第十一話 リーゼの記憶
残り二十日。危険を承知で、リーゼが再び動きます。
その日の午後、離宮の庭に、また垣根越しの声がかかった。
「――フィリア様」
声を潜めたリーゼだった。フィリアは驚いて振り返ったが、すぐに周囲を確認する。監査官マルクスの目が届く範囲だ。無闇に会えば、彼女自身も危険に晒しかねない。
「リーゼ様、ここは……」
「大丈夫です。今日は、正式に面会の申請をしています。監査官様の許可も得ました」
リーゼの後ろから、マルクスが姿を現した。彼は、静かに頷いた。
「事件の証言者として、正規の手続きで面会を許可しました。今日は、庭ではなく、応接の間でお話しください」
フィリアは、胸を撫で下ろした。以前のように、垣根越しに人目を忍んで話す必要はもうない――それだけで、状況が少しずつ変わってきているのを実感した。
◇
応接の間には、フィリア、カイン、マルクス、そしてリーゼが顔を揃えた。
「ジェラルド様が拘束されたと聞いて、いても立ってもいられず……」
リーゼは、両手を膝の上で握りしめながら、言葉を選ぶように話し始めた。
「私、あの夜のことを、もう一度よく思い出してみたんです。倒れる前、周りに誰がいたか」
「何か、思い出しましたか」
フィリアは、身を乗り出した。
「侍女がグラスを運んできた時――少し離れたところに、見慣れない男の人がいました。招待客の中には見覚えのない顔で、でも、給仕の格好でもなかった」
「その男の特徴は」
カインが、鋭く尋ねた。
「痩せ型で、目立たない服装でした。ただ……髪が、灰色がかった銀色だったのを覚えています。若くはないけれど、年老いてもいない、そんな年齢に見えました」
フィリアの脳裏に、稲妻のような閃きが走った。
(灰色がかった銀色の髪。目立たない、でも招待客でも給仕でもない男)
「その男は、侍女と、何か言葉を交わしていましたか」
「ほんの一言二言だけ。でも、侍女がグラスを運んでくる直前に、確かに、二人は顔を合わせていました」
フィリアは、カインと視線を交わした。
「――『ルカ』と、一致するかもしれません」
「ジェラルドの屋敷に潜り込んでいた男の特徴と、似ている」
マルクスが、静かに口を挟んだ。
「証言として、正式に記録します。ただ、髪の色と体格だけでは、まだ人物を特定するには足りません」
「分かっています」
フィリアは、頷いた。
「それでも、これは大きな前進です。今まで、名前しか手がかりがなかった人物に、ようやく顔の輪郭が見えてきました」
マルクスは、羊皮紙に証言を書き取ると、リーゼに確認を求めた。
「他に、何か気づいたことは。些細なことでも構いません」
リーゼは、しばらく考え込んでから、遠慮がちに口を開いた。
「――その男の人、左手に、何か布のようなものを巻いていました。怪我をしているようには見えませんでしたが」
「左手、ですか」
フィリアは、思わずカインを見た。工房の職人が語った、廃業届の筆跡の癖――「字を人に見られることに慣れている」という言葉が、頭をよぎる。
「利き手を隠していたのかもしれません」
マルクスが、静かに書き留めた。
「小さな情報でも、積み重なれば人物像になります。よく思い出してくださいました」
「お役に立てているなら、良かったです」
リーゼは、僅かに微笑んだ。
◇
リーゼが帰った後、部屋にはフィリアとカインだけが残った。夕暮れの光が、窓から柔らかく差し込んでいる。
「リーゼ様は、危険を承知で、また来てくれました」
フィリアは、静かに呟いた。
「私が疑われている事件の証人になることが、彼女自身にとって、どれだけの重荷か――分かっているはずなのに」
「あの人は、芯が強い」
カインは、窓の外を見ながら言った。
「か弱く見えて、自分の意志で動く人だ」
フィリアは、彼の横顔を見つめた。
「――あなたも、そうですね」
「俺が?」
「妹さんのことを話してくれた時から、ずっと思っていました。あなたは、寡黙なようでいて、自分の信じることのためには、はっきりと動く人です」
カインは、少し驚いたように目を見開いた後、視線を逸らした。
「――妹の話は、あの時しかしていない」
「よく覚えていますから」
「覚えているのは、勝手にしてくれ」
その口調とは裏腹に、耳の端が、僅かに赤くなっているのを、フィリアは見逃さなかった。
「――柄にもないことを言うな」
「柄になくても、事実です」
フィリアは、微かに笑った。ここ最近、こうして素直な言葉を交わせるようになったことに、自分自身、少し驚いていた。
(ゲームの中では、こんな会話をする相手なんて、想像もしなかった)
(悪役令嬢として断罪されて、絶望する未来しかなかったはずなのに)
(今、私は――ちゃんと、前に進んでいる)
カインは、しばらく黙っていたが、やがて静かに口を開いた。
「灰色がかった銀髪の男。心当たりが、一つだけある」
「――本当ですか」
「昔、近衛の訓練で一緒だった男に、そういう特徴の奴がいた。今は近衛を辞めて、どこかの貴族家に仕えていると聞いた」
フィリアの心臓が、大きく跳ねた。
「その人の、名前は」
「思い出そうとしている。だが、確証はまだない。明日、心当たりのある元同僚に、それとなく聞いてみる」
「気を付けてください。ルカが本当に何らかの家に仕えているなら、その主人にとって、あなたの動きは脅威になります」
「分かってる」
カインは、腰の剣に軽く手を添えた。
「それに、俺は近衛だ。元同僚に近況を尋ねる程度のことで、疑われるような真似はしない」
フィリアは、その横顔を見つめながら、小さく頷いた。
(この人が、これだけ言うのなら、大丈夫だろう)
それでも、拭いきれない不安が、胸の奥に小さく残っていた。事件が家の内側と繋がっている可能性がある以上、誰が本当に信用できるのか、まだ全てが見えているわけではない。
窓の外で、夕日が完全に沈んだ。
「残り、二十日」
カインが、静かに言った。
「少しずつだが、確実に、輪が狭まってきている」
フィリアは、頷いた。
「灰色の銀髪の男――ルカ。次に近づくのは、その人物の正体です」
カインは、立ち上がりながら、それだけ付け加えた。
「名前が分かったら、真っ先にあんたに伝える。――だから、今夜はちゃんと休め」
「あなたも」
「俺は、いい」
フィリアが何か言い返すより早く、カインは軽く手を上げて、部屋を出ていった。
第十一話「リーゼの記憶」をお読みいただき、ありがとうございます。
証人の記憶から、謎の男「ルカ」の外見的特徴が少しずつ明らかになっていく回にしました。同時に、フィリアとカインの関係の変化も丁寧に描きたかった回です。次回、カインの伝手から、ルカの正体に一歩近づきます。
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