手作りクッキーと、ささやかなお礼
その日、仕事を終えた私は、まっすぐ寮へ戻った。
アルベルト様とアインス様には、随分とお世話になっている。
魔法だけじゃない。この世界のことも、仕事のことも、ずっと教えてもらっている。
(何かお礼がしたいな……)
前からそう思っていたけれど、なかなか良いものが思いつかなかった。
今日もそんなことを考えながら帰っていると、元の世界にいた頃によく作っていたお菓子を思い出した。
(そうだ。クッキー作ろう!)
特別なお菓子ではないけれど、大きめに焼いたクッキーは食べ応えがあって美味しい。
「寮母さん。お願いがあるんですけど、調理場を少し借りてもいいですか?」
「もちろんいいよ。何か作るのかい?」
「はい。クッキーを作ろうと思って」
「クッキー?」
「小麦粉と卵と砂糖と……あと、バターがあれば作れるんですけど。これから買いに行こうと思ってます。」
「それなら全部あるよ。使った分だけ代金をもらえれば構わないよ。明日の納品で補充しておくからさ」
「え?いいんですか?」
「いつも多めに仕入れてるから大丈夫だよ」
「ありがとうございます!」
私は使う分の代金を寮母さんに渡して、エプロンを借りた。
「それにしても、急にお菓子作りなんて珍しいねぇ。誰かにあげるのかい?」
「はい。いつもお世話になってる方に、お礼がしたくて」
「あら、いいじゃないか」
寮母さんがにこにこと笑う。
「仕事の方はどうだい? 困ったこととかないかい?」
「あ、大丈夫です! 皆さん良い人なので、気持ちよく働かせてもらってます」
「そうかい。それなら良かったよ」
寮母さんが安心したように頷いた。
「団長も副団長も、私たちみたいな裏方にもちゃんと気を配ってくださるからねぇ。団長なんか、月に一度、街で人気のお菓子を差し入れてくれるんだよ」
「えっ、差し入れ?」
「そうだよ」
「そうなんですね!アルベルト様、私にもよくお土産をくださいます!」
以前、一緒に買い物へ行ってから、アルベルト様は出先で見つけたお菓子なんかを時々くださるようになった。
「そうかい。団長は本当に気が利く人だねぇ」
「はい!」
「お菓子そのものも嬉しいけどね。やっぱり、気にかけてもらえるっていうのが嬉しいんだよ。団長のことはみんな大好きだよ。騎士たちからも信頼されてるしね。貴族なのに偉ぶらないし、団長ほどの人はなかなかいないよ」
「そうなんですね……」
アルベルト様は、私だけじゃなく、寮で働く人たちのことまで気にかけているらしい。
(やっぱりアルベルト様って、すごい人なんだな……)
貴族だとは聞いているけれど、正直なところ、この世界の身分についてはまだよく分かっていない。
偉い人なのは分かる。
でも、私にも普通に接してくださるから、普段はあまり意識することがなかった。
この世界に来たばかりで何も分からなかった私を助けてくれて、仕事まで紹介してくれた。
本当に、感謝してもしきれない。
どうせなら多めに作っておこう。
私は材料を調理台に並べ、クッキー作りを始めた。
寮母さんに調理器具の使い方を教えてもらいながら、材料を混ぜて生地を作る。
元の世界にいた頃によく作っていた、手のひらくらいある大きめのクッキーだ。
生地を並べて焼き始めると、しばらくして調理場いっぱいに甘い香りが広がった。
「いい匂いだねぇ」
「そろそろ焼けたかな?」
焼き上がったクッキーを取り出す。
表面はこんがり焼けていて、いい感じだ。
「ずいぶん大きいんだねぇ」
「これくらいが美味しいんです!」
「そういうものなのかい?」
「そういうものです!」
少し冷ましてから、一枚味見してみる。
外側はさっくりしていて、中は少し柔らかい。
「うん! ちゃんとできてる!」
「美味しそうだねぇ」
「良かったら寮母さんも食べますか?」
「いいのかい?」
「もちろんです!」
寮母さんが一口食べる。
「ん! こりゃ美味しいねぇ」
「ほんとですか? よかった!」
「これなら団長たちも喜ぶだろうね」
寮母さんのお墨付きももらえた。
(喜んでくれるといいな)
◆
翌日。
私は昨日焼いたクッキーを包んで、団長室へ持ってきた。
アインス様は朝からいつものように仕事をしている。
一方、アルベルト様は朝から別の場所へ行っていて、まだ戻ってきていなかった。
仕事を進めているうちに、そろそろ休憩の時間が近づいてきた。
(アルベルト様も、そろそろ戻ってくるかな)
そう思ったところで、団長室の扉が開いた。
「あ、お帰りなさい! アルベルト様!」
「ああ。ただいま、リナ」
(帰ってきた!)
