第二十五話 鑑定式前夜
残り一日。ついに、明日が断罪の儀の日です。
証拠能力を巡る攻防は、セドリックとマルクスの尽力により、辛うじて決着した。宰相府の異議は退けられ、鑑定式当日、フィリアたちが集めた証拠は、正式に提示できることになった。
だが、その決着がつくまでには、六日もの時間がかかった。宰相府との協議は難航を極め、セドリックは連日、評議会と大神官府の間を奔走した。マルクスは、集めた証拠の一つ一つに、正式な手続きの裏付けを取り直す作業に追われ、離宮に顔を出す時間さえ惜しんでいた。フィリアもまた、離宮を出ることを許されないまま、証拠を提示する順番を、来る日も来る日も練り直し続けた。
気づけば、鑑定式まで、指折り数えるほどの日々しか残っていなかった。
そうして迎えた、鑑定式前日。
離宮には、静かな、しかし張り詰めた空気が満ちていた。
「――明日で、全てが決まる」
カインは、窓辺に立ち、フィリアと並んで夕暮れの空を見つめていた。
「ええ」
フィリアは、静かに頷いた。
「証拠は、揃っています。あとは、明日、それを一つも欠けることなく、公の場に示すだけです」
カインは、フィリアの横顔を見た。
「――怖くないのか」
「怖いです、正直」
フィリアは、小さく笑った。
「でも、断罪の夜から、ずっと怖かった。今更、一日増えたところで、変わりません」
「――そうか」
カインは、しばらく黙っていたが、やがて、静かに口を開いた。
「一つ、話しておきたいことがある」
「何でしょうか」
「この三十日間、あんたの護衛として、傍にいた」
カインの声は、いつになく、慎重だった。
「最初は、命令だった。でも、いつからか――それだけじゃなくなった」
フィリアの心臓が、大きく跳ねた。
「――カイン」
「明日、どんな結果になっても、あんたを守り続ける。それだけは、変わらない」
カインは、まっすぐにフィリアを見た。
「これは、命令とか、義務とか、そういうものじゃない。俺自身が、そうしたいと思っている」
フィリアの目に、涙が滲んだ。
「――ありがとうございます」
「礼を言われるようなことじゃない」
カインは、僅かに視線を逸らした。だが、その耳が、赤く染まっているのを、フィリアは見逃さなかった。
◇
その静かな時間を破ったのは、慌ただしい足音だった。
「――フィリア様!」
駆け込んできたのは、マルクスだった。彼の顔は、これまで見たことのないほど、蒼白だった。
「どうしたのですか」
「アレン様が――行方不明になったと、ラングドン邸から緊急の報せが」
フィリアの血の気が、一気に引いた。
「――そんな」
「屋敷の使用人の話では、庭で遊んでいたはずが、いつの間にか姿が見えなくなったと。屋敷中を捜索していますが、見つかっていません」
カインが、鋭く目を細めた。
「――偶然、とは思えない」
「私も、同じ考えです」
マルクスは、拳を握った。
「鑑定式の前日という、このタイミングで」
フィリアの脳裏に、ヴィオラの言葉が過った。『アレンの未来』『あの子の平穏な日々』。
(まさか――お義母様自身が)
(いや。それとも――アレンを利用して、私を動揺させようとする、誰かの罠)
どちらにせよ、確かめずにはいられなかった。
「――ラングドン邸に、向かいます」
「フィリア様、明日は――」
「分かっています。でも、アレンに何かあったら、私は自分を許せません」
フィリアの声には、迷いのない強さがあった。
◇
馬車を飛ばして辿り着いたラングドン邸は、騒然としていた。ギルバートが、青ざめた顔で庭に立ち尽くし、使用人たちが松明を手に、暗くなった敷地を隅々まで探し回っている。
庭の奥、普段は使われていない古い温室で、アレンは見つかった。怯えた様子ではあったが、怪我はなかった。
「――姉様!」
アレンは、フィリアの姿を見るなり、泣きながら駆け寄ってきた。
「怖かった……。知らない人に、連れて来られて、ここに閉じ込められたんだ」
「知らない人?」
「灰色っぽい髪の、大人の人。母様のお知り合いだって、言ってた」
フィリアとカインの視線が、同時に交わった。
(ルカ)
(お義母様の指示で、アレンを――)
だが、その考えを裏付ける証拠は、まだ何もなかった。アレン自身、詳しい経緯を語れるほど、状況を理解していない。
「もう、大丈夫よ」
フィリアは、アレンを強く抱きしめた。小さな体が、まだ小刻みに震えているのが伝わってきた。
「怖い思いをさせて、ごめんね」
「――姉様のせいじゃないよ」
アレンは、小さな声で言った。
「僕、姉様が明日、大変なことになるって、聞いた。だから、僕が、姉様の味方だって、ちゃんと言いたかったのに」
フィリアの目から、涙が溢れた。
温室を出たところで、ギルバートが、フィリアに駆け寄ってきた。
「――アレンは、無事か」
「はい。怪我はありません」
「良かった……」
ギルバートは、その場に崩れ落ちるように膝をついた。
「私は、一体、何を見過ごしてきたんだ。娘が処刑されかけ、息子が誘拐されかける――この家で、何が起きている」
フィリアは、父のその姿に、これまで感じたことのない痛みを覚えた。父もまた、この事件の被害者の一人なのかもしれない。
「お父様。明日、全てが明らかになります」
「――フィリア」
「もう、目を逸らさないでください」
フィリアは、静かに、しかしはっきりと言った。ギルバートは、しばらく娘の顔を見つめた後、力なく頷いた。
◇
離宮へ戻る馬車の中、フィリアは、静かに拳を握りしめた。
「――アレンを使って、私を動揺させ、明日の鑑定式に集中できなくさせようとした」
「証拠にはならない。だが、限りなく黒に近い行動だ」
カインが、低く言った。
「相手は、本当に、なりふり構わなくなっている」
マルクスが、静かに続けた。
「この一件も、正式に記録します。状況証拠として、決して無視できないものです」
フィリアは、窓の外の夜空を見上げた。月が、静かに輝いている。
「――明日」
フィリアは、静かに呟いた。
「全てに、決着をつけます」
カインは、フィリアの手を、そっと握った。
「一人じゃない。忘れるな」
フィリアは、その手を、強く握り返した。言葉はもう、要らなかった。
第二十五話「鑑定式前夜」をお読みいただき、ありがとうございます。
いよいよ鑑定式前日、最後の試練としてアレンを巻き込んだ事件を描きました。カインとの関係の変化、そしてアレン自身の健気な想いも、丁寧に描きたかった場面です。次回、ついに真実の鑑定式が開かれます。
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