幕間:一方、|喜世《きよ》達は……
「はぁ……優くんに包まれてるこの匂い、本気でヤバいよね……」
「ああ。マジヤベえだろ、これ……」
常夜灯に照らされる薄暗い部屋の中。
俺は仰向けになり掛け布団を花の手前まで掛けながら。沙和はうつ伏せになり枕に頭を突っ込んだまま、優汰の部屋のベッドの上から動けなくなっていた。
俺達だって、優汰と抱きしめ合ったりしたわけで、あいつの匂いを感じたりはした。
だけど、このベッドはマジでヤベぇんだよ。
多分あいつの寝汗の匂いだと思うんだけどよ。抱きしめた時より間違いなく強く感じるその匂いは、間違いなく俺達を溶かしてる。
しかも、あいつの匂いはいい匂いどころか、いい香りって言っても過言じゃねえ。
俺達からすりゃ、間違いなく嗅ぎたい匂いなんだよ。
現に隣で沙和も枕に顔を埋めて、ずっと匂いをかぎ続けてる。
あいつも間違いなく、そこに優汰がいるかのように感じてるに違いねえ。
勿論俺もだ。全身を覆う布団から香る、あいつの匂い……堪んねぇ……堪んねぇんだけど……。
「あーん! こんな時に、なーんで優くんが側にいないのー!?」
がばっと枕から顔を上げた沙和が、悔しそうに叫ぶ。
ほんと、それだよそれ。どんなに匂いを感じても、そこに本人がいねえってのが虚しさを加速させる。
とはいえだ。
「ま、しゃーねーだろ。くじ引きに負けてんだし」
そう。優汰が俺達に気を遣って考えてくれた、運命のくじ。
あれにハズレたからの今なんだし。いつまでもぐだぐだ言ったって仕方ねえ。
「もー。ほーんと、きよっちってばー、急に経験豊富感出しちゃってさー」
沙和が枕を持ったまま足を崩しベッドの上に座ると、俺に不満そうな顔でジト目を向けてくる。
「きよっちさー。いつ優くんとハグしたわけー?」
ギクッ!
俺はあいつの言葉に思わず身を震わせる。
い、いや、沙和が知ってるのは俺の膝枕まで。丘の上のハグなんて絶対知らないはずだ。当てずっぽうの言葉でボロを出させるつもりでいるに決まってる。
「あのなぁ。なんで急にそうなるんだよ?」
俺も上半身を起こすと、沙和の方に向き胡座を掻く。
こういう時に下手に出たら絶対にばれる。堂々といけ。堂々と──。
「えっとー、『そのままでいいって。こういう時、毎回気を使わせても悪いだろ』、だっけ?」
ドキッ!
物真似混じりのの言葉を聞いて、俺は思わず心臓が飛び出るかと思った。
確かに、それは俺がさっき口にした。
「『やっぱ、ヤベえな。これ……』とかー『でも、やっぱ落ち着くな……』とかも言ってたっけー」
これも言っちまってた。ほんと無意識に。
しまった。優汰の気遣いが嬉しくって、隠さないとって気持ちをすっかり忘れてたぜ……。
「毎回ってー、普通は一度くらい経験してから使うでしょー? やっぱもそう。一度もハグったことない人が使うのはおかしいじゃん?」
俺は思わず目を皿のようにしちまう。
その反応が予想通りだったのか。沙和はあーしにふてくされた顔をすると、片手で枕を抱えたまま、反対の手でびしっと突き立ててくる。
「きよっちー。隠しても無駄だかんね! タネは上がってるんだから!」
……は?
「それを言うならネタだろ」
咄嗟にそう突っ込むと、あいつは一瞬しまったって顔をした。
「そ、そんなことどうでもいいじゃん! それよりハグよ! どこでどんな風にハグったわけ!? ちゃーんと白状してよね!」
失態をごまかすかのように、捲し立て追及してくる沙和。
ま、まあ、話したからって思い出が消えるわけじゃねえし。しゃーねーか。
「えっと、弁当当番の夜。弁当箱を受け取った時に、その……俺から、お願いした」
「えーっ!? もしかしてあーし達を出し抜く気だったわけ!?」
沙和が急に目を丸くしたけど、俺は慌てて首を振った。
「ち、違うって! 今度のバレー部の助っ人の件でちっと不安だったんだ。で、その……不安を、和らげたくって……」
話してることは事実。だけど、あまりに赤裸々に語ってる自分に恥ずかしくなって、俺は思わずあいつから目を逸らす。
「あー。だからかー」
ん? なんだ?
