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第六章(7)「あなたのせいで」

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《登場人物紹介》

◾️吉野遍

Q:古都とデート。どこに行きたい?

A:ユニバ!

◾️白川古都

Q:遍とデート。どこに行きたい?

A:遍の行きたいとこ。ただし泊まりで。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

一週間後の土曜日の午前十時半。

古都は少し溜まっている仕事を片付けると休日にも関わらず、朝から職場に向かった。

いつも通りベッドでひとり寝る遍のスマホが鳴った。

睡眠の波の隙間にそのコール音はするりと入り込み、遍は目を覚ました。

登録のない電話番号が表示されている。

普段ならば無視を決め込むが、虫の知らせとでも言うのか、遍は躊躇いながら通話ボタンを押した。


遍は電話を切ったあと、てきぱきと顔を洗い、ネイビーのセーターに、黒の細身のパンツにブルゾンを羽織って家を出た。

相手方が指定したのは、徒歩圏内のホテルのラウンジだった。

ホテルのエントランスを一歩入ると、毛足の長い絨毯に足を取られるような気がして遍は少し足をあげた。

一階のラウンジを見渡すと、小柄な老人が遍が歩み寄り小さく礼をした。

「会長がお待ちでございます」

老人の後をついてラウンジに入り、窓際の明るい席に通された。

そこ座っていた人物を見て、遍は一目で、それが古都の父親であることを理解した。

古都とよく似た冷徹な目を眼鏡の奥に光らせ、圧倒的な威圧感を放つ。

父親は遍の姿を認めると、立ち上がり、笑顔を見せた。

その笑顔にすら圧を感じ、遍は息を呑んで近づき、一礼をする。

父親は遍の頭からつま先までを値踏みするように見て、小さく笑ったように見えた。

遍は気後れして、やはりスーツを着てくればよかった、と口を結んだ。

促されるままに父親の向かいに座ると、待っていたかのようにホットコーヒーが置かれた。

洗練されたデザインのカップアンドソーサーは、ラウンジと調和していたが、そこには温度がなく、ひどく居心地が悪かった。

遍はコーヒーに手をつけず、かといって古都の父親を見ることもできず、自分の指先を見ながら古都とお揃いのデザインのマグカップの持ち手の感触とその安心感を思い出していた。

古都の父親は悠然と足を組み、背もたれに体を預けた。

「……吉野遍さん、でしたね。九頭竜ホールディングスの営業一課の生え抜きでいらっしゃるとお伺いしております」

遍はチラリと父親の顔を見て、もう一度目を落とした。

伺っている……古都から? いやそんなはずはない。

「いや……はぁ」

これは決して褒められているわけでもないのだろう。意図をわかりかねて、遍はもう一度自分の手を見つめながら、のこのこと呼び出されてしまったことを今更ながら悔いた。

「ご実家は高槻市で、市立高校を卒業後、奨学金で進学されて大学で経済学を学ばれているのですね。優秀で努力家でいらっしゃる。お父様を早くに亡くされて、お母様ひとりでお子様二人を大学に入れられるとは。お母様も苦労していらっしゃるようだ」

遍の顔色が変わる。

全部調べられている。

なぜ今日連絡してきた?

それも、たまたま古都のいない時間に。

全部、この男の手の内にある。

(古都……)


父親が傍に立つ老人に目くばせをすると、老人は遍の前に厚みのある封筒を置いた。

封筒をみて眉を顰める遍に、まるで商談でも持ちかけるかのように、父親は背もたれから体を離し、膝に腕を置いて遍をまっすぐに見据える。

その仕草も、古都にそっくりだと遍は思った。

「……あなたのせいで、息子は今、全てを失おうとしています。白川の家も、生まれた時から約束された地位も」

父親の声は低く落ち着いていて、だからこそその容赦のなさがあまねの胸に突き刺さる。

遍は指先をふるわせて、ただ俯くことしかできない。

「あいつは今、一時の熱に浮かされているだけだと思っています。目の前の堕落に引きずり込まれて、本当に大切なものをみすみす手放そうとしている。いや、過去にも同じようなことがありましてね。実の姉に……」

遍は顔を上げる。

「実の……、みやびさんのことですか?」

遍は初めて口を開いた。

父親はわざとらしく驚いて、遍の目を覗く。

「おや、お聞き及びでしたか。これはお恥ずかしい……実の姉に恋慕して手籠にしてしまうなど……」

「え……?」

遍は目を見開く。

あの日、古都は離れで過去を語ってくれた時、「距離が近すぎた」と言った。

それが本当のはずだ。

父親のこれは、きっとブラフに違いない。

そう思いながらも、遍は父親をまっすぐに見ることができなかった。

「いやいや、とてもとても、世間様に顔むけできる話ではありませんので、どうかご内密に」

言葉とは裏腹に、父親は古都と似たしぐさで目を細めて遍をまっすぐに見つめる。

「そんな出来の悪いあれですが、あなたが自ら身を引いてさえくだされば、身の程を知り、またこちらの世界に戻ってくることができるでしょう。あんな愚息ではありますが、これ以上、あれまでを社会不適合者に堕とさないでやってくださいませんか」

普段であれば噛みつきたくなるような単語が、遍の意識を滑っていく。

「……話は変わりますが、これは紹介状と、わずかですが引越し費用です。優秀なあなたのことですから、今より良い待遇で迎えられるでしょう。……お分かりですね、自分が何をすべきか」

遍は何を言ってよいのかわからず、膝の上で手を強く握った。

小さく鼻で笑ってから、父親は続けた。

「あなたも、男を誑かすような男と聞いてどんな商売男のような風体なのかと構えていましたが、いやいやなかなかの美丈夫でいらっしゃる。男が好きだなどと勿体無い。よい縁談をご紹介させていただくこともできますよ」

遍の視界が一瞬、真っ赤に染まった気がした。

父親が立ち上がる気配がした。

「返事は後日で構いません。よい返事を待っていますよ、吉野さん」

去ってゆく古都の父。

「……待ってください!」

遍の声が、ラウンジに響いた。

父親は足を止めて遍を一瞥する。

「これは……受け取れません」

封筒を突き返す。

父親はそれを秘書に受け取らせて、遍をまっすぐに見る。

「……きっと必要になると思いますよ。そのときは遠慮せず言ってください。足りないなら足りないと言ってくれていい」

そう言って笑う父親の目は笑っていない。

「それでは」

足音もなく、父親は去った。

遍は一人ラウンジに立ち尽くし、目を閉じた。

古都はずっと、この父親の相手をしていたのか。

いや、この父親に人生の全てを支持されて、孤独に生きてきたのか。

怒りに近い感情に支配されかけた遍の意識に、父親の言葉が去来する。


——あなたのせいで、古都は今、全てを失おうとしています。


(古都は今、お父さんと俺の板挟みになっている……)

縁を切った、と言っていたが、そんなに簡単に出来るものなのだろうか。

(俺が、古都を追い詰めている……)

きっとこの先も、あの父親はあの手この手で仕掛けてくるだろう。

その度に古都は消耗し、いつか倒れてしまうかもしれない。

(俺が、古都のそばに居たいと願ったから……)


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