第6話:和らぐ不安
どうしたんだろう?
僕のそんな不安を他所に、喜世さんが丘から南の空を見上げる。
「……どうしたの?」
僕が脇に並ぶと、彼女は星空から目を逸らさずにこう答えてくれた。
「いや。今回は流石に不安なんだよ。一回戦の相手が八王子だから」
「八王子?」
「ああ、悪い。八王子実技高校。都内の女子バレーの強豪校なんだよ」
はぁっとため息を吐いた喜世さんが、横目にこっちを見つめてくる。
「うちの高校の女子バレー部は、衣笠先輩主体で回ってる。そんな主戦力の代わりに俺が入るのはまだいい。だけど、他の二年が緊張しちまってて、普段の練習より動きが固く見えたんだよ。一応大会初日まで二週間あるとはいえ、あの空気のままいっちまうようだと、流石にヤバそうでな」
「そうなんだ……」
……僕は、まだまだ喜世さんとのリアルの付き合いは短い。
だけど、横顔に浮かぶ不安をこうやって目にするのは、友達じゃなかった頃を含めて初めてだと思う。
それだけ彼女が真剣に考えていて、それだけ強く不安に感じてるってことかな。
女子バレーのことなんて全然知らない僕が、何か言うのは無責任かな……。
でも……。
「きっと、大丈夫だよ」
僕は敢えて、そう口にした。
ちょっと驚きこっちを見た喜世さんに、僕は自分なりの笑顔を向ける。
「部員達だって先輩を凄く慕ってたし、負けたくないって気持ちはあるでしょ? それに、なんたって喜世さんが付いてるんだもん。だから、大丈夫だよ」
去年だって、彼女の活躍は別のクラスの僕にまで伝わってきた。
色々な部活の助っ人として活躍した喜世さんだったら、バレーボールでも活躍できるはず。
「……ったく。人の気持ちも考えねえでよ」
嫌味を言いながらも、喜世さんが夜景を背景にして笑ってくれる。
なんとなくそれは凄く神秘的で、彼女ならなんとかしてくれそうな雰囲気を感じる。
「……なあ。優汰」
「何?」
喜世さんが急に目を泳がせた後、ちょっと俯く。
「あ、あのよ。お前がその……俺を信じてるってなら、ちょっと頼みがあるんだけどよ……」
彼女らしからぬ弱気な声を出しながら、頬をかきちらちらと様子を窺ってくる喜世さん。
頼みって、僕にできることがあるなら勿論協力したい。
「うん。僕でできることなら協力するけど、何?」
「いや、えっと……悪いんだけどよ。その、俺を……ぎゅっとしてくれねえか?」
「……え?」
ぎゅっとって……。
「どういうこと?」
僕が首を傾げると、喜世さんは急に頬をペシッと両手で叩くと、ちゃんと僕に向き直り、目を瞑りこんな事を言った。
「だ、だからよ。その……俺を抱きしめてくれって、言ってんだよ」
「……えええっ!?」
思わず大声を出しちゃったけど、僕だって急に抱きしめてって言われたら、それは驚くって。
彼女は顔を真っ赤にしたまま、バツの悪そうな顔をしてるけど……。
「え、えっと、理由を聞いてもいい?」
流石に僕も心の準備がいる。時間稼ぎも兼ねてそう聞いてみると、喜世さんはもじもじとしながら、歯切れ悪く話し出す。
「い、いや、そのよ。さっき話した通り、俺にも不安があるだろ? で、でだ。俺を信じてくれるお前が、その……だ、抱きしめてくれたら。そんな不安も和らぐんじゃねえかって……」
抱きしめたら不安が和らぐ……。
あ。確かに小さい頃、お母さんとかに抱きしめてもらったら、ちょっと安心できたよね。
喜世さんだって期待が重圧になることもあるだろうし、少しでも不安を何とかしたいのかもしれない。
彼女を抱きしめる……。
願い事を聞いた時のことを想像し、僕は少し胸がドキドキしはじめた。
恥ずかしいか否かで言えば、恥ずかしいに決まってる。
でも……。
「え、えっと……僕で役に立てるなら、いいよ」
僕は、小さく頷いた。
「ほ、本当か?」
「う、うん。あ、リュックは背負ったままだと邪魔かな?」
「そ、そうだな。そこに下ろしておこうぜ」
「わ、わかった」
恥ずかしさをごまかそうと、僕がそそくさと近くのベンチにリュックを下ろすと、脇に並んだ彼女も同じくベンチにリュックを下ろす。
そして、準備ができたところで、僕と喜世さんはそのまま互いに向かい合った。
喜世さんは僕より少し大きい。
このまま抱きしめたら、彼女が僕に胸を貸す形になっちゃうかな。
……そ、それは、流石に恥ずかしいかも。
えっと、確か……。
僕がチラチラと周囲を窺うと、頂上を横断している歩道の脇。外灯から外れた所に人が乗るのにちょうどいいくらいの小さな岩がある。
高さは二十センチくらいだし、上のほうも平べったいから丁度いいかな。
「き、喜世さん」
「な、なんだ?」
「あ、あの、こっちに来てくれる?」
