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第二章(1)俺、先輩の匂い好きです

《登場人物紹介》

◾️吉野遍

「白川先輩んち、マジで白川先輩んちって感じ〜」って思っている。


料理が壊滅的にダメなため、白川先輩が自炊していることに感動。

遍は普段の食事はコンビニかチェーン店。

吉野家のことは「俺ん家」と呼んでいる。


◾️白川古都

まさかこんなに恥ずかしい思いをするとは思っていなかった29歳。


3LDKの間取りは、LDK25畳、寝室12畳、書斎6畳、物置6畳、ウォークインクローゼット。

食料品はお高いスーパーで買う。

金曜はいろいろ買い込んでアラカルト作って楽しんだりも。

朝の通勤時間帯の堺筋線は、ひどく蒸し暑かった。


「職場では付き合ってるの絶対バレたくない」


遍は、週末古都に言われた言葉を反芻していた。

(そりゃ、男と付き合ってるって知られるのいややんな)

何に縋るものもなく両足で重心を捉えて揺れに耐えながら、遍は起き抜けの頭でぼんやりと考える。

(付き合ってる……)

何気なく想起した言葉に、顔が赤くなる。

あの後、古都のマンションで土曜の夜までを共に過ごした。

夢のように居心地の良い時間だったが、いまだに実感が湧かない。

(先輩に迷惑がかからないようにしよ……)

遍は、スマホの画面を眺めながら小さく頷いた。


午後三時半。

古都は自販機にコーヒーを買いに来た。

互いに来るであろう時間帯を探りあった末の不文律だ。

「……あ、白川先輩!」

背後からかけられた声に振り向くと、遍がいつも通りの笑顔で立っていた。

まるでちぎれんばかりに尻尾を振るチワワのようだ……と古都は思った。

「吉野か」

「お疲れ様です〜!」

その「いつも通り」に古都は少しホッとする。

変に距離が近いのも、逆に変に距離を取られるのも居心地が悪い。

プライベートの関係性が社内で広まってしまうと、変に勘繰られて贔屓だの何だのと遍の評価が正当でなくなる可能性がある。遍の立場が不利になることは、古都にとってはどうしても避けたい事案だ。

それを遍は若手ながらよく理解してくれているようだ。

「何飲む?」

「いやいや、自分で買いますって」

そういいながら遍は今日はフルーツミルクのペットボトルを選んだ。

「甘そ」

ブラックコーヒーを一口飲んで笑う古都の唇を見て、遍はふと金曜の夜を思い出す。

あの唇が何度も首筋を這って、ちょうど、ワイシャツの襟に隠れるところに痕をいくつもいくつも残して。

しばらく見とれて、ハッと我に返ってフルーツミルクを一気に飲み干した。

「午後にこそ脳に糖分入れんとね! ……じゃ、外行ってきまーす!」

「おう、お疲れ」

慌てて走っていく遍の背中を見送り、古都もまたフロアへと帰って行った。



金曜日の夜から日曜日の夜までを、遍は古都のマンションで過ごすようになった。

ユニクロの部屋着、ドラッグストアで買ってきた歯ブラシにシャンプー、コップにマグカップ。

古都の部屋に少しずつ遍のもちものが増えていく。

休日を寝て過ごす元来の癖と、前の夜たくさん愛されるせいで、遍は大体昼前まで眠っている。

古都はいつも通りの時間に起床して、遍を起こさないようにベッドから出て、マンション併設のジムで早朝から汗を流す。

昼頃に、古都にとっては昼、遍にとっては朝の食事をして、午後からはリビングで過ごす。

最近は、互いのおすすめの映画を一本ずつ観るのにハマっている。

今回古都が選んだのは「セブン」で、遍は「僕のワンダフル・ライフ」だ。

セブン初見の遍は古都に「刑事もの」と聞かされて「おお!」と喜んでいた。

55インチに流れ始めたエンドロールを見て、遍は「後味わるぅぅぅ」と古都の太腿に顔を埋めて悶えた。

「悪いよなぁ」と、古都も小さくため息をついた。

「先輩騙しましたねぇ……?」

「嘘は言うてへんよ」

「汚い大人やぁぁ……」

「コーヒー入れ直そか」

古都が二人のマグを持って立ち上がる。

黒いTシャツにスウェットのその後ろ姿を、遍は見上げる。

誰も家にあげたことないと言う古都の言い分が正しいのであれば、この姿を見ることができるのは、自分だけなのだ。

(そんなことある?)

