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第七章(3)「俺は、あんたのようにはならない」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

《登場人物紹介》

◾️吉野遍

実家の部屋は案外雑然としている。

物自体は少ないが捨てないので、小学校のときの読書感想文の賞状とか部活で使っていたシューズもまだある。

◾️白川古都

子どもの頃使っていた部屋は整理されて空き部屋となっている。

置いてあったものについてはなんの執着もないため全て捨てるように依頼した。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

足に縋り付く勢いの秘書を突き飛ばし、古都は父親の書斎のドアをノックもせずに開けた。

「今後一切といった割に、すぐに来たな」

ドアが壊れる勢いのアポなしの来訪者に、父親は振り返りもせずに言った。

目論見通り、と言った口調で。

父親は和装に身を包み、木製のチェアに体を預けて書類に目を通している。

「……俺をどうこうしたいなら直接俺に言え。あいつを巻き込むな」

父親は、ゆっくりと椅子ごと振り向き、昨日遍に突き返された封筒と、さらに分厚くなった金封を古都に渡す。

「ちょうどいい。昨日は額が不服のようだったから、これならどうだと先方に伝えてくれるか」

古都のうなじがちりちりと妬けるように粟立つ。これ以上の怒りを、古都は経験したことがなかった。

「ふざけるな!」

古都が封筒を鈍色のペルシャ絨毯にぶちまける。

十を超える札束と、東京の企業の紹介状が二人の足元に散らばった。

「こんな……」

古都は足元に目をやり、また父親を睨んだ。

「人を人とも思わないあんたのやり口には、もううんざりや!……そうやって金でどれだけ人を動かしてきた! 人の心まで、金でどうにかできると思うな!」

父親は椅子に座ったまま、メガネの奥から古都を見据える。

「人の心?」

父親は鼻で嗤った。

「だからお前は青いというのだ。変な意地を張って白川に入らないからこんな生ぬるいことを言い出すようになってしまった。その言葉、そのままそっくりお前に返してやる。そもそもお前個人にいったいどれほどの価値がある。白川の後ろ盾なくしてお前が今ほどの地位につけたと思うか」

そう言って父親は大仰にため息をついた。

「人はみな、何かを差し出し、何かを得て生きている。金も家柄も地位も、同じことだ」

古都は黙ってそれを聞いている。

「お前も会社で人を動かしているだろうが、それには少なくとも肩書きがものを言うはずだ。それと何が違う?……お前は人を金で動かすことがまるで悪のように言うが、その金を欲して、白川の後ろ盾を欲して自ら近づいてくる人間が、この世にどれだけいると思っている?」

父親はさらに続けた。

「人間はな、醜いぞ。人が人に近づく理由は、打算とエゴ、それに損得勘定。金か、地位か、名誉か。それが人によって異なるだけのこと」


古都は静かに顔をあげた。

「……あいつは、違う」

父親は鼻で嗤う。

「何が違う。母子家庭の、安月給のサラリーマンが、なんのためにお前に擦り寄ったか。頭に血が昇ってそんなことも分からんか」

古都は、小さく息を吸いこんで止めた。

そして足元に散らばった札束を一瞥して、言った。

「けど、あいつはあんたにこれを突き返したんでしょう」

古都はそのときの遍の表情を思い浮かべて、小さく笑った。その表情が勇気づけてくれるような気がして、古都は手をキュッと握った。

父親は馬鹿らしい、と言わんばかりに笑った。

「一度断って額を吊り上げる。実に——」

父親は、目を細めた。

「男娼そのものだ」

わざと選んだ強い言葉にも、古都は眉ひとつ動かさない。

それどころか、札束を見つめたまま小さく笑っている。

父親は眉を顰める。

「なにを笑っている」

古都は笑顔のままで、父親を正面からまっすぐに見据えた。

「たとえこれが十倍になったって、あいつは絶対に受け取らんでしょう。あいつはそういうやつです」

その口元から、笑みがきえた。


「あいつを侮辱することは、許さない」


父親は怒りを鎮めるように深呼吸をした。

「理解ができん」

「……別にいい。あんたに理解してもらおうなんて、はなから思っていませんから」

ですが、と古都は続ける。

「あんたのやりかたを、これ以上理解しようとも思わない」

古都は静かに、父親を見る。

「これまでお前がやってきたことを、胸に手を当てて思い返したらいい。所詮お前も白川の血には抗えん。何の後ろ盾もなくやっていけるわけがない。路頭に迷って土下座して泣きつくのが関の山だ」


