幕間:瑠音の悩み
まったく。一体どこから漏れたのかしら。
まさか面条が……いえ。彼は私の忠実なる執事。いくらお父様相手とはいえ、私が話していないことを伝えるなどしないわね。
夜。薄暗い部屋の中で、私はパジャマ姿のまま自分の部屋の窓際にある一人掛けソファに座ると、ため息を吐き夜空を見上げたの。
所々薄雲がかかる星空。
折角の満月もその姿を半分隠されている。
まるで私の心の写し鏡のように。
もう少しで、優汰様からの電話が掛かってくる。
どんな会話であれ、それは間違いなく私を幸せな気持ちにしてくださるのは間違いない。だけれど、普段であればときめきと興奮の中電話を待つところだけれど、今の私はそこまでの気持ちになれなかった。
憂鬱な気分になっているのは、少し前のお父様との会話が原因。
結局、遅かれ早かれの問題ではあったのだけれど。にしても、早過ぎですわ。
何故この時期なのよ……。
私の悩みを遮るかのように、目の前のテーブルの上に置いていたスマホが震えだす。
勿論そこに表示された相手の名は優汰様。
……とりあえず、一旦この話は置いておきましょう。
私はすっとスマホを手に取ると、気持ちを切り替え掛かってきた電話に出た──はずでしたのに。
『もしもし』
『あ、えっと。有内ですけど。瑠音さん、かな?』
まったく。何をやっているの、私は。
普段他の者に電話を掛けるような声で出れば、優汰様だって戸惑うに決まっているじゃない。
「ええ。私ですわ」
『そっか。良かった。間違って別の所に電話しちゃったかって焦っちゃった』
電話越し。顔が見えないはずなのに、既に私の脳内では苦笑する優汰様のお姿が思い浮かぶ。
ほんと。いつもならば、これだけで十分私の胸は高鳴るというのに。もう。全てお父様のせいだわ。
「それで。私に何をお話いただけるのかしら?」
『あ、うん。その、朝の全校集会の話なんだけど。……あの、全校集会で話題に上がったのストーカーの加害者って、やっぱり貴堂君のこと?』
少し真面目な声色になる優汰様。
流石に貴堂一吾の一件は、笑い話で片付けられないものね。
「ええ。そうね」
『そっか。わざわざ全校集会でその話をしたのは何で?』
「私としてはどちらかと言えば他の生徒への牽制のつもりだったのだけど。結果として貴堂一吾が被害者だと広まっているようね」
『やっぱりそうだったんだ。でも、既に家は引き払ってるっていうのは……』
「あれは麗杜家の指示ね」
『え? 瑠音さんの家の?』
少し驚いた声を出す優汰様。
……こんな話をすれば、私が嫌われるかしら。でも、真実は話しておくべきね。
「そう。実はあの男の父親は、麗杜財閥傘下の会社の取締役の息子だったのよ」
『え? そんなお金持ちだったの?』
「ええ。で、貴堂家のご両親に、優汰様や私を狙った殺人未遂の罪を伝えた所、酷くショックを受けたみたいね。このまま家から離れて暮らさせるわけにはいかないと、早々に学校に退学手続きを出して、一人暮らしの家を引き払ったそうよ」
『そうだったんだ。ちなみに、貴堂君は……』
「今は留置所で勾留中よ。一度脱走を図ろうとしたみたいで、結構長くなるそうよ」
『そっか……』
優汰様のどこか気落ちした声は、きっと彼に温情を与えても良かったんじゃとでも思っているのでしょうね。
「優汰様。前にも言ったけれど──」
『あ、うん。大丈夫。割り切れてはいるから。ただ……』
「ただ?」
『その……瑠音さんは大丈夫?』
「え?」
私が大丈夫?
「どういうことですの?」
『あ、うん。その、普段より声が暗いから。実は瑠音さんのほうが貴堂君の事で心痛めたり、あの日のことを思い出して嫌な気持ちになってないかなって』
……まったく。
私は顔が見えないことをいい事に、その場で自然に微笑んでしまったわ。
ちゃんと私のことを考えてくれている。それをはっきりと感じたんだもの。
「大丈夫よ。こういう経験が全く無いわけではないし。あの日怖い思いをした気持ちも、既に優汰様に癒してもらえてるわ。だから安心なさって」
『そっか。それならいいんだけど』
「それより、優汰様こそショックはございませんの?」
私の心配の声を聞いた優汰様は。
『うん。大丈夫だよ』
そう気丈に仰ったわ。
でも、強がっているだけということはないのかしら。
「本当ですの?」
思わず念押しする私に対し、あの方はこんな言葉を返してくださったの。
『本当に大丈夫だよ。みんなのお陰で』
「え? みんなとは……私達の事?」
『うん』
優汰様の声はどこか明るい。
確かにそれだけを聞けば、問題はなさそうに感じるけれど、私達のお陰とは何かしら?
「優汰様。それはどういう意味ですの?」
『うん。事件以降もTOP4のみんなと色々経験したり、話をしたりしたでしょ。広い話かもしれないけど、実はそのお陰であの日の出来事をすっかり忘れてて。で、今日の一件で思い出しはしたんだけど、それでも落ち着いていられたのはきっと、僕の中ではたった数日なのに、既に過去にできてるからかなって思って。だから、みんなのお陰かなって』
優汰様が少し気恥ずかしそうな声で、ちゃんと思いを伝えてくれる。
『勿論、瑠音さんにも感謝してるよ。ありがとう』
……嗚呼、優汰様……。
春風のような優しい言葉が、私の心を暖かくしてくれる。
それはとても嬉しい気持ちと共に、とても申し訳ない気持ちにもなる。
「いいのよ。私が落ち着いた気持ちでいられるのも、優汰様のお陰だもの。お互い様よ」
『そっか。役に立ててるなら良かった』
優汰様のほっとした声が、私にも届く。
それを聞き、私は少し罪悪感を覚える。
この先、彼に迷惑をかけてしまう日が来る。それを知ってしまったから。
『ごめんね。こんな話のために時間取らせちゃって』
「構わないわよ。私達は特別な友達だもの。気軽に頼りなさい」
『そうだね。もし瑠音さんも僕を頼りたくなったら言ってね。少しでも力になるから』
……本当にお優しいわ。
もし優汰様に話をし協力を求めたら、きっと私のために体を張ってくださる。
「……優汰様」
思わず、彼の名前が私の口から漏れる。
『どうしたの?』
突然呼ばれて戸惑ったのか。疑問の声を返した優汰様。
今、ここで相談してしまうことも……いえ。やはり時期尚早ね。それは絶対に優汰様の迷惑になってしまう。
「……いいえ。なんでもないわ。それじゃ、今日はここまでにしましょう」
『う、うん。わかった。それじゃ、お休みなさい』
「ええ。お休みなさい」
互いに挨拶を交わすと、私は自ら通話を切ると、立ち上がり窓から再び夜空を見た。
薄い雲に完全に隠れてしまった満月は、雲の裏で淡い光だけを発している。
考えれば考えるほど陰る気持ち。
お父様は猶予をくれたわ。
だからこそ急ぐ必要はないけれど……でも……。
優汰様と言葉を交わせた喜びも、不安に覆われ気持ちを高ぶらせることはない。
……とにかく。学校では普段通りでなくてはね。今のうちに色々考えておきましょう。この先どうすればいいのかを。
未だ晴れない気持ちのまま、私はテスト勉強をすることもなく、そのままベッドに横になると、しばらくこの先の事についてずっと悩んでいた。