ちょうどいい。
これで二人とも揃った。
「アルベルト様、アインス様。そろそろ休憩にしませんか?」
「私は構わないが」
アルベルト様が時計を見る。
アインス様も書類から顔を上げた。
「珍しいですね。リナから休憩を提案するなんて。何かそわそわしているとは思っていましたが」
「ふふ。実は今日は、お二人に食べてもらいたいものがあるんです!」
「食べてもらいたいもの?」
「ちょっと待っててください!」
私は持ってきた包みを開いた。
「じゃーん! クッキーです!」
アルベルト様がクッキーを見る。
「……大きいな」
「大きい方が美味しいんです!」
「そういうものなのか?」
「そういうものです!」
昨日、寮母さんとも同じ会話をした気がする。
私は二人の前にクッキーを置いた。
「どうぞ!」
「リナが作ったのか?」
「はい!」
アルベルト様が少し驚いたように目を見開いた。
「こっちの世界に来てから、アルベルト様とアインス様にはずっとお世話になってますから。ちゃんとお礼をしたかったんです」
「そうか。……ありがとう。嬉しい」
「いえ! 私の方こそ、いつもありがとうございます!」
アルベルト様がクッキーを一口食べる。
私は少し緊張しながら、その様子を見つめた。
「……美味しいな」
「ほんとですか?! よかった!」
「ああ。これは好きだ」
「よかったー!」
思わず笑うと、アルベルト様も穏やかに笑った。
「リナはこんなものまで作れるんだな」
「元の世界にいた頃に何度か作ったことがあるんです」
「そうなのか」
「はい!」
喜んでもらえてよかった。
アインス様もクッキーを一口食べる。
「……美味しいですね」
「ほんとですか?!」
「ええ」
「よかった!」
「ですが、わざわざお礼など必要ありませんよ。私は好きであなたに教えているだけですから」
「でも、私がお礼したかったんです」
そう言うと、アインス様が少し黙った。
「いつも仕事や魔法、それにこの世界のことまで色々教えてくださってますから」
「……わざわざ私のために作ったんですか?」
「はい。アインス様に食べてもらいたくて」
「……」
(あれ?)
なぜかアインス様が黙ってしまった。
「もしかして、甘いもの苦手でした?」
「今、美味しいと言ったでしょう」
「あ、そうでした!」
アインス様が小さく息を吐く。
けれど、その口元は少し笑っていた。
「ありがとうございます、リナ」
「いえ! いつもありがとうございます!」
いつもより柔らかい笑顔だった。
思わず、その顔を見つめてしまう。
「……アインス様って、やっぱり笑うとすごく綺麗ですね」
ぽろっと口にすると、アインス様の笑顔が止まった。
「……リナ」
「はい?」
「あなたは、時々そういうことを平然と言いますね」
「え?」
「いえ。なんでもありません」
アインス様は小さく息を吐いて、もう一口クッキーを食べた。
(喜んでもらえたみたい。よかった!)
そこで、昨日寮母さんから聞いた話を思い出した。
「そういえば、昨日寮母さんから聞いたんですけど」
「何をだ?」
「アルベルト様、寮の皆さんにもよくお菓子を差し入れされるんですね!」
「……寮?」
「はい! 私にもよくお土産をくださるので、皆さんにもされてるんだなって」
「ああ。寮には月に一度ほど、何か贈るよう手配している」
「やっぱり! 皆さん喜んでましたよ!」
「そうか。それならよかった」
アルベルト様が頷く。
「でも、本当にすごいですね。私にもいつもお土産をくださるし……」
「リナの分は別だ」
「え?」
「寮への差し入れは使用人に手配を任せている。リナには、私が出先で見つけて、渡したいと思ったものを買っている」
「……」
「だから、同じではない」
「そ、そうなんですね」
なぜだろう。
急に顔が熱くなった。
「ありがとうございます……」
「ああ」
アルベルト様は何でもないことのように、またクッキーを口に運んだ。
(……びっくりした)
すると、アルベルト様が手元のクッキーを見ながら、ふと何かを思い出したように口を開いた。
「そういえば、女性から手作りのものをもらって食べるのは初めてだな」
「え?」
「学生の頃から、令嬢に菓子や贈り物を渡されることはあったが、基本的には受け取らないようにしていた」
「そうなんですか?」
「ああ。家同士の思惑が絡むことも多かったからな。それに、学生の頃、令嬢が意中の相手へ渡す菓子に媚薬を入れる騒ぎが何度かあってな」
「えっ?! 媚薬ですか?!」
「ああ。それ以来、余計に手作りのものは受け取らないようになった」
「そんなことが……」
思ってもみなかった話に驚く。
でも、それなら――。
「あの……すみません。知らずに手作りのものを渡してしまって」
「なぜ謝る?」
「だって、手作りのものは受け取らないようにしてたんですよね?」
「ああ」
アルベルト様が私を見る。
「だが、リナからもらったものは嬉しかった」
「……え?」
「リナからもらったものなら、何も心配はいらない。だから受け取った」
「……」
また、顔が熱くなってきた。
「そ、そうなんですね……」
「ああ」
アルベルト様は何でもないことのように、残っていたクッキーをもう一口食べる。
「リナも、信用できない相手からもらった食べ物には気をつけた方がいいぞ」
「は、はい!」
隣を見ると、アインス様がなぜか額を押さえていた。
「アインス様?」
「……いえ。何でもありません」
どうしたんだろう。
でも、二人とも喜んでくれたみたいでよかった。
私は自分のクッキーを一口かじる。
甘くて、懐かしい味がした。




