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第一章(4)彼のうわさ

《登場人物》

◾️吉野遍

いちごミルクの次はクリームソーダの500ml。

マンゴーラッシーがなくなったのが悲しい。


◾️白川古都

香水はTOM・FORDタバコ・ヴァニラ。

腕時計はグランドセイコーSLG A009。

車はメルセデスベンツAクラスハッチバック。

仕事鞄はVelextraのダブルハンドルブリーフケース。

「あ! 白川先輩!」

「ああ。吉野か」

自販機の前にいた白川に、遍は声をかけた。

「この前貰ったアドバイスを参考に資料修正したら、部長にめっちゃ褒められたんですよ〜! 『若いのにいい視点持ってんな』とかいわれて! へへ」

遍は部長の声真似を交えて嬉しそうに言う。

「そりゃよかった」

「ほんと白川先輩のおかげです! ありがとうございます!」

桃のカルピスを購入して跳ねるように廊下を去っていく遍の後ろ姿を、白川は少しだけ口角をあげて見守っていた。


遍が営業部のデスクに戻ると、先輩が声をかけてきた。

「吉野……お前、白川主任と話してたけど、仲良いの?」

「えっ、いやいやいや、そんな俺なんかが仲良いとか烏滸がましい! ちょっとアドバイスとか貰ってるだけで……」

「……アドバイスもらってんの?! あの黒い悪魔に!?」

「や! や! そんな! ほんと、大したことじゃなくて……!」

両手を振って大きく否定しつつ、遍は自分の耳が赤くなっているのを感じた。

二人の会話に、遍の同期も参戦してきた。

「白川主任といえばさ、総務の江永さんと付き合ってるんでしょ?」

「えっ、あの江永さんと……?」

総務部の江永さんといえば、遍の二歳年上の、色白でモデル体型で黒髪が美しい人だ。

誰にも分け隔てなく優しく、遍が用事で総務に行くと、いつも手招きをしてリンツを一粒くれる。

「なんか、女子が言ってたよ。もう数年になるんじゃない?」

「白川主任と付き合えたらステイタスでしょ〜。だって通勤ベンツでしょ?」

「黒ベンツ。見るからに金持ってそうだよね」

「あれ、江永さん別れたって聞いたけど」

「えっ!? マジで!? いつ!?」

「最近じゃない? 右手の指輪なくなったって~」

「よく見てんな~女子は~」 

「ふわ〜! どっちが振ったんだろ〜」

(白川先輩、結構面食いなんや……)

遍はひとり、目をキョロキョロさせて同僚の会話をきいていた。


気が付けば、自販機前で会えば話すのが当たり前になっていた。

遍がコンペに負けた日も、営業先で理不尽な目に遭った日も。

白川はいつもブラックコーヒーで、遍は毎回違うものを買っていた。

今日は自販機商品の入れ替えがあったらしく、「期間限定プリンシェイク」なる新商品が並んでいた。

(誰が飲むねん……)

と思いながら、白川はひとり、飲みそうな人物の顔を思い出した。

「あ! せんぱーい!」

向こうから手を振りながら小走りで遍が近寄って来た。

「お疲れ様です!」と言いながらポケットの小銭入れをまさぐる。

「え! なにこれ! プリンシェイク!? 飲まなあかんやんこんなん!!」

目を輝かせてなんの迷いもなくそのボタンを押す姿に、白川は思わず口を抑えてこっそりと笑った。

「白川先輩いつもブラックコーヒーって決めてるんです?」

「選ぶ手間省いてるだけ」

「先輩やったら事務所にマイエスプレッソマシーンとか置いてそうやのに」

「さすがの俺もそこまでの権限はないわ」

二人で話すとき、いつからか、遍は白川が会議中には絶対見せないような表情を見せてくれることに気付いた。

(これって……)

そう思いながらも、思い過ごしだろう、と自分に言い聞かせる。

(でも……)

ふっと笑いをこぼす口もとの優しさ。

目元の光の柔らかさ。

一緒にいると落ち着くし、もっと一緒に居たいとすら思う。

(――いやいや、自惚れるな。江永さんが付き合えるような人やぞ。白川先輩が俺なんか相手にするわけないやろ)

トイレの鏡に映る自分の顔を見つめ、遍は小さく頭を振った。


これまで、女性と付き合ったことはある。

友人としてならよい関係を築けるのに、恋人となると何故か上手くいかない。

どれだけ人として尊敬しあえる間柄となっても、体の関係となると心が動かないのだ。

じゃあ男なのか、と思ってそれも試してはみたが、やっぱりしっくりこない。

そもそも、身体の関係自体そんなに興味があるわけでもなかった。

自分がアセクシャルなのか、そうでないのか。

その答え合わせさえ、もはや遍にはどうでもよかった。

誰とも深く付き合わなければ良いだけだという結論だけは、分かっていた。


だというのに。

今日も自販機前にあの長身の人影があればいいと、思ってしまう。


気がつけば、たまに飲みに行くようになった。

大体は仕事の話だ。

白川の喋ることを遍は熱心に聞き、いそいでメモを取ることもあった。

遍があまり酒が強くないことに気付き、白川はいつのまにかチェイサーを注文して、酔い潰れないように気を配ったりもする。

白川の自宅は中之島だが、遍の自宅は天満で、会社を挟んで正反対だ。

タクシーに同乗するように言うが、遍はいつも丁重に断り、大きく手を振って駅に吸い込まれていく。

白川はそのリュックサックの背中を見送ってから、タクシーに乗りこんだ。

静かな車内で、金曜の夜の車線を埋めるテールランプを眺める。

さっきまで横にいた遍の笑顔や柔らかい声の余韻が耳の奥に残っていて、少し心が穏やかでいて、それでいて少し寂しい気もする。

(これは……)

その所在のない不確定な要素を、古都は持て余す。

(いや。あいつは仕事のアドバイスが欲しいだけ)

あくまで、将来有望な後輩の育成に努めるだけだと、古都は自分に言い聞かせる。


だというのに。

ついあの笑い声が聞きたくて、時間帯を見計らって古都は自販機に足を運んでしまう。

「白川先輩!」と嬉しそうな声が近付いて来ることを期待して。


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