第2話:何事も経験?
ほどなくして、千麻さんと朝ご飯の準備をほぼ終えたんだけど時間はまだ六時半過ぎ。
ここまで誰も起きてくる気配はなかったんだけど、考えてみれば、今日はテスト勉強をする約束をしてたとは言え学校は休み。
普段ももっとゆっくり寝ていたかもしれないし、もしかしたら家とベッドや布団が違って寝付けなかった可能性もある。
「私が起こしてきましょうか?」
千麻さんが気を遣いこう言ってくれたけど。
「みんなも休みくらいゆっくり寝たいだろうし、気が済むまで寝させてあげよう」
僕はこんな理由でそれを断った。
ただ、何もせず待っているのもどうかってことで、僕達は二人で先に朝ご飯を済ませることになったんだけど──。
◆ ◇ ◆
「は、はい。あーん……」
僕は今、ダイニングテーブルに横並びで座った千麻さんから、鮭の切り身を食べさせてもらおうとしていた。
鮭を摘んだ箸を持つ手がちょっと震え、頬を染めながらも妙に真剣な顔をしている彼女。
と、とりあえず、早く食べないと千麻さんが大変だよね。
僕は彼女の箸の動きに合わせて少し身を乗り出すと、パクリと橋の先端ごと切り身を口に入れた。
千麻さんが、ゆっくりと箸を引き僕の口から引き抜いたのを確認して、僕は彼女が焼いてくれた鮭を味わい始める。
買ってあったのは冷凍の鮭なんだけど、ちゃんと水で時間をかけて解凍したらしくて。魚がパサついてるなんてことはなくしっかりジューシー。塩気もちゃんとあるこの味は本当に美味しい。
コンビニ弁当やスーパーのお惣菜じゃ中々こうはいかないと思う。
ただ……。
「ど、どうですか? お味は……」
「う、うん。焼き加減もいいし、凄く美味しいよ」
「そ、そうですか……」
多分、僕も彼女も料理の出来より、恥ずかしさが勝ってるんだと思う。
実際、千麻さんは顔を真っ赤にしてはにかんでいるし、僕だってもう顔が熱くなったまま冷める様子もない。
たまに喫茶店やレストランで、カップルがデザートを食べさせあったりって光景を傍目に見ていたことはあるけど、こんなに恥ずかしいものだったんだ。
公の場でああいうことができるのって本当に凄いんだな……。
僕は口に入れた鮭を咀嚼しながら、ぼんやりとそんな事を考えていた。
◆ ◇ ◆
こんなことになっている理由。
そのきっかけは、料理を食べる直前、千麻さんからこう提案からだった。
──「あ、あの、もしよろしければ、その……私が優汰君に、す、少しだけ、料理を食べさせてもよろしいでしょうか?」
恥ずかしさを隠そうともせず、落ち着きなくちらちらこっちを見ながらされたお願い。
その理由は。
──「と、友達同士で、その……こういう事をする機会があった時のため、先に経験をできたら……と、思いまして……」
というものだった。
歯切れ悪く、様子を窺いながら口にされたのは、きっと千麻さんも恥ずかしいのと、僕に断られないか心配だったからっていう心配が重なったからじゃないかと思う。
僕が練習台になる分には構わないかなって安請け合いしたんだけど、現実はそんなに甘くなかった。
◆ ◇ ◆
ま、まあでも、これで僕の役目は無事果たせたよね。
「あ、あの……次は、優汰君からお願いできますか?」
……え!?
千麻さんからの突然の一言にびっくりした瞬間、僕の喉に鮭がつまり掛けた。
や、やばっ!
「ぐっ! げほげほっ!」
咄嗟に箸をテーブルに置き、口を隠してから咳き込む。
「だ、大丈夫ですか!?」
慌てて立ち上がり僕の背中を擦ってくれる千麻さん。
何度か咳き込んでいるうちに、気管支に入りそうだった鮭は無事取れたみたいで、咳き込みが少し楽になった。
「も、もう大丈夫。ありがとう」
僕はテーブルの上に置いていたコップを手に取り、入っていた麦茶を一気に飲む。
……ふぅ。危なかったぁ。僕がほっとすると、心配そうだった彼女も席に戻ると安堵した。
で、でも。
「ぼ、僕もしたほうがいいの?」
突然のお願いは僕を驚かせるのに十分。
彼女は上げる方の経験をしたかったんだと思ってたから。
「は、はい。その……ご迷惑でなければ、この機会に食べさせてもらう側も、経験できると……」
眼鏡を一度直した千麻さんは、相変わらず恥ずかしさを全面に押し出しながら、肩に掛かった髪を落ち着きなく弄っている。
ま、まあ、別にそれをしたって減るものじゃないし、するのは別に構わないんだけど、恥ずかしいのは恥ずかしい。
この先、こういう経験をすることはあるのかな……。
そんな事を考えた時、ふと沙和さんの積極性を思い出す。
彼女の性格から考えると、何となくないと言い切れない。そ、そういう意味じゃ、一度でも経験しておけば、心構えはできそうな気もする。
「えっと、わかったよ。鮭でいいかな?」
「は、はい!」
まあ、別に減るものでもないし。
そんな気持ちでOKを出すと、ぱぁっと笑顔になった千麻さんは、すぐさまさっきと同じように真剣な顔で、椅子に座ったまま僕にまっすぐ向き直る。
そ、そこまで真剣なんだ? さっきも思ったけど、もう少し気楽に……は、難しいかな。僕だってさっきからずっとドキドキしてるし。
「じゃ、じゃあ、いくね」
僕は箸で自分の皿の鮭の切り身を取り分け摘むと、下に手を添えながらゆっくりと千麻さんの顔に近づけていく。
彼女はゆっくり目を閉じると、少し口を開け待ち構える。
……こ、これ……シャインズ・ゲートでキスした時みたいな表情だよね……。
頬を染め、目を閉じているその姿は、唇を尖らせてはいないものの、昨晩同様あの時の事を思い出す。
……お、落ち着け。べ、別にキスするわけじゃないし、寝てた時より顔も近くないんだから。
少し震える手を必死に抑え込みながら、僕はゆっくりと千麻さんの口に鮭を持っていく。
そのまま、ゆっくり慎重に口の中に運んでいくと、物が入ったとわかって、彼女の小さな口が閉じ、ぱくりと箸の先ごと鮭を咥えた。
た、多分さっきされた感じだと、箸を引き抜いていいんだよね?
僕が恐る恐る箸を引いていくと、特に抵抗らしい抵抗もなく、箸の先が彼女の口から離れた。
そのままふっと俯くと、黙々と口を動かす千麻さん。
急にやってきた静けさに、僕はちょっと不安になる。
前髪のせいで顔が見えないけど、実は箸が口の中に刺さって怒ったとか……。
「え、えっと、どう?」
不安そうな顔でそう尋ねてみると、少しだけ顔を上げた彼女は、チラリとだけ僕を見ると。
「は、はい。幸せです……」
小声でそう口にしたんだ。




