってるって」
ルディ様はまったく気にしていない。
「まず見学に来ればいいよ。異世界の工学がどんなものかも聞きたいし、ミナトも魔道具を見たいんでしょう?」
「それは……めちゃくちゃ見たいです」
「それに」
ルディ様が少しだけ目を細めた。
「帰る方法を調べたいなら、魔術団にいた方が都合がいいんじゃない?」
ミナトの表情が変わった。
「異世界転移について分かっていることはほとんどない。でも、調べるなら研究機関にいた方が情報にも設備にも触れやすい」
「……確かに」
「君にもメリットあるでしょ?」
「ありますね」
ミナトが少し考え込む。
それから、顔を上げた。
「見学だけでも、行ってみたいです」
「決まり」
「まだ何も決まってませんよ」
アインス様が即座に訂正する。
「固いなあ」
「あなたが軽すぎるのです」
そのやり取りを見て、思わず笑ってしまった。
昨日。
ダンジョンで偶然再会したばかりなのに。
ミナトは今日、この世界での新しい仕事まで見つけかけている。
「リナ」
「なに?」
「俺、異世界でも転職活動することになるとは思わなかったわ」
ミナトが笑う。
その隣では、ルディ様がもう魔道具の説明を始めようとしていた。
帰れる方法は、まだ分からない。
でも。
これまで一人で帰る方法を考えていたミナトにとっても。
私にとっても。
手がかりを探せる場所が、一つ増えたのかもしれない。
いつも読んでくださってありがとうございます。
21話にスチルを追加しました。
よかったら、ぜひ見てみてください!




