第四話 王太子の訪問
残り二十七日。思いがけない訪問者が、離宮を訪れます。
その夜、離宮に忍び込むように現れた人物を見て、フィリアは息を止めた。
「――殿下」
外套のフードを目深に被っていたが、その声を聞き間違えるはずがなかった。セドリックだった。
「静かに。護衛にも、まだ知られたくない」
セドリックは、フードを下ろしながら、部屋の中を見回した。窓辺に立つカインと目が合うと、彼は小さく頷いた。
「――お前がここの警護だったのか」
「はい」
カインは、短く答えた。セドリックは、値踏みするようにカインを一瞥した。
「近衛の中でも、腕は立つと聞いている。だが、命令に忠実すぎるという評判もあった」
「今もそうです。命令の範囲内で動いています」
カインは、表情を変えずに答えた。セドリックは、その返答に微かに眉を上げたが、それ以上は追及せず、フィリアに向き直った。
「単刀直入に聞く。お前は、本当に潔白なのか」
「――今更、それをお聞きになるのですか」
フィリアの声には、抑えきれない棘があった。婚約破棄を宣告したのは、他ならぬこの人だ。
「今更で悪い」
セドリックは、目を伏せた。
「あの夜――お前を断罪した瞬間から、ずっと違和感があった。証拠が、あまりにも都合よく揃いすぎていた」
「では、なぜ、あの場で問いただしてくださらなかったのですか」
フィリアは、抑えていた感情が滲むのを止められなかった。
「大広間には、他国の使者もいた。王家の面子がかかっている場で、私自身が証拠に疑問を呈すれば、国そのものの信用が揺らぐ」
セドリックは、拳を握りしめた。
「――言い訳だと、分かっている」
フィリアは、しばらく彼を見つめた。ゲームの中のセドリックは、いつも迷いなく正義を貫くヒーローだった。目の前にいるのは、立場に押し潰されそうになりながらも、それでも足掻いている一人の人間だった。
「なぜ、今夜、ここへ」
フィリアは、話題を変えた。
「警告をしに来た」
セドリックの声が、低くなった。
「王宮内で、真実の鑑定式の日程を、前倒しにしようという動きがある」
フィリアの心臓が、大きく跳ねた。
「――前倒し、ですか」
「表向きの理由は、『民衆の不安を早く収めるため』だ。だが」
セドリックは、拳を強く握った。
「実際は違う。誰かが、お前の側が調査で証拠を集める時間を、削ろうとしている」
部屋の空気が、凍りついた。
「誰が、そのような動きを」
カインが、鋭く尋ねた。
「分からない。宰相府の一部が動いているのは確かだが、その裏に誰がいるのかまでは、私にも見えない」
セドリックは、首を振った。
「ただ、明後日の評議会で、正式に前倒しの提案がされる。もし通れば、鑑定式は――十日後になる」
「十日……」
フィリアの声が、震えた。三十日の猶予が、一気に三分の一まで削られる。
「阻止できないのですか」
「私一人の反対では、押し切られる」
セドリックは、悔しさを滲ませた。
「だから、証拠を持ってこい。前倒しの提案そのものを覆せるだけの、動かぬ証拠を」
彼は、フィリアをまっすぐに見た。
「私は、お前を信じたいと思い始めている。だが、思いだけでは、王太子としての立場は動かせない」
フィリアは、その言葉の重さを噛みしめた。
「一つ、伺ってもよろしいですか」
「何だ」
「殿下は、あの夜――婚約破棄を宣告する直前、一瞬だけ迷いを見せました。あれは、何だったのですか」
セドリックは、驚いたように目を見開いた。
「――気づいていたのか」
「見ていましたから」
「証拠を見せられた時、確かに妙だと思った。お前が、そんな稚拙な手を使う人間には見えなかった」
セドリックは、自嘲するように笑った。
「だが、大広間という場の重み、他国の使者の視線、父上の顔色――全部が、私を『疑いを差し挟むな』という方向に押した。結局、私は自分の目より、周りの空気を信じた」
「それが、王太子という立場なのでしょうね」
フィリアの声には、皮肉と、ほんの少しの理解が混じっていた。
「――分かりました」
「時間がない中で、酷なことを言っているのは分かっている。すまない」
セドリックは、そう言うと、再びフードを被った。
「見つかる前に、戻る」
彼が去った後、部屋には重い沈黙が残った。
「――十日」
フィリアは、椅子に崩れるように座った。
「三日月商会の出資者を突き止めるどころか、猶予そのものがなくなる」
「焦る気持ちは分かる」
カインは、静かに言った。
「だが、焦って動けば、逆に足元を掬われる。俺は、明日また三日月商会を当たってくる」
「一人で、大丈夫ですか」
「今度は、店そのものに行く。王都の商業区にあるはずだ」
カインは、窓の外に目をやった。
「殿下の話が本当なら、向こうも急いでいるということだ。急いでいる人間は、必ずどこかでボロを出す」
フィリアは、頷いた。
「――残り、二十七日」
「そうだ」
カインは、フィリアを見た。
「十日に短縮される前に、一つでも多く証拠を掴む」
その夜、フィリアは、なかなか寝付けなかった。
(セドリックは、信じたいと言った)
(でも、彼一人の想いだけでは、この国は動かない)
(結局、私自身が、証拠という形のあるものを掴み取るしかない)
寝台に横たわりながら、フィリアは前世の記憶を、もう一度辿った。
(ゲームのセドリックルートでは、彼はいつも迷わなかった。正義感の強い、真っ直ぐなヒーロー)
(でも、現実の彼は、迷って、揺れて、それでも自分の立場の中で、できることを探している)
(ゲームより、ずっと不完全。――でも、だからこそ、信じられる気がする)
窓の外、月明かりが庭を照らしていた。その光の中を、先ほど見た小さな人影の記憶が、ふと蘇る。
(あの人影も、もしかしたら、宰相府の前倒しの動きと繋がっているのかもしれない)
考えれば考えるほど、事件の輪郭は複雑さを増していく。だが同時に、点と点を繋ぐ線も、少しずつ太くなっているのを感じた。
フィリアは、寝台の脇に置いた紙に、指を這わせた。カインが写し取ってきた「三日月商会」の文字。その隣に、今夜聞いた「鑑定式前倒し」という言葉を書き加える。
(急いでいる。誰かが、私を追い詰めるために、時間そのものを削ろうとしている)
(なら、私も急ぐしかない)
月明かりが、離宮の窓を照らしていた。フィリアは、その光を見つめながら、拳を握りしめた。
時間との戦いは、思っていたよりも早く、牙を剥き始めていた。
第四話「王太子の訪問」をお読みいただき、ありがとうございます。
セドリックを、単なる裏切り者ではなく、立場に縛られながらも足掻く人間として書きたい回でした。同時に、「鑑定式の前倒し」という新たな時間制限を投入し、タイムリミットサスペンスとしての緊張感を上げています。三十日が、十日になるかもしれない――フィリアたちの調査は、これまで以上に急を要することになります。
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