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第四章(1)激突~営業部vs経営戦略部

《登場人物紹介》

◾️吉野遍

瀬尾とは入社試験のグループ面接のときに初めて顔を合わせて、入社式の席が隣でそこから仲良くなった。

同期に「吉野くん引き出物落としたらあかんで!」と3回言われた。


◾️白川古都

朝、遍のスタイリングしたとき(かわいー……)と目を細めてしばらく眺め、写真を撮りたかったがぐっと堪えた。

遍が電話の向こうで鼻を啜っているのをきいて、なんとなく察した。

世話が焼ける。

俺がお前を選んだんやって何回いうたらわかるねん。

って思いながら車を走らせた。


◾️瀬尾 正志まさし

遍の同期。企画部。配偶者は大学の同期。

遍のセクシャリティにはなんとなく気付いている気がするけどそれは遍自身の問題なので何も言わない。

遍は遍で大事な友人だと思っている。

遍と白川主任めちゃくちゃ仲いいなと思っている。(付き合ってることは気づいてない)

出身は六甲山の向こう側だけど「神戸出身」と言い張る。それはとても微妙。




金曜の午後九時。

遍はマンションのエレベーターが四階に着くや否や、開きかけのドアにぶつかる勢いで廊下に飛び出し、ドアの鍵を開けて、脱ぎ捨てた靴が転がるのもそのままにリビングに駆け込んだ。

古都は夕食をダイニングテーブルに並べている。

「おかえりあまね。……遅かったな」

その平然とした姿に腹が立って遍はリュックを床に叩きつけるように置いて古都を睨み、ジャケットも脱がずに詰め寄った。


「……古都。なんであの案件、上に通さんと勝手に弾いたん?」


原因は、遍が足で稼いできた大事なクライアントの案件を、経営戦略部で査定担当の古都が「リスクが高すぎる」という理由で上層部にかける前にバッサリ切り捨てたことだ。

古都はダイニングテーブルに手をつき、小さくため息をついた。

「何回言わせんねん。うちの査定基準に達してへん。それだけや。現場の『熱意』なんて不確定要素で会社にリスク背負わせるわけにいかんやろ」

「……ハッ。相変わらず数字でしかもの見られへんねんな。あの企業がどれだけうちの技術を信頼してどれだけの将来性があるか、俺が一か月かけて作ったレポート、一ページでも目ぇ通してくれた?」

「……あまね。お前、私情を仕事に持ち込むな」

「私情持ち込んでんのは、古都のほうやろ!」

部屋に、遍の感情的な声が響き渡る。

「分かってんねんで! あの企業のCEOが俺の……大学の先輩やから落としたんやろ!? 前に挨拶来たとき古都がどんな目で先輩のこと見てたか、俺が気づいてへんと思ってたんか!?」

「……はぁ? そんなアホみたいな理由で俺が仕事左右するわけないやろ。お前のレポート、楽観視のバイアスだらけや。それが理由や。少し頭冷やせ」

古都が少しだけ苛立ちを孕んだ足取りで近づき、遍の腕を力任せに掴む。

「……もうこの話は終わりや。仕事の話はここまでにして――」

掴まれた腕を、遍は振り払う。

古都は振り払われた自分の手を見つめたあと、驚いた顔で遍を見た。

遍は一歩後ずさった。

古都を、他人を見るような目で睨む。

「……触らんといて。俺は、仕事まで古都の言いなりになるわけちゃうからな……俺の努力を、あんたのくだらん嫉妬で踏み躙るな!」

「ええ加減にせえよ。そんな理由ちゃう言うてるやろ」

思わず語気が強くなったことを自覚して、古都は小さく咳払いをした。

遍は踵を返し、床に投げ捨てていたリュックを掴む。

「……頭冷やすわ。出ていく。月曜の会議、営業部として正式に経営戦略の判断に異議申し立てさせてもらうから、そのつもりでおってな」

肩越しにそう言い捨てると、遍はスーツのまま玄関に向かう。

古都は慌てて追いかける。

「出ていくて、お前どこ泊まるねん」


「白川先輩には関係ないやろ!」


遍は靴を履きながらドアを開け、振り向きもせずに部屋を後にした。

無機質な音を立ててオートロックが作動し、古都はひとり、玄関に取り残された。


古都は無人のリビングに戻る。

手付かずの二人の夕食がダイニングに並んだままだ。

古都は乱暴にソファに身を投げ出し、前髪をかきあげる。


件のCEO。

偶然、会社で遍と居るあの男と出くわしたことがあった。

あのときの、あの男の遍との距離。匂わせる口調。こちらの目線に気付いたときの、品定めするようなにやついた目。


――もしかして。


古都の直感がそう言う。

実際、査定を落とした理由はそれでは無い。

それではないにしろ。

「情熱」や「信頼」や「友情」という言葉を借りた、数字を歪める不確定要素には違いない。

それがあっちの狙いであれば、遍はいいように利用されているだけともとれる。


(あまね……)