そう言って歩き出した僕はベンチから離れ、さっき見つけた岩の上に乗ってみた。
この岩ならグラグラしたりしないし大丈夫そうかな。
安心した僕は、岩の上でゆっくりと振り返り、岩の先端の方に立った。
「ん? これ……」
「あ、うん。その、僕のほうが身長が低いでしょ? それだとその、胸を貸したりできないから。だから、ここならいいかなって」
「た、確かにな」
僕の前に立った彼女がこっちをゆっくりと見上げる。
さっきより薄暗い世界で、喜世さんの赤髪が優しい風で少し靡いた。
見つめる先で、彼女の瞳が潤んでいるのがわかる。
こうやって見ると、やっぱり喜世さんも女の子だよね……って、何考えてるんだ僕は。そんなの当たり前じゃないか。
生唾を飲み込んだ僕は、一度顔を上げ、制服の襟元に指を入れると、ドキドキを収めようと軽く咳き込む。
「え、えっと。じゃ、どうぞ」
気の利いた事も言えなくなった僕は、覚悟を決めて両腕を開き喜世さんが来るのを待つ。
その場で俯き胸に手を当てた喜世さんが、大きく深呼吸をする。
「じゃ、いくからな」
腰のあたりで両手を握ると、覚悟を決めたっぽい喜世さんがゆっくりと僕に歩いてくる。
そして、ゆっくりと僕の背中に手を回し、胸に顔を預けてきた。
回された手にぎゅっと力が入る。
ぼ、僕にもぎゅっとしてほしかったんだよね。
え、えっと……。
僕もゆっくりと彼女の背中に両腕を回すと、腕に力を込め抱きしめた。
少しずつ体に感じる喜世さんの熱と、触れ合っている感触。
互いに制服。だけど、布越しでも感じる彼女の存在に、僕の胸の鼓動がより強くなる。
「……ゆ、優汰も、ドキドキしてるんだな」
「う、うん……」
優しげで恥ずかしそうな喜世さんの声が、夜風に乗って消える。
耳を僕の胸に当ててるから、音を聞かれちゃってるのかも。
それがより恥ずかしさを助長し、思わず顔を真っ赤にした。
救いなのは、彼女がこっちを見ていないこと。だけど、結局それは焼け石に水。僕の気恥ずかしさが変わることなんてない。
誰かに見られてないか不安で、目だけで周りをみてるけど、今のところ誰かが丘に上がってくるような気配はない。
それが僕を安心させる……なんて、やっぱり無理だ。
変わらない……ううん。より強く感じる恥ずかしさ。
僕が受け入れたんだしって思ってはいても、永遠にも感じる時間がずっと喜世さんの存在を意識させてくる。
ど、どうすればいいんだろう?
もう少しこのままにしておけばいいのかな?
で、でも、このままだと何か変な気持ちになりそう。
そ、そうだ。ほ、星でも見ながら気持ちを落ち着けよう。
僕が見えにくい星を必死に探し、数えていると。
「……ちっ。やっぱ俺……お前……きな……」
喜世さんの消え去りそうな声と、少しだけ吹いた風の音が重なった。
ちゃんと聞き取れなかったけど、なんだろう?
「き、喜世さん。きなって、何?」
胸元にいる彼女にそう尋ねると、はっと顔を上げた彼女と目が合った。
「あ、いや、えっとだな。その……そう! きな粉! きな粉だ!」
「へ? きな粉」
あまりに突拍子もない言葉に、僕の腕の力が緩んだ瞬間、喜世さんはばっと僕から離れた。
「そ、そう! きな粉って栄養価高いだろ? だ、だから、お前にきな粉餅でも振る舞ってやろうって思ったんだよ。あははは」
片手を頭の後ろに回し、乾いた笑い声を上げる喜世さん。
明らかに動揺してる所を見ると、流石に何かを隠したのは丸わかり。
でも、何を隠したのかなんてさっぱりわからないし、今の話を嘘にするのも悪い気がする。
だったら、話を合わせたほうがいいよね。
「そっか。じゃあ、今度お願いしてもいいかな? 喜世さんの作るお菓子なら、味も保証済みだろうし」
「お、おう! 任せろって!」
彼女が片手で大げさにガッツポーズをするけど、それはどこか普段通りにも見えてほっとする。
「あ、あとよ。お陰でちっと落ち着いたぜ。優汰。ありがとな」
「ううん。役に立てたなら良かったよ」
「あ、あのよ。もし今度の試合で勝ったら、ご褒美にまたしてくれねえか?」
「え? また?」
「ああ。その、やっぱそういうのがあると、より頑張れるしよ。な? 頼む!」
喜世さんが片手を立て謝ってくるけど、表情は明るい。この感じ、どこか沙和さんっぽさがあるかも。
提案された事自体は勿論恥ずかしくはあるけど、それで彼女のやる気が出るなら願ったり叶ったりかな。
「そっか。わかったよ」
「本当か?」
「うん。その代わり、バレー部のみんなのためにも、頑張ってね」
「ああ!」
夜空の下、心底嬉しそうな顔をする喜世さんを見て、僕も釣られて笑顔になったんだ。




