第七章(6)二つの願い《最終話》
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《登場人物紹介》
◾️吉野遍
好きなおでんの具……ウインナーと卵!
◾️白川古都
好きなおでんの具……大根、しらたき、ごぼう天
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「古都にはもう、何も失ってほしくないんよ……」
遍はぽろぽろと涙をこぼした。
「俺は、お前を失うことが一番辛いわ、あまね」
遍は縋るような目で古都を見て、また目を伏せる。
今すぐ、目の前にある古都の胸に飛び込みたかった。
それでも、遍は爪が真っ白になるほど、手を握りしめた。
「……けど、古都は……バイやん。俺がおったら、あるかもしれんあと半分の可能性を、俺が一生潰してしまうんやで? そんなん、古都が可哀想やんか……!」
リビングに、静寂が満ちた。
古都は、目を細めて遍を見た。
「……可哀想?」
「……え?」
「俺は、可哀想なんか?」
古都は手を伸ばし、遍のジャージの襟元をぐっと引き寄せた。
「お前はいつもそうやって、『俺なんか』って身を引くことで一人で勝手に帳尻合わせて納得してるよな。けど、お前を選んだっていう俺自身の決断を『可哀想』って言うてしまうんは……ちょい、俺に対して失礼ちゃうか?」
「……」
「もちろん、お前自身の人生に対してもやぞ」
「古都……」
「俺は、何度も選んだ。誰に強制されたわけでもない。お前がええって選んで、今ここにおるんや」
古都の大きな手が、遍の涙で濡れた頬を包み込む。
指先が、少しだけ震えていた。
「俺の決断がいっときの迷いやって言うんやったら、互いに冷静になるために一年間距離置いてもええわ。せやけど、俺は366日目の朝にお前を迎えに来る。今更変わる気持ちなんか、いっこもないわ!」
まっすぐに見つめてくる強い瞳。
遍がずっと憧れて、愛してきた男の目だ。
「お前はどうなん、あまね……俺とおるんは、もう、嫌か?」
「……いやな、わけ……」
「選んでくれ、あまね」
古都は遍の額にじぶんの額を預けた。息がかかるほどの距離で、懇願するように囁く。
「俺とおったら、これからもこんなしがらみはきっといくらでも出てくる。そのたびにお前を泣かせてしまうかもしれん。けど、その度に俺はお前を守る。絶対に守る。……こんな面倒な男でも、選んでくれるか? それとも、こんなややこしい男は、嫌か……?」
古都の手のひらが、遍の指先を包んだ。
「……お前自身の、本当の気持ちが聞きたい」
鼻が触れ合うほどの距離で、見つめ合う。
「……古都」
遍が意を決して息を吸い込んだとき。
キッチンから、わざとらしい咳払いがひとつ、聞こえた。
二人が一斉にその声のほうを向くと、母親がニコニコと笑って立っていた。
「……えっと、おかーさん、コンビニ行ってくるから。まあ。その。ごゆっくり」
そういってカニのように歩いて二人の傍らを通過し、ダウンを羽織り、三和土に降りる。
二人は無言でそれを見守る。
カチャン。と玄関の鍵が落ちて、吉野家にまた静寂が戻った。
二人は再び顔を見合わせた。
耐えきれずに、二人同時に吹き出した。
「えっ……はっず……全部おかんに聞かれてたんか俺……」
「いや、俺もかなり恥ずかしい……」
手のひらで顔を覆う遍を、古都はその手首を優しく取って、上を向かせる。
少しだけ緊張の解けた瞳が、柔らかく遍を見つめている。
古都は遍の手首を持ったまま、その手のひらを、自分の頬に当てた。
遍の、人よりも少し高い体温。
じわり、と伝わるその熱に、古都は目を細めて笑う。
「お前の温さに、俺はずっと救われてきたんやで」
仕事が行き詰まったときも。孤独に飲み込まれそうな夜も。
自販機の前の、屈託のない笑顔に。
「お前の体温と笑顔に、ずっと救われてきた……」
遍の温かい手のひらに、古都は頬擦りをした。