勢いで飛び出して行った遍の行く先はどこだろうか。

古都はCEOの外見を思い出す。

指輪はしていなかったように思える。

(いや。まさか……)


――「白川先輩には関係ないやろ!」

あまねの声が、はっきりと耳元で再生される。

久しぶりに、二人きりのときにそう呼ばれた。

思い出す度にその言葉が澱となって、古都の胸に幾重にも沈んでいくような気がした。

「……クソが」

静かな部屋でひとり、古都は慣れない悪態をついた。



あまねは、ネットカフェの個室で、リクライニングの位置を調整することもなく、背を丸めてラップトップにかじりつき、月曜に提出するための修正案を時間を忘れて打ち込んでいた。

ふと顔をあげる。

時計を見ると午後十時を回っていた。

遍の胸がキュッと詰まる。

家ならば、古都が部屋のドアをノックして、「そろそろ休め」と淹れたてのコーヒーを持ってきてくれるタイミングだった。

遍はため息をついて立ち上がり、一度背伸びをしてドリンクバーでホットコーヒーを入れた。

コーヒーは、匂いのとおりの安っぽい味だった。

(……まず)

味気ない。


古都のあんな強い口調を聞いたのは、初めてだった。

いつだって優しく穏やかにそばに居てくれたのに。

遍の胸に、古都の一言が重くのしかかり、無意識に息を止めた。


でも負ける訳には行かない。

感情を暴走させて押し通すのではない。

恋人だから大目に見てもらうのではない。

営業の吉野遍として、経営戦略の査定を通したい。

――ただ、それだけだ。

遍はもう一度ラップトップの画面に目を移した。



翌週月曜日。

午前10時から、第一会議室で営業部長直々の異議申し立てによる臨時査定会議が開催されることとなった。

営業部側は、営業部長、営業一課長と、営業一課課員吉野遍の三名が出席。

経営戦略側には、経営戦略部長、経営・査定課長、経営・査定課白川主任と書記担当事務員の四名だった。

遍は瞬きもせずに手元の資料に目を落としている。

古都がこちらを見ているような気がしたから余計に、遍は顔を上げるのを控えていた。

目が合えば感情が思いもよらない方向に走り出すかもしれない。今そうなっては少し厄介だと思ったからだ。


定刻となり、臨時査定会議の開始が告げられた。

「……では。先週リスク過多として一度却下された例の新規案件について異議申し立てということですが、再度、営業部としての見解を説明していただけますか」

滔々と読み上げるような、感情を押し殺した古都の声が会議室に響く。

遍が立ち上がり、一礼して大型モニターの前に移動した。

「はい。先日白川主任よりご指摘のあった、初年度の資金回収リスクについてですが、配布しました資料をご覧ください」

遍は土日を使って修正した資料のパワーポイントをモニターに表示する。

古都が数字でしかものを判断しないのであれば、徹底的な数字と市場予測のデータ化で殴る。

遍の先輩の企業が持つ潜在的な特許の価値、競合他社がまだ気づいていない独自のサプライチェーン。それらを、遍ならではの現場の生きた情報と緻密なロジックで、丁寧にひとつずつ証明していく。

説明を終えた遍ははじめて古都をまっすぐに見据え、最高に美しく不敵な笑みを満面に浮かべた。

「以上のデータから、本案件は『リスク』ではなく、我が社が今期最も優先すべき『投資』であると確信しています。……白川主任、これでもまだ、数字が足りませんか? 」

営業部サイドから、小声ではあるが感嘆の声が漏れた。

これは完璧なリベンジ、経営戦略が望む数字による、ぐうの音も出ない正論の叩きつけであった。

異議申し立てからの査定通過案件であると、営業部の誰もが確信した。

古都は、配られた資料をデスクの上でわざと音を立てて綺麗に揃えると、フッと小さく、見るものの背筋が泡立つような深い笑みを浮かべた。

(……やるな、あまね。)

初案を潰された悔しさで、ここまで緻密に資料を作り込んできたこと。

泣き寝入りせずに正規ルートで殴り込んできたこと。

――ただ、古都を頷かせるために。

古都は少しだけ左腕に鳥肌が立つのを感じた。

遍の、仕事への誇りと古都への反骨心、そしてその成長をひしひしと感じ、古都はいいしれぬ充足感に浸り、目を閉じる。


(ああ。ほんまに……ほんまに格好ええな、お前は)


経営戦略の鉄の壁は静かに目を開いた。

デスクに整えた資料を置き、組んだ指の上に顎を乗せて、まっすぐに遍を見据えた。

「……素晴らしいプレゼンをありがとう、吉野。数字から現場の執念がよく伝わってきた」

にこり、と会社用の笑顔を遍に向ける。

営業部のメンバーも、これは、と身を乗り出す。

いち課員の企画が経営戦略の査定を真正面から通過する瞬間かと。

「――だが、君が提示した競合他社の動き、今朝の午前七時に開示された最新の株価とプレスリリースは織り込み済みか?」

遍は目を見開いて、息を呑んだ。

「……え、っ」

古都はにこりと笑い、組んだ指の上で首をかしげる。

「君が寝ている間にも、市場は動いている。その企業が抱える隠れた負債、そして今朝発表された他社の最新技術――これによって、君が提示した予測利益の三割は、半年で吹き飛ぶ計算になるが。どうかな」

