第十九話 リーゼの決意
残り十二日。脅迫を受けてもなお、リーゼが選んだ道。
脅迫状の一件があった翌日、フィリアはリーゼの身を案じながらも、離宮を出ることを許されない身では、彼女の様子を直接確かめることができずにいた。
だが、その日、マルクスの手配した警護に伴われて、リーゼ自らが離宮を訪れた。
「――リーゼ様。危険ではありませんか」
フィリアは、彼女の顔を見るなり、真っ先にそう尋ねた。
「大丈夫です。今日は、警護の方が何人もついてくださっていますから」
リーゼは、そう言って微笑んだが、その笑顔には、以前にはなかった強張りがあった。
「――脅迫状のこと、聞きました。本当に、申し訳ありません」
フィリアは、深く頭を下げた。
「私が、あなたを事件に巻き込んでしまった」
「頭を上げてください、フィリア様」
リーゼの声は、思いのほか、しっかりとしていた。
「私は、自分の意志で、あなたに協力しています。誰かに強制されたわけではありません」
「でも、今回のことで、命の危険まで――」
「――怖かったです。正直に言えば」
リーゼは、俯いた。
「脅迫状を読んだ時、手が震えました。両親も、心配して、もう関わるのをやめるようにと」
フィリアは、その先の言葉を、静かに待った。
「でも、考えたんです。もし、ここで私が怖がって、証言を撤回したら――どうなるか」
リーゼは、顔を上げた。その目には、強い意志が宿っていた。
「フィリア様は、無実の罪で処刑されるかもしれません。私が、その手助けをしてしまったことになります」
「リーゼ様……」
「私は、あの夜、本当に何が起きたのか、まだよく分かりません。でも、少なくとも、フィリア様が私に毒を盛ろうとした、というのは、絶対に違うと確信しています」
リーゼの声は、はっきりとしていた。
「だから、私は証言を続けます。何があっても」
◇
「――ありがとうございます」
フィリアは、深く頭を下げた。その声には、感謝と、それ以上の重い想いが込められていた。
「その代わり、一つ、お願いがあります」
リーゼは、真剣な表情で続けた。
「この事件が解決したら――本当は、何が起きたのか、私にも、全部教えてください。今は、恐怖の方が大きくて、深く考えられていません。でも、真実を知りたい気持ちは、私の中にもあります」
「――約束します」
フィリアは、静かに頷いた。
その様子を見守っていたマルクスが、静かに口を開いた。
「リーゼ様の勇気ある証言、正式な記録として、しっかりと保管します。この証言は、鑑定式において、大きな意味を持つはずです」
「――マルクス様」
リーゼが、彼を見た。
「一つ、伺ってもよろしいですか。あなたは、なぜ、これほどまでにフィリア様の調査に協力してくださるのですか。最初は、監視役だと伺っていたのですが」
マルクスは、しばらく沈黙した後、静かに口を開いた。
「――私にも、かつて、無実の罪で追い詰められた人間を、助けられなかった経験があります」
その言葉に、フィリアもリーゼも、思わず息を呑んだ。
「詳しくは、また機会があれば。今は、ただ――同じ過ちを、繰り返したくないだけです」
部屋には、しばらく静かな沈黙が流れた。フィリアは、マルクスの横顔を見つめながら、彼にもまた、彼自身の物語があることを、改めて感じていた。
(機械的であろうとするあの人が、唯一、揺らいだ瞬間)
(きっと、簡単には語れない過去なんだろう)
リーゼも、同じことを感じたのか、それ以上は踏み込まず、静かに頷いた。
「――ありがとうございます、マルクス様。あなたのような方が監視についてくださって、正直、少し安心しています」
「安心されるのは、少し違います」
マルクスは、いつもの淡々とした調子に戻って言った。
「私は、あくまで公正であろうとしているだけです。フィリア様の味方をしているわけではない」
「――それでも、十分です」
リーゼは、小さく笑った。フィリアも、その様子を見ながら、静かに頬を緩めた。
張り詰めていた空気が、ほんの少しだけ和らいだ。こんな些細なやり取りの中にも、確かな絆が育ちつつあることを、フィリアは感じていた。
「そういえば」
リーゼが、ふと思い出したように言った。
「両親には反対されましたが、実は、こっそり調べていたことがあるんです。私なりに、あの夜のことを」
「――何を調べたのですか」
フィリアは、身を乗り出した。
「夜会の招待客名簿です。父の伝手で、写しを見せてもらいました。あの日、招待されていながら、途中で早々に帰った方が、数名いたと分かったんです」
「早く帰った、というのは」
「事件が起きる、少し前の時間帯にです。偶然かもしれませんが、気になって」
リーゼは、小さな紙片を取り出した。
「名前を、書き出しておきました。お役に立つか分かりませんが」
マルクスは、その紙片を受け取り、目を通した。
「――これは、有用な情報です。招待客の動きを、時間帯ごとに整理できていなかった。ありがとうございます、リーゼ様」
「少しでも、フィリア様のお役に立てたなら」
リーゼは、はにかむように笑った。
◇
リーゼが帰った後、カインが、静かに口を開いた。
「――リーゼ嬢は、強い人だ」
「ええ」
フィリアは、頷いた。
「でも、その強さに、これ以上甘えるわけにはいきません。彼女を、絶対に守らなければ」
「そのために、俺たちがいる」
カインの言葉に、フィリアは静かに微笑んだ。
窓の外で、夕日が沈み始めていた。
「残り、十二日」
フィリアは、静かに呟いた。
「証言者たちの想いを、無駄にしないためにも――真実に、辿り着きます」
マルクスは、リーゼが残した名簿の写しを、丁寧に鞄へしまいながら呟いた。
「早く帰った招待客――その中に、答えがあるかもしれません」
「――誰の名前が、ありましたか」
フィリアが、尋ねた。
マルクスは、紙片にもう一度目を落とし、ゆっくりと顔を上げた。
「これから、一人ずつ確かめます。焦って結論を急げば、また同じ過ちを繰り返す」
その答えは、フィリアの問いに、まだ応えていなかった。
第十九話「リーゼの決意」をお読みいただき、ありがとうございます。
脅迫を受けてもなお前に進むリーゼの強さと、マルクスが抱える過去の欠片を少しだけ覗かせる回にしました。フィリア一人の戦いだったものが、少しずつ、多くの人々の想いを背負った戦いに変わっていく――そんな重みを込めています。
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