第30話 満腹
俺たち2人の問題は、性的な一面としては俺を困惑の底に落とした。けど、別の一次欲求、食に関しては彼女の方を困惑の底に落とした。
もっぱら、食事は俺の頭と俺の身体でしている。だから、俺はカニを食ってお腹いっぱいになって満足できる。でも、そのあとに胴体に乗る彼女は、カニ風味のゲップから身体の中にカニが存在しているはずとしか言えない。食べるという快感を伴う行為がすっぽり抜けて、満腹感のみを得ることになるんだ。
1食とか2食限りならばなんてこともないことなんだろうけど、これが毎日ずーっとってことになると、彼女はあきらかに飯の直後の首の載せ替えを嫌がるようになった。食った覚えがまったくないのに、いきなり空腹から満腹感が来る。この不自然さは、それだけで彼女にとってけっこうなストレスとなったんだ。
俺だってさすがに可哀想と思って……。でも、俺が食事で彼女にできることは、つまみ食いできるようなものをコンビニで仕入れるとか、母親に夜食として取り分けておいてもらうかとかで限界だった。
でもね、これじゃ到底解決できなかったんだ。
飛首族でも、首繋がり族でも、生命にとって食は一大事だ。俺が腹いっぱい食って、彼女はそのあとのつまみ食いだけ許されて、心理的に満足できるはずがない。食べるという行為は、血糖値が上がればいいってほど単純じゃないんだ。
これから1年半、入院して点滴のみで生きていくことを想像して欲しい。それも、食べ物のにおいのげっぷ付きでだ。これ、正気を保てると思う?
それにこれには質の問題もあった。文字通りの「質」だ。毎食の高校生男子向きの食事の残香が、彼女を苦しめたんだ。
もっとさっぱりしたもの、フルーツとかスイーツ、健康な男子高校生とは真逆の好みが許されないってことだからな。
俺だって、とんかつが食いたいときにケーキだのフルーツだのばかり食わされたら腹立たしい。しかも、それが毎日毎日続くんだ。
で……、俺、母親に「もっとさっぱりしたもの」というリクエスト、悩んだ末にできなかった。学ランで通学するようになって、ただでさえいろいろと勘ぐっているかもしれないんだ。これ以上のリスクを冒す勇気はなかったんだ。
ああ、もちろんそれで終わらせたわけじゃない。俺にできることとして、小遣いの範囲でケーキを買って帰ることもあったさ。でもね……。それでも、駄目なもんは駄目だったんだよ。
つまりさ、高級フランス料理を便所飯で食っても、そのつもりにはなれないってこった。どこぞから引用するならば、ものを食べる時は、誰にも邪魔されず自由で、なんというか救われてなきゃあダメなんだってことだよな。
ケーキを選ぶところから自由にできてこその満足、なんだよ。
でもこれは、俺のせいじゃない、とは思う。
そして、そのせいで却って解決が難しい。
そして、食うとなると、次はセットで排泄がくる。
さすがに、首を乗せ換える前に俺が済ませておくからまだいいけど……。立ちションすることになったら、彼女、深刻なショックを受けるだろうな。それに、お腹を冷やして下痢ったりしたらたいへんなことになる。俺、お腹を冷やさないように厳格な節制をするようになったし、それでもその日が来てしまったら、きっと、互いにさぞや割り切れない感覚を持つことになるだろう。
俺と彼女を繋ぐ感情は、恋のはずなのに……。
なんだこれ?
恋した相手とは一つになりたいのに、生理現象の共有をするとなったら、なんでこんな複雑なことになるんだ?
こんな俺たちに、まだ恋人らしいなにかが残されているんだろうか?




