第2話 轢逃
ひと目見て、もういけないのがわかった。
腹のあたりにタイヤのあと。そして、そこは不自然に凹んでいた。道路のアスファルトと見比べて、腹の厚さは数センチにしか見えない。もともと細く見えていたけど、そんなレベルの話じゃない。内臓はもう絶対にぺちゃんこだ。EV車は重いと聞いたことがある。まさかそれをこんな形でわからせられるとは思ってもみなかった。
さらに悪いのは、そのぺちゃんこ部分に彼女の持つバックが一部とはいえ重なっていたこと。そこからはみ出た旧式の携帯が食い込んだ部分の彼女の腹は、もっともっと薄くなってしまっているだろう。
俺は震える指で自分のスマホを取り出し、警察か救急車、どちらを先に呼ぶべきかを一瞬迷った。そして、俺は救急車を選択した。死に至るとしても、痛みは1秒でも早く取り去ってもらった方がいい。文字通り、死に至る痛みなのだろうから、だ。
轢き逃げ犯の捜査なら、1分遅れても問題ないんじゃないか?
せめて、さっきのEV車のナンバーでも覚えていればよかったんだけど、それもないからね。緊急手配にも協力できないし。
119と、指を走らせる直前、低い声だが、明確に聞こえた。
「……やめて」
俺は、驚いて彼女を見た。まさか、話す余力があるとは思っていなかった。
「『やめて』って、そんな場合じゃない。すぐに通報しないと、きみの痛みだって……」
とっさに俺が「痛み」という言葉で取り繕ったのは、「死んじゃうから」だなんて、本人に対して言えないからだ。いや、確実に死ぬだろう相手に向かってなにを言ったらいいのか、パニックになっていた俺にはまったくわからなかったから、無難な言い方に逃げたというのが正しいのだろうな。
そんな状態の俺だったから、まさか彼女が通報を止めるとは思いもしなかった。
通報を強行しようとした俺を、彼女の声が再び止めた。
「私を殺す気?
やめなさい」
最後の「やめなさい」の声の圧力に、思わず俺はスマホの画面から指を離した。
「きみの家はこの近くなの?」
彼女に対して俺が「きみ」と呼んだためか、彼女も俺を「きみ」と呼んだ。もっと気の利いた言い方もあっただろうけど、思いつけなかったのが実際のところだったし、それを使うのがこの場ではふさわしくないのも自明のことだった。
「えっ?
あ……、そうだけど……」
俺はその問いの意味がわからなくて、返答に間が空いてしまった。
「きみの部屋に連れて行って。こんなところを誰にも見られたくないの。急げ!」
言葉が強い。ハリウッド映画に出てくるアメリカの軍人の命令口調みたいだ。「Hurry !!」ってね。
「そんなこと言ったって、このままじゃ死んじゃうし……。そもそも、俺、きみを誘拐したことになっちゃいそうだし……」
もう俺に、言葉を取り繕っている余裕はない。
「大丈夫。私は死なないの。少なくとも今すぐは。
だから、今は私の言うことを聞いて」
それでもさすがに彼女が血まみれだったら、俺はその言葉を無視してたかもしれない。
でも、本人が大丈夫と言う以上、腹が凹んだだけで俺の心配は杞憂なのかもしれない。だって、本人はぺらぺら喋っているし、俺に医学の知識はないんだから。
あとから考えれば、俺のその時の考えは完全に破綻していた。だけど、その時の俺はあまりに冷静さを失っていたし、それだけでなく彼女の迫力に圧倒されてもいたんだ。