スーツ姿とは違うセクシーさ。

半袖から見える腕の筋肉。休日でも姿勢のよい立ち姿。

その男と、こうして週末のたびに時間を共有している。

不思議なのだ。

ここならば、呼吸ができる。

肌を合わせることに、安らぎを感じる。

こんなこと、これまでに一度もなかった。

(なんか……俺、幸せみたいやない?)

遍はざわざわと慣れない感覚を落ち着かせようと、胸のあたりを撫でる。


遍は「気分変えましょ!」と自分のおすすめをサブスクで検索する。

「動物もの……?」と古都に眉を顰められるも、「これ絶対感動しますから!」と押し切った。

健気な犬につい遍を重ねてしまい、涙を流す遍の横で古都も一瞬目頭が熱くなり、エンドロールで古都は遍の頭をよしよしと撫でた。

「待って、先輩なに考えてるかわかる気がする! やめて……! 可愛がらんとって!」

遍も腹を抱えながら笑い、古都の肩に頭を乗せる。

遍の髪にキスを落とし、古都はスマホを見た。午後五時を少しまわったところだ。

「……どこか出かけるか?」

遍はチラッと古都を見上げると、その胸に頬を寄せて甘えた声を出した。

「家におりたいです。ずっと先輩とくっついときたいんやもん」

遍は半ば、自分に言い聞かせるように言う。

本当はでかけたくない訳ではない。

カフェや映画館、その後本屋で本を見たりするのも楽しいだろう。

しかし、外に出ればそれだけ知り合いに見られる可能性が高くなる。

遍は古都に迷惑をかけないようになるべく家に居たがった。

しかし、土日しか会えない分、少しでもくっついておきたいのもまた、事実だった。

「……お前は、ほんまに」

ゆっくりと、ソファに押し倒す。

遍の黒い髪がふわりと広がって、シャンプーのよい匂いがした。

古都の手のひらが遍の頬を撫でると、ふわりと甘い香水が香る。

「俺、先輩の匂い好きです」

その手のひらに頬擦りをして、遍は微笑んだ。



日曜日の夜に、古都の車で遍は自宅のマンションまで送ってもらう。

「帰りたないなぁ……」

古都は目に見えて落ち込んでいる遍の右手を握り、親指ですりすりと撫でてやる。

「明日、会社で会えるやろ?」

「……うん、先輩」

古都は助手席を目だけでちらりと見る。

路面店の照明に照らされた遍の唇は、こどものように尖っている。

それがあまりにも可愛くて、古都は思わず眉を下げた。

「……そろそろ“先輩”っていうん、やめん?」

「えっ。じゃあなんて呼んだら」

「名前でええけど」

「えっ、ちょ、心の準備が……っ」

シートに預けていた身体を乗り出して、遍は古都を見る。

「いらんやろ準備なんか。なあ、あまね?」

遍はひえっと小さく悲鳴をあげた。

「ちょっと……! 不意打ちやめてください心臓止まるんで!」

「ん? 呼んでくれへんの?」

車はちょうど、遍のマンションに止まった。

「……あの、家で、練習してきます」

顔を真っ赤にして助手席のドアを開けようとする手を、古都は身を乗り出して止め、遍に覆い被さるようにその唇を軽く奪った。

間近で見つめられる目は優しく細められている。

遍はさらに顔を赤くして、車から降りた。

「おやすみ」

「……おやすみなさい」

窓越しの挨拶に、古都は運転席から軽く手をあげて走り去った。

遍はそのテールランプが角を曲がるまで見守っていた。


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