第6話:誰のため
「やっぱり、会うのが辛いから?」
確かに辛いのはあると思う。
目の前に立っているのは過去の苦いどころか苦しい思い出。
だけど、僕は小さく微笑むと首を横に振る。
「え? 違うの?」
「うん。辛くないかって言われたら絶対辛いんだけど。多分それ以上に思ってるのは、やっぱり困るからかな」
「困るから……」
「うん」
僕の言葉を繰り返した沙和さん。僕は自嘲にもにた微笑みのまま、自然と目を閉じる。
沙和さんの視線に込もった真剣さ。それを避けたかったわけじゃない。
ただ、自分の心の葛藤を言葉にするっていう気恥ずかしさ。そして、同時に感じている罪悪感がそうさせただけ。
「結局、会って謝られた時、僕はどうすればいいのか。正直想像がつかないんだ。受け入れる? あんなに苦しんだのに? 責めればいい? 自分から行動したのに? 謝ってもらって、僕の心が晴れる? 悲しくなる? 辛くなる? 怒りたくなる? ……今、沙和さんに質問されただけで、これだけの葛藤があって。そのどれを口にしたら木原さんの気持ちが晴れるのか。それとも晴れなくってより後悔させるのかもわからないんだ」
……きっと、あの事件がなくって、もっと早くから友達と呼べる相手ができてたら、もう少しこういう気持ちも整理できたのかもしれない。
でも、悲しいけれど今の僕じゃ、この気持ちはどうにもならないんだ。
「だったら、今のままでいいのかなって思う。僕はTOP4のみんなのお陰で過去を忘れ、未来に歩みだせてるし、彼女は華やかなアーティストの世界で、あれだけの顔ができるようになってる。だったら、きっとそんな現在がお互い幸せだし、きっと時が経てば過去は少しずつ色褪せて、気持ちが軽くなる。お互いの道が交わることなくそんな時間を過ごしてったほうが、きっと彼女のため……ううん。僕のため、だから」
そう。木原さんのためだなんて言えないよね。
これは僕のわがままであり僕の答えなんだから。
話しながら強くなった僕の心の痛み。
何も言わない沙和さん。寝息を立てている喜世さん。
どこかしんみりとした穏やかな空気の中、僕は握られた手を優しく引くと、自身の胸に当てる。少しでも痛みを忘れたくて。
しばらく流れた静かな時間。
それを破ったのは、誰かが動いて布団がずれる音。
そして──僕は額に柔らかい何かが触れたのを感じた。
思わず目を開けた瞬間、そこにあったのは目の前に迫る沙和さんのパジャマから露わになっている胸の谷間。
……え? えええっ!?
あまり突然のことに目を丸くしていると、ちゅっという音と共に彼女がゆっくりと離れ、さっきの場所で再び横になった。
常夜灯のせいで顔色まではわからないけど、やっぱりその瞳は真剣なまま。
「優くん。今のおでこへのキス、どうだった?」
「え? あ、その……」
どうだったって言われたら……。
「ちょっと、驚いた」
「そっか。でもー、きっとその瞬間は忘れてなかった? 木原さんのこと」
「え?」
……あ。確かに忘れてた。びっくりしすぎて。
「う、うん。忘れてた」
「そっか」
少しだけ笑顔を見せた彼女は、また真剣な顔をすると、僕が自分の方に引き寄せてた手を逆に引っ張り、彼女の胸に押し当てる。
手なんかより柔らかい感触に、僕の顔の熱が増す中、沙和さんはそれでも真面目な顔を崩さない。
「優くんが決めたことだから、きっとそれでいいと思う。ただ、もしそれでも辛くなっちゃったら、ちゃーんとあーしが忘れさせてあげる。だから苦しまなくっていいし、今選んだ決断に、苦しまなくたっていいかんね」
……もしかして、僕が勝手に辛くなるのをわかってて……。
胸の柔らかさを感じて恥ずかくなっていた感情は、心に広がった沙和さんの優しさへの感謝で上書きされる。
わざわざ体を張って、僕の心の痛みを忘れさせようとしてくれた。
それは、やっぱり嬉しかったから。
「ありがとう」
「ううん」
僕の笑顔と短い言葉に、彼女は釣られて笑ってくれる。
ただ、ちゃんと言っておいたほうがいいよね。
「でも、無理して体を張らなくってもいいからね」
「え?」
あれ? 驚かれるような言葉だったかな?
「いや、さっきの額へのキスとか、今こうやってるのとか。僕が辛いのを忘れさせようって、無理してやってるでしょ? 流石にそれは──」
「むむむ、無理してなんてないし!」
僕の言葉を遮って、沙和さんは小さな声のまま語尾を強める。
え? 無理してるんじゃないの?
入れ替わるように僕が驚くと、彼女はうつむき加減のまま上目遣いになると、少し目を潤ませ僕を見つめてくる。
「そ、その。優くんに辛い思い出を忘れてほしいからした。それは合ってる。合ってるけど。あーしは、その……優くんの特別でいたいの。だから、本当はその、こうやって触ってほしいし、キスだって、したいし……」
よっぽど恥ずかしいのか。
どんどん声が小さくなる沙和さん。だけど、同時に僕の手はより彼女の胸に押し付けられた。
さっきまでの空気はなんだったのかってくらい、彼女ははっきり顔に恥じらいを出してる。
でも、潤んだ瞳を逸らそうとはしない。
沙和さんのそんな態度がより恥ずかしさを加速し、頭がぼんやりしてくる。
え、えっと、触ってほしいし、キスしてほしい?
それって、特別な友達だとしてもやりすぎじゃない?
「優くん。その、あーしはね。今だってその、優くんと……」
僕の混乱をよそに、彼女がもぞもぞとに動き、僕との距離を詰めてくる。
より近くなった沙和さんの可愛い顔。
前にも感じたほんのり香る優しい香り。
未だ僕の手に感じる柔らかさ。合わせて感じ始めたのは彼女の胸の鼓動。
こ、これってまさか……キスしてほしいとか、そういうこと?
そこに沙和さんがいる。より強く感じる存在に、喉が渇き緊張しはじめたその瞬間。
僕は後ろから伸びてきた何かに、がっと体を掴まれたんだ。