二人はしばらく無言で睨み合った。

もはや秘書は二人の仲裁に入ることもできず、戸口でただオロオロとしながら二人を見守っていた。

古都は小さくため息をついて、ポケットに手を突っ込んだ。

「なんでもかんでも百パー思い通りになんてなるわけないやないですか……人間相手に」

古都はジャラリと音を立ててキーフックから外された小さな鍵と、分厚いケースに守られた印章を応接用のテーブルに静かに置いた。

白川家の家族が生活していた棟の鍵と、古都の実印だった。

「……なぜ、そこまで俺に執着するんです? 白川の血がと言うのであれば、親戚筋にも出来のいい人間はいくらでもいるはずだ。それを養子にすればいい。それこそあんたの言うWIN−WINの世界でしょう。それでも俺なんですか」

古都は、小さく首を傾げた。


「……俺が自由になるのが、そんなに許せませんか」


「なにを言っている」

別に。と古都はひとりごとのように笑った。

「お返しします。今後路頭に迷ったとしても、そのときはそのとき……」

古都は小さく一礼をした。


「……俺は、あんたのようにはならない」


それだけ言うと、古都は書斎を後にした。



「実家終わった。今日は鍋にしよ」

遍からLINEの返信はなかった。

いつもの店で海鮮中心の鍋の具材を買って古都が自宅に戻ると、まず遍の靴とキーフックがないことに気がついた。

気晴らしに誰かと飲みにでも行ったか……と思いつつリビングに立ったとき、妙な違和感が古都を襲う。

家の中が妙に静かで、整然としている。

脱ぎ散らかした服や使いかけの食器など、遍のいた形跡が、普段ならばそこかしこにある。

……それが、どこにもない。

「……!」

古都は遍の部屋のドアを開けて、絶句した。

ローテーブルがない。チェストに並んでいた本も、仕事用の鞄もない。

クローゼットを開けると、そこは空になっていた。

もう一度チェストを見る。

そこにあったはずのあひるのルームランプも、なくなっていた。

「あまね……!」

古都はスマホを確認する。

さっきから数件送っていたLINEはやはり未読のまま。

慌てて電話をかけるが、着信拒否されている。


「はぁ!?」


父親の仕打ちに、嫌気がさしたのか。

もうこれ以上、二人でいることはできないのか。

そんな素振り、まったく見せていなかったのに……

(全く?)

古都は手のひらで額を押さえる。

昨夜、初めて自分から抱いてくれと言った。

(あれは……)

あれが遍の別れの決意だったと言うのか。


古都は何かを思いついたように、壁にあるインターホンのモニターを操作する。

今日の履歴。

午前九時二十分。

古都が家を出たすぐ後だ。

昨日と同じ服を着た遍と、宅配業者。

運び出されたのはダンボール箱四つと、ローテーブル。

配送先までは確認できない。

ドアが閉まり、録画はそこで途切れた。

荷物を運び出したあと。

(遍なら、どうする)

古都は考える。

(遍、どこや)

古都はスマホを握りしめた。


《登場人物紹介》

■白川 實久(さねひさ)

古都の父親。62歳。

旧財閥を母体とする白川グループ会長。

白川家は大元を辿れば公家の血筋。

趣味はない。

他人を信じることもない。


亀本(かめもと)

白川家の秘書頭。74歳。

實久が若い頃から半世紀近く側に仕えている。

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