第七話 監査官マルクス
残り二十四日。新たな監視者が、離宮に着任します。
マルクス・ヴェインが離宮に着任したのは、翌朝のことだった。
茶色の髪を整え、隙のない立ち姿をした青年だった。年齢はカインより少し上だろうか。彼は、離宮の門をくぐると、真っ先にフィリアの部屋を訪れ、淡々と名乗った。
「王家直属特別監査官、マルクス・ヴェインです。以後、こちらに常駐いたします」
「――よろしくお願いします」
フィリアは、令嬢らしい微笑みを浮かべた。だが、内心では、彼の一挙一動を注意深く観察していた。
「まず、規則をお伝えします」
マルクスは、手にした書類に目を落としながら続けた。
「離宮への訪問者は、全て事前に私の許可を得ること。警護の外出も、行き先と目的を記録に残すこと。書状のやり取りは、私が検分いたします」
カインが、眉を寄せた。
「――外出のたびに、許可がいるのか」
「そういう決まりになりました」
マルクスは、感情の読めない声で答えた。
「私情は挟みません。あなたがフィリア様の潔白を信じているのか、疑っているのか、そこにも興味はない。ただ、決められた手続きを、正確に遂行するだけです」
「随分と、機械的な物言いですね」
フィリアは、探るように言った。
「感情で判断を誤る人間を、私は何度も見てきました」
マルクスは、初めて、僅かに表情を動かした。
「機械的である方が、公正でいられる。少なくとも、私はそう考えています」
その言葉には、どこか実感のこもった響きがあった。フィリアは、その響きに、僅かな興味を覚えた。
(この人は――少なくとも、誰かの手先で嬉々として動くタイプではなさそうだ)
(だとしたら、味方にはならなくても、少なくとも、公正な壁として機能するかもしれない)
「一つ、伺ってもよろしいですか」
フィリアは、静かに尋ねた。
「あなたは、私が有罪だと思いますか。無罪だと思いますか」
「今の段階では、どちらとも判断していません」
マルクスは、即答した。
「判断するための材料が、まだ揃っていない。揃うまでは、判断を保留する。それが、私の仕事のやり方です」
その返答は、フィリアにとって、意外なほど誠実に響いた。
「――結構です。それで十分です」
マルクスは、僅かに視線を落とした。
「一つ、申し添えておきます。私は、この件が公正に裁かれることを望んでいます。もし本当に、あなたが冤罪であるなら――それを見過ごすつもりはない」
その一言に、フィリアは思わず彼の顔を見返した。
「――意外な、お言葉ですね」
「私にも、理由があります」
マルクスは、それ以上語らず、書類を閉じようとした。だが、フィリアは、その手が一瞬止まったのを見逃さなかった。
「――理由、というのは、あなた自身のご経験に関わることですか」
マルクスは、書類を閉じる手を止めたまま、少しの間、沈黙した。
「……昔、身内が、証拠不十分のまま裁かれたことがあります。それ以上は、今は申し上げられません」
「――お聞きして、申し訳ありませんでした」
「いえ。仕事の話に、私情を混ぜてしまった。忘れてください」
マルクスは、いつもの平坦な声に戻すと、書類を閉じた。
「詳しくは、また機会があれば」
彼は、一礼して部屋を出ていった。フィリアは、その背中を見送りながら、小さく息を吐いた。
(理由がある、か)
(彼にも、彼なりの過去があるのかもしれない。証拠不十分のまま裁かれた身内――それは、今の私の状況と、どこか重なる)
◇
マルクスが去った後、部屋にはカインだけが残った。
「厄介な奴が来た」
カインは、低く呟いた。
「外出のたびに許可がいるとなると、これまでみたいに自由には動けない」
「でも、彼は――少なくとも、最初から敵として振る舞うつもりはないようです」
フィリアは、窓の外を見た。
「公正であろうとする人間なら、証拠を積み上げれば、味方につけられるかもしれません」
「甘い読みかもしれない」
カインは、腕を組んだ。
「王家が送り込んだ人間だ。王家の意向――つまり、評議会で前倒しを支持していた連中の意向を、汲んで動く可能性もある」
「そうかもしれません。でも、今の段階で疑心暗鬼になっても、前には進めません」
フィリアは、拳を握った。
「まずは、彼の目を盗まず、正面から向き合う形で、調査を続ける方法を考えましょう」
「――どうやって」
「監査官の許可が必要なら、堂々と申請すればいい。『警護の巡回』ではなく、『被疑者本人の希望による、証拠確認の申し出』として」
カインは、驚いたようにフィリアを見た。
「――正面から、堂々と行くのか」
「隠れて動けば、疑われた時に言い訳ができません。でも、正式な手続きを踏んで動けば、マルクス様も、拒否する理由を見つけにくいはずです」
フィリアの声には、これまでにない強さがあった。
「工房の件も、三日月商会の件も、私は知りたい。潔白を証明するための調査だと、堂々と申し出ます」
カインは、しばらくフィリアを見つめた後、小さく笑った。
「――あんた、本当に、変わってきたな」
「褒め言葉として受け取っておきます」
夕方、フィリアは早速、マルクスに書状を書いた。事件に関わる証言と証拠を、正式な手続きの下で集めたい、という申し出だった。文面を練るのに、随分と時間がかかった。強すぎれば警戒され、弱すぎれば軽んじられる――その塩梅を、フィリアは何度も書き直した。
カインは、その間、部屋の隅で黙って見守っていた。急かすでもなく、口を挟むでもなく、ただ、ペンを走らせるフィリアの横顔を見ていた。
返事は、その日のうちに届いた。
『申し出、了承する。ただし、全ての調査には、私が同行、あるいは事後報告を義務とする』
フィリアは、その一文を読んで、小さく息を吐いた。
「――半分は、勝ち取れました」
「半分、か」
カインが、窓の外に目をやった。太陽が、山の向こうに沈みかけている。
「残り、二十四日」
「監査官という壁ができた分、これまでより慎重に進めなければなりません」
フィリアは、書状を丁寧に折りたたんだ。
「でも、止まるわけにはいきません」
カインは、それには答えず、静かに立ち上がると、部屋の扉に手をかけた。振り返らないまま、一言だけ残す。
「――次の外出申請、俺が書いておく。今夜のうちに」
扉が閉まる音が、静かな部屋に短く響いた。
第七話「監査官マルクス」をお読みいただき、ありがとうございます。
新キャラクターのマルクスは、敵でも味方でもない「公正であろうとする第三者」として登場させました。フィリアが、隠れて動くのではなく、正面から堂々と調査を申し出るという戦略を選ぶあたりに、彼女の成長を感じてもらえたら嬉しいです。
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