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第二章(3)古都さんの『優しくする』は、信用ならんのですよね……

《登場人物紹介》

◾️吉野遍

占い師のおばちゃん、「お金ええから!」て必死の形相やったのが印象的。


◾️白川古都

ちょっとまって。なにその市松人形の話。

普通に怖いんやけど。

あらかじめ渡されていた合鍵で、遍はエントランスのリーダー認証をした。

はじかれる訳がないのに酷く緊張したが、ピッという認証音が響いてダンテの地獄の門のような自動ドアが開き、遍は大きく胸をなで下ろした。

エントランスもエレベーターも、このタグがないと利用できないシステムらしい。

遍はまた少し緊張しながら、エレベーターのリーダーにタグをかざして乗り込み、四階のボタンを押した。


遍は部屋の前で立ち止まる。

どうしても気が引けて、部屋の鍵は開けずにインターホンを押した。

しばらく待った後に、内側から鍵を開ける音がして、ドアが開いた。

「……合鍵で入ったらええのに」

不可思議な顔をして、古都がドアを支えている。

「いやぁ……ちょっと、厚かましい気がして」

遍が頭を掻くと、古都は笑った。

「今日からお前の家やぞ。厚かましい訳ないやろ」

お前の家。

古都が普通のトーンで言うその言葉が、遍の胸に響いた。

むず痒く、温かく、そわそわする。

へへ、と笑い、遍は顔を上げた。


「古都さん、今日からよろしくお願いします」


古都の書斎の並びにある六畳の部屋が、今日から遍の私室だ。

ローテーブルと私服の入った段ボールは既に運ばれていた。

あとはネットで買ったシェルフが箱のままで置かれている。

スーツは部屋のクローゼットにかけてくれているようだ。


二人でシェルフを組み立てながら、遍はどこに何を置こうか考えを巡らせている。

「シェルフはやっぱりこっちの壁際に置きます」

「ソファもいるんちゃう? 疲れたとき昼寝くらいするやろ」

「え~、もったいないですよ。疲れたら床で寝ますし」

「余計疲れへんかそれ」

物を増やそうとしない遍に、古都は少し驚く。

ミニマリストとも違う。

どこか自分の人生を諦観しているようにすらある。

「生活しながら、住みやすいようにしていこか」

「はーい」

組み立てが完了したシェルフを壁際に置き、数冊だけ持ってきた本を置いた。

ローテーブルが部屋の真ん中に置いてあるだけで、ラグも何もない。

遍の仕事用のリュックサックは、部屋の隅の床に置かれている。

遍は部屋を一通り見渡して言う。

「……ベッド、置くスペースないですよね」

天満のマンションでは薄めのマットレス一枚で寝起きしていたが、そのマットレスも車に乗せられず、引っ越し時に処分してしまっていた。古都がそうしたらと提案したからでもある。

古都も部屋を見渡して、頷く。

「まあ、最初から買うつもりなかったけどな。俺のベッド広いから二人で寝ても十分やろ」

「……はい」

遍は耳まで赤くして頷いた。



古都が「夕飯は簡単にする」と言ったにもかかわらず、出されたものはトマトソースのパスタだった。

「こんなん店で出てくるやつやん!」と遍は目を見開いた。

皿も盛り付けも美しく、パスタのみならず、サラダとスープも添えられている。

「簡単の概念が違うんですよね、古都さんと俺じゃ」

そう言って遍は本当に美味しそうにパスタを頬張る。

「お前の簡単はどんなんなん?」

「うーん。作るなら茶漬けとか、卵かけごはんとか……?」

「確かに簡単やな」

古都は笑って頷く。

「卵かけご飯も奥が深いんですよ~。ごま油にキムチ載せたり、納豆載せたり。天かすとめんつゆとか、しらすとネギとか」

「それ普通に美味そう」

「あ! じゃあ明日早速やりましょ! 俺、古都さんが卵かけご飯食ってるの見たいわ」

「ほな、しらすとネギのやつしてみよか」

やったー! と遍はこどものように喜んだ。


遍が食洗機に皿を片付け、古都がダイニングテーブルを拭く。

キッチンから古都の綺麗な背中を盗み見るようにして眺め、遍はため息をついた。

まるでエスカレータに乗って最上階にたどり着くように、唐突にここに立って居る自分がまだ信じられなかった。

これから、この生活が始まるのだ。

(夢みたいで、怖い。)

遍は指先に付いたトマトの赤を、水道で洗い流した。

「あまね、風呂先に入れ」

古都が廊下から声をかけた。

「あ、はーい」

手を拭いて、自室にパジャマ用の服を探しに行く。

クローゼットを開けて段ボールを取り出し、中から手頃なTシャツとスウェットと下着を引っ張り出す。

いつまでも段ボール箱のままという訳にもいかないだろう。

(やっぱり、簡単な引き出しみたいなのはいるかも)

