第十四話 消えた帳簿
残り十七日。家令オスカーへの聞き取りが、思わぬ壁にぶつかります。
マルクスの手配により、家令オスカーへの正式な聞き取りが実現したのは、翌日のことだった。
場所は、離宮の応接の間。ラングドン邸の外という、比較的自由に話せる場所を選んだのは、マルクスの配慮だった。
「――お呼びだてして、申し訳ありません」
フィリアは、椅子に座るオスカーに、丁寧に頭を下げた。
「とんでもございません。フィリア様のためなら、いくらでも」
オスカーは、その言葉通り、協力的な様子だった。だが、その表情には、隠しきれない緊張が滲んでいる。
「あの夜、臨時で雇われた侍女について、何か覚えていることはありますか。ラングドン家の届け出では八人だったのに、実際には九人分の記録が残っていたそうです」
オスカーの顔色が、微かに変わった。
「――そのことでしたら」
彼は、一度言葉を切り、周囲を確かめるように視線を巡らせた。
「当日の配膳の割り当ては、私が管理する帳簿に記録していました。ですが」
「ですが?」
「先日、確認しようとしたところ――該当のページだけが、破り取られていました」
部屋の空気が、凍りついた。
「――破り取られていた?」
「はい。誰が、いつ行ったのかも分かりません。帳簿は、屋敷の書庫に保管しておりましたが、鍵のかかる場所ではないため……」
オスカーは、悔しそうに拳を握った。
「私の管理不行き届きです。申し訳ございません」
「オスカーさんの責任ではありません」
フィリアは、静かに首を振った。
(誰かが、証拠を消しに来た。それも、私たちが調査を始めてから)
(つまり、屋敷の中に、私たちの動きを察知して、先回りできる人間がいる)
「その帳簿に触れられる人間は、誰ですか」
カインが、鋭く尋ねた。
「書庫の鍵は、旦那様と、私が持っております。ですが」
オスカーは、言いよどんだ。
「奥様――ヴィオラ様も、家政の一環として、書庫にお入りになることは、時折ございます」
フィリアの心臓が、大きく跳ねた。
「――お義母様も」
「あくまで、家政の記録を確認されるためです。何か疚しいことがあったとは、私には申し上げられません」
オスカーは、慌てたように付け加えた。
「私は、ただ、事実として、書庫に出入りできる方をお伝えしただけです」
「分かっています」
フィリアは、静かに頷いた。だが、その内心では、様々な感情が渦巻いていた。
(証拠にはならない。書庫に入れるというだけで、犯人だと決めつけることはできない)
(でも――可能性の輪から、外すこともできない)
「破り取られたページの、前後のページは、残っていますか」
マルクスが、静かに尋ねた。
「――残っております。お持ちしております」
オスカーは、鞄から帳簿を取り出し、テーブルに広げた。マルクスは、ページの綴じ目を注意深く検分した。
「――刃物で、丁寧に切り取られている。慌てて破ったのではなく、道具を使って、跡が目立たないように処理されている」
「用意周到、ということですか」
「少なくとも、突発的な思いつきの行動ではありません」
マルクスは、帳簿を閉じた。
◇
「一つ、もう一つ、お伺いしたいことがあります」
フィリアは、話題を変えた。
「制服の生地について、工房に内々の注文があったと聞きました。一年ほど前のことだそうです。その注文について、何かご存知ですか」
オスカーは、しばらく考え込んだ後、答えた。
「――記憶にございます。確か、慈善事業のために、新しい制服を数着分、特別に仕立てるという話でした」
「慈善事業、ですか」
「はい。孤児院への支援活動の一環で、そちらで働く方々の制服として、と伺っておりました」
フィリアとカインは、視線を交わした。
「その孤児院の名前は」
「――申し訳ございません。私自身は、詳細までは把握しておりません。指示を出されたのが、奥様でしたので」
フィリアの背筋に、冷たいものが走った。
(また、お義母様の名前が出てきた)
(でも、これも、決定的な証拠にはならない。慈善事業のためという、もっともらしい理由もある)
「奥様は、以前から、そういった慈善活動に熱心でいらっしゃったのですか」
フィリアは、慎重に尋ねた。
「――そうですね。ここ一年ほどで、急に頻度が増えたように思います。以前は、社交の場での寄付が中心でしたが、最近は、直接支援先に足を運ばれることも多いようで」
「ここ一年、というのは」
フィリアの脳裏に、工房が語っていた「一年前」という言葉が重なった。
「ちょうど、制服の内々の注文があった頃と、重なりますね」
「――言われてみれば、確かに」
オスカーは、初めて、自分の証言の意味に気づいたように、僅かに顔色を変えた。
マルクスが、静かに口を開いた。
「その孤児院について、記録を確認してみます。存在するのか、その制服が実際に納品されたのか」
「――お願いします」
フィリアは、深く頭を下げた。
◇
オスカーが帰った後、部屋には重い沈黙が残った。
「――全部、お義母様に繋がる」
フィリアの声は、震えていた。
「でも、どれも、決定打にはなりません。慈善事業。家政の確認。全部、もっともらしい理由がついている」
「意図的に、そうしている可能性がある」
カインが、静かに言った。
「本当に何かを企む人間なら、いつでも言い訳が立つように、動くはずだ」
「――ええ」
フィリアは、拳を握りしめた。
「孤児院の存在を確認すれば、少なくとも一つ、嘘か本当かが分かります」
窓の外で、夕日が沈みかけていた。
「残り、十七日」
カインが、静かに言った。
「証拠が消されるのが早いほど、逆に言えば、向こうも余裕がなくなってきているということだ」
フィリアは、頷いた。
(追い詰めているのは、私たちの方かもしれない)
(だとしたら、向こうも、次に何か動いてくる)
「孤児院の件は、私が明日、直接確かめに行きます」
マルクスは、そう言うと、帳簿の切れ端をハンカチで丁寧に包んだ。
「証拠が消される速さで、向こうの焦りが測れる。次は、もっと急いで動くべきかもしれません」
「――お願いします」
フィリアは、静かに頭を下げた。窓の外では、夕日が完全に沈み、離宮の庭が藍色に沈み始めていた。
第十四話「消えた帳簿」をお読みいただき、ありがとうございます。
証拠が次々と消されていく中で、ヴィオラの名前が繰り返し浮かび上がってきますが、まだどれも「もっともらしい理由」がついている、という構成にしました。読者の方にも、疑いつつも確信は持てない、というもどかしさを味わってもらえたら嬉しいです。
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