22. ダンジョンの約束と、認識のずれ
試験に合格した翌日。
仕事の途中、書類を届けに廊下を歩いていると、向こうから見覚えのあるミルクティー色の髪が歩いてきた。
「あ! キリアンさん!」
「リナちゃん。お疲れさま」
こちらに気づいたキリアンさんが、いつもの柔らかい笑顔で手を上げる。
(……あれ?)
今、リナちゃんって言った?
前は、リナさんだったような。
キリアンさんは特に気にした様子もなく、いつも通り笑っている。
(まあ、どっちでもいいか)
それより、ちょうどよかった。
「聞きたいことがあったんです」
「なに?」
「ダンジョン、ものすごく気軽に誘われましたけど……そんなに危ないなら、なんで教えてくれなかったんですか?」
「え?」
キリアンさんが目を瞬いた。
「オレが誘ったところは、そんな危険な階層じゃないよ? それに、オレが一緒ならリナちゃんは守れると思うし」
あまりにもあっさり言われて、今度は私が目を瞬く。
「でも、アルベルト様もアインス様も、ものすごく慎重な感じなんですけど。魔物は訓練とは全然違うって」
「ああ、それはそうだね。自衛できるに越したことはないよ」
キリアンさんは頷いたあと、少し考えるように顎へ手を当てた。
「でも、パチパチするアイスの元が採れるところなんて、ウサギの魔獣がいるくらいの階層だからさ。そんなに危ない場所でもないんだよね」
「うさぎ……」
昨日までの訓練との落差がすごい。
動く人形を狙って、氷壁を作って、逃げ道を考えながら動く練習までした。
最後には、アルベルト様から十秒間逃げる試験までしたのだ。
「私、ウサギのためにあんなに訓練したんですか?」
「あはは。ウサギって言っても魔獣だよ。角もあるし、結構すばしっこい」
「でもウサギですよね?」
「まあ、齧られると傷口から腐ってくることがあるけど」
「腐る?!」
急に可愛くなくなった。
「でも、ポーションがあれば大体治るよ」
「大体……」
さっきまで頭の中に浮かんでいた可愛らしいウサギの姿が、一気に恐ろしいものへ変わっていく。
そんな私を見て、キリアンさんが慌てて手を振った。
「大丈夫だって。普通に気をつけてれば、まず齧られないから」
「本当ですか?」
「本当、本当。たまーーに突然変異がいるくらいで」
「まだ何かあるんですか?」
「いや、本当に滅多にいないよ。闇の魔石を食べた個体とか」
「それ、どうなるんですか?」
「齧られると呪われる」
「呪われる?!」
全然安心できない。
「でも、本当に珍しいから。まず会わないよ」
「そう言われても、聞いちゃったら怖いですよ……」
「ごめんごめん。説明の順番が悪かった」
キリアンさんが苦笑する。
「そもそも、そんなのがいたらリナちゃんを近づけさせないし。オレが対処するから安心して」
あっさりと言う。
「……キリアンさんの『大丈夫』って、ちょっと強い人基準じゃないですか?」
「そうかな?」
「絶対そうです」
「あはは!」
私はしばらくキリアンさんの顔を見つめた。
なんとなく、分かってきた。たぶん、どちらかが間違っているわけではない。
キリアンさんは、自分が対処できる範囲だから大丈夫だと思っている。
アルベルト様たちは、もしもの時に私自身が何もできない状態を心配しているのだ。
「キリアンさんと一緒なら、安全なんですよね?」
「そこは任せてよ」
迷いのない返事だった。
「ちゃんと無事に連れて帰るから」
「……頼もしいです」
「でしょ?」
にこっと笑う。
こういう時のキリアンさんは、本当に頼もしい。
「そういえば、昨日の訓練はどうだった?」
「知ってたんですか? ついに昨日、ダンジョン行きの許可、貰いました!」
「本当? やった!」
キリアンさんが自分のことのように嬉しそうに笑う。
「十二秒逃げ切りました!」
「十二秒?」
「はい。アルベルト様から」
笑顔が止まった。
「……団長から?」
「はい! すごく頑張りました!!」
「……最後の試験、団長から逃げるやつだったの?」
「はい、そうです」
「……今回行くの、第三層なんだけどな」
「だから私も、危険な魔物がいるのかと思ってたんですけど」
二人で顔を見合わせる。
なんだか急におかしくなって、私も笑ってしまった。
「まあ、でも合格したなら問題ないね」
「はい!」
「じゃあ、次の休みでどう?」
「もう行くんですか?」
「行けるようになったんだから、行こうよ」
キリアンさんが楽しそうに笑う。
