第五章(2)隠れ宿の二人2
《登場人物紹介》
■吉野遍
他に客も居ないしとんでもないところに連れてこられたな?というのは薄々気付いたが、遍の人懐っこさ全開で「吉野です!よろしくお願いします!」ってスタッフに声かけてなかなかの高ファーストインプレッションを勝ち取ってゆく。
さすが。
■白川古都
突然の「うちの福利厚生的なとこ」という金持ちカードをベット。
年に一度、運動会出場によりもぎ取った「まとまった有給」を利用して毎年ここに来ている。
ここのごはんが好き。
黒檀の座卓に、色とりどりの皿や鉢が次々と並べられてゆく。
目を輝かせてそれを眺める浴衣姿の遍を、古都はその向かいから、目を細めて見ていた。
塗りの美しい小鉢には胡麻豆腐の雲丹添え、前菜の皿に子持ち鮎の甘露煮、丹波黒枝豆、明石蛸の柔らか煮、無花果の胡麻味噌付、蟹といくらの甘酢が美しく並ぶ。
椀物はすまし仕立ての白海老の真丈、氷を敷いたガラスの皿には明石の鯛と由良の雲丹、本鮪に車海老が盛り付けられている。
七輪と陶板の準備もされていて、焼き物はのどぐろと甘鯛、神戸牛は炭火焼きかすき焼きを選ぶことができた。
古都の見立てで注文した甘口の冷酒が、遍の前に置かれる。
美しい切子に溢れるほどに注がれた透明の液体。
その芳醇な香りに、一層遍の目が輝く。
古都にも同じく、冷酒が提供される。これは辛口で、と頼んだものだ。
切子のグラスをで乾杯しようとして、手を止めた。
「何に乾杯?」
遍が笑う。
そうやなぁ、と古都は少し首を傾げて、横目で遍を見る。
「ダブルMVPと、初旅行にか?」
「それええな!」
二人は改めてグラスを合わせ、遍は冷酒に口をつけた。
「古都、これめっちゃ美味しい!」
目を輝かせた遍が、もう一口くいっと飲む。
「甘いからって、飲み過ぎたらあかんぞ」
用意させていたデキャンタからコップに水を注ぎ、古都は遍に差し出す。
「さ。食べよかあまね」
「うん! いただきます!」
「古都〜〜〜!」
遍は口を押さえて、今食べた皿を指さす。
「これ何。これめっちゃ美味しかった!」
古都が覗き込む。
「鮎ちゃう? 鮎の甘露煮」
「うま〜」
「俺のも食うか?」
古都が皿を差し出すと、遍は断固!と手のひらを見せた。
「あかん! 古都も食べて! 美味いから!」
遍はもう一口鮎を食べて、日本酒を傾けた。
「日本酒にあう〜!」
遍がこの調子で何を食べても美味しい美味しいと感動するので、古都はもちろんのこと、澤江をはじめ給仕の担当もつられて笑顔になってゆく。
「ようございました」
おかわりの日本酒を遍に提供して、澤江もにこりと笑った。
「澤江さん。俺もここの海老真丈がいちばん好きです」
古都が椀を傾け、匂いを楽しみながらいう。
「まぁ。古都様にもお褒めいただいて。瀬戸が喜びます」
のどぐろの焼き物のあと、神戸牛は炭火焼きを選んだ。
手元には、岩塩と山葵、ポン酢、醤油ベースのソースの入った皿が置かれる。
「匂いが美味そうすぎる……!」
脂の焼ける香ばしい匂いに、遍は口元を手で覆う。
「ごはんを用意いたしましょうか?」
「はい! ぜひ!」
給仕の提案に、遍は目を輝かせて頷く。
炊きたてでつやつやの米は丹波のコシヒカリだと言われた。
遍は給仕に焼いてもらった肉に岩塩と山葵を載せて、ひと口で食べた。
目を細めながらもぐもぐと口を動かし、静かに箸を置いて目を覆った。
「……どしたん、あまね」
古都が覗き込むように見ると、遍は小さな声で、「溶けた……」とだけ言い、無言で米をかきこんだ。
結局遍はごはんをおかわりして、育ち盛りの子どものように元気に肉を完食した。
「もう入らへんで……」
給仕が水菓子を並べて、食後のお茶を準備してくれる横で、遍は木製の座椅子にもたれ掛かり、天井を仰ぐ。
ガラスの小鉢には、皮を剥いて一口大に切られた新高梨と、艶やかなシャインマスカットが盛られていた。
