過去との決別
ズドォォォォンッ!!
教室の窓ガラスが派手に吹き飛び、黒い靄のようなものが侵入してきた。
逃げ惑う生徒と先生たち。砂埃の中から現れたのは、どす黒い『悪のプラーナ』を纏った怪人――いや、それは凛と全く同じ顔をした『もう一人のピンク(黒ピンク)』だった。
悪の組織を抜けた際、凛が捨て去った強烈な負の感情が、そのまま具現化した存在だ。
「私ヲ……置イテ……行クナァァァッ!!」
怨念の声を上げる黒ピンク。
誰もいなくなった教室で、凛は一人、ハンカチをしまってスッと立ち上がった。その目は、先ほどのパニックが嘘のように鋭く澄んでいる。
「な……君は一体……!?」
逃げ遅れ(というより腰が抜けて)、机の陰で震える僕が思わず声を上げる。
「……危ないから、下がってて。湊は、私が守るから」
凛は僕にだけ聞こえるような優しい声でそう呟くと、空間から桃色の精霊を呼び出した。
「いくわよ!」
『おっしゃ、任せとき!』
「「 プラーナ・共鳴! スピリット・装衣!! 」」
眩いピンクの光が教室を包み込み、光の粒子が凛の体を包んでいく。
次に現れたのは、洗練された桃色のスーツを身に纏う『精霊戦士ピンク』の姿だった。
「ハアアアッ!」
凛は床を蹴り、黒ピンクへと突進する。
教室内で、凄まじいプラーナ同士の激しい攻防が始まった。柔道ベースの重い打撃と投げ技が交錯し、机や椅子が次々と吹き飛んでいく。
だが、かつての自分の「全てを奪われた絶望」の結晶である黒ピンクの力は強大だった。
『アノ憎シミヲ……忘レタト言ウノカァッ!』
「くっ……!」
黒ピンクの強烈な一撃を受け、凛は黒板へと激しく叩きつけられた。次第に息が上がり、押し込まれ始めている。
(だ、ダメだ……このままだと桃井さんがやられちゃう!)
机の陰で震えていた僕は、意を決した。
現実での物理戦闘なんて僕には到底無理だ。それでも、目の前でクラスメイトが傷つくのを黙って見ているわけにはいかない。せめて変身して、少しでも気を逸らせれば……!
「いくよ、ルミっ!」
「はい、ミナト様!」
僕は震える手を顔にやり、分厚い黒縁メガネをサッと外した。
「プラーナ・共鳴――」
変身の掛け声を叫ぼうとした、その瞬間だった。
ピタッ。
教室を揺るがしていた激しい戦闘音が、嘘のようにピタリと止んだ。
「えっ?」
僕が間抜けな声を漏らすと、凛も、そして黒ピンクも、微動だにせずジッとこちらを見つめていた。
正確には、メガネを外した僕の素顔を、目を限界まで見開いてガン見している。
(な、なんだ? どうしたんだ……!?)
何事かと思って固まっていると、どす黒い怨念を撒き散らしていたはずの黒ピンクの顔つきが、スゥッと変わった。
『アア……尊イ……。モウ、イイ、思イ残スコトハ、何モ、ナイ……』
かつて柔道を奪われた絶望も、世界への憎悪も、全てがどうでもよくなるほどの圧倒的な好みの顔の力。
黒ピンクは仏のように穏やかで満ち足りた表情を浮かべると、光の粒子となってフワフワと凛の体の中へと吸い込まれていった。
かつての自分すらも取り込み、愛の力で限界突破を果たした最強のヒロイン――『完全体ピンク』の完成である。
「……えっと、勝った、の?」
僕がポカンとしていると、ピンクのスーツ姿の凛は、バイザー越しでもわかるくらい顔を真っ赤にして静かにコクコクと頷いた。
放課後。
僕たちは壊れた教室から逃げ出し、近所のマクドナルドの隅の席で向かい合って座っていた。
「ぐ、偶然だね、湊くんも、ヒーローなんだ、一緒だね……」
「う、うん。桃井さんも精霊に選ばれてたなんてびっくりしたよ。さっきの変身、すごくかっこよかった」
凛はストローを噛みながら、必死に平静を装って話しかけてきた。
表面上はクールな美少女だが、さっきからポテトの箱を握りしめる手が微かに震えている。
「でも、これからまた怪人が出たり、何があるかわからないし……連絡先、交換しておこうか?」
僕がスマホを取り出して提案すると、凛の目がカッと見開かれた。
「れ、れれ、連絡先っ!? アドレス!? LINE!? い、いいよ、交換、しよう……!」
凛は慌てて自分のスマホを取り出した。
しかし、彼女の手は震度7クラスの尋常ではない震えを起こしており、空中でスマホがガクガクと暴れ回っている。QRコードの画面を出そうとタップする指先も、見当違いの場所をタップするだけで全く画面に当たっていない。
「あー、ごめん。貸してみて。僕がやるよ」
見かねた僕は、ごく自然な動作で手を伸ばし、彼女の震える両手の上に自分の手をそっと添えた。
「ひゃっ!?」
「あ、ごめん、冷たかった? ……えっと、これで読み込んで、と」
ピロン♪
無事にメッセージアプリの交換が完了した。
「よし、できたよ。これでいつでも連絡取れるね、桃井さ――」
僕が顔を上げると、そこには口から一筋の魂を吐き出し、白目を剥いて気絶している凛の姿があった。
その顔は、先ほどの黒ピンクと同じように、思い残すことは何もないというような幸福に満ち溢れている。
『あーあ。キャパオーバーでショートしちゃったんですね』
『アカンわこの子。手ぇ触れられただけで昇天しよったで……』
呆れ果てるルミと、ピンクの精霊。
目の前で突如気絶したクールビューティーを前に、僕はスマホを持ったまま完全に途方に暮れていた。
「……どういうこと?」
こうして僕たちの、世界を守る戦いが本格的に幕を開けたのだった。
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