血涙
歌舞伎町のはずれにある、淀んだ空気を纏う廃ビル。
その裏路地に身を潜めながら、僕――赤城湊は、隣にいる桃井凛に作戦を提案していた。
「いいかい、桃井さん。相手は本職のヤクザだ。まともに正面突破するのは危険すぎる」
「……うん」
「だから、陽動と分断作戦で行こう。僕が外からこのビルのネットワークにダイブして、監視カメラや照明、相手の通信機器を全てダウンさせる。奴らが暗闇と混乱でパニックになっている隙に、桃井さんが突入して青島さんを救出するんだ」
僕の得意な電子戦でサポートし、彼女の物理戦闘力で制圧する。我ながら完璧な作戦だ。
しかし、凛はなぜか眉根を寄せ、強く首を横に振った。
「……嫌。絶対に嫌」
「えっ!? なんで!?」
「嫌なものは嫌。別行動なんてありえない」
頑なに拒否する凛。
(な、なんでそんなに怒ってるんだ……?)
普通に考えれば、いくら精霊戦士とはいえ女子高生一人でヤクザの巣窟に突入するのは不安だからだろうか。だが、一緒に突入したところで生身の僕など足手まといになるだけだ。
もちろん、僕には彼女の真の理由など知る由もなかった。
凛の脳内は、ただ一つの不満で埋め尽くされていただけだった。
(分断作戦なんてしたら……湊がメガネを外して変身する瞬間を見られないじゃないッ!!)
そんな極めて不純な理由を口に出せるはずもなく、凛はただ「嫌」の一点張りで僕を睨みつけている。
時間が惜しい。青島さんが今この瞬間も暴行を受けているかもしれないのだ。
焦った僕は、つい口走ってしまった。
「お願いだ、桃井さん! 今回だけでも僕の作戦に協力してくれ! もし助けてくれたら……一つだけ、僕にできることなら君の願いを聞くから!」
ピクッ。
凛の肩が揺れた。
その瞬間、彼女の脳内に『キュピーン!』という劇的な効果音が鳴り響いたのを、僕は確かに幻聴として聞いた気がした。
(お、願いを、一つ……)
凛の瞳の奥で、欲望の炎がボワッと燃え上がった。
彼女の心の中での願いは、最初からたった一つに決まっている。
『――メガネをやめて、コンタクトにして!』
いつでも、どこでも、あの圧倒的な素顔を拝み放題。そんな夢のような生活が約束される魔法
凛は、先ほどの不貞腐れた態度を秒で捨て去り、スッと立ち上がった。その顔は清らかで凛々しい。
「……わかったわ。仲間のためだもの。絶対にブルーを助け出そうね、湊くん」
「桃井さん……! ありがとう!」
僕は彼女の熱い仲間思いに感動しながら、ビルの陰でメガネを外し、電脳空間へとダイブした。
「ハアアアアッ!!」
電子ロックが解除された廃ビルの鉄扉を、凛が豪快な蹴りで吹き飛ばした。
メガネを外させるため。ただその一心で、彼女はヤクザの群れをちぎっては投げる気満々で突入した。
だが――。
「……え?」
「おお、ピンクちゃん。それに湊も。わざわざわりぃなー」
突入したフロアの光景に、僕と凛は呆然と立ち尽くした。
薄暗いフロアの床には、屈強なヤクザたちが十数人、全員白目を剥いてボロボロになって転がっていた。
そして、そのヤクザたちの山(物理)の上にどっかりと腰を下ろし、呑気にタバコを吹かしている青島ジンの姿があった。
もちろん、傷一つ負っていない。
「あ、青島さん……これ、全部一人でやったの……?」
僕が電脳空間から現実に戻り、メガネをかけ直しながら尋ねると、ジンは「おう」とあっさり頷いた。
「いや、無事ならなんでSOSなんか送ってきたんですか!? 僕たち、青島さんがヤクザにボコボコにされてると思って……」
「あー、いや。喧嘩なら負けねえんだけどよ。俺が店の金パクってないって証明できねえじゃん? 俺、頭使うの苦手だし」
「へ?」
「湊、お前ハッカーなんだろ? だから呼んだんだよ。後輩が店の金を横領して、俺に罪を擦り付けたっていう証拠、お前のパソコン技術でサクッと見つけてくれねえかなって」
「……あー、そういうこと」
僕は深くため息をついた。ヤクザを全員物理で制圧した上で、証拠探しの業者として僕を呼んだわけだ。
「わかったよ。ちょっと待ってて」
僕はスマホを取り出し、ホストクラブのサーバーと後輩の端末にハッキングをかけた。ものの数分で、裏帳簿のデータと、後輩が裏社会の連中と交わしていた取引のメッセージ履歴を引きずり出す。
「うん、これで完璧。警察とお店のオーナーに匿名で証拠データを送っておいたよ。ついでに、このヤクザたちの余罪の証拠も」
「マジか! すげえな湊、助かったぜ!」
ジンはヤクザの山から飛び降りると、僕の肩をバシバシと叩いて笑った。
事件は、あまりにもあっけなく、そして平和に解決した。
だが。
そのフロアの片隅で、一人だけ絶望の淵に立たされている少女がいた。
(ヤクザが……最初から全滅してる……。私が、戦う隙なんて、1ミリも、ない……)
当然、ピンクの出番はゼロである。
分断してまで突入したのに、物理的な危険は一切なく、ただ僕がスマホを数分ポチポチして終わってしまった。
つまり、「僕の作戦に協力して(命懸けで戦って)くれたら願いを聞く」という契約は、見事に不成立となってしまったのだ。
「いやー、桃井さんも、危ない目に遭わなくて本当によかった!」
僕がホッと胸を撫で下ろして微笑みかけると。
「……うん、そうだね。よかった……」
凛は、表面上はクールな美少女の微笑みを浮かべていた。
だが、その心の中では滝のような血の涙をドバドバと流し続けていたのだった。
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