「ぐうう、美味そうやけどもう入らへん……」
悔しそうに遍が唸ると、給仕がにこやかに「冷やしていつでも召し上がれるようにしておきますね」と言った。
遍の浴衣の胸元が少しはだけて、昼につけられた赤い痕が見え隠れしている。
「あまね」
古都が目配せをして、自分の首筋を指でトントン、と示す。
途端に遍は酒で赤くなった頬をさらに赤くして背筋を伸ばし、給仕を気にしながら浴衣の併せを直した。
古都がくすくすと笑うと、遍は古都を睨んだ。
食後、古都は地元のワイナリーの赤をグラスで、すっかり酔いの回っている遍には、ほぼソフトドリンクのワインベースのカクテルを作らせた。
広縁のひとりがけのソファに向かい合って二人。
窓の外は月のない闇。聞こえるのは虫の声ばかり。
「古都ぉ」
座椅子にもたれて、遍はぽやぽやと笑う。
「古都とおったら、楽しいなぁ」
「……そらよかった」
古都はグラスを掲げて、湾曲した赤の中に遍の笑顔を閉じ込める。
こんな風に、この可愛い男をずっと、誰の目にも触れさせず、閉じ込めておけたらいいのに。
酔いも手伝い、心のどこかでそう思う。
そう思いながらも、分かっているのだ。
遍は、人に囲まれて、自由に笑っているからこそ美しく愛しいのだということを。
自分らしくないな、と古都は自嘲し、遍の笑顔を肴にまたひと口ワインを飲んだ。
「古都は、ひとりでここに来て、何してたん?」
遍の問いに古都は、窓の外の闇の、その向こうを見るように目をすがめた。
テレビも何もない。
広い部屋でひとり。
「うーん」
古都にしてはめずらしく言葉を選ぶ仕草をして、ワインを一口飲む。
何もない空間で何もしないことが贅沢だ。とか、それっぽいことならばいくらでも言える。
けれど、古都がここに遍を連れてくることには、意味があった。
「そやな。風呂入って。ボーッとして。本読んで。澤江さんと碁打ったりして」
へえ、と遍は笑う。
「古都、碁できるんや」
「子どもの頃に澤江さんに教えてもろてん。家族でここ来てもな、こどもなんか遊ぶもんないやろ? ほな碁でもしよかて澤江さんに誘われて、そこから」
「しぶい子どもやな! でも古都っぽいわ」
「もうかれこれ20年以上経つけどな。勝てた試しがないんや」
「古都が敵わへんひとがこの世におるん!?」
敵わない人。その言葉が古都の胸に響く。
「おるよ。そんなん、いっぱいおる。」
遠い記憶。
蝉の声。
深くむせかえるような緑。
この広縁で碁盤を挟んで、笑いあった人。
ほしかったぬくもり。
無力であった自分。
古都は目を細めた。
「……怖い話したろか」
「えっ、怪談?」
「澤江さんな。その頃から全然変わってないからな」
「古都。盛ったらあかん! それはさすがにない!」
「嘘やないねんて。あとで写真見せてやるわ」
「嘘はあかんわー」
そう言って大笑いする遍が、愛しくて堪らなかった。
「なあ、あまね」
ん?と遍は顔を上げる。
古都はテーブルにグラスを置いて、遍に手を差し伸べた。
「布団、いこか」
分厚い敷布団に敷かれた上等なシルクのシーツに、遍は浴衣のまま両手首を一纏めに縫い付けられ、背を弓なりに反らす。
古都の唇がゆっくりと耳から首筋、鎖骨をなぞり、そのすぐ下を強く吸った。
「んっ……、あ、痛……っ」
吸われた箇所はまるで所有印のように赤く鬱血して、その存在を主張する。
「こと、やだ……、」
身を捩る遍の手首をさらに強く縫い止め、古都は首の付け根のあたりにもうひとつ、新しい痕を作った。
「古都、だめ……、そんなとこ、見えちゃう、から……あっ、ん」
やめろとばかり言う唇を、唇でふさぐ。
「ん……っ、う」
「……大丈夫。ワイシャツやったら、ちゃんと隠れるやろ?」
次はみぞおちのあたり。
「ゆ、浴衣は……、むりや、あ……っ」
抵抗虚しく、さらけ出された肌に次々といやらしい痕が散りばめられてゆく。
