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第五章(4)古いアルバム

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

《登場人物紹介》

◾️吉野遍

お姫様抱っこは生まれて初めての経験だった。

まあまあ恥ずかしかった。

古都がめちゃくちゃ浴衣似合うので、目のやり場に困る。


◾️白川古都

瀬戸さんのだし巻きはマスターピースだと思っている。

絶対に越えられない壁。

あまねの浴衣着崩れてるのが可愛い。

美味そうに飯を食うのが可愛い。

なんでこんなにいちいち可愛いのだろう、とため息が出る。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

気を利かせてもらったのか、「昼ご飯はテラスに用意をした」と告げられた。

準備が出来たら行きます。と古都が言い、浴衣ではなく私服に着替えた。

古都は黒いサテンのシャツに細身のスラックス、遍は白シャツにテーパードパンツ。

遍はやっとキスマークが隠せたことに、こころから安堵した。

一度本館に戻って、突き当たりの階段を降りると、見晴らしのよい板敷のテラスが広がっていた。

いつのまにか日は高く、きれいな秋空が広がっている。

二人は広いテラスにただひとつ用意されたテーブルセットに案内された。

白く塗られた木製のテーブルの上には白いシェードが張られ、柔らかな影を落としている。

湿度の低い風が、遍の黒髪を撫でて吹き抜けた。

「気持ちええ~~」

遍は髪を押さえながら、眼前に広がる渓谷に目をやる。

古都はグラスのビールを二人分手配して、はしゃぐ遍を眺めて目を細めた。

すぐに、二人の前に黒塗りの折り詰めとビールが運ばれた。

食べやすいように一口大にカットされた神戸牛のフィレ炭火焼きがメインとして美しく盛られている。

季節の焼き野菜、小さな器には柿と春菊の白和え。

だし巻き玉子、炊き合わせ、香の物。

ご飯は丹波栗をふんだんに使った栗ご飯だった。

添えられた吸い物からは、ふわりと松茸の香りが立ち上る。

「待って古都……俺、ここの食事に慣れるの危険」

「多分やけど……」

古都がビールのグラスを遍と合わせてひと口飲む。

「瀬戸さん、お前の食いっぷりが嬉しくてかなり腕によりかけてると思う」

古都は笑う。

遍の遍らしさが、古都が大事にしているここの者達に受け入れられている。

それがひどく、嬉しかった。

古都は背後に控える澤江を振り返った。

「あ。そうや、澤江さん。昔のアルバム持ってきて貰ってもいいですか」

澤江はひとつ頷いた。

「後ほどお持ちいたします」


「ここってほんま広いんやな。プールとかありそう」

「あるで。室内やしそんな広ないけど」

「あんの!?」

こともなげに言う古都に、遍は二度見して驚く。

一般開放された普通の旅館ではないということは、遍にも薄々分かってきた。

「カロリー消費気になるんやったらあとで行ってきたら? 一応ジムもあるで」

「無いもんのほうが少なそうやな……」

「もしかしたらそうかもな」

まさか、と遍は顔をあげる。

「ヘリポートは?」

「ある」

「せやろな!……ほなサッカーコートは?!」

「それはさすがにない」

「逆にあって欲しかったわ」

「テニスコートやったらあるで」

「もうそんなん想定内や」


食後のコーヒーが運ばれてきた。

遍のコーヒーのそばには牛乳の入ったミルクピッチャーも置かれている。

古都が事前に遍の嗜好を伝えてくれていたようだ。


「古都様、お持ちしましたよ」

澤江がアルバムを古都の左側に置いた。

赤い皮に金の縁どりが施されたアルバムはとても年季が入っているように見える。

「澤江の宝物でございます」

澤江は誇らしげにさらに背筋を伸ばしてそう言った。

古都がアルバムを手に取り、二人の間に置く。

表紙をめくると、パリ、と日焼けしたビニールのカバーが鳴った。

遍が椅子ごと古都に身体を寄せて覗き込む。

少し色あせたカラーの写真には、小学生くらいの少年が、涼しげな顔をしてまっすぐにカメラを見て立っていた。

遍は息を止めた。

ひと目で、それが子どもの頃の古都であることが分かった。

(古都や。)

