第16話:偽りの恋人
「こ、恋人ぉっ!?」
瑠音さんの言葉を聞いた僕達の驚きの声が被る。
こ、恋人って、あの恋人!?
付き合ったり、デートしたり、キ、キスしたりとかするあの恋人!?
な、なんで!? どうして急にそんな話を!?
急すぎる言葉は僕のドキドキを強くする──はずだった。
だけど、そんな気持ちは瑠音さんの表情を見た瞬間、ふっと霧散してしまう。
「……るとっち。何かあったの?」
「どうしてそんな顔してんだよ?」
沙和さんと喜世さんが思わずそう口にしたのは当然。
なんなら僕も同じような言葉を掛けたかったくらいだ。
僕達の前で椅子に座っている瑠音さんは、ぎゅっと口をつぐんでいる。
告白したような発言だったのに、恥じらいもなければ喜びもない。そんな風にしか見えない。
「何か、あったのですか?」
顔を伏せたまま中々話し出さない彼女に、千麻さんが不安げに問いかけると、重々しいため息が聞こえた。
「……言い方が悪かったわね。正確には、優汰様に私の恋人の振りをしていただきたいのよ」
「恋人の振りって……なんで?」
僕の問いかけに、瑠音さんはゆっくりと顔を上げた。
とても申し訳なさそうに。
「きっかけはお父様ね」
「お父さん?」
「ええ」
僕にしっかり頷いた彼女は、じっとこっちを見ながら話を始める。
「最近、付き合いのある幾つかの良家の方々から、私への縁談の申し出があったそうなの」
「縁談ってことは、結婚前提のってやつか?」
「そうね。でも、私はそれは嫌なのよ。政略も絡んだ家同士の思惑に巻き込まれ、好きでもない相手の婚約者となりいつか結婚するなんて。相手が悪い人物とは限らないけれど。私だって一人の乙女。私自ら恋をし、相手を決め結ばれたい。そんな想いがありますの」
残念ながら、僕はこういった事に対する知見なんてない。
ただ、歯がゆそうな顔をしている瑠音さんが本気で語っているのは伝わってきた。
実際、僕がいつか誰かと恋をして、彼女ができるかなんてわからない。だけど。この年で急にお見合いしてみないかって話をされたら、きっと同じように複雑な気持ちになると思う。
「それで、優汰君と付き合っていることにして逃れたい。そう思ったのですか?」
「ええ。周囲にこんな役を頼める相手なんて皆無。それこそ、この機に乗じて私に取り入ろうとする相手のほうが多いわ。だけれど、誠実な優汰様ならそんなことはありませんもの」
「でもさー。それでそのまま優くんを婚約者にされちゃったりしなーい?」
不安げというか、不満げというか。沙和さんが複雑な顔で尋ねると、瑠音さんは真剣さを崩さず彼女を見た。
「良家同士のやりとりであれば、流石にやすやすと婚約破棄などできないわ。だけれど優汰様は一般家庭の出自。ある程度して私が振られたことにすれば、婚約解消も容易いでしょう」
「ですが、それではまた同じ環境に戻ってしまうのではないですか?」
千麻さんが神妙な顔で疑問を呈したけど、正直それは僕も思う。
遅かれ早かれ、結局またこういった話題が再燃するんじゃないかって。
でも、きっと瑠音さんはそれを理解してたんだろう。少し淋しげな顔をする。
「そうね。だけれど、こればかりは仕方ないわ。こんな形でみんなから優汰様を奪い、私だけのものにするわけにいかないもの。だから、今は一旦一時しのぎできればいいわ」
「そっかー。るとっちの婚約者ってなったら、あーし達と優くんの友達付き合いにも支障でそうだし、ずっとそうなっちゃうのは悲しいもんねー」
「確かにな。彼女持ち扱いの彼氏と別の女が遊んでるなんて知れれば、それこそ優汰が責められちまうもんな」