妙に納得したような声が意外過ぎて、俺が横目で沙和を見ると、あいつはまた両手で枕を抱きながら、神妙な顔をしていた。
「こないだシャイゲの中で優くんから聞いたんだけどー。相手は強豪校なんだっけ?」
「ああ」
「で、部員はみんな、先輩のために勝ちたいって言ってたんだ?」
「そ、そうだけど……って、あいつそんな話までしてたのかよ!?」
「うん。きよっちのこと優しいって褒めてたし」
マ、マジかよ……。
優汰に褒められたって聞いただけで、俺は内心めちゃくちゃ嬉しくなっていた。
「まー、とはいえそれでハグをねだっちゃうとかさー。それ、優くん絶対断れないやつじゃん」
ま、まあ、言われてみれば。
あいつは優しすぎるし気遣いだってしてくれる。
実際、俺だって全く期待しなかったわけじゃねえし……って。
「それを言ったらお前も一緒じゃねえかよ。優汰の家に一人で泊まろうとするとか。出し抜くどころじゃなかったろって」
それだよそれ。自分のことを棚に上げやがって。
思わず腕を組みじーっと沙和を見つめると、逆の立場にたったあいつはギクッとした。
「あ、あははは。まー、それはそれで色々あってさー」
「色々ってなんだよ?」
「だってー。その話の流れでテスト勉強するーってなったんだけどー。あーしが優くんと楽しめるーって言ったら、ちっちーとるとっちが、真面目に勉強しないなら、優くんからあーしに勉強を教えさせないーとか言い出したんだよー?」
沙和がその時のことを思い出したのか。おもいっきりふくれっ面をする。
「確かにちょーっとおふざけっぽく言ったけどさー。あーしだってさっき話してた通り、優くんにも色々なアオハル経験させたいなーって思ってたわけじゃん。だったらただ真面目に勉強だけじゃ面白くないしーって思ってたのに。まさか本人がいる前で、そんな話されたわけじゃん。正直それで、ムシャクシャしちゃって」
ムシャクシャか……。
まあ、俺も頭がいいわけじゃねえし、優汰に恋焦がれてる。
だからこそ、沙和の気持ちもわからなくはねえ。
「だからって、二人っきりで泊まるのはヤベえだろ。大体お前、優汰の家の風呂を借りてたよな?」
優汰の家で寛いでた沙和が近くに来た時に香ったのは、間違いなくナックス。
だけど、普段こいつが使ってるのは別のシャンプーとリンス。ってことは、絶対間違いないはずだ。
俺の言葉にギクッとする沙和。
「え? う、うん。借りた。借りてたよ?」
……ん? ちょっと待て。
なんでこいつ、思いっきり焦ってるんだ?
別に風呂を借りただけで、こんな反応をするか? いや、俺ならそうはならねえ。
……おいおい。まさか、だよな?
「沙和。お前まさか、優汰と風呂に──」
「はははは、入ってない入ってない! ぜーったい入ってなーい!」
目を閉じ必死にアピールしてるけど、こんな反応したら、露骨にバレバレじゃねえか。
まったく……って、落ち着いてる場合じゃねえ!
優汰と一緒に風呂に入っただぁっ!?
「下手なごまかし方してんじゃねえ! 正直に言え! お前、優汰の裸を見たってのか!? お前の裸を見せたってのか!?」
「みみみみ、見せてませんー! あーしはー、ちょーっと際どかったけど水着だったしー? 優くんもー、下半身にはバスタオルを巻いてたしー?」
「ば、馬鹿野郎! そんなのほぼ裸じゃねえか!」
下半身以外は見たってことはだ。つまりこいつは優汰の裸を……裸を……。
ふと頭に浮かんだのは、優汰がバスタオル一丁のまま風呂場の洗い場にいる姿。いや、浮かんだには浮かんだけど、あいつがどんな体型なのか知らねえから、もやが掛かったみてえになってて想像しきれねえ。
「ね、ねー。きよっちー」
「な、何だよ?」
おずおずとこっちの様子を窺っていた沙和が、急に両手を合わせ俺に必死に頭を下げてくる。
「お願い! この話、ぜーったいちっちー達に言わないで! この通り!」
まあ、あの二人がこの話を知ったら、間違いなくキレ散らかすに違いねえ。
何なら俺達は友達だけど恋敵。結果として幼馴染の縁が切れたっておかしくない。
正直、俺だってこいつの行動にイラッとはした。でもまあ、勉強の件で同じ話をされたら、俺だって沙和みたいな気持ちにもなるし、気持ちもわからなくはねえ。
……だったら……。
「……等価交換だ」
