21. 魔法の名前と、最後の試験
それから数日。
仕事終わりの訓練は、すっかり日課になっていた。
動く標的を狙うことにも少しずつ慣れ、氷壁を作ったあと、その場に留まらず移動することも意識できるようになってきた。
「氷、いきます!」
動く人形の少し先を狙い、氷を放つ。
――ガンッ!
氷の塊が、人形の胴体へぶつかった。
「今のは良かったですね。相手の動きを見て、少し先を狙えるようになっています」
「よかった……!」
ほっと息を吐く。
アインス様は人形を元の位置へ戻すと、こちらを振り返った。
「少し休憩にしましょう。魔力も一度落ち着かせた方がいいですね」
「はい」
私は訓練場の端へ移動し、用意していた水を飲む。
以前より魔力を使うことには慣れたけれど、動きながら何度も魔法を使うと、さすがに少し疲れる。
アインス様はその間に、人形の位置を直したり、私が作った氷の跡を確認したりしていた。
少し離れた場所では、アルベルト様が氷壁の厚みを確かめている。
そのときだった。
――ヒュッ。
頭上から、聞き覚えのある風を切る音がした。
見上げると、黒い軍服を風になびかせた騎士が一人、訓練場の上空を旋回している。
「あ、レオくん」
私が声を上げると、その騎士――レオくんは、こちらに気づいて大きく手を振った。
そのまま高度を下げ、訓練場の端へ軽やかに着地する。
「リナさん! お疲れ様です!」
「お疲れさま。今日も飛行訓練?」
「はい! 今ちょうど一周して戻ってきたところです」
レオくんは元気よく答えると、訓練用の人形と、その周囲に散らばる氷を見回した。
「リナさんも、今日また魔法の訓練ですか?」
「うん。もうちょっとでダンジョンに行ってもいいって言ってもらえそうなの」
「おお! すごい!」
レオくんが嬉しそうに笑う。
そのまま人形を見ていたかと思うと、ふと首を傾げた。
「そういえば、リナさんって……まだ『氷、いきます!』なんですね」
「え?」
思わず自分の口元へ手を当てる。
「変?」
「変じゃないですよ! ちゃんと周りにも分かりやすいし。ただ、技名とかつけないのかなって」
「技名……?」
そう言われて、以前アインス様から聞いた話を思い出した。
「えーと、レオくんは…」
「『蒼き風よ、我が翼となれ!』です!」
ものすごくいい笑顔で教えてくれた。
「それ、飛ぶ時のやつ?」
「そうです! お気に入りなんです!」
「お気に入り……」
ちらりとアインス様を見る。
アインス様は人形の肩についた氷の跡を確認しながら、何事もなかったような顔をしている。
(本当に、誰も何も言わないようにしてるんだ……)
「でも、攻撃魔法ならもう少し短い方がいいと思いますよ!」
「レオがそれを言うんですか」
アインス様が淡々と口を挟んだ。
「えっ、副団長! そこは別ですよ!」
「何が別なんです?」
「飛行は気分が大事なんです!」
「そうですか」
「その顔、絶対納得してないですよね?!」
思わず笑ってしまう。
「じゃあ、私の氷にも名前つけようかな」
「つけましょう!」
レオくんが一気に食いついた。
「右手に宿りし氷の欠片よ、凍てつく――」
「それはちょっと。」
「まだ途中ですよ?!」
「もっと短くていいよ!」
「じゃあ……氷牙!」
「なんか強そうすぎない?」
「かっこいいのに!」
私は少し考える。
普段使っているのは、氷の塊を作って飛ばす魔法だ。
「……氷弾、とか?」
「シンプル!」
「分かりやすくない?」
「形状にも合っていますし、十分でしょう」
アインス様が頷く。
「副団長まで!」
「実用性は大切です」
「えー……」
レオくんは少し残念そうだったけれど、私は気に入った。
「じゃあ、氷弾にしよう」
「もう決定ですか?!」
「うん」
「もっと考えましょうよ!」
「あはは!」
笑っていると、アインス様が人形を元の位置へ戻した。
「そろそろ再開しましょうか」
「はい!」
「あっ、じゃあ俺も――」
レオくんが言いかけたところで、アインス様が静かに視線を向ける。
「レオ。あなたは飛行訓練の途中では?」
「……あ」
「戻りなさい」
「はい!」
レオくんが背筋を伸ばした。
「リナさん、頑張ってくださいね! 氷弾、かっこよく使ってください!」
「うん。ありがとう!」
「蒼き風よ、我が翼となれ!」
レオくんの周囲に風が巻き起こる。
レオくんは大きく手を振ると、再び風をまとって空へ飛び上がっていった。
(ほんとに言うんだ……)
その背中を見送り、私はもう一度人形へ向き直る。
「では、続きをしましょう」
「はい!」
アインス様が人形を動かす。
右へ。左へ。突然、方向が変わる。
私は動きを追いながら、その少し先へ手を向けた。
「氷弾!」
――ガンッ!