「そ、それは……」

営業部はざわついた。

今朝のプレスリリースはチェックしたはずでは、と部長はいう。

しかし遍の資料にはそこまでは織り込まれていなかった。

古都は眼鏡の奥の目を蛇のように光らせ、トントン、とデスクを指で叩いた。

「おや。そこのところは反映されていませんでしたか……それは詰めが甘い。『熱意』という数値化できない不確定要素で、会社の未来をギャンブルに晒すわけにはいかない」

会議室は鎮まりかえり、遍は悔しさと羞恥で唇を噛み締め、拳を握りしめて古都を睨み返す。


「……白川君の言う通りだな。吉野君、熱意は買うが、今回はやはり、見送らせてもらう」


臨時査定会議は、再度「不可」の印をもってクローズとなった。

部長たちの後について会議室を出た遍は、とぼとぼと営業部への帰路を辿っていた。

「吉野、気を落とすな。チェックできへんかった俺らのせいや」

「そんなことないです部長、俺のせいです。こんだけお時間取ってもろといて、本当にすみません」

「お前はようやった。白川かて査定では落とさざるをえんかったやろけど、資料見る時の目は納得してたぞ」

「……そうでしょうか」

遍の足取りは重く、少しずつ部長たちとの距離が広がっていき、ついには足が止まった。

「部長すみません。俺ちょっと外の空気吸ってきます」

少し向こうから部長と課長が手を振った。

「おー。よーけ吸うてこい」

「風船くらい吸うて浮かんで帰ってこい」

その背中を見送り、遍は屋上で何か飲んで一息つこうと自販機のほうに向かった。


その時だった。


ぐい、と後ろから手を引っ張られた。

「えっ」

黒い影。

よく知っている背中。

懐かしい香水の匂い。

手を引かれたまま、先程までいた第一会議室に連れ込まれた。

会議室内は既に片付けられて無人だった。

古都は手を離すと、遍を正面からまっすぐに見ながら、後ろ手に鍵を閉めた。

遍は古都に掴まれていたところを守るように手のひらで包むと、古都を睨んだ。

「……なんですか? 追い討ちかけに来たんですか?」

上目で睨む遍を部屋の隅に追いやり、古都は正面から抱きしめた。

身じろぎを体格差で押さえつけ、その耳元で、査定会議のときの冷酷な声とは打って変わった掠れた声で囁いた。

「 ……めちゃくちゃ格好良かったぞ、あまね」

「……っ」

耳をくすぐる甘い声に、遍の首筋がぞくりと震える。

「俺を論破するためだけに、あんな精度の高いレポート書いたんか思て……本気でゾクゾクした」

古都が褒めてくれている。

けれど、悔しい。

それを軽々と論破されたことが。

完璧なデータを作れなかった自分が。

腕の中で遍は俯き、小さく唇を噛んだ。

「……せやけど、先輩が二回も叩き潰したんやないですか」

「うん」

会社的には潰さざるを得なかった。

しかしこの遍の奮闘を、成長を、古都は泣きたい気持ちで見ていた。

「……悔しい」

遍は古都の胸元に額を預けたまま呟く。

「そやろな」

「今度こそいける思ったのに」

「うん」

古都は遍の髪を撫でる。

「俺も賭けやった。お前がプレスリリース隠し球に仕込んでたら、絶対ひっくり返してた。お前はようやった」

遍は驚いて顔を上げた。

「……ほんま?」

「ほんまや」

古都と目が合う。その穏やかなまなざしに、遍の胸がぎゅう、と痛んだ。

そう。

嫉妬などではない。

会社のための最善の判断を、古都はしたのだ。

遍は古都の腕の中で俯いた。

「……古都が心配してたんは、合ってる。あの人は、前に言うてた、……いっかい、寝た人」

遍は小さい声で呟く。

「……けど、せやから選んだんとちゃう。ちゃんと、あの会社の未来と、働いてる人ら見て、俺は判断したんや」

「分かってる。分かってるよあまね」

古都はもう一度強く遍を抱きしめ、小さく息を吸って、止めた。

「……あまね、今日は、帰ってきてくれるか?」

その声が思いのほか小さく自信なさげに聞こえて、遍は先ほどまでの黒い悪魔とのギャップに、少し笑そうになってしまうが、自分はまだ怒っているのだったと思い出して、唇をひきむすんだ。

「……チキン南蛮、作ってくれるんやったら」

思いのほか声が震えてしまい、罰が悪そうに遍も古都の腰に手を回す。

「ん。タルタルましましな。」

古都は小さく笑い、遍にキスをした。

遍ははたと顔を上げた。

ここは職場だというのに自分たちは一体何を。

遍は急にそわそわとして、天井を見上げる。

「古都、監視カメラ……」

「ここ死角」

いろんな意味でこの人、さすがやな……と遍は思った。


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