「え? 等価交換?」
突然の言葉に首を傾げた沙和に、俺は真剣に頷いてやる。
「何と?」
「……決まってんだろ。情報だ。情報」
「情報って……もしかして……」
何かを察した沙和が、頬を染める。
そう。お前が今頭に浮かべてるその情報が欲しいんだ。
「あいつ、どんな体型だったんだよ?」
俺が少し声を震わせながら問いかけると、あいつもうつむき加減になり、枕の前でゆびをもじもじさせながら口を開く。
「えっと……やっぱり、ちょっと華奢って感じ」
「ガリガリってことか?」
「そこまでじゃなかったかな。でもー、細マッチョってほどでもなかったかなー」
「顔は見れたのか?」
「ぜんぜーん。髪の毛洗った後だったからー、オールバックにしたりしてるかなーって期待したんだけどさー」
あいつは本気で残念そうな顔をしたけど、もし風呂場で二人っきりになって、あの顔で話をされたら、俺だって理性が保てたかわかんねえ。そういう意味じゃ、沙和に先を越されずに済んだってことか。
「ちなみに、は、肌に触れたりしたのか?」
「え、えっとー……背中を少し洗ってあげた時、ちょっとだけ」
「ど、どんな感じだったんだ? 固かったのか? 柔らかかったのか?」
「ほどほど、かなー。筋肉質ーってわけじゃないし、ちょっとぷにぷにしてたけどー。その……脂肪ってわけじゃなくってー、ほんと程よいって感じ」
「そ、そっか。で、あいつのあそこは……」
俺がゴクリと生唾を飲み込みながら質問すると。
「わ、わかんないってー。タオルで隠してたって言ってたじゃん……」
本気で恥ずかしそうに、沙和が小声で口にした。
で、でもよ。それだけで終わらなくねえか?
「い、いや、だけどよ。あいつ、お前の水着姿を見たんだろ? その、そのせいであそこがこう……大きくなったり──」
「だからー! わかんないって言ってんのー!」
突然、あいつは泣きそうな顔になると、俺の声を掻き消す勢いで叫んだ。
「優くんは大胆って言ってたけどー、あれぜーったい軽い女だーって思われたじゃーん! あーしはギャルだけど、これでも純潔守ってんのに! 優くん優しいから、その後もお風呂のこと触れずにいてくれたしー、あーしのハグにも答えてくれたけどー。あれ絶対マイナスじゃん。あーん! 馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿! あーしの馬鹿! うわーん!」
持っていた枕に顔を埋め泣き出す沙和。
っていうかまあ、こいつの魅力なら男から襲いかかってもおかしくねえってのに。やっぱ優汰は優汰かよ。
「うー……もー。きよっちの馬鹿」
「……は? 何がだよ?」
何だよ急に。
沙和が枕から顔半分を出し、恨めしそうにこっちを見てるけど、そんな事言われる筋合い──。
「きよっちのせいで、優くんの事考えすぎてムラムラしてきたじゃーん」
──あー。それは、俺のせいかも。
こっちの申し訳なさそうな顔を見て、あいつはゲンナリしたままベッドにころりと横になる。
「もー。こーなったら、優くんのベッドにあーしの色んな匂い、付けちゃおっかなー」
「ば、馬鹿言ってんじゃねえ! 犬じゃあるまいし。大体そんなことすりゃ、迷惑になるに決まってんだろ!」
「でもー。あーし達には優くん本人がいないんだよー」
「お、お前のせいで、折角の優汰の匂いが消えたらどうすんだよ!?」
急に変なことを言い出した沙和を必死に説得すると、最後の言葉が楔になったのか。
「あー。確かにあーしの匂いになっちゃったらー、ここでの楽しみなくなっちゃうよねー」
一応思い留まってはくれた……で、いいんだよな?
「ううぅ……こうなったら、この匂いを嗅ぐだけ嗅いで、夢の中でいい事するしかないっしょ」
どんな開き直り方かわかんねえけど、あいつは布団を肩まで被るとまた枕に顔を埋めて匂いを嗅ぎ始める。
ま、まあ、正直俺もバスタオル一枚の優汰のイメージが完成しちまって、頭に焼き付いて離れねえし、そのせいでムラムラしてるのは確か。
仕方ねえ。言い出しっぺだしな。俺もなんとか踏みとどまらねえと……。
こうして、俺達は互いに盛りのついた犬みてえに、眠くなるまでひたすらに優汰の匂いを嗅ぎ続けたんだ。
……ほんと。敗者とはいえ酷い話だぜ。