人形の肩へ氷がぶつかる。
「……おお」
思わず自分で感心してしまった。
「言いやすい」
「それは何よりです」
アインス様が少しだけ笑った。
その後も、訓練は続いた。
攻撃したあと、その場に留まらない。氷壁を一枚作って安心せず、相手の位置を見る。
逃げ道を確認しながら、必要なら足元へ薄く氷を張って距離を取る。
最初は一つのことをすると他が見えなくなっていたけれど、少しずつ身体がついてくるようになった。
「止まりませんでしたね」
アインス様が人形を地面へ下ろす。
「以前なら、氷壁を作ったところで一度動きが止まっていました」
「自分でも、ちょっと余裕が出てきた気がします」
「ええ。魔力の形成もかなり速くなっています」
褒められると、やっぱり嬉しい。
少し離れた場所で見ていたアルベルト様も、穏やかに頷いた。
「焦らなくなったな」
「本当ですか?」
「ああ。最初は目の前のものだけを追っていたが、今は周囲も見ている」
そこまで見てくれていたことが、なんだか嬉しかった。
「では、そろそろ最後の確認をしましょうか」
「最後?」
アインス様の言葉に、思わず姿勢を正す。
「これができれば、ダンジョンへ行くことについては問題ないでしょう」
「本当ですか!」
一気に気持ちが浮き立つ。
「何をするんですか?」
アインス様は答えず、隣のアルベルト様を見る。
アルベルト様が私の方へ向き直った。
「私から逃げてもらう」
「……え?」
一瞬、意味が分からなかった。
「アルベルト様から?」
「ああ」
「逃げるって……どのくらい?」
「十秒でいい」
十秒。 短い。
短いけれど。
(相手、アルベルト様なんだけど……)
「攻撃する必要はない。氷壁でも足元の氷でも、好きに使っていい」
「本当に十秒だけですか?」
「ああ」
アルベルト様が少し笑う。
「危ないと思ったらすぐ止める。気負わなくていい」
「……分かりました」
私は少し離れた位置へ立った。
深く息を吸う。
十秒。 十秒逃げればいい。
「では、始めます」
アインス様が片手を上げる。
「――開始」
その瞬間、私は地面へ魔力を流した。
「氷壁!」
目の前に氷の壁がせり上がる。
私はすぐ横へ走った。
これなら少しは時間を稼げる。
そう思った次の瞬間。
「えっ」
アルベルト様が、もう壁の横から出てきていた。
(速っ!)
慌ててもう一枚。
「氷壁!」
今度は角度を変えて、さらにもう一枚。
その隙間を縫うように走る。
後ろから足音が近づいてくる。
(まだ……!)
足元へ薄く氷を張る。
その上を滑るように進み、勢いのまま方向を変えた。
一瞬だけ、距離が開く。
「……よし!」
いける。
そう思ったところで、背後に気配がした。
「わっ!」
反射的に身体を捻る。
けれど、その前に腕が伸びてきた。
腰のあたりを支えられ、そのまま後ろから抱き込まれるように身体を止められる。
「捕まえた」
「……っ」
耳のすぐ近くで声がした。
近い。
思った以上に近い。
背中にアルベルト様の体温が伝わってきて、一瞬だけ頭が真っ白になった。
「……捕まっちゃいました」
がっくり肩を落とす。
「ダメでしたか?」
「いいえ」
アインス様の声が聞こえた。
「十二秒です」
「……え?」
顔を上げる。
「十秒は過ぎています」
思わず振り返ろうとする。
けれど、まだアルベルト様の腕の中だった。
「合格だ」
「……!」
すぐ後ろから、穏やかな声が聞こえる。
「よく頑張ったな」
「ありがとうございます!」
嬉しくて、思わず笑ってしまった。
これで、本当にダンジョンへ行ける。
「では」
アインス様が、いつもの落ち着いた声で続けた。
「次は私から逃げますか?」
「え?! アインス様から?!」
「ふふ。冗談ですよ」
「びっくりした……!」
「アインス様、そういう冗談言うんですね」
「ええ。たまには」
楽しそうに笑うアインス様につられて、私も笑った。
「……団長」
「なんだ?」
「試験はもう終了していますよ」
「……あ」
アルベルト様の腕が止まる。
どうやら、まだ私を支えたままだったことに今気づいたらしい。
すぐに腕が離れた。
「すまない」
「い、いえ」
離れた途端、さっきまで触れていたところが妙に気になった。
(……びっくりした)
まあ、捕まえる訓練なんだから仕方ない。
私は気を取り直して、ぎゅっと両手を握る。
「これで、ダンジョンに行ってもいいんですよね?」
「ああ」
アルベルト様が頷く。
「今の動きなら問題ないだろう」
「やった!」
思わず声が弾む。
ようやく。
ようやく、あのパチパチするアイスの元を取りに行ける。
私はもう、頭の中で冷たいアイスが弾ける光景を思い浮かべていた。




