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第六章(6)古都のお見合い2

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《登場人物紹介》

◾️吉野遍

好きな漬物……ナスの浅漬けと甘酢らっきょう。


◾️白川古都

好きな漬物……壬生菜漬け、塩と紫蘇だけで漬けた梅干し(※30歳)

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古都の実家から連絡があったのは、三連休の最終日、見合いの翌日の早朝だった。

古都は服も着ぬまま、遍を背中から抱きすくめながら電話をとる。

父の秘書から「今すぐ本家にお越しください」と事務的な連絡があったのみだ。

電話を切った古都は不安そうな表情の遍の額に唇を落とし、「想定内や」とだけ言ってベッドから出た。

シャワーを浴び、スーツに着替えて寝室に戻る。

遍は身を起こして、肌寒さにシーツを手繰り寄せて肌に纏う。

「もうバレたか。いい機会やから結婚する気ないて言うてくるから」

古都はそう言うと遍の顎を取り、深く口付けた。

「……っ、……ふ、」

舌をねっとりと絡めて、古都は遍の唇を堪能する。

遍の息が上がってしまい、古都は眉を下げて笑った。

「ごめんごめん。帰ってきたら続きしよな、あまね」

そう言うともう一度軽く唇を重ねて、玄関のキーフックを手に取った。




京都市左京区鹿ヶ谷の山手に古都の実家である白川家本家はあった。

ひと区画分続く土塀に門がある。古都は裏手に車を停めて、わざわざ正面の門に回った。

旅館かと思うような邸宅の正面玄関には、すでに父親の秘書が待ち構えていた。

こちらを見て一礼し、潜めた声で囁いた。

「会長が大層ご立腹でいらっしゃいます。古都様、どうか撤回を……」

「撤回?」

「穏便に済ませるにはそれしかございません。どうか白川の家のための最適解、ご英断ください」

深々と頭を下げる秘書を尻目に、古都は玄関の敷居を跨いだ。

使用人がこぞって頭を下げる。そこには古都に対する畏怖のみがあった。

築百年を超える、文化財に相当する邸宅の床は黒光りして踏むたびに軋む。

古都にとってそれは古き家父長制の象徴でしかない。

庭に面した長い廊下の奥の奥座敷の床の間を背に、父親はこちらを向いて座っていた。

昨日は相手方に散々愛想笑いをしていたその顔にはなんの温度も色もない。

本当に怒り心頭であるときほど、父親は無表情になった。

みやびのときも。古都が自社グループに属さず、九頭竜ホールディングスに内定を取った時も。

古都はこれまで何もかも諦めて逃げ、向き合ってこなかったツケがこれなのだと腹をくくり、父親の正面に正座した。

父親は、眼鏡の奥の温度のない目で、古都を見据えた。

「昨日その場で見合いの断りを入れたと聞いた」

古都もまた、父親を真正面から見据える。

「はい」

「私に恥をかかせる気か。撤回しろ。式は今年の十一月、新居は京都に用意する。今の仕事もこれを機に辞めるのだ。分かったな」

父親は矢継ぎ早に言う。提案ではなく、決定事項として。

古都は目を閉じる。

父親は全てをこうして人を将棋の駒のようにして決めてきた。

古都の過去も、——そしてみやびの過去も。

古都は小さく息を吸い、目を開いた。


「お断りします」


「古都様……!」

咎める秘書の声が小さく響いたあと、座敷は無音になった。

古都は続ける。


「私には既に心に決めた人がいます。その男性と同棲しており、人生を共にする覚悟です。結婚はしません」


そう言い切り、古都は背筋を伸ばした。


「男……だと?」


父親は眉をひそめた。

「男と睦んだところで何になる。結婚もできん、子も成せん。時間の無駄だ。どこの商売男かは知らんが、お前はそれに誑かされているだけだ。所詮は白川家の財産目当て。何処の馬の骨ともわからん、しかも男なんぞに現を抜かしている場合か。いい加減目を覚ませ」

父親は鼻で笑った。

それを見て古都は酷く滑稽だと思った。

すべて自己紹介のように思えた。金と権力でしか己の輪郭を示せない。人を信じることのできない哀れな男だと。

「……目なら覚めている」

古都は、ゆっくりと顔を上げた。

「これまでが狂っていただけ。それに気付きたくなかっただけ。何もできない自分を、認めたくなかっただけ。俺はあんたの言いなりにはならない。もうこれ以上誰も犠牲にはしない。」