今よりも少しだけふくよかで子どもらしい頬に、栗色の髪。半袖の白シャツと半ズボンから伸びる、まだ幼さの残る細い手足。


ページをめくると、そこには子どもの頃の古都と、澤江が並んで写っている。

まだ古都のほうが澤江よりも背が小さかった。

そしてそこに写っている澤江は——

「……」

遍は、古都の傍らに立つ澤江と写真を、目だけでこっそりと数度見比べる。

「……な?」

古都がクスクス笑いながらコーヒーを一口飲んだ。

遍はそんなことが現実にあるのか……と驚愕しながら、アルバムのページをパラパラとめくる。

まるで八百比丘尼であるかのように澤江はひとつも変わらないのに、古都はすこしずつ成長してゆく。

遍は写真の中の古都に、その瞳に、そっと指を添える。

胸が詰まった。

そんなはずがないのに、古都の心の中にある扉を開いた気がして、子どもの頃の古都を抱きしめた気がして、遍は慌てて明るい声で言った。

「生意気そうな顔、してる」

古都は特に訂正もせず、ふふ、と笑う。


「古都様ァ」

テラス下の庭から声がした。

年老いた庭師が現れて、年季の入った帽子を取って礼をする。

「お久しぶりです、山根さん」

古都が立ち上がり、山根と呼ばれた庭師の方へ行く。

二、三言話して、遍の方を見る。

「あまね、ちょっと庭降りてきてええか?」

「はーい。アルバム見とるわ」

遍は古都の足音を視界の外に聞いてから、ページを一枚一枚戻し、一番最初の写真を眺めて、背後にいる澤江に話しかけた。

「……ねぇ、澤江さん。古都って、どんな子どもだったんですか?」

澤江はひと呼吸置いて、遍の傍らに立つ。

「恐らく吉野様が思われているとおりの……賢しらなお子様でしたよ」

「フフッ」

遍は堪らずに小さく噴き出した。

澤江も懐かしそうに目を細めて、アルバムの中の幼い古都を見つめる。

「賢しらで、思慮深くて、それでいて、とても孤独な方でした」


——孤独。


それが一体何を指すのか、遍には分からなかった。

けれど、澤江の言うことはよく分かった。

この写真の少年の瞳が語る、途方もない孤独。

幼いまま強要されたかもしれない自立。

だとしたら、澤江と碁を打ち、料理長に師事し、庭師と語り合うこの場所がどれほど古都にとって大切な存在であったのか、想像に余りある。

「……澤江さん。俺は古都の相手として、相応しいでしょうか……?」

澤江は二十年前から変わらぬ顔で、にこりと笑った。

「昨日からの古都様は、私がこれまで拝見したなかで一番お幸せそうでいらっしゃいます」


遍がそれでも、と口を開こうとしたとき、外階段を踏む音が聞こえて、すぐに古都の栗色の髪が覗いた。

「ごめんやで、あまね」

「ううん、大丈夫。何してたん?」

古都は椅子に座り、冷めてしまったコーヒーをひと口飲んだ。

「昨年接いだ薔薇が咲いた言われて、見に行ってきた」

「バラ……? つい……?」

「接ぎ木や」

「ふーーーん」

「絶対分かってへんやろ」

古都は笑って遍の黒髪をくしゃりと撫でた。

「あ。そうそう古都、あのな」

遍は思い出したように、アルバムを開いて、とある写真を指さした。


「この人誰?」


遍はアルバムをめくるうちに、あることに気が付いた。

子どもの古都が大きくなってゆくその傍らに、澤江と共に、ときには澤江を除いて、古都の隣に写る長い黒髪の少女がいる。

遍はその少女を指さして、古都の顔を見た。

テラスの温度が1℃、下がったような気がして遍は(あれ?)と思った。

一瞬。真顔に戻った古都の口元が緩やかに笑みを作り、細く息を吐いた。



「俺の……姉や」


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