この温度を、忘れないように、記憶に刻もうとするように。
「——愛してるで、あまね」
初めての古都のその言葉を、遍は一生忘れないでおこうと思った。
新しい涙が、頬を伝う。
(俺もやで)
遍は溢れる涙を拭いもせず、古都の頬を撫でる。
(俺も、ずっと、古都に救われてきたんやで)
同期に負けた日も。出先で酷い目にあった日も。誰も愛せないのではないかと恐れていた夜も。
(古都……)
遍はもう片方の手も、古都の頬に添えた。
「古都……、」
あまね、と古都は声にならない声で遍を呼ぶ。
「古都ぉ……」
古都の輪郭を確かめるように、遍は頬を撫でる。
「俺……古都のお父さんに、真正面から、古都のこと幸せにするって言えへんかったぁ……」
「あまね……」
「どんな困難にも負けへんて……言えへんかったぁ……」
泣きすぎて赤くなった鼻を啜って、遍は古都の目を真っ直ぐにみた。
「ほんまは……言いたかった……古都が好きですって……絶対離れませんって……っ」
「あまね……っ」
古都は遍を強く抱いた。
遍は古都のスーツ背中に手を回し、もう決して離さないと言うようにその布を強く掴む。
「古都が、好き……古都とおりたい……ずっと、一緒におりたい……っ」
「……あまね、ほんま?」
「こと……」
互いの唇の位置を探るように鼻を擦り合わせて見つめ合う。
そうして、二人はゆっくりと唇を重ねた。
惜しみながら唇を離し、古都は遍の頬を親指で撫でながら、その瞳を覗き込む。
「……俺の願いは、お前と出会ったときからずっと一緒や」
初詣でも、まるでこどものようにそう願った。
遍の目の奥の奥を、その心のいちばん柔らかい場所を覗き見るように、古都はそっと額を合わせた。
互いの睫毛が触れ合いそうなほど近い距離で、熱い吐息が混じり合う。
「……お前と一緒におりたい。ほんまに、それだけ」
古都の低く穏やかな声が、遍の胸の奥底にじわりと溶けてゆく。
ずっと張り詰めていた胸の底の氷が、その一言で一気に溶けてれていくようだった。
「お前は?」
古都の低い声は少しだけ余裕のなさを含んで掠れていた。
遍は古都の背中を、そのかたちを確かめるようにゆっくりと撫でた。
「……古都と、離れたくない」
付き合い始めたころの遍の姿を思い出して、古都は眉を下げた。
同棲前に、「帰りたくない〜」と駄々をこねて転がっていたあの夜の。
(そうか。遍も、ずっと同じこと言うてくれてた)
「ほな……一緒やん」
古都の願いも、遍の願いも。
ずっと、最初から同じかたちをしていた。
「一緒におろ。あまね。家のことで迷惑かけるかもしれん。けど俺が守るから。一緒に、帰ろ。」
「俺は、また俺なんかって言うてしまうかもしれん……でも、もう古都と離れたくない……」
古都は愛おしげに遍の黒髪を指で梳き、目を細める。
それから互いの頬を包み、まるで許しあうように、ふたりはゆっくりと唇を重ねた。
唇を惜しむように離し、二人は少しの隙間も許ないとでもいうように抱き合った。
互いの体温が心地よい。
遍は古都の首筋に顔を埋めて、その大好きな匂いをかいだ。
「あいしてるで、あまね」
「おれも。愛してる。こと」
もう一度唇を重ねようとしたそのとき。
玄関の鍵が回る音がした。
「ただいまー。終わった?」
拍子抜けするほど明るい遍の母親の声が玄関から届く。
んふ、と笑って古都が口を押さえ、遍が少し顔を赤くして「終わったおわった!」と言った。
コンビニの袋をさげた母親がリビングに入ってきた。
「はー寒かった。あ。古都くん、泊まるやろ? 歯ブラシ買って来たで。ご飯食べた? カレー食べる?」
矢継ぎ早のその口調に、いつかの電話を思い出して古都は声を出して笑った。
その穏やかな笑顔をみて、遍もつられて笑う。
きっと古都は、こんな家カレー食べたことないだろう。
「おかんのカレー美味いで。じゃがいもゴロゴロで」
古都は遍と母親を見て目を細めて、笑った。
「いただきます」
《終》




