第十三話 久方ぶりの我が家
残り十八日。フィリアが、断罪の夜以来初めて、実家の門をくぐります。
ラングドン公爵邸の門をくぐるのは、断罪の夜以来だった。
マルクスが正式な調査申請を通し、「事件関係者への事情聴取」という名目で、フィリアの帰邸が許可された。カインとマルクス、両方が同行する厳重な体制での訪問だった。
馬車を降りると、見慣れたはずの屋敷が、どこか他人の家のように見えた。玄関に並ぶ使用人たちの視線には、これまでとは違う、探るような色が混じっている。
「――お帰りなさいませ、フィリア様」
出迎えたのは、家令のオスカーだった。長年ラングドン家に仕える老齢の男で、フィリアが幼い頃から見知った顔だ。彼の声には、隠しきれない安堵と緊張が入り混じっていた。
「お変わりなく――と申し上げたいところですが、随分と、お痩せになりましたな」
オスカーは、フィリアの顔をまじまじと見つめてから、目を細めた。
「屋敷の者たちも、皆、フィリア様のことを案じております。誰も、フィリア様が罪を犯したなどとは、信じておりません」
「ありがとう、オスカー」
その一言に、フィリアの胸が僅かに緩んだ。この老齢の家令の言葉には、社交辞令とは違う、確かな重みがあった。
「旦那様が、応接間でお待ちです」
◇
応接間の扉を開けると、父ギルバートが、疲れた顔で立ち上がった。
「――フィリア」
「お父様」
フィリアは、令嬢らしい所作で頭を下げながらも、内心では父の様子を注意深く観察していた。以前より頬がこけ、髪にも白いものが増えたように見える。
「息災か。離宮での暮らしは、不自由をしていないか」
「監査官様のご配慮もあり、なんとか」
フィリアは、隣に立つマルクスに軽く視線をやった。マルクスは、静かに一礼するだけで、口を挟まなかった。
「お父様は、あの夜、私の潔白を信じてくださいましたか」
フィリアは、率直に尋ねた。
ギルバートは、目を伏せた。
「――正直に言えば、動揺した。証拠が、あまりにも具体的だった」
「今は」
「今は、違和感を覚えている。お前が、そんな短慮な真似をする娘だとは、どうしても思えない」
その言葉には、父としての苦悩が滲んでいた。フィリアは、僅かに胸が緩むのを感じた。
(少なくとも、お父様は――敵ではない)
「もし、私が本当に無実だとしたら――真犯人は、この屋敷の誰かかもしれません。お父様は、そのことを考えたことがありますか」
ギルバートの顔が、目に見えて強張った。
「――考えたくは、ない。だが」
「だが?」
「近頃、屋敷の中で、いくつか妙なことがあった。帳簿の数字が、僅かに合わない時があったり、使用人の出入りが、以前より頻繁になったり」
ギルバートは、額に手を当てた。
「気のせいだと、自分に言い聞かせていた。だが、お前がこうして聞いてくると――やはり、気のせいでは済まされないのかもしれない」
フィリアは、その言葉を、静かに胸に刻んだ。
◇
その時、扉が開き、一人の女性が入ってきた。
「――あら、フィリア。お帰りなさい」
赤茶色の髪を優雅に結い上げた、継母のヴィオラだった。物腰の柔らかい微笑みを浮かべ、彼女はゆっくりとフィリアに歩み寄った。
「お義母様」
「大変な思いをしているのでしょう。離宮での暮らしは、辛くないかしら」
ヴィオラの声には、心配そうな響きがあった。だが、フィリアは、その笑みの奥に、僅かな緊張のようなものを感じ取った。気のせいかもしれない。断定できるほどの根拠は、まだ何もない。
「ご心配、痛み入ります」
フィリアは、令嬢らしい微笑みを返した。
「一つ、伺ってもよろしいですか。お義母様は、あの夜のこと、何か覚えていらっしゃいますか。給仕や侍女の様子で、何か不審な点は」
「――そうねぇ」
ヴィオラは、指先を頬に添えて、考えるような仕草をした。
「あの夜は、大勢のお客様がいらしていたから、細かいところまでは……。ああ、でも」
「何か」
「あなたの侍女が、いつもより忙しそうにしていたのを、少し見かけたわ。大変な夜だったから、無理もないと思っていたのだけれど」
その言葉に、フィリアは表面上、静かに頷いた。だが、内心では、僅かな引っかかりを覚えていた。
(私の侍女――普段の侍女の話をしている。なりすました侍女の話ではない)
(自然な受け答えに聞こえる。でも――)
考えすぎかもしれない。フィリアは、その思考を一旦、胸の奥にしまった。
◇
応接間を出たところで、小さな足音が近づいてきた。
「――姉様!」
駆け寄ってきたのは、異母弟のアレンだった。まだ十歳ほどの少年で、赤茶色の髪が母親譲りだった。
「アレン」
フィリアは、思わず表情を緩めた。この弟には、何の罪もない。事件の重さとは無関係な、無邪気な笑顔がそこにあった。
「姉様、いつ帰ってくるの?僕、姉様と剣術の稽古をする約束、まだ覚えてる」
「――もう少し、待っていてね」
フィリアは、そっとアレンの頭を撫でた。
「僕、姉様は悪いことなんてしてないって、ずっと言ってるんだ。みんなにも」
その言葉に、フィリアの胸が、じんと熱くなった。
「ありがとう、アレン」
背後から、ヴィオラの声がした。
「アレン、フィリア様はお疲れなのよ。今日はそのくらいにしましょうね」
「――はい、母様」
アレンは、素直に頷いて、母の元へ駆けていった。フィリアは、その後ろ姿を見送りながら、複雑な感情を抱えていた。
(あの子には、何の関わりもない。もし、本当にこの家の誰かが関わっているとしても――アレンだけは、巻き込みたくない)
◇
屋敷を辞去する馬車の中で、フィリアは、静かに息を吐いた。
「――何か、気になることは」
カインが、隣で尋ねた。
「お義母様の受け答えは、自然でした。でも」
フィリアは、窓の外に流れる景色を見つめた。
「自然すぎたようにも、感じました。上手く言えませんが」
マルクスが、向かいの席から口を開いた。
「今日の訪問だけでは、確証は得られません。ですが、屋敷の使用人たちの中に、もう少し詳しく話を聞くべき人間がいるかもしれません」
「オスカーさん――家令に、改めて話を伺えないでしょうか」
「手配します」
マルクスは、静かに頷いた。それから、思い出したように付け加えた。
「公爵様が仰っていた、帳簿の不一致や使用人の出入りの件も、記録に残しておきます。小さな違和感でも、後で繋がることがあります」
「――お願いします」
夕暮れの中、馬車は離宮への道を走っていた。フィリアは、拳を膝の上で握りしめながら、静かに呟いた。
「残り、十八日」
「久しぶりの我が家は、どうだった」
カインが、静かに尋ねた。
「――懐かしくて、でも、もう以前と同じ場所には戻れない気がしました」
フィリアは、窓の外の夕焼けを見つめた。
(この家のどこかに、真実が眠っている。それを暴くことは、この家族の誰かを、深く傷つけることになるかもしれない)
(それでも――知らなければならない)
馬車の車輪の音だけが、静かな決意を刻むように響いていた。
第十三話「久方ぶりの我が家」をお読みいただき、ありがとうございます。
ついにヴィオラとアレンが本編に登場しました。ヴィオラについては、まだ怪しさを前面に出さず、「気のせいかもしれない違和感」程度に留めることを意識しています。アレンの無邪気さが、この先の展開に重みを持たせてくれることを願っています。
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