「瑠音のお父さんを説得することは──」
「無駄よ。お父様は余程正当な理由を伝えられなければ、私の言葉に納得などしないもの」
千麻さんの言葉を遮った瑠音さんが、少しだけ唇を噛む。
きっとそれは真実の表れなんだと思う。
僕が瑠音さんの恋人を演じれば、一時しのぎはできる。
だけど、それって根本的な解決になってないし、何なら別の問題もあるんだよね。
「えっと、恋人を演じろっていわれても、僕はどう振る舞えばいいか、全然わからないんだけど。それでも大丈夫なのかな?」
こんな僕でも役に立つのかがさっぱりわからなくって、僕は素直に不安を口にする。
困った僕を見かねたのか。瑠音さんは小さく微笑む。
「大丈夫よ。優汰様の誠実さは、恋人として十分通じるもの。優汰様は友達を恋人という言葉に置き換えて、話をしてもらえればいいわ。きっとお父様も嘘だと疑わないわよ」
「確かに優くんってば真面目だしー、裏表ないもんねー」
「常に本音で話してくださる優汰君だからこそ、普段通り話していれば、嘘も真実に聞こえますもんね」
「偽装の恋人役として、適任っちゃ適任か」
沙和さん達の反応を見て、瑠音さんがその場で深く頭を下げる。
「私の事情だけで、優汰様やみんなを巻き込むのは心苦しいけれど。どうか、この話を飲んでいただけないかしら。お願い」
彼女を見ながら、残された僕達は互いに顔を見合わせる。
「……お前の婚約者って話の間、俺達は優汰と距離を置くのか?」
「いいえ。この話はあくまで私の家の問題。表に出すつもりはないし、普段通りでいいわ」
「そっか。まあ、それなら俺は別に」
「私も異論はありませんが、結局は優汰君次第でしょうか」
「だよねー。あーし達は今まで通りって感じだけど、優くんはきっと、るとっちのパパチと顔合わせるじゃん? そういうのプレッシャーになりそうだしさー」
会話の流れから、三人が自然にみんながこっちを見ると、瑠音さんも顔を上げおずおずと僕を見た。
「優汰様は、いかがかしら?」
「僕は……」
どうすればいいんだろう?
瑠音さんの力になれるなら、協力しない手はないと思う。
だけど、彼女にああ言ってもらってなんだけど、僕が嘘を吐いたのがバレれば、結局瑠音さんに迷惑がかかる。
なんなら、そのせいで友達関係すら許されないなんてことにならないかも心配だし……。
色々と頭に巡らせるけれど、妙案なんて浮かばないし、この提案が博打にしかなってないような気持ちにもなる。
そんな不安ばかりの状態じゃ、冷静な答えなんて返せなくて。
「……悪いんだけど。一晩答えを待ってもらえるかな?」
口から出たのは、そんなはっきりしない返事だった。
「ま、突然の話だもの当然よ。無理せず数日悩んでもらってもいいわよ」
瑠音さんが気を遣ってそんな助け舟を出してくれたけど、僕はそれに首を横に振った。
「ううん。あんまり引っ張ってもいいことない気がするし。明日には答えを出すね」
そう。こういう時に悩んだって、大していい答えなんて出ない。
それに、正直なところひとつdskr変わらない思いはある。
僕は瑠音さんの力になりたいって。
今はそのための自信がないだけ。
だから少しでも不安な心を払拭して、僕が僕なりに頑張れるようにしたい。
これはそのための時間なんだ。
「優汰様……」
「大丈夫。その、悪いようにはしないから」
ちょっと不安そうな顔をした瑠音さんに、慰めになるかすらわからない言葉を返しあ笑顔を向ける。
そう。僕が頑張ればいいんだ。僕が。
心でそんな言葉を復唱しながら、僕は目の前のカップを手に取ると、和紅茶フラペラテと一緒に不安を飲み込んだんだ。