遍はそう思いながらクローゼットを閉じて立ち上がった。

振り向いて、部屋の戸口に古都が立っているのを見てびくりと肩を震わせた。

「……クローゼットの収納、要るな?」

「……おいおいね」

クローゼット収納はたった今、古都の買い物リストに追加されたに違いなかった。



午後十一時。遍は緊張しながら、古都の寝室に入った。

古都は既にベッドに横になっていて、遍を見てやっと来たかという顔をした。

「部屋で寝てしもてるんか思ったわ」

遍は古都にめくりあげられた夏用の掛け布団の隙間からベッドに潜り込む。

古都は当たり前のように腕を差し出した。

遍がおずおずと腕に頭を預けると、古都はその身体をもう片方の腕で抱きしめた。

「お前、体温高いよなあ」

耳元で古都が囁く。

それがくすぐったくて、遍は身をすくめた。

「冬場は重宝しそうや」

後ろから抱きすくめられて、耳元に古都の唇が触れる。

「古都さん……いじわるせんとって」

咎める遍の声も、どこか甘い。

古都は、遍が風呂の際に準備をしていることは知っていたが、遍の赤面した顔を見るのも好きだった。

「……あまね、もしかして準備してくれてるん?」

裸足のつま先を煽るようにゆっくりと絡め、足を割って大きく開かせる。

遍は耳まで赤くして、恥ずかしそうに頷いた。

「……毎日一緒って、その……タイミングわからんくて、一応……」

遍の表情は見えなかったが、どんな顔をしているのかは見なくても分かった。

古都はたまらずに遍を抱きしめ、上を向かせて唇を重ねた。

「明日仕事やし、優しくするから……ええか?」

唇を離して吐息混じりに囁く古都に、遍はとろりとした目でクスクスと笑った。


「古都さんの『優しくする』は、信用ならんのですよね……」



火照った肌が、強めの冷房で少しずつ落ち着いていく。

古都の腕に抱かれ、遍はその胸板に頬を摺り寄せ、肺いっぱいに息を吸い込む。

「古都さんの匂い」

「くすぐった」

古都は低い声で笑って、ベッドサイドの照明を一段暗くした。

その横顔を、遍はじっと眺める。

その視線に気付いて、古都は遍の髪を柔らかく撫でた。

「……どうしたん?」

遍は古都の目をまっすぐに見て、口を開きかけ、ごまかすように笑った。

「……古都さんは、俺のどこがよかったん?」

「前も言うたやろ」

「もっかい聞きたいねん」

なんやそれ、と古都は笑って、遍を抱きしめる。

「お前の、誠実なところ、あきらめへんところ。……それから、俺をまっすぐに見てくれるところ」

「照れるな~」

自分で聞いといて。と古都は笑う。

「お前は? お前は俺の何がよかったん」

古都が水を向けると、遍は驚いた顔をして古都の顔を見た。

「俺ですか?」

「お前、俺には聞くけど、お前からは聞いたことないな思って」

ええ~! と笑って遍はしばらく考えて、古都の目から逃れるように、胸板に顔を埋めた。

「……怖いけど仕事に妥協のないとこ。仕事のアドバイスくれるとこ。自分の芯がしっかりしてるとこ、あと……かっこええとこ」

「怖いんか」

「仕事ではね」

「家では……?」

「めっちゃ優しい。怖いくらい――」

くすくすと笑って、遍は古都の腕を枕に、天井を見上げた。


「古都さん、俺ね」


ぽつり、と遍が口を開いた。

「……高校のときに、付き合ってた子がおったんです。女の子。いっこ下の子で、同じ部活で、すっごい仲良くて」

遍の声は笑っている。古都は、静かに頷いた。

「告白されて、俺もその子すごい好きやったから付き合うことになって。一緒に遊んだり出かけたり、一緒に居ってすごい楽しかったし、かわいいと思ってた。大事にしたかった。でも、」

遍は一度、言葉を止めた。

「……でも、どうしてもその先にいけへんかったんです」

古都は、何も言わずに遍の髪をなでた。

「最初は緊張してるだけやと思ってたんです。初めてやったし。女の子も笑ってくれてました。けど、二度目も、三度目も。……何回やっても、ダメやって」

遍は、小さく息を吸い込む。

「ついに……私のこと、好きじゃないん?って泣かれてしもて。俺は好きやのに、どうしても体が言うこと聞かんくって。笑ってごまかそうとしたらもっと傷つけてしもて。その子には、最低って言われて、そのまま別れました。」

髪をなでる古都の指に目を細めて、遍は小さくため息をついた。

「そんで、男ならできるんかなと思って、大学のサークルの先輩に言い寄られて、一回……寝たんです。でもそれも、最初から最後まで自分のことやないみたいで」

気持ちいいかと聞かれ、気を悪くさせてはいけないと嘘をついた。汗にまみれた肌が触れ合うのが気持ち悪かった。快楽のスイッチをどこかに置き忘れてきたのかもしれない、と思った。

「好きって、一緒におって楽しいとか、毎日一緒におりたいとかだけではダメで、この人とセックスしたいとか、独占したいとか、そういうことが求められてしもて……でも俺にはどうしてもそれがなくて。……どこかが欠けてるんやと思います、俺。人として。やから、相手とちゃんと関係築けへんし、傷つけてしまうんやって」

満足そうに煙草を吸う先輩の横で天井を見上げていた夜と、「最低、」と下を向いた後輩に何も声をかけてあげることのできなかったあの日を思い出して、遍は首を振り、小さく息を吸い込んだ。


「……けど、古都さんだけは、違ったなぁ」


少しの間をおいて、遍はぽつりとつぶやいた。

すごく熱くて、気持ちよくて、幸せで。

それは本当に、怖いくらいに。

「急にごめんなさい。なんか、言いたくなった」

古都は遍を抱きしめて、その首筋に顔を埋めた。

「……お前、ひとりで悩んできたんやな」

その優しい声色に、遍の胸はきゅう、と音を立てた。

遍は古都の腕に手を寄せて、この時間が少しでも長く続けばいいと願い、ゆっくりと目を閉じた。


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