父親は眼鏡の奥の無機質な目で、古都を見据えた。

「……姉を犯しただけでは飽き足らず、今度は同性愛者の真似事か」

古都は小さく息を吸った。

ありとあらゆる言葉で傷つけ、揺さぶりをかける。それで生じるほんの僅かの隙を、この男は見逃さない。

古都は背筋を正した。

もう、そんな言葉では傷つかない。

もう、誰も失わないために。

「私へのあてつけのつもりか? そんな社会不適合者は我が家には必要ない」

鼻で笑い、父親はもう用はないというふうに秘書に目配せをした。

それを見届けて、古都は立ち上がった。


「なら良かった。今後一切、この家には帰りませんのでご安心を」


古都は後ろも見ずに座敷を後にした。

廊下はひどく明るく、清々しくさえある。

縋り付くように撤回を求める秘書を振り払い、車に乗り込んでロックをかける。

が、どうしてもエンジンがかからない。

「……あれ」

毎日無意識に繰り返していた動作だというのに、スタートボタンを押すが車は反応しない。

「なんでや」

メーターパネルに異常を示す警告灯はない。

ガソリンもあるというのに。

「……あ。」

ブレーキを踏み忘れている事に気づいて、古都は笑ってしまった。

思いのほか、自分が動揺していることに。

深呼吸をしてブレーキペダルを踏み、スタートボタンを押した。

エンジンがかかる。

ハンドルを握る指が震えていることに気付いた。

こんなところにもう一秒でも居たくはなかった。

古都は遍を思ってアクセルを踏んだ。


一度だけバックミラーを見た。

次第に遠ざかる屋敷に白壁。その前に年老いた秘書がひとりぽつんと立ち尽くしていた。

その姿がひどく小さく見えて、古都は少しだけ目を細めたが、切り替えるように小さく息を吐き、サングラスをかけた。


(こんなにも……)


古都は目を細めた。

(こんなにも呆気なく、終わった)

父親への意見。

実家との決別。

(こんなにも呆気なく)

もっと早くこうしておけば良かった。


(みやびも、助けてやりたかった……)


赤信号で停車し、古都は目を閉じる。

家の中でただひとり、自分を家族として扱ってくれた姉——みやびへの気持ちは家族への情なのか、男と女の情なのか。

こどもの頃から家族のかたちを知らずに生きてきた古都にとって、分かりかねた。

あの日。

十六の冬。

古都の自室を訪れたみやびを、古都は——


クラクションを鳴らされて古都は信号が青になっていることに気付いた。


(ごめんな、みやび)


みやびの結婚式の、あの美しい姿を見たのが、最後だった。

決して幸せそうとは言えない作り笑顔で、光の中にいた。

古都もみやびも、一度も互いの顔を見ることができなかった。

これが、罰なのだと若すぎる二人は思った。


目に浮かぶ姿は、いつもあの離れの広縁で碁盤を覗き込む姿。

「おしえて」と言う優しい声。


その笑顔を、未来を奪った自分。

どう償えばいいかもわからない。

謝ることすら、許されない。


(ごめんなみやび……俺、幸せになってもええか?)


アクセルを踏み、古都は遍の待つ大阪へと、車を走らせた。


エレベーターのドアが開き切るのももどかしく、古都は部屋の鍵を開けて玄関で靴を脱いだ。

「……あまね」

廊下を走るように進み、リビングのドアを開けた。

遍はリビングのソファの上で、目を丸くして古都を見た。

「古都……」

「あまね!」

古都はスーツのまま駆け寄り、遍をきつく抱いた。

部屋着のスウェットが遍の高めの体温を含んでふかふかと温かく、何度もうなじに顔を埋めてその匂いを吸い込む。

古都の髪やスーツに含まれる外気が冷たい。

遍はおそるおそるスーツの背中に手を回した。

「あまね……俺、実家と縁切ったから」

「古都……! そんな……」

遍が体を離して、早まるなという風に古都の腕を掴む。

古都は首を振り、遍の目を真っ直ぐに見て笑った。

「お前のためやない。これは自分のためや」

古都は目を細めて、額を合わせる。


「俺はお前を選んだんや、あまね……俺とずっと一緒にいてくれ」


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