乳首をゆっくりと舌で舐られて、遍は大きく身体を揺らした。
「ふぁ……っ、ん……、」
付き合い始めてから古都の手でじっくりと開発されたそこは、すっかりと色付いてふくりと膨らみ、喜びを感じる場所へと変わっていた。
片方を舌で、片方を指で摘まれて休みなく与えられる刺激に手首を縫い止められたままの姿で、身を捩って切なく息を漏らす。
「こと……っ、それ、やだ、それ……」
遍はそう言いながらも自らの腰を古都の体に擦り付け、快楽を捉えるようにねっとりと動かす。
「きもち、ええ……くて、変になる……」
「うん……あまね、ええよ……変になって」
古都の手が、遍の両手を解放した。
自由になった遍の腕は少しだけ宙を彷徨い、古都の柔らかい髪をゆっくりと掻き抱く。
「俺の手ん中で。俺にだけ見せて」
舌で先を突くと、遍の体が跳ねた。
「くぅ……、ん……っ」
逃げようとする体を抑えるように、古都の手が遍の片方の腿を掴み、掲げる。
遍の中心に指を絡めて、ゆっくりと舌を這わせた。
「は……あ、……っ!」
古都の薄い唇に根本まで咥え込まれ、遍は背を反らして助けを求めるようにシーツを握りしめた。
「こと……、ことぉ」
わざと水音を立てて古都は遍自身を愛する。
逃げられないように、より深く快楽に溺れるように古都は遍の太腿に爪を立てて捉える。
「ひ……っ、……っ」
痛みと快楽が、遍の脳を焼く。
つま先が宙をかいて震える。
「こと……、いく、イく……っ」
程なくして、遍は声にならない声を漏らして、古都の口の中に果てた。
舌の腹に精を受け止めながら、古都は精の残滓を絞るように手で遍をゆっくりと扱く。
「はぁ……ん」
再び遍が身体を震わせて、とぷりと精を吐いた。
シーツの海で、遍の浮いた肋が酸素を求めて上下している。
古都は無言で浴衣を脱ぎ、遍を己の影に捉える。
スーツ姿のときからは想像もできないほどに、均整が取れた美しい筋肉が顕になる。
責めるようでいて誘うような、とろりと滲んだ目が、古都を捉えた。
古都は遍の顔のすぐ側に片手を付き、もう片方の手で遍の太腿を掲げる。
慣らされた遍の奥に己を宛てがうと、それだけで遍の唇からため息が零れる。
固く熱い古都のものが遍の中をゆっくりと満たしてゆく。遍は白い喉をさらして、身体を震わせた。
「ひっ……あ、古都、ことぉ……!」
突き上げられるたびに、喉から声が漏れてしまう。
止めようとしても溢れるその甘い悲鳴を掬うように口付けられ、くぐもった規則的な嬌声が寝室を満たしていった。
「あまね」
鼻が触れ合うほどの距離で名前を呼ぶ。
汗ばんだ互いの体温が、溶け合うように混ざる。
かつて遍が嫌悪しかなかったと語ったこの状態を、今彼はどのように感じているのだろう。
嫌ではないか。
我慢しては居ないか。
「あまね……」
古都は、己の影の中でぐずぐずに蕩けて涙を流す遍の頬を、宝物を掬うような手つきで包み、探るようにその目を覗いた。
遍は籠った熱を体の外に逃がすようにゆっくりと吐き、潤む目を細めて、笑った。
「こと……だいすき……」
「あまね……!」
古都は、遍の両手に指を絡めて頭の上でシーツに縫い止め、無我夢中で唇を重ねた。
「んっ……、ん、んーっ」
激しい抽挿に追い立てられる快楽。
やがて開放された遍の唇は、うわ言のようにただ古都の名を呼ぶ。
「あまね……、イッてええか……?」
耳元に囁かれる古都の掠れた吐息に、遍は幾度も頷いて、絡め合う指先に力を込めた。
「あまね……、あまね……っ」
幾度も肌を力強く打ち付けて、古都は遍の中で果てた。
皮膜越しの熱い脈動を中に感じながら、遍は自分の身体がまた古都に塗り替えられていくような、そんな感覚を覚えて身体を震わせた。
見つめ合い、息も整わぬままに唇を求められて、深く深く、応える。
月のない夜の底で、二人だけが息をしていた。




