第三十話 ひと月後の朝
最終話です。処刑までの三十日が終わった、その先の物語。
事件から一月が過ぎた。
フィリアは、ラングドン公爵邸の自室で、朝の光を浴びながら、静かに窓の外を見つめていた。
庭の木々は、すっかり秋の色に染まっている。離宮に幽閉されていた三十日間が、まるで遠い昔のことのように感じられた。
(あの日から――もう、一月)
断罪の夜、絶望の中で前世の記憶を取り戻した自分。悪役令嬢として殺されるくらいなら、探偵にでも何にでもなってやる――そう啖呵を切った、あの瞬間から、全てが始まった。
鏡に映る自分の姿を、フィリアはしばらく見つめた。銀髪も、顔立ちも、あの断罪の夜と何一つ変わっていない。それでも、そこに映る表情は、あの夜の絶望とは、まるで違うものだった。
朝食の席には、アレンが待っていた。
「――姉様、おはよう」
「おはよう、アレン」
フィリアは、弟の隣に腰を下ろした。事件から一月、アレンの表情には、少しずつ、以前のような明るさが戻りつつあった。
「今日、剣術の稽古、見に来てくれる?」
「ええ、約束通りに」
フィリアは、微笑んで頷いた。この何気ないやり取りの一つ一つが、これまでの三十日間では、当たり前ではなかったことを、フィリアは改めて噛み締めていた。
食後、庭を眺めながら、フィリアはふと、あの離宮での日々を思い返した。狭い部屋、限られた自由、それでも確かに積み重ねていった手がかりの数々。怖くて眠れなかった夜も、絶望しかけた瞬間も、今となっては、全てが、今のこの穏やかな朝に繋がっている。
◇
午後、フィリアの元に、思いがけない来客があった。
「――フィリア様。国王陛下より、正式な打診がございます」
使者は、恭しく一枚の書状を差し出した。開いてみると、そこには、意外な内容が記されていた。
『此度の事件解決における、フィリア・フォン・ラングドンの功績を鑑み、王家直属の特別調査顧問への就任を、正式に打診する』
フィリアは、思わず声を上げた。
「――調査顧問、ですか」
「はい。マルクス・ヴェイン殿からの、強い推薦もございました」
フィリアは、その名前に、思わず微笑んだ。
「――ありがとうございます。前向きに、検討させていただきます」
使者が帰った後、フィリアは、書状を胸に抱きしめた。
(探偵にでもなってやる、と啖呵を切った言葉が――まさか、本当の道になるなんて)
運命とは、時に、思いがけない形で応えてくれるものらしい。
その日の午後、リーゼからも、一通の手紙が届いていた。開いてみると、明るい筆致で近況が綴られていた。事件をきっかけに、リーゼは、これまで以上に自分の意志で動くようになったという。手紙の最後には、こう記されていた。
『また、離宮ではなく、普通のお茶会でお会いできる日を、楽しみにしています』
フィリアは、その一文に、思わず頬を緩めた。
同じ頃、王宮では、セドリックが、ヴィオラ事件の後始末として、宰相府の人事刷新に着手していた。ヴィオラに近しかった官僚たちの多くが、静かに更迭されたという話も、風の噂でフィリアの耳に届いていた。かつての優柔不断さが嘘のような、王太子としての確かな歩みだった。
マルクスからも、短い便りが届いていた。次の任地が決まったこと、そして、いずれ機会があれば、自身の過去について話したいということが、簡潔な文字で記されていた。フィリアは、その日が来ることを、静かに楽しみにしていた。
◇
夕方、庭に、見慣れた黒髪の青年が姿を現した。
「――カイン」
「近衛の任務が、一段落した」
カインは、いつもと変わらぬ、静かな表情で言った。だが、その目には、これまでとは違う、柔らかな光があった。
「王家調査顧問への打診の話、聞いた」
「――もう、耳に入ったのですか」
「マルクス殿が、嬉しそうに話してた」
カインは、小さく笑った。
「あんたなら、適任だと思う」
「――あなたは、どうするのですか。近衛としての任務が終わったら」
フィリアは、彼の顔を見つめた。
「実は、俺にも、一つ、打診が来てる」
カインは、懐から一枚の書状を取り出した。
「調査顧問付きの、専属護衛。適任者として、俺の名前が挙がったらしい」
フィリアの目が、大きく見開かれた。
「――それは」
「あんたが望むなら、これからも、傍にいる」
カインは、まっすぐにフィリアを見つめた。
「命令だからじゃない。俺自身が、そうしたいと思ってる」
フィリアの胸に、これまで感じたことのない、温かな感情が広がった。
「――望みます」
フィリアは、静かに、しかし確かな声で答えた。
「これからも、あなたに、傍にいてほしいです」
カインは、僅かに目を細めた。その表情には、これまで見たことのない、穏やかな笑みが浮かんでいた。
◇
秋の夕日が、庭を静かに照らしていた。
フィリアは、カインと並んで、その光を見つめていた。
(前世で、乙女ゲームの世界に転生したと知った時、私は、決められた悲劇の結末しかないと思っていた)
(でも――違った)
(ゲームのシナリオになかった苦難を、自分の力で、そして、多くの人たちの支えで、乗り越えることができた)
フィリアは、静かに、そっとカインの手に触れた。彼は、驚いたように目を見開いたが、すぐに、その手を優しく握り返した。
「――残り、ゼロ日」
フィリアは、小さく呟いた。
「あの三十日は、もう終わりました。これからは――誰かに決められた期限のない、私自身の日々です」
「ああ」
カインは、頷いた。
「その日々に、俺も、いていいか」
「――もちろんです」
フィリアは、微笑んだ。
夕日が、二人の影を長く伸ばしていた。処刑まであと三十日――そう宣告された絶望の夜から始まった物語は、今、確かな希望の朝を迎えていた。
新しい一日が、静かに始まろうとしていた。
第三十話「ひと月後の朝」をお読みいただき、ありがとうございます。
「処刑まであと三十日」、これにて完結です。タイムリミットサスペンスとして、日数を意識しながら密度濃く書くことを目標にしてきましたが、最後まで駆け抜けることができて、感慨深いです。フィリアとカインの関係、セドリックの成長、リーゼの強さ、マルクスの公正さ、そしてヴィオラの哀しい動機――全てのキャラクターに、それぞれの物語を持たせられたのではないかと思います。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。面白いと思っていただけたら、ブックマークや評価でも応援してもらえると嬉しいです!
――――――――――
▼番外編・続編を準備しています
ブックマークはそのままにしておいていただけると、更新のおしらせが届きます。
▼1話で読める令嬢の短編もどうぞ
・色を視る令嬢
https://ncode.syosetu.com/n7200mr/
・香りを辿る令嬢
https://ncode.syosetu.com/n0854mu/
・婚約破棄と同時に護衛の任も解かれたので、心置きなく剣を振るうことにしました
https://ncode.syosetu.com/n6014mr/




