第十六話 夜半の刃
残り十五日。証言が積み重なった夜、離宮に危険が迫ります。
ミラの証言があった翌日から、離宮には目に見えて緊張感が漂っていた。
マルクスは警護の巡回を増やし、カインも夜間の見回りを強化していた。フィリアは、その変化を感じながらも、内心では、事態が確実に核心へと近づいていることを実感していた。
その夜、フィリアはなかなか寝付けなかった。窓の外では、月が雲間に隠れたり現れたりを繰り返している。
(赤みがかった髪の女性)
(証拠は、まだ状況証拠の域を出ない。でも――確実に、輪は狭まっている)
寝返りを打った、その時だった。
窓の外で、微かな物音がした。
フィリアは、反射的に息を潜めた。風のせいだと思おうとしたが、次に聞こえた音は、明らかに人の気配だった。
部屋の扉が、音もなく開いた。
黒い影が、静かに忍び込んでくる。フィリアは、悲鳴を上げそうになるのを、必死に堪えた。
(叫べば、殺される。まず、時間を稼がなければ)
影は、寝台に向かって、迷いなく近づいてきた。手に、鈍く光る何かを握っている。心臓が、耳の奥で鳴っているのが分かるほど、大きく脈打っていた。
フィリアが、寝台の脇に置いていた燭台を掴もうとした、その瞬間――
「――動くな」
低い声とともに、影の背後から、もう一つの気配が飛び込んできた。
カインだった。
鋭い金属音が、暗闇に響いた。カインの剣が、侵入者の刃を弾き飛ばす。侵入者は、驚いたように身を翻し、素早く応戦の構えを取った。
「フィリア、部屋の隅へ!」
カインの声に、フィリアは反射的に従った。恐怖で足が震えたが、それでも、彼の指示通りに動いた。
暗闇の中、二つの影が激しく斬り結んだ。カインの動きは、フィリアがこれまで見たことのない、鋭く迷いのないものだった。踏み込む足音、刃が空を切る音、荒い息遣い――全てが、フィリアの耳に、いつもより何倍も大きく響いていた。
侵入者は、フードで顔を隠していたが、その体格は、決して大柄ではなかった。中肉中背。
(――もしかして)
フィリアの脳裏に、リーゼの証言が過った。灰色がかった銀髪の男。ルカ。
だが、確かめる間もなく、侵入者は窓から飛び出し、暗闇に紛れて姿を消した。
「――追うな!」
駆け込んできたマルクスが、追おうとしたカインを制止した。
「今は、フィリア様の安全が最優先です」
カインは、悔しそうに剣を鞘に収めた。
「――逃げ足の速い奴だった」
「怪我は」
マルクスは、フィリアに駆け寄った。
「――大丈夫です。カインが、守ってくれました」
フィリアは、震える声で答えた。恐怖が、今になって全身に押し寄せてくる。
カインは、フィリアの前に膝をつき、その顔を覗き込んだ。
「――大丈夫か」
「ええ……。あなたが、いてくれなかったら」
言葉にならず、フィリアは、それ以上続けられなかった。指先が、まだ小刻みに震えている。
カインは、しばらく黙っていたが、やがて静かに言った。
「俺が、必ず守る。だから、もう怖がらなくていい」
その言葉に、フィリアの目から、堪えきれなかった涙が溢れた。断罪の夜から、ずっと気を張り詰めていた。誰かにそう言ってもらえたことが、これほど心強いとは、思ってもいなかった。
カインは、震えるフィリアの手を、そっと自分の両手で包んだ。剣を握っていたはずのその手は、意外なほど温かかった。
「――ありがとう」
フィリアは、涙を拭いながら、小さく笑った。
「令嬢らしくない顔を、見せてしまいましたね」
「今は、それでいい」
カインは、短くそれだけ答えると、静かに立ち上がった。
◇
朝になり、侵入者が落としていった短剣が、詳しく調べられた。
「――柄の意匠に、見覚えがある」
マルクスが、短剣を光にかざしながら言った。
「これは、王都でも限られた工房でしか作られない、特注品です」
「またしても、工房、か」
カインが、苦い顔をした。
「この事件は、いつも工房という手がかりから、真実に近づく」
「今回は、逆に、向こうの尻尾を掴む好機かもしれません」
マルクスは、短剣を丁寧に布に包んだ。
「この工房を辿れば、侵入者に武器を提供した人物、あるいは、その依頼主に近づけるはずです」
彼は、短剣の刃をもう一度確かめてから、付け加えた。
「刃こぼれが、一切ない。手入れが行き届いている。これを使う人間は、日常的に武器を扱う職業――傭兵か、あるいは元近衛の可能性が高い」
「――トマスの言っていた、ルカの人物像と、矛盾しない」
カインが、低く呟いた。
「柄の意匠を作った工房が分かれば、注文主の記録が残っているはずです。今日のうちに、当たってみます」
マルクスは、そう言うと、証拠の短剣を丁寧に鞄へしまった。
「ただ、これで一つ、はっきりしたこともあります」
「――何ですか」
フィリアが、尋ねた。
「向こうは、あなたを『生かしたまま鑑定式に引きずり出す』選択肢を、もう捨てている。処刑を待たず、確実に始末しようとしている――ということです」
その言葉に、フィリアの背筋が冷えた。だが、同時に、腹の底に、静かな怒りが灯るのも感じた。
(怖い。でも――だからこそ、止まるわけにはいかない)
フィリアは、昨夜の恐怖を押し殺しながら、静かに拳を握った。
「――向こうは、もう遠慮していません。証言が積み重なるほど、直接、私を消しにかかってきています」
「それだけ、追い詰められているということだ」
カインは、フィリアの肩に、そっと手を置いた。
「もう少しだ。もう少しで、真犯人に届く」
窓の外、朝の光が離宮を照らしていた。フィリアは、昨夜の恐怖を振り払うように、深く息を吸った。
「残り、十五日」
半分を、過ぎようとしていた。
「ここからが、正念場です」
フィリアは、そう言ってから、昨夜受け取ったばかりの短剣に、もう一度目をやった。
「――次は、私も、ただ守られるだけでは終わりません」
その声には、恐怖を超えた、確かな決意があった。
第十六話「夜半の刃」をお読みいただき、ありがとうございます。
物語の折り返し地点として、直接的な暗殺未遂という大きな危機を用意しました。カインがフィリアを守る場面は、これまでの関係性の積み重ねがあってこそ書けたシーンだと思います。証拠の輪が狭まるほど、犯人側も追い詰められ、行動が大胆になっていく――そんな緊張感を、後半戦でも維持していきます。
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