「朝に出れば、昼前には目的の階層まで着けるよ。素材を採って、少し見て回って、夕方には戻れると思う」
「そんな感じなんですね」
「リナちゃんが想像してるほど大冒険じゃないよ」
「私、もっとこう……命懸けで奥へ進むようなものを想像してました」
「まぁ、そんな所もあるけど、初めてのダンジョンで、そんなところ連れていかないって」
「よかった……」
「今回は観光くらいの気持ちでいいよ」
「魔獣がいるのに観光なんですか?」
「オレがいるからね」
また出た。
キリアンさん基準の大丈夫だ。
でも、不思議とさっきより安心できた。
「パチパチするアイスの素材、絶対見つけましょうね!」
「もちろん。それが目的だから。素材取ったあと、アイス作る準備もしておくよ」
「楽しみです!」
「リナちゃん、本当にそのアイス好きだね」
「みんな好きだと思いますよ!」
「あはは! じゃあ、絶対作らないとな」
そんな話をしていると、廊下の向こうからアルベルト様とアインス様が歩いてくるのが見えた。
「あ、アルベルト様。アインス様」
私が声をかけると、二人もこちらへやってくる。
「リナ。書類を届けに行く途中か?」
「はい。ちょうどキリアンさんに会ったので、ダンジョンの話をしてました」
「団長、聞きましたよ」
キリアンさんが笑いながらアルベルト様を見る。
「昨日、団長から十秒逃げる試験をしたんですって?」
「ああ」
「今回行くの、第三層までですよ?」
「わかっている」
「わかっていたんですか?!」
思わず声を上げた。
「じゃあ、なんであんな試験を?」
「第三層だからといって、絶対に何も起きないとは限らないだろう」
アルベルト様は穏やかに答える。
「もし何かあってキリアンと離れた時、リナ自身で何とかできる方がいい」
やっぱり、そういうことだったらしい。
「アルベルト様、アインス様。私のために時間を割いてくださって、ありがとうございます」
二人とも、万が一のことまで考えてくれていたのだと思うと、本当にありがたい。
「今回に限らず、今後も役に立つ訓練ですからね」
アインス様も静かに付け加える。
「昨日は随分動けるようになっていましたし、十分成果は出ていますよ」
「ああ。よく頑張っていた」
アルベルト様が穏やかに笑う。
そう言われると、やっぱり嬉しい。
「そうだ。アインス様」
「なんでしょう?」
「前に、ダンジョン行きの荷物を用意してくださると言ってくださいましたが、ポーション、少し多めに用意することは可能ですか?」
「構いませんが……なぜです?」
「ウサギに齧られると、傷口が腐ることがあると聞いて、不安になってしまって」
「……なるほど」
「あと、ものすごく珍しいらしいんですけど、闇の魔石を食べたウサギに齧られると、呪われるらしくて」
アインス様が一瞬だけ黙った。
それから、キリアンさんを見る。
「確かに、前に一度報告がありましたね」
「はい。その階層で報告があったのも一度だけですし、その後は聞いていません」
「でしたら問題ないでしょう。ただ、不安なら余分に持っていけばいいと思います」
「いいんですか?」
「ポーション一本程度、大した荷物にもなりませんから」
「ありがとうございます!」
「そんなに、不安にならなくても。オレ、ちゃんと守るよ」
「ええ。あなたの実力は分かっています」
アインス様はいつもの落ち着いた表情で頷く。
「ですが、持っているだけでリナが安心できるなら、その方がいいでしょう」
「……そうですね」
多めにポーションを用意してもらえることになって、少し安心した。アインス様の気遣いがありがたい。
「それで、いつ行くんだ?」
アルベルト様が尋ねる。
「次の休みにしようと思ってます」
「次の休みか」
アルベルト様が少し考える。
「……その日は午前から会議があるな」
「はい、その予定です」
アインス様が頷いた。
アルベルト様は少し黙った。
「大丈夫ですよ、団長。無事に帰れるようにお約束します」
アルベルト様はキリアンさんを見る。
少しだけ間を置いてから、頷いた。
「ああ。頼む」
「任せてください」
キリアンさんは笑みを引き、しっかりと頷いた。
その短いやり取りを見て、これなら大丈夫そうだと改めて思った。
ウサギの魔獣。
齧られると腐る傷。
ものすごく珍しい、呪いを持った突然変異。
少し怖い話も聞いたけれど――。
(でも、楽しみだな)
初めてのダンジョン。
初めて見る景色。
そして、パチパチするアイスの素材。
次の休みが、急に待ち遠しくなった。




