第五話 もぬけの殻
残り二十六日。カインが、三日月商会そのものに辿り着きます。
翌朝、カインは夜明け前に離宮を出た。
王都商業区、三日月商会の店舗があるという場所は、大通りから一本入った路地の奥だった。看板は控えめで、商会名を示す三日月の紋章だけが、扉の上に小さく掲げられている。
だが、カインが辿り着いた時、その扉には板が打ち付けられていた。
「――閉店、しているのか」
近くの店の主人に尋ねると、答えは思いがけないものだった。
「三日月商会か?三日前に、急に店じまいしたよ。夜逃げみたいに、荷物を運び出してな」
「三日前――」
カインの脳裏に、日付が浮かんだ。ちょうど、フィリアが庭で不審な人影を見た頃と重なる。
「店主の顔は、覚えているか」
「いや、あそこの店主は、いつも代理の男が出入りしてたんだ。本人の顔なんて、見たことない」
カインは、礼を言って店の前に戻った。板の隙間から中を覗くと、家具も帳簿も、何もかもが持ち去られた後だった。
(証拠を残さず、綺麗に消えている)
(誰かが、こちらの動きを察知して、先手を打った)
カインは、周囲を注意深く見回した。裏口に回ると、そこにも同じように板が打たれていたが、一つだけ、地面に落ちているものがあった。
小さな、布切れだった。拾い上げてみると、それは、離宮の使用人が着る制服の切れ端によく似ていた。だが、色合いが微妙に違う。
(――これは)
フィリアが言っていた、「なりすました侍女」の話を思い出す。制服の色が、少し違っていたという証言。
カインは、その布切れを懐にしまった。
◇
昼過ぎ、カインは商業組合の事務所にもう一度足を運んだ。三日月商会が急に廃業した経緯を、正式な届け出という形で追えないか、確かめるためだった。
応対した組合の職員は、書類を繰りながら、困惑した様子で言った。
「妙なんですよね。廃業届自体は、ちゃんと出ています。日付も、三日前」
「誰が、届け出を出した」
「代理人――記録上は、Lとしか書かれていません。フルネームの記載がないんです。普通は、こんなこと通らないんですが」
「通った、ということは」
「――誰かが、便宜を図ったとしか」
職員は、声を潜めた。
「あまり大きな声では言えませんが、こういう妙な届け出が通る時は、大抵、身分の高い誰かが裏で口を利いています」
カインの背筋に、冷たいものが走った。
(貴族の誰かが、この商会の廃業を後押しした)
(商会そのものが、最初から使い捨ての道具だった可能性がある)
念のため、カインは廃業届の控えを写させてもらえないか頼んだ。職員は少し迷った末、上役に断ってから、写しを一枚だけ許してくれた。受け取った紙には、達筆すぎるほど整った字で「L」とだけ記されている。癖のない、練習された筆跡だった。
(これを書いた人間は、少なくとも、字を人に見られることに慣れている)
カインは、職員に礼を言うと、写しを懐にしまい、足早に離宮へ戻る道を辿った。
◇
「――もぬけの殻、ですか」
フィリアは、カインの報告を聞いて、拳を握りしめた。
「向こうは、私たちより一歩先を行っている」
「ああ。だが、収穫が無かったわけじゃない」
カインは、懐から布切れを取り出した。
「裏口に落ちていた。離宮の使用人の制服に似ているが、色が違う」
フィリアは、布切れを受け取り、じっと見つめた。
「――リーゼが言っていた、なりすました侍女の制服と、同じ特徴です」
「三日月商会が、その侍女を手配していた証拠になる」
「ですが、商会そのものが消えてしまった今、これをどう繋げれば」
フィリアは、考え込むように目を伏せた。
「廃業届に、代理人の名前が『L』とだけ書かれていたと言いましたね」
「ああ」
カインは、写しをテーブルに広げた。フィリアは身を乗り出し、筆跡をしばらく見つめた。
「――誰かの、頭文字かもしれません」
フィリアの脳裏に、幾つかの名前が浮かんだ。だが、Lで始まる名前など、社交界には掃いて捨てるほどいる。それだけでは、まだ何も特定できない。
「一つ言えることがある」
カインは、フィリアを見た。
「これだけ手際よく証拠を消せる人間は、この国の中でも限られてる。金と、権力と、情報網――全部を持ってる人間だ」
「――王宮に近い、誰か」
「あるいは、大貴族の家の人間か」
二人の間に、重い沈黙が落ちた。
フィリアは、窓の外に目をやった。太陽が、西の空に傾き始めている。
「殿下が言っていた、評議会の前倒し提案は――明日でしたね」
「ああ。急がなきゃならない」
カインは、布切れを再び懐にしまった。
「この布切れを、鑑定に出せないか調べてみる。生地の織り方から、仕立てた工房が分かるかもしれない」
「――工房、ですか」
フィリアの中で、何かが繋がりかけた。
(毒物の小瓶も、蓋の作りで工房が分かった。今度は、制服の生地から、工房が分かるかもしれない)
(この事件は、いつも『工房』という小さな手がかりから、真実に近づいている)
「残り、二十六日」
カインが、静かに言った。
「もぬけの殻でも、何も残らなかったわけじゃない。この布切れが、次の糸口になる」
フィリアは、頷いた。
「探しましょう。この布を仕立てた工房を」
「工房が分かっても、そこから先――誰が発注したかまで辿れるとは限らない」
カインの声には、慎重さがあった。無責任な希望を持たせたくない、という配慮だとフィリアには分かった。
「分かっています。でも、糸口が無いよりは、ずっといい」
フィリアは、布切れをカインの手に返した。ふと、聞いてみたくなったことがあった。
「一つ、聞いてもいいですか」
「なんだ」
「あなたは、どうして命令だけでなく、ここまで動いてくれるの。監視役なら、証拠を待っているだけでいいはずです」
カインは、少し間を置いてから答えた。
「証拠が、綺麗すぎた。最初からそう思っていた。……それに」
「それに?」
「あんたが、本当に犯人なら、こんな顔で工房を探したりしない」
フィリアは、目を瞬いた。それから、小さく笑った。
「褒め言葉として受け取っておきます」
「工房を見つけたら、真っ先に俺が確かめに行く。危ない橋は、あんたに渡らせない」
カインは、それだけ言うと、写しと布切れを懐にしまい直し、窓の外――赤く染まり始めた庭に、短く目をやった。
第五話「もぬけの殻」をお読みいただき、ありがとうございます。
三日月商会が先回りして証拠を消してしまう、という展開にしました。犯人側もフィリアたちの調査に気づき、対抗策を打ってきている――という緊張感を出したかった回です。それでも小さな手がかり(布切れ)は残る、というところで次に